服部健司(はっとりけんじ) 48歳
 大学院医学系研究科 社会環境医療学講座 医学哲学・倫理学 教授
  1959年東京都目黒区生まれ。1984年旭川医科大学卒業。国立武蔵療養所 (現・国立精
神・神経センター武蔵病院)で精神科臨床研修。その後早稲田大学第一文学部哲学科学士編
入学。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。同 博士後期課程哲学専攻単位取得
満期退学。横浜国立大学・明海大学・東邦大学非常勤講師を経て、1999年本学医学部医学
基礎講座助教授。2002年に 同 教授。2003年より現職。早稲田大学非常勤講師。
  専門は、医学哲学・倫理学。健康概念の哲学的考察、予防医学(主として健康増進やHIV
感染予防)の倫理問題、文学と歴史学を範型とした臨床倫理学とその教育に関する方法論の
検討を研究課題としている。
  著書に『医療倫理学のABC』(メヂカルフレンド社)、『医療倫理』(勁草書房)、『医学を学
ぶ』(群馬大学医学部編集・南江堂)ほか。文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」に
採択された本学医学部医学科「良医養成のための体験的・実践的専門前教育」への支援経
費を受け、医療倫理学教育用のケース・ドラマ教材シリーズを企画制作した。 
  着任以来、課外に文芸読書会、哲学読書会を継続開催。学生らと前橋文学会を結成し『前
橋文学』を刊行中(6号を2007年11月末に刊)。また2002年来、市民団体・医療倫理ネットワー
クと協働で、月例医療倫理ケースカンファランスや市民医療倫理フォーラムを開催し続けてい
る。

□ 教養教育担当授業
・ 学修原論「シェイクスピアを読む」(前期)、「哲学と文学のあいだ」(後期)。
・ 人文科目「哲学・入門」「医療倫理の周辺」(前期)、
  「形而上学・初級」「性・家族・死の倫理学」(後期)

□ 授業概要
  「シェイクスピア」では『マクベス』をゆっくり読みながら、各自の解釈を出し合い、また演出
の違いを確かめつついくつかの舞台映像や映画を比較し、意見をぶつけあった。「哲学と文
学」はニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部の演習。「哲学」では、心の哲学と認識論を扱い、ウィト
ゲンシュタイン『色についての覚書き』を経由して、デカルト『省察』を読むところまで。医学科学
生が必修の数学を受講する時間枠に開講した「医療倫理」では、具体的な仮想ケース(本学で
制作したケースドラマを含む)を軸に学生参加討議型の授業を行い、教員は特定の価値観・医
療観を押し付けることなく、話し合いを促進する役目に徹した。「形而上学」はハイデガーのフ
ライブルク大学での講義録『形而上学入門』を読み進めたあと、ある意味ではその対極にある
レヴィナス『実存から実存者へ』『全体性と無限』の分かり易く重要な箇所を拾い読みした。
「性・家族」では三題を繋ぐ優れた論文やエッセイを数本読み解いたり、脱線したりしながら、
公然とは扱われにくい課題を浮き彫りにし、考える場を拓いた。昨年度の公開授業をご参観い
ただいた先生からは性教育のひとつのモデルとの評をいただいた。それぞれ授業ごとに学生
に要求する知的水準を違えて6科目を組み上げた点は、例年通りである。

□ 授業で特に工夫をしている点
  入試を終えたばかりで、暗記−反射型ドリルをこなすことが学びだと勘違いしている新入生
たちに、教師にもわからない問題が山とあること、そのどこがどう問題なのか、今の自分に決
定的に不足しているのは何か、途上的ながら思惟によって世界の見え方が一変するさまを、
肌で感じて身震いしてもらうことを目標にしている。だから教室は問いそのものへ直截切り込
む場とし、単なる知識の解説と伝達に時間は割かない。よってパワーポイントのような絵解きも
使用しない。準備しきった教材には、予定調和的なあるいは結果の分かりきった擬似実験の
ような白白しさが、学生に対する教師の優位の顕示のいやらしさがどうしても伴う。それに、完
成された教材はもはや教師を必要としない。対して、教師がいなければ絶対に成り立たない授
業、学生が家で本をいくら読んでも追いつかない授業を心がけている。ボクシングのスパーリ
ングさながらの、その場にいなければ、同級生と共に考えなければ意味がない授業。学生のレ
スポンス次第で大きく脱線し、それどころか線路を切り替えてしまう授業。それはもちろん私が
編み出したものでない。青年たちをたぶらかしたかどで告訴されたソクラテスがあのアテナイ
の街角で実践していた産婆術が、ときに不快な無知の自覚へ誘う虻の羽音が、哲学の一つの
源流である。

□授業で学生と接する場合に留意している点    
  かつて学生は、教師や授業を当てにせず、教室の外で、無駄をいとわず、背伸びをしながら
学んでいた。ところが、いつからか多色刷りのウェルメイドな学習教材があふれ出し、生徒=
学生はよくまとまった分かり易い教材や授業にすっかり依存し、進級試験で高得点をとる作業
で満足するようになってしまった。この依存と未熟を正面から指摘した上で、学生たちの強ばっ
た関節を外し、転倒させてやる。スキー場で一度転ぶと、転ぶことを恐れずにのびやかに滑れ
るようになる。ころんで雪まみれになりながら、それも楽しさだということが分かるようになる。
学生たちはそうやって、一皮むけていく。だから、転ばずにすむ安泰な方法を教えたりはしな
い。学生に媚びを売らないし、学生にも媚びを求めたりはしない。また着任以来9年間、哲学と
文学、二種の自由な課外読書会を継続しているが、参加にあたって所属学部や専攻、学年は
関係ないと強調してきた。その一方、学生を囲い込まぬように気をつけている。他大学の図書
館の利用の仕方、授業へのモグリ方や仁義、希望する大学院へ進むための勉強法といったこ
とも手ほどきするようにしている。

□ ベストティーチャー賞を受賞した理由として思い当たる点
  昨年度に続き受賞はまったく望外な賜物。その要因は学生の側にあるにちがいない。ま
ず、時間割などいくつかの要素が偶々重なって、私の授業を試しに履ってくれた学生の数が多
かったこと(怜悧な先輩の教えに従順な医学科学生の姿は殆ど無かったが)。でなければ一定
の票数は得られなかったろう。それともう一つ。93年から続く東大文学部での演習の、とある
年(!)の授業を殆どそのまま活字化した柴田は、その本の前書きでこう述べている。「この
2004年の授業は、なぜか話しあいが盛り上がることが多かったのである。名教師だのダメ教
師だのというが、授業を活かすも殺すもまずは学生次第なのだ」(柴田元幸『翻訳教室』新書
館、2006)。この意見に私は激しく同意する。この本をめくると、教師と学生の丁々発止のやり
とりがまぶしく見える。教養教育の授業で私も偶々学生に恵まれたというほかない。