2001年10月19日から21日の3日間、西安にて開催された「第二回国際孫思邈与道教医学及第三回国際医学史学術会議」に出席した。その2日目の20日、西安郊外74四キロにある孫思邈の故郷という耀県孫原村を皆で訪問した際、「薬王碑苑」内の名医亭にある石碑に大塚敬節先生・矢数道明先生の伝が刻まれていたことも報告した。
孫原村内にはこの他、孫思邈を祀った薬王祠・薬王墓・薬王苦読遺跡・薬王生誕地遺跡・薬王孫思邈薬用植物園・薬王広場など、郊外には宋以降の歴代碑や遺跡のある薬王山 がある。
左写真が薬王墓の入り口。中には墓碑の他に、数基の記念碑があるが、みな清代以降のものだった。
写真の左が孫思邈の墓、右が孫思邈の父母と妻の墓、と書かれるもの。ただし両墓碑ともに最近の建立(たぶん1990年代)であり、むろん遺骨が納められるとは思えない。
右写真の碑文にある「考孫府君」は思邈の父、「妣雷」は母(雷姓)、孺人は妻をいう。調べてみたところ、『礼記』曲礼下に「天子之妃曰后、諸侯曰夫人、大夫曰孺人、士曰婦人、庶人曰妻」とあった。
なお中国の三大名医は張仲景・孫思邈・李時珍とするらしいが、南陽の仲景廟にある墓碑は1986年の訪問時に見てきた。湖北省蘄春県にある李時珍の墓 にも1998年10月に詣でたので、これで中国三大名医の墓はすべて訪問したことになる。そのうち仲景墓の写真も探し出して紹介したい。