←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』33-34頁 、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

医方選要 十巻六冊(690.9-246-6)写字台本

明・周文釆編 明嘉靖二十四年礼部刊 毎半葉匡郭21.5×15.7p


 本書は明・成化帝の第四子、興献王・朱祐杭の命により、興王府・良医副の 周文釆が弘治八年(一四九五)に編集した。これを興献王の子の嘉靖帝(世宗)が政府の礼部に命じて嘉靖二十四年(一五四五)に刊行したのが当本で、恐らく初版本である。版式・字体・紙質ともに精刻嘉靖版の典型であり、まさに明政府勅版の名に恥じない。

 当初版の完本は中国大陸に五点、台湾に二点、日本では当本以外に宮内庁書陵部・内閣文庫・成簣堂文庫に各一点、武田・杏雨書屋に三点の所蔵が知られる。内閣文庫本は『御文庫目録』によれば寛永十六年(一六三九)に幕府・紅葉山文庫に架蔵されたものなので、同版の当本が写字台に収められたのもほぼ同年代だった可能性がある。

 編者の周文釆は江蘇省呉県出身で、弘治年間に興王府の良医副の官にあった。また興献王の命で『外科集験方』二巻を弘治十一年(一四九八)に編集しており、同書も嘉靖帝の命で本書と同時に刊行されている。当本の巻十末尾に「外科集験方巻上目録」と同書の進呈文等計十一葉が綴込まれているのも、恐らくこの経緯に由来するだろう。

 本書は病門別分類の典型的な方論書で、巻一の諸風門に始まり、巻十の小児門に終わる。

 日本では曲直瀬道三(一五〇七〜九四)が『啓迪集』(一五七四)に本書を六十六回引用するので、初版の一五四五年から少なくとも二十九年以内で渡来していた。しかし江戸時代にも和刻はされていない。

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