←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』 35-36頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

明医雑著 六巻四冊(690.9-31-4)写字台本

明・王綸(節斎)著 明・薛己注 明〔嘉靖三十年〕刊 毎半葉匡郭約18.7×13.3p

 『明医雑著』には大別して明・王綸原本の一巻本系統と、これに明・薛己が注を加えた六巻本系統がある。当本は後者の系統で、嘉靖二十八年(一五四九)の銭薇序しか年代を確認できる部分はないが、版式の特微より六巻系初版の嘉靖三十年(一五五一)宋陽山刊本と認められる。宋版を模した美しい嘉靖版の典型で、現存の同版は他に内閣文庫と北京図書館に各一点の所蔵が知られるのみ。

 著者の王綸は浙江省慈渓の出身で、字は汝言、節斎と号した。成化二十年(一四八四)に進士に挙げられ、工部主事から礼部儀副郎中・広東布政司左参政・広西左布政使・都御史などの官を歴任した。弘治十三年(一五〇〇)に『本草集要』八巻を序刊し、本書を同十五年(一五〇二)に序刊している。

 本書は方論・医論・医案よりなる。王綸は自序に本書がまだ不完全なので、公務を退いた後に続編を刊行するつもりだと記すが、果せなかった。これゆえ薛己は嘉靖三十年(一五五一)の序に、本書を増補・加注して六巻本にまとめ刊行すると記す。

 本書が日本に渡来した記録では、幕府の紅葉山文庫に正保二年(一六四五)に架蔵されたことが『御文庫目録』に見える。その本が現在の内閣文庫にある嘉靖三十年序刊本なので、当写字台文庫本も近い年代に舶載・架蔵された可能性がある。なお本書の一巻本系統はかなり早くに渡来していたらしく、慶長年間(一五九六〜一六一四)の古活字版から和刻本がある。六巻本系統と合わせて五版以上の和刻本があるので、江戸前期に割合流布した書といえるだろう。

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