坂本町日記

2010/5/2 「沈黙」を読んで

長崎の特殊性はいろいろな要素が複雑に混じり合って成り立っています.原爆やら,金銭的な貧しさやら(県民所得は常に下から数えて五位以内),これといった産業のないことやら(平地がないの&雪が降らないので水が確保できない→米作ができないことが,致命的)といった要素もありますが,どうも,400年前からの隠れキリシタンの影響が,カトリック以外の人々の心の奥底にもしっかり根付いているようなのです.それは決して意識されてはいませんが.

先日,遠藤周作文学館のある外海(旧外海町.現在は長崎市外海)に行ってきました.史上、日本人枢機卿はたったの5人しかいませんが、なんとそのうちの2 人が外海にある出津教会から出ています。2008 年12月現在の集計で、日本のカトリック信徒数は45万2138人なのに対し,出津教会の信徒数は800人に過ぎないにもかかわらずです.たまげました.

ですから,異教徒から見ると,出津教会は,隠れキリシタン最大拠点に立つスーパーエリート集団に見えます.ところが,出津教会周辺には宣伝看板の類など、一切なく、外海歴史資料館を含めて、現地のどこにも書いてありません。有名なド・ロ神父記念館のおばちゃんと1時間半ばかり話し込んだのですが,彼女もそんなことは一言も言っていませんでした.

アンネ・フランクの家は一件だけでも観光資源になっています.なのに,村全体がアンネ・フランクの家で、それが七代八代、二百五十年にわたる迫害に耐えたのにですよ。おまけに,紺碧の海と空、白亜の教会です.先日訪ねた時も,ここはポルトガルか南イタリアでないのかと思ったぐらいです.

なのに外海には土産物屋一つない。超一流の「観光資源」を揃えていながら、宿・土産物屋・レストラン・カフェが皆無。それも規制しているわけじゃなくて。端からそんなもん、作る気がないのです。外から人が来ることなど、全く考えていません。ましてや村おこしなど、論外。ド・ロ神父記念館のおばちゃんも,限界集落と言いながら淡々としていました。二百五十年の迫害に比べれば、高齢化なんてなんぼのもんじゃい。人は誰でも年を取り神の元に行くのだから、何をあがく必要があるのか?そういうメッセージが伝わってきました.

そう思って,遠藤周作の「沈黙」が気になって,夢中になり,2日間で読み終えてしまいました.高校時代から気になっていた作家ではありましたが,彼の作品が問いかけてくる問題を受け止められそうもなく,敬遠しておりました.読み終えて,やはり,この年になって,しかも長崎に来なければ,決して読まなかったであろう作品であることがわかりました.少なくとも,私にとっては,この作品を手に取るためには,それが問いかける問題を受け止めて咀嚼,反芻する体力と,信仰に対する好奇心が不可欠でした.

苦しみから逃れるために神を信じたはずの人々が,信仰を守ることによって苦しむのはなぜなのか?信仰厚き貧しい人々が拷問にかけられ,次々に死んでいくのを,神は黙って見ておられるのか?との問いかけに対して,全ては人が為せる技であって,神が沈黙を守っているというのも,また,人の見解に過ぎないことを,この作品は示しています.

イエスの時代には,十字架も,教会も,ロザリオも,偶像もありませんでした.それでも,いや,だからこそ,福音がどんどん広りました.予算や箱物は,一切要らなかったのです.なぜ,イエスの行為の数々が奇跡と言われるのか?それは,現代ならば,同じアウトカムを得るのにたくさんのお金と大層な仕掛けが必要なのに,それを素手で成し遂げてしまったからです.つまり,アウトカムが奇跡なのではなく,予算や箱物が一切要らなかったことを奇跡と呼んでいるに過ぎない.

予算や箱物という,人の為せる技そのものが要らない.それだけのことなのに,それを奇跡と呼ぶのも,また人の為せる技です.

いつからかイエスの時代にはなかった偶像が,出現しました.これは人の為せる技です.そして,徐々に信仰が偶像,十字架,教会に依存するようになりました.これも人の為せる技です.

踏み絵は,偶像に依存する信仰を否定する仕掛けです.これも人の為せる技でした.全て人の為せる技の応酬の中で,なぜあなたは黙って見ておられるのかと問うのも,また,人の為せる技です.

信仰とは形ある物に依存しない,自分の内なるものではなかったのか? 神も「いる」か「いないか」ではなく,「信じるか」「信じないか」ではなかったのか?

「もう一つ注意しなければならないことは、トモギ村の連中もそうでしたがここの百姓たちも私にしきりに小さな十字架やメダイや聖画を持っていないかとせがむことです。そうした物は船の中にみな置いてきてしまったと言うと非常に悲しそうな顔をするのです。私は彼等のために自分の持っていたロザリオの一つ一つの粒をほぐしてやらねばならなかったのです。こうしたものを日本の信徒が崇敬するのは悪いことではありませんが、しかしなにか変な不安が起こってきます。彼等はなにかを間違っているのではないでしょうか.」

2009/8/9 ある非論理的な言語についての考察(あるいは根拠に基づいた原爆投下という妄想)

人の病気を治す手段にさえ、根拠が求めらるのだから、何万、何十万の人の命を奪うために根拠が求められるのは当然だと、日本人は思うのだが、米国人はそう思わない。

なぜ、原爆を投下する必要があったのか、そんな素朴な疑問に対して、たった一つの答えしか返ってこない。「戦争を早く終わらせるため」

もちろん、この主張に根拠はない。対照を置いた比較試験がないのはもちろんだが、これまでの2例経験は同じ戦争の中で、わずか2日間の間隔しかなかったわけだから、retrospectiveな推測さえ成り立たない。

根拠のない主張を妄想という。訂正不可能な誤った判断とは、カール・ヤスパースによる妄想の定義だが、それはそのまま原爆投下の定義にもなるというわけだ。なお、結婚の定義にも使いたいという向きがあるかもしれない。ヤスパースが亡くなってからもう五十年以上経つので、わざわざヤスパースの子孫に断る必要はないだろうが、念のため配偶者の了解は得ておいた方がいいだろう。もちろん、即座に賛成してはもらえるとは思うが。

以上より、日本語よりも英語が論理的という主張も、もちろん根拠のない妄想であることがわかる。言語の論理性は言語にあるのではない。言語を使う人にある。

そう言えば、大量破壊兵器とやらにも根拠がなかったっけな。

自分達が選んだ大統領が、根拠のない大量殺戮を平気でやっても、戦争犯罪人として断罪されないどころか、引退後も年金をたっぷりもらって広いお屋敷で安閑と暮らせる。そんな非道が大手を振ってまかり通る非合理極まりない国に住む奴らの使う言葉が論理的なはずねえだろ。

2009/4/14 長崎という名の負債

僕が長崎に来て間もなく、ある生粋の長崎人が言っていたことを、明瞭に思い出す。

「僕は城下町に劣等感があるんですよ」

「へえ?どういうことですか?城下町って、お殿様とその取り巻きが威張り散らしている町でしょ。長崎みたいに、交易で栄えて独自の文化を持っていた土地柄の人間が、どうして城下町なんかに憧れるんです?」

「 ”長崎は、唯一海外との交易がある大切な土地だから天領だった”そんな屁理屈にみんな騙されちゃってるけど、こんな西の辺境なんか、いつでも切り離せるようにと、抵抗する殿様を置かなかっただけなんですよ」

かつて天領だった土地の人間の多くは,おめでたくも,天領という呼び名に感ずる誇りを隠そうとしない.しかし,彼の口調は,長崎は,アウシュビッツ並の「異人隔離特別区」としての天領だった そう物語っていた.

長崎という土地の特殊性は、長崎人が、生まれながらにして長崎という名の負債を負っている点にある。その負債は、郷土愛という包装紙できれいにくるまれて、神棚に鎮座ましましているので、誰も中身に気づこうとしない。

二十六聖人殉教、隠れキリシタン、西の辺境、切り離しのための天領、原爆、県民所得最下位クラスの常連・・・天領がアウシュビッツと翻訳されてしまう土地では,負債を正当化する歴史には事欠かない。ユダヤ人のような放浪の歴史こそないけれど、虐げられ続けてきた父祖の地、長崎のために行動する。それが、長崎人の使命である。しかし、その使命は教育されることはない。なぜなら、その使命は,長崎人には,毎日の食事と同様に,あまりにも当然のことなのだから。

参考:長崎県人とのコミュニケーション

2009/3/30 気づくということ
新年度からの出張旅程手配をネットを通して行うシステムになって,今まで旅行会社に電話一本で丸投げしていたおじ様方から事務方に文句たらたらという状況についてのやりとり.「気づく」能力は,非言語性メッセージに依存する.発達障害者の苦手とするところだ.

> 出張の予約は先生の場合は従来通りです。
> 新システムにログインしてそこから予約すれば、日本旅行が直接切符を
> 大学まで届けてくれるというだけで、ご自分でお取りいただくのがお手間で
> なければ、今年度と何も変わりありません。
よくわかりました。

> 今まで旅行会社を召使いのように使っていた先生方
お互いに距離を保ちながら育つ発想でハッピーになれることには一生気づけない先生方.それはそれで自分自身は「幸せ」なのかもしれないが.周りはいい迷惑だ.

「人に迷惑をかけないように」って教訓を守る大前提として,迷惑をかけていることを認識する能力が備わっている必要があるんだけど,そもそもその能力が欠如している人は,自分は決して人に迷惑をかけていないと信じられるから,「人に迷惑をかけないように」って,平気で教訓を垂れることができるという不幸にして普遍的なパラドックス.

迷惑をかけていることを認識する能力の背景には,自分がどう見えるかという想像力がある.やっぱりこれも発達障害の問題か.

依存って、依存している対象がなくなって、初めて気づくことがほとんどだよね。でも、それって、美しくない。実際、旅行会社という召使がいなくなって,どうしてくれると怒鳴り散らす先生方の姿は、幼稚園児だ。

では、過剰な依存に、あらかじめどうやって気づくか?当たり前と思っている存在が、もしいなくなったら、自分はどうするのかって考えてみることなんだろうな。特に、自分の家族、果ては自分自身がこの世から失われたらという、一番想定しにくいシナリオを想定する訓練をしておけば、どんな対象に対しても、過剰な依存なんて、決して生じない。

2009/3/25 臆病者の卒業式

今日は卒業式.華やかに着飾り(最近では男子でも羽織袴の人もいる.なかなかいいもんだね),笑顔がいっぱい.医学部の卒業式に臨むなんて,自分の卒業式以来だ.

光のどけき春の日,満開の桜の下で,思い出すのは,砲声,爆音,悲鳴,閃光,塹壕・・・・

なぜ,学徒出陣式に際して笑顔でいられるのだろうか.27年前,僕は怖くて仕方がなかった.あと2か月もせずに戦場に出ることが決まっているのに,なぜ笑えるんだ.まさか,本当に楽しくって笑っているのか?心から笑えるのは今日が最後かもしれないと思っている奴なんか一人もいないように見える.

今でも,彼らの笑顔の源がどこにあるのか,よくわからない.ましてや,27年前は,他人がどうして笑っていられるのかなんて,考えている余裕はなかった.多分,自分は特別に憶病な人間なのだろう.ならば臆病者は臆病者なりに生きていくしかないじゃないか.

臆病者に祝福あれ.怖がることはいいことだ.戦場で怖い思いをするのは,怖がらない奴に決まってるんだから.27年前,必死にそう自分に言い聞かせていた.いや,過去形は間違いだ.今でも,怖がりは変わらない.だから,今でも全く同じように,自分にそう言い聞かせ続けている.

2009/3/6-8
沖縄での臨床研究ワークショップ

2009/3/3
マッシー池田が長崎大学医師育成キャリア支援室に出現
地元長崎でも,若い人のキャリア支援に関わっていきます.

2009/2/27
「MRIは脳卒中の診断に役立たない」を福岡の医師会で講演

2009/2/14
名古屋での医学教育の実践:亀井道場定期公演の様子と,学生さんの感想

2009/2/5
第8回ヒトPOCに関する勉強会(主催:首都圏バイオネットワーク)(東京都中央区八丁堀 エンパイヤビル 11階 第2会議室)
「新薬開発に対するPMDAの最近の姿勢」開催について

2009/2/21
「新薬のゆりかご治験(ちけん)」講演会(長崎市出島町2?11 出島交流会館)
「あなたと薬日頃の疑問にお答えします」 長崎大学医学部創薬科学池田正行

2009/1/17
第2回 九州地区臨床研究推進会議( 九州大学百年講堂大ホール)
パネルディスカッション:臨床研究の現状と課題 行政の関与をめぐって

2008/10/14
大分大学医学部付属病院総合臨床研究センター
 

2008/11/12
タマサート大学で、Regulatory Aspects of Clinical Developmentの講義。

モザンビークで2年間の活動歴と熱研での研修経験があり、今回のコースに参加したMさんからのお便り。そういうキャリアの方から、「世界中どこでも、先生のキャラクターは他人を引き付ける」、おまけに、ERのマーク・グリーン先生に似ているとは身に余る光栄である。

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Mさん、まだタマサートでの興奮が冷めない感じです。学問と文化の両面で、大いに刺激を受けました。一泊二日で、一ヶ月分ぐらいのbrain stormingをして、大きな財産を得ました。

行く前は、初めての土地で、初対面の人たちを前に、英語で、どこまでやれるか、楽しんでもらえるか、わかってもらえるか、とっても不安だったのですが、みなさん、僕を乗せてくれました。初対面で、仲間に入れてもらえたって感じられて、幸運でした。

Susanからも、「教授というより、actorですね」と言ってもらって、感激しました。いかに仕事を面白くするか。そう考える材料と筋道を提供するためのエンターテイメントを、いつも意識しているからです。

帰国したら、またどうぞご連絡ください。東京に行くチャンスがあれば、DNDiの話を聞くこともできるでしょう。添付したのはこのURLにあるPDFですが、私がお話したサノフィの途上国向けのパッケージというのは、このPDFの中にあるFACT合剤のことです。

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池田先生、こんばんは。世界中どこでも、先生のキャラクターは他人を引き付けると思います。
今日もみんなで、昨夜の大学祭での先生のダンスmovieをみて、大笑いしました。
ほんと、先生は面白いですね。

また、DNDiのPDFなどの情報をいただきありがとうございます。
サノフィというのは、そういうことだったんですね。私がいた、モザンビークでも2年間のうちに、無料提供される第1次選択抗マラリア薬がコロコロと代わりました。同じ薬をわたすにしても、ファンシダール錠とアーテスネート錠などをバラ錠で渡していた時より、1シートセットで渡した方がコンプライアンスが上がったように、耐性出現のことを考えると、服薬指導などが難しいアフリカなどでは、もっとコンプライアンスを上げる工夫が必要なんでしょうね。

また、色々と教えてください。
先生は、確かにグリーン先生に似てらっしゃいますね。
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Mさんからいただいた写真。講義が終わった後当日夜のFull moon festivalで参加者とともに

2008/11/7
岐阜大学医学部 医学教育開発研究センター 藤崎和彦先生をお招きして:集合写真 懇親会でのスナップ

2008/10
発達障害診療メモ: 所沢→長崎日記