Kim Hoo氏宅の宴会(2003年3月18日夕食)
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 奎章閣の研究員のKim Hoo氏は私の住んだゲストハウスから5、6分歩き下った高層マンションに住んでいる。前々から家でご馳走してくれるとのことだったが、ちょうど同じ建物内の広い部屋へ引っ越していて、引っ越して落ち着いた後に招待してくれた。奥さんは私のページを見て、私の趣味が料理と知ってビビったとのこと。しかし、真柳は酒さえ飲ませれば何でも食べることをKim氏から聞き安心したらしい。

 そういう理由からか酒は焼酎・マッコリなど各種あったが、料理はメインが下写真中央の丸皿に盛られたクロダイおよびヒラメの刺身。刺身の皿には日本より色づけが濃いワサビ(韓国でもそう発音する)がある。奥さんの手料理はチジミなど小皿に盛られた各種が出され、ほとんど日本の家庭料理で美味しい。

 上写真で一番手前と一番奥にあるのはホンオフェという発酵させたエイの刺身で、Kim氏の好物らしい。12日に一緒に韓国伝統料理を食べた際にも彼は、ホンオチムというこれを蒸したような料理を私に珍味といって食べさせた。ともに発酵ですごいアンモニア臭なのだが、今晩のは蒸してなくてもっと強く、一口だけで遠慮した。その右上はホヤのサシミ。ホヤはよく食べるようで町中でも専門の屋台で売っている。この日本名はホヤだよとKim氏にいうと、「ホ」は彼の名のHooと同じなのでホヤというのは困った和名だという。帰国後に調べると韓国語のヤには「である」の意味があり、ホヤは韓国語で「Hooである」に聞こえてしまう。彼が困った和名というのは確かにもっともだった。

 そのうち下写真左のように、どんどんKim氏の友人が集まってくる。みな彼の同僚や同窓らしく、歴史関係の若手研究者。英語以外にも中国語や日本語を話せる人も何人かいて、盛り上がった。それで私は彼の引っ越し記念の宴会なんだろうと思って訊くと、実は私に酒を飲ませるための会だという。ならば「ナヌン スルコレ イムニダ(私は鯨飲)」と覚えたての言葉をほざき、コップで焼酎を飲むことにした。後でKim氏がいうには、みな相当に驚いたらしく、あの日本人は「ノンベーで好いヤツ」という評価とのこと。この評価には私が驚いた。なお奥の台所に立つのはKim氏の奥さんと思う。

 上写真右はKim氏と娘さん(名前は失念)。彼女はとても人なつこくて可愛く、こんな孫が早くほしいと思ってしまった。7歳なので小学生かと思いきや、まだ幼稚園とのことで、どうも韓国の小学生は8歳かららしい。これも驚き。ちなみに、ここの床もオンドルで、韓国では普通とのことだった。

 下写真右もKim氏の娘さんを抱き上げて幸せな私、および彼の友人達とその娘さん。みな相当出来上がっている。下写真右はKim氏が大事そうに出してきたブドウで作った焼酎で、たしか北朝鮮産と言っていたと思う。Kim氏の両親は北の出身なので入手できたのだろう。写真にあるようにアルコール60%で、さすがにこれだけはお猪口でいただいた。ともあれ、この夜も途中から記憶がなくなったが、宿舎には問題なく帰着していた。