罪と罰

罪と罰は表裏一体でも何でもない。罰を受けたものが罪を犯したというわけでもないし、罪を犯した者が罰せられるわけでもない。罰を受けるか受けないかは、罰を科すという意図を持った者と科せられる者がいることが必要かつ十分な条件であって、罪のあるなしは関係ない。それが証拠に広島長崎に原爆を落とした者は罰せられるどころか称賛されている。それは原爆を落としたことが罪でないからではなく、原爆を落とした人間を罰する意図を持った人間がいないからだ。

そもそも罪とは何だろうか?(十分条件ではなく)必要条件は、「人を不幸にする行為」だろう。だとすれば、誰も不幸になっていなければ、罪は成立しない。しかし、その場合でも、罰を科すという意図を持った者と科せられる者がいれば、罪なき人に対する罰は成立する。だからこそ、アウシュビッツが成立し、運営された。

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