教育は誰のためか?
ーそして診療は誰のためか?ー

慶應義塾大学医学部内科学教室(呼吸器)の朝倉崇徳君からとても嬉しい知らせをもらった.一級後輩で彼と同様に旭中央病院で研修した川崎健太君(同大内科消化器)の論文と朝倉君の論文が,Clinical Case Reportsに偶然並んで掲載されたというのだ.

呼吸器専門の朝倉君の論文は低血糖昏睡におけるroving eye movements,川崎君の論文は,統合失調症患者におけるarrhythmogenic right ventricular cardiomyopathy (ARVC)で,こちらは私が共著者である.朝倉君の今回の論文には私は関わっていないが,チアミン反応性の肺高血圧症(BMJ Case Reports 2013; doi:10.1136/bcr-2012-007938)と, extended-spectrum beta-lactamase (ESBL)産生性腸内細菌 による尿路感染症に対する非カルバペネム系抗菌薬の有効性についての論文(Int J Infect Dis. 2014 Dec;29:91-5. doi: 10.1016/j.ijid.2014.08.018. Epub 2014 Oct 24)では共著者となっている.

私は4年前に旭中央病院で臨床研究(もちろん症例報告を含む!)の指導を始め,今も継続している.朝倉君,川崎君ともに旭中央病院で初期研修した.その時に彼らが症例報告を書くのに私に相談しに来てくれた.彼らの書いた論文は我々の共同研究の成果である.その後は朝倉君と川崎君は,慶応大学に戻り,それぞれ呼吸器,消化器のサブスペシャリティに籍を置き経験を重ねている.

四国の少年鑑別所に勤める初老の神経内科医が,首都圏にある第一線の臨床研修病院で,研修医相手に肺高血圧症,尿路感染症,心筋症の症例報告の書き方を指導する.そして研修医は呼吸器,消化器へ進んで後期研修を続けながら,神経症候の症例報告を書く.

「総合診療」って決して特別な診療,特別なカリキュラムがあるんじゃなくて,目の前の患者さんに集中していると自然とそうなる.それを彼らは実証してくれた.そして、臨床の面白さは,診療科も,出身医局も,所属施設も,年齢も,そして国境も全て越えていくことも実証してくれた.

彼らのような若い人のおかげで,私も医者をやっていてよかったと思える.教育に携わっていてよかったと思える.やっぱり助けてくれるのは患者さん.そしてその患者さんを診療して,症例報告を書いてくれる若い人だ.ああ,そうか,教育って,自分のためにやっているんだ.私自身が幸せになりたいから、若い人に自分を幸せにしてもらえるようにお願いする.それが教育なんだ。

どうしたらあなたを幸せにできるでしょうか?って わざわざ自分のところに来てくれる若い人に,こうしてもらいたいって伝えること.それが教育.だから人が教育するのは、自分が幸せになるため.

だとすると・・・・そう,患者さんもそうしてやってくる.そして医者は自分が幸せになりたいから診療する。

我々は患者さんの笑顔が見たくて仕事をしている.(お金とか肩書きのためではなく)患者さんの笑顔が見たくて仕事をしている自分が素敵だから,そういう素敵な自分を意識して仕事をしていると幸せになれるから,だから仕事をしている.そう考えると,患者さんは,自分では意識していないけれど,「どうしたらあなたを幸せにできるでしょうか?私はあなたを幸せにできますよ」って わざわざ自分のところに来てくれる人だということがわかる.そこで患者さんに助けてもらって,診療して、患者さんに笑顔になってもらって、自分が幸せになる.

大学では,診療も教育も研究もやらねばならないから大変だという.何が大変なものか.全て自分を幸せにするための手段であり資源ではないか.そんな簡単なこともわからないような愚か者は大学にいる資格はない.私のようにさっさと大学を去るがよかろう.でも、もしここまで読んで、そんな簡単なことがようやくわかったら、どうか大学に留まって、診療に教育に研究に、あなたの才能と情熱と時間を捧げてください。なあに、「全部自分でやる」必要なんてこれっぽっちもないんです。だって、若い人が、患者さんが、みんな助けてくれるじゃないですか。若い人に、患者さんに、どうやって助けてもらって、自分が楽をして、手抜きをして、自分が幸せになっていくか。それを学ぶのが、診療であり、教育であり、研究なんですよ。だから、「診療も教育も研究も全部やらなくちゃならないから大変だ」というのはとんでもない間違いで、「診療も教育も研究も、全部若い人と患者さんに助けてもらって、自分がどんどん楽になっていく」ってことなんですね。

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