←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』 55-56頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

難経本義記聞 三巻三冊(690.9-83-1)写字台本

浅井周伯講 貞享三年〔松岡玄達自筆〕写本 書高23.7×幅17.1p


 本書名は外題より採った。扉書には「難経本義筌蹄録」、内題には「難経本義」が記される。見返しに「養志堂浅井周伯翁講談」、書頭の首行に「平安松岡直録」、奥書に「貞享三丙寅閏(一六八六)三月十三日」とある。養志堂は浅井周伯の院号で、松岡直は松岡玄達のこと。運筆は明らかに若年時の玄達のものである。よって本書は浅井周伯の講義を、松岡玄達が貞享三年に筆録した自筆本と認めた。

 このとき周伯(一六四三〜一七〇五)は四十四歳、玄達(一六六八〜一七四六)は十九歳だった。周伯と玄達の略伝は『薬性記』(写字台本、690.9-319-1)の解題に記す。本書は伝写本を含め他に所蔵記録がなく、また周伯の『難経本義』に関する書も伝わらないので、史料価値が高い。
 
 

 『難経本義』は元の滑寿(一三〇四〜八六)が著した『難経』の代表的注釈書で、現代まで中国・日本ともに広く読まれている。滑寿は字を伯仁といい、晩年に桜寧生と号した。襄城の出身で、のち儀真と余姚に住んだ。幼時より儒を学び、詩文に長じた。京口の名医・王居中が儀真にあった時について医を学び、『素問』『難経』等を読んで深く理解したという。その後、東平の高洞陽について針術も学び、経脈・経穴を研究した。著書は本書以外に、『十四経発揮』『診家枢要』『読素問鈔』などが伝わる。なお『十四発揮』も浅井周伯と思われる人物が講義し、これを松岡玄達が記録した自筆本の『内経経脈口訣』(写字台本、695.3-67-1)もある。

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