手段としての臨床研究
ー手段の目的化を回避するために

下記のNEJMの記事は、若い人の臨床研究を指導していて常々思っていたことを書き出すきっかけになりました。
●(他者にとってではなく)自分にとっての「国際的な業績」とか「トップジャーナル」とかいう言葉の意味は何なのか?
●臨床研究とは、自分が知りたいことを知るための手段の一つに過ぎない。なのに、臨床研究が目的化していないか?
●臨床研究が目的化すると先行研究の検討が甘くなって、結局(先行研究でもうわかっていいることを調べようとするような)無駄な計画を立て、無駄な研究をすることになる。
●臨床研究以外にやりたいことがあればそれをやればいい。日本の臨床医全員が臨床研究をする必要はもちろんない。臨床研究を「やるべきだ」とか「やらねばならぬ」と捉えていたら、本来やりたいことも臨床研究もどちらもできない。
-----------------------------------------------------------------------
蚊帳用の安価な網での鼠径ヘルニア治療が劣らないことが示された Biotoday 2016/1/18
ウガンダ東部の幾つかの村の成人男性が参加した無作為化試験の結果、鼠径ヘルニアを蚊帳用の安価なメッシュで治療した場合とCovidien製のより高価なメッシュで治療した場合のヘルニア再発や手術合併症の発現率に差はありませんでした。125ドルする高価なメッシュと物理的特徴が似た安価なメッシュの費用は僅か1ドル未満です。低~中所得国の患者の多くは高価なメッシュを使えず、その代わりに殺菌した蚊帳が使われてきましたが、これまでその効果を今回のようにきっちり調べた試験はありませんでした。今回の結果は医療資源が乏しい環境でのヘルニア修復での安価なメッシュ使用を支持していると著者は言っています。
A Randomized Trial of Low-Cost Mesh in Groin Hernia Repair. N Engl J Med 2016; 374:146-153January 14, 2016DOI: 10.1056/NEJMoa1505126
--------------------------
私にとっての臨床研究の動機は「偉そうな面をして何にもわかっちゃいないオヤジやジジイ達の鼻を明かしてやりたい」であり、このオヤジやジジイ達の「国籍を問わない」ことが、それすなわち「国際的な業績」ということになるのであります。

二条河原へ戻る