そしてワクチン禍だけが残った
−エリート中のエリートが始めた戦争の果てに
ある日蓋を開けてみると戦争が始まっていた

 負けると思ってやることはできないけれども、負けそうだからやらない、ということもできない。戦争が怖いなと思うのは、この点です。戦後まで生き残った人の話だけですが、みんな「アメリカと戦って、勝てるとは思っていなかった」と言うんです。みんな「反対だった」と。それなのに、ある日蓋を開けてみると戦争が始まっていた。みんながみんな「これは危険だ」と思っていても、どこかの歯車の加減で動いてしまうのが戦争です。見えないアクションで動いてしまうところに、戦争の怖さの一つがあります。

大木 確かに戦後、陸海軍ともに「指導者がバカだったじゃないか」と言われます。帝国大学に匹敵する存在だった海軍兵学校、陸軍士官学校と、当時の日本全国の秀才を選りすぐり、しかも頭脳だけでなく、体力も試されたエリート中のエリートが始めた戦争が、なぜ駄目だったのか、と。

 もう一つ難しいのは、他の問題なら、やり直したり試行錯誤したりして研究することができます。ところが、戦争だけはやり直して研究することなど、しようがありません。当然、してはいけない。失敗後に、どうすればうまくいくか、という実験はできません。だから、すべて知識、理性で理解し、判断していかなければいけない。戦争は再現実験不能なジャンルであるところが、特殊です。(戸一成、大木毅 帝国軍人 角川新書

厭戦気分→厭戦→戦犯捜し
「新型コロナと戦って勝てるわけなかったんだ。天然痘さえジェンナーが種痘を始めてから根絶宣言まで200年かかったんだから」。「『コロナとの闘いにおいて、我々はワクチンという心強い武器を手に入れた』なんて能天気なことを言ったのはどこ のどいつだ!!」。「コロナとの戦いは人間側の惨敗だった」 。そんな半可通が跳梁跋扈するのもまたdeja vu、「既に起こった未来現実」です。

自分に嘘をつかないために必要なこと
    新型コロナワクチン薬害訴訟が始まれば、例によって新聞記者/ジャーナリスト達はこぞって厚労省と御用医師達を攻撃するでしょう。しかし後出しじゃんけんからは何も学べません。だから彼らはいつまでもバカに留まり続けるのです。こんな馬鹿げたことが何故起こったのか?バカにはそれがわかりません。それを論じる資格があるのは、その馬鹿げたことが起こっている最中に馬鹿げたことと認識できた人間だけです。ただしその認識を声に出す必要は全くありません。サイレント・マジョリティに必要なのは日記として記録を残しておくことです。それが後になって自分に嘘をつかないための何よりも頑健な手段なのですから。常に問題は自分、当事者意識なのです。役人、御用医師、専門家、政治家、ジャーナリスト・・・そんな連中はどうでもいいのです。弁明なんか聞く必要もありません。どうせ彼らには一生会うこともないのですから。

ワクチン禍既視感の検証
新コロバブルの物語
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