本稿では、『金匱』古版本の関係・特徴を明らかにすることを目的として、各古版本を比較・検討した。以下にその結果を総括する。
現存する『金匱』の版本はすべて北宋政府の校訂本に由来している。北宋政府は治平三(一〇六六)年に大字本を刊行し、北宋末にも小字本が刊行され たとみられる。しかし、これら北宋版『金匱』は現伝しない。
現存する最古の版本は元・鄧珍が刊行した鄧珍本(一三四〇年序刊)である。北宋祖版から鄧珍本までの伝承過程は未詳であるが、この過程および鄧珍 本刊行の段階ですでに誤字、脱文、経文と細字双行文の混乱などの訛誤が生じていた。
明刊の無名氏本(一五〇六~六六)と兪橋本(一五二二~六六)は共通祖版(X本)から派生したと考えられている。無名氏本・兪橋本には現伝する鄧 珍本(後印本)の版木摩耗で印刷不鮮明な字句を脱する例などが見られ、X本もこれらの字句を脱していたはずである。したがって、X本の主たる底本は鄧珍本 の後印本であると判断された。さらに無名氏本・兪橋本を鄧珍本と比較したところ、X本には鄧珍本を踏襲しなかった字句があったと考えられる。鄧珍本以外の 版本で校訂した形跡が見られないことから、これらは校訂者の見解による改変と判断された。またX本が鄧珍本を踏襲しなかった処方名や「用後方」等の字句も 校訂者が省略したもので、北宋版など別の版本に基づくものではないと考えられる。
明刊・徐鎔本(一五九八刊)は徐鎔が「古本」「新本」の諸版により校訂したものである。徐鎔本と他の古版本を比較したところ、字句の傾向および書 式が鄧珍本と類似しており、一部に無名氏本に特徴的な字句も見られた。また鄧珍本(後印本)の版木摩耗で印刷不鮮明な字句で無名氏本が脱文としている箇所 においても、徐鎔本ではあるべき字句が刻されていた。ただし鄧珍本が墨格とする箇所にはあるべき字が刻されておらず、北宋版は参照されていないと判断され た。したがって徐鎔本は鄧珍本の先印本と無名氏本を校合した版本と推定された。徐鎔の校訂には、底本の問題箇所について他書を用いて考証したり、宋臣注の 誤謬を改めるという特徴がある。しかし徐鎔本には誤字や自己の見解による改字が多く、テキストには適さない。あくまで字句解釈の参考程度にすべきであろ う。
明刊・趙開美本(一五九九刊)は趙開美が校刻した『仲景全書』に収められている。趙開美本には鄧珍序が付刻されており、字句の傾向も鄧珍本とよく 一致している。また字句の一部は無名氏本と一致しており、特に無名氏本と共通する脱字・脱文が見られる。鄧珍本が墨格とする箇所にはあるべき文字が刻され ておらず、北宋版は参照されていないと判断された。以上より、趙開美本は鄧珍本ないし鄧珍本に基づく刊写本と無名氏本を校合した版本と推測された。趙開美 の校訂は、内容に関与する改変が少なく、体裁を整える程度のものが多い。
以上の考察より、現存古版本の関係を図5‐1のごとくほぼ確定し得た。現存古版本は全て鄧珍本から派生しており、『金匱』の北宋祖版に直接遡るこ とのできる古版本はない。さらに、現行の『金匱』の版本はすべて古版本の系統に基づいていると考えられるため、結局みな鄧珍本より派生しているといえる。
したがって鄧珍本が最善本であることはいうまでもないが、鄧珍本の段階を含めた伝承過程ですでにいくつかの訛誤を生じている。これら訛誤のいくつ かは鄧珍本以後の版本で改訂されており、字句解釈の参考にする一定の価値は認められる。また、北宋版『金匱』を引用する宋・金・元代の書を校勘資料とする ことで、若干の箇所を補正できるが、鄧珍本に嫌疑の持たれる箇所をこれらの書が引用しているケースはそう多くない。本稿で挙げた他にも北宋版『金匱』を引 用する書を探索する必要があろう。
また本稿では論及の範囲外としたが、北宋政府の校訂(宋改)がいかなるものであったかを検討することは、宋改を経た医書の研究に欠くことはできな い。第二章では『金匱』において宋改で命名された処方名がある可能性を示唆した。これについては今後の課題としてさらに調査・検討をするつもりである。