患者は食材ではない

私は、旨い創作料理というものには出会ったことがない。私が食べ歩きに興味がないために、単に旨い創作料理に出会う確率が低い結果に過ぎないと思われるだろうが、失敗した料理に創作料理という言い訳をつけている可能性を誰が排除できるだろうか?

私は空想科学映画には興味がないから、医者が活躍するドラマを見ない。医者が活躍するドラマを面白がる人々は、あれが現実だと思っているのかもしれないが、あれは空想科学映画以外の何物でもない。医者は宇宙服を着ていないと反論する人もいるかもしれないが、私が問題としているのは、もちろんそんなことではない。

医者が活躍するドラマは、医者個人の腕前がよくて患者の病気が治るという物語になっている。それが空想科学映画だというのだ。医者個人の腕前がよくて患者の病気が治るなんてことはありえない。あってはならない。なぜなら、患者は食材ではないからだ

患者は食材ではない。患者を食い物にしてはならない。料理なら創作は許されるが、診療では創作は許されない。医者が自分勝手なことをやって、良好なアウトカムが得られたとしても、それは偶然に過ぎず、成功ではない。臨床では、成功は存在しない。そこにあるのは,当然と偶然と失敗だけだ.

自分勝手なことをやらずに、運よく患者の具合が良くなって当然と見做される。臨床には、本来は当然と失敗以外存在することは許されないのだが、残念ながら偶然派生した良好なアウトカムと、それがあたかも自分の手柄であるように誤認する愚かな医者が存在する。。

自分が神の手だとふんぞり返っているような医者は、愚かな暇人に過ぎない。自分の腕前が少しでも優れていると思うなら、それを広く伝えようとして、教育で忙しいから、自分の腕前を自慢している暇がなくなる。そして、自分の腕前をもっと上げようとしていろいろな人に教えを乞おうとするから、自分の腕前を自慢している暇がもっとなくなる。

料理屋なら、うちでしか食べられない素晴らしい料理と宣伝するのもいいだろう。しかし、この病院でしかできない治療、自分しかできない手術、自分しか知らない秘密の調合、そんな自慢をする病院や医者、患者を食い物にする病院や医者をあなたは許せないかもしれない。一方、許せる人もたくさんいる。自他共に認める神の手、名医を求める人々がそれである。

何らかの理由で、たまたま、ある時期だけ、そこでしかできない治療があるかもしれない。しかし、その知識や技術を占有し続けることは、患者の命を人質にして、自らの利益や名声を維持しようとする犯罪行為である。、

フリーアクセスの本質は、患者側がどこの病院にも行けるというような、くだらないことではない。患者がより幸せになるように知識や技術を共有できるように、個々の医師が、教育・人材育成を行うこと、そういう医師を患者が大切に育てることに他ならない。

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