目次
地衣の名物学的研究

要旨

 いま植物分類学でライケン (Lichen) と称される植物群に、日本・中国・韓国では「地衣」の訳語を用いている。しかし誰がいつ「地衣」をライケンの訳語に用いたのかは、100年以上も謎とされ てきた。ライケンの訳語は田中芳男によって「地衣」と充てられたとする佐藤正己の推論もあったが、解決に至っていない。また明治から戦前の植物学者らは、 地衣がライケンに相当する語句でないとみなしていた。そう認識された「地衣」が、なぜ訳語となっているのか。本研究では当植物学用語が成立する過程を 「名」と「物」の関連を検討しつつ、それらの背景にある文化史を含め、中国・日本の文献記載を中心に検討した。
 そこで、西洋近代植物学が漢字文化圏に伝わる以前、「地衣」は中国や日本の文献にどう記され、どのような物の名称であったのか。まず訳語成立の過程を明 らかにするため、筆者は黎明期の植物学書を再調査した。また訳語成立前の「地衣」がどのような意味・歴史をもつ語句であったのかについて、電子テキスト等 を利用して検索した。得られた「地衣」記載の文献を、さらに書誌学的考証や植物学的検討により考察した結果、以下の新知見が得られた。

(1)ライケンの訳 語に地衣を採用した最初の書は中国で編纂された『植物学』(1858) である。
(2)現存書のなかで、「地衣」の記載は『芸文類聚』が最古である。 「地衣」は当書が引く『列仙伝』に記載されるが、道蔵本『列仙伝』には記載さ れていない。
(3)『芸文類聚』が引く『列仙伝』と道蔵本の語句比較から、両書は 同一系統の書である可能性が高いことが分かった。さらに、『芸文類聚』は 『列仙伝』の同じ文を複数回引用するが、その引用文には意図的と思われる相異が認められた。
(4)『金匱録』と『神仙服食経』の佚文には「地衣」の記載が 含まれ、史書は両書の撰者をともに「京里先生」と著録していた。『神仙服食経』は少なくとも『斉民要術』(530頃)以前に、『金匱録』は葛洪 (281-341) 以前にそれぞれ成立していたと考えられた。また両書で「地衣」は車前(オオバコ)の別名とされ、「七禽食方」に挙げられる7植物の一つであった。
(5)以 上 (2)-(4)より、「地衣」の初出文献は『列仙伝』『金匱録』『神仙服食経』のいずれかであり、葛洪 (281-341) 以前に遡る可能性がきわめて高いと判断された。
(6)敷物をさす「地衣」は唐代以降の韻文・史書にみられ、華やかな 宮廷生活を象徴する語句であった。また 「地衣」と呼ばれた敷物の上では、しばしば舞踊が催されていた。
(7)敷物をさす「地衣」が出現した頃(中唐)は、西域文化が花開い た。「地衣」と呼ばれ た敷物は西域の影響を受けたもので、「地衣」の上で催された舞踊も西域の舞踊であったと考えられた。
(8)五代の『日華子本草』に記された「地衣」は、 湿った地面に生える実態のはっきりしない下等植物として記載されていた。(9) 一方、初唐の崔知悌が記した治療法に「地衣草」なる植物が用いられていた。
(10)歴代の本草書は「地衣」と「地衣草」を区別して記載してきた が、『本草 綱目』は両者を同一物とみなし、一項目にまとめて記載した。これ以後、「地衣」と「地衣草」は区別されずに扱われた。
(11)『嘉祐補注本草』 (1060) に記述された下等植物の分類概念と命名法に「地衣」も含まれていた。この分類概念と命名法は日本や朝鮮の医薬書に引かれ、当該地域への影響がみられた。
(12)日本における「地衣」の初記載は、『金匱録』を引いた『医心 方』(984)である。
(13)鎌倉時代から18世紀末までの日本文献に記された「地 衣」は中国本草書の影響下で、漠然と地面に生える下等な植物をさしていた。
(14) 19世紀初頭から維新前後までの日本で、「地衣」は明瞭 にセン綱 (Musci) 植物をさす名称として理解されていた。
(15)日本では、かつてライケンの訳語として「利仙」「利鮮」 (「寄藻菌」)が用いられたことがあった。

 以上より、「地衣」の語意が歴史とともに、オオバコ・敷物、さらに地面に生える下等な植物と変化し、最後にライケンの訳語となった事を解明できた。「地 衣」のように『植物学』に由来する学術用語は『植学啓原』と並んで、最も古いものに属する。しかし「地衣」という語句の1700年以上の歴史からすれば、 ライケンの訳語としては、まだ150年に満たない。そして「地衣」はライケンという西洋植物学用語の伝統を継承していると同時に、中国・日本の漢字文化を 反映していた側面も明らかにできた。現在、生物学で用いられる用語の中には、近代ヨーロッパ科学の影響により原義と異なった意味で、通行している場合も多 い。本稿では、漢字文化圏における外来語翻訳と受容の側面から、生物学用語の歴史を見直す必要性も提起した。

目次

緒言

第1章 地衣の名物学的研究 Ⅰ
-ライケンはいかにして地衣と訳されたか -
    1.ライケンの歴史
    2.訳語「地衣」への疑問
    3.佐藤正己の調査
    4.『植物学』に記載された地衣
    5.小結
    引用文献と注
    図の出典
    <図1-3に関する追記>

第2章 地衣の名物学的研究 Ⅱ
-中国における地衣の初出文献の検討 (1)-
     1.『列仙伝』の伝本と佚文
     2.『芸文類聚』所引の『列仙伝』 と道蔵本『列仙伝』
     3.『芸文類聚』のみに見える仙人
     4.呂尚伝の検討
     5.『芸文類聚』にのみ見える文字
     6.小結
     引用文献と注

第3章 地衣の名物学的研究 Ⅲ
-中国における地衣の初出文献の検討 (2)-
      1.『金匱録』『神仙服食経』の記載
     2.『金匱録』『神仙服食経』の成 立時期
     3.葛洪と『金匱録』『神仙服食 経』
     4.小結
     引用文献と注

第4章 地衣の名物学的研究 Ⅳ
-韻文・史書における地衣と西域の舞い-
     1.韻文にみえる地衣の意味
     2.「宮詞」にみえる地衣
     3.史書にみえる地衣
     4.唐代における東西交渉からみる 地衣
     5.地衣とペルシャ語
     6.小結
     引用文献と注

第5章 地衣の名物学的研究 Ⅴ
-医方書・本草書における地衣-
    1.「地衣草」について
    2.「地衣」について
    3.「苔」と「蘚」がさす物
    4.『本草綱目』以降の「地衣草」 と「地衣」
    5.小結
    引用文献と注
    図の出典

第6章 地衣の名物学的研究 Ⅵ
-日本における「地衣」と「地衣草」-
    1.日本における「地衣」「地衣 草」の初出文献と認識
    2.『本草綱目』渡来以降の「地 衣」「地衣草」
     3.小結
    引用文献と注
   図の出典

第7章 地衣の名物学的研究 Ⅶ
-日本におけるライケンの受容と訳語-
    1.ライケンを記載した西洋書の舶 来
    2.伊藤圭介によるライケンの訳語
    3.宇田川榕庵によるライケンの訳 語
    4.小結
    引用文献と注
     図の出典

結論

謝辞

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緒言

 植物分類学で用いられるライケン (Lichen) は現在、日本や中国、韓国で「地衣」という訳語を用いている。しかし、「地衣」という訳語を用いたのはいつ誰が最初であるのか、現在まで謎であった。この 問題は明治21 (1888) 年、すでに三好学によって提起されていた。三好は「地衣」が訳語として不適切だとみなし、牧野富太郎・朝比奈泰彦・佐藤正己らも一様に「地衣」が本来ライ ケンに相当しない語とみなしていた。
 そこで『大漢和辞典』の「地衣」条を引いてみると、第一の意味に「地上に敷くしきもの。毛氈・蓆の類」、第二に「草の名、車前の異名」、第三に「苔の一 種」、第四に「地衣類の略」とある。「苔」のみならず、敷物や車前(オオバコ)まで意味する「地衣」が、どういう経緯でライケンの訳語となったのであろう か。西洋植物学が影響を及ぼす以前の「地衣」は、どのような意味・歴史をもつ語句であったのか。「名」と「物」の関連を検討しながら、「地衣」がもつ本来 の姿を浮き彫りにしたい。
 なお本稿で使用する漢字は原則としてJIS    コード内の常用漢字を用い、必要に応じて拡張文字を使用した。植物分類体系は北隆館『植物系統分類の基礎』(1979) に準拠したが、緑藻植物門・藍藻植物門などは併せて「藻類」と表記した。また、植物学用語の「地衣 (Lichen) 」と古典籍に記載の「地衣」を区別するため、前者を「ライケン」と記したが、引用文中の「地衣」は改めなかった。人名への敬称は、すべて省略した。
 まず第1章では、地衣をライケンの訳語として用いた最初の文献を特定する。そして、なぜ「地衣」がライケンの訳語として選ばれたのか、当時のヨーロッパ で用いられた植物学のテキストを比較しながら考える。
 「地衣」の旧姿を明らかにするため、第2・3章では、中国における「地衣」の初出文献について考える。第2章では、『芸文類聚』所引の『列仙伝』に「地 衣」が記るされるにも関わらず、道蔵本『列仙伝』には「地衣」が記述されない事を明らかにする。類書が引用する『列仙伝』は道蔵本とどのような関係にある のか、字句の比較と道蔵本未収の伝をもとに、中国の文献を捜索・整理した。「地衣」の用例は旧来、唐代以降の文献ばかり挙げられていた。第3章では、『金 匱録』『神仙服食経』という散佚書に「地衣」の記述がみられることを紹介し、これらが隋以前に成立した書であるか否かについて考究する。
 第4章は、『大漢和辞典』が第一番目に挙げる敷物をさす「地衣」について、唐代の韻文を中心に考察し、「地衣」と称された敷物のもつイメージについて考 える。第5章は隠花植物をさす「地衣」について考察する。「地衣」と称された植物に関して、現在知ることができる情報は限られる。この限られた情報から、 「地衣」がさす隠花植物の痕跡をたどる。
 第6章は、日本の文献における「地衣」の記載情況を調べ、語意の変化を時系列に沿って考察する。第7章では、江戸時代の西洋医学書にみえるライケンの記 載から、当時の知識人がライケンをどう受容したかをさぐる。
 最後に、ライケンと「地衣」の各々歴史を、主に時系列に沿ってまとめる。

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