こうして検事は騙された
ー「火星人は存在しないことを知っていても科学を理解していることにはならない」というお話ー

「不存在は証明不可能=実在する」という冗談
岩崎吉明検事の手になる意見書(以下 岩崎意見書)には科学性,論理性が欠けている.その一番分かりやすい事例は,「不存在の証明は不可能なのだから,あらゆる不存在の主張は全て無効である」という論法である.この論法を用いて、岩崎検事は,m/z258がベクロニウム由来ではないことを証明した志田鑑定が誤りであり,m/z258がベクロニウム由来であると主張している土橋鑑定を正しいとした.またベクロニウム中毒では説明できない症状がA子さんには多数あったとの私の主張も,「不存在事実の証明は不可能」という論法で棄却した.この論法自体が,岩崎検事の科学に対する無知・無理解を簡潔・明瞭に示している.(注1

科学者とは疑う人間である。疑う人間は地道にデータを集める。不存在を証明しようとするような無駄な真似はしない。
 今まで誰一人として「火星人の不存在」を証明した科学者はいない.にもかかわらず,岩崎検事も「火星人の不存在」を事実と認めており、決して「火星人の不存在は証明されていないのだから、火星人は実在する」と主張していない「はずだ」.では,なぜ岩崎検事は,火星人不存在の事実を認めているのだろうか?
 21世紀に生きる我々は科学を尊重する.最高裁判所が「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」(最高裁判所司法研修所編2013年3月31日)で,「科学としての到達点と証拠としての適性を見極めた上で,科学的証拠を刑事裁判に正しく採り入れて適正な事実認定をしていく」 ことを求めているのもこのためである.
 「火星人の不存在」を我々が認めているのは,地球大気中の酸素濃度,地球上の動物が生命維持に酸素を必要としていること,恒温動物における適切な環境温度,月や火星の生命環境といった科学的知見を尊重しているからだ.これらのデータは,1960年代以降、旧ソ連とアメリカによる宇宙開発競争の一環として、盛んに打ち上げられた火星探査機か収集し積み重ねた観測データである(注2)。岩崎検事が「火星人の不存在」を認めているのは、「火星人の不存在」を偉大なカリスマが証明したからではない.疑う人間である科学者達の地道な努力の結果である。火星人の存在に懐疑的な多くの科学者の努力により観測データが積み重ねられ、科学者の間で火星人の存在が否定的となり、その見解が一般市民の間に「常識」として浸透していったからである。

科学で求められるのは普遍性・再現性である
 岩崎検事が「火星人の不存在」を認めているのは,火星探査機か収集し積み重ねた観測データ、すなわち普遍性・再現性が担保された科学的事実の積み重ねの恩恵を被っているからである。科学では,このように数多くの地道な観察・実験の繰り返しにより,頑健な再現性・普遍性が実証された事象・理論がこそが事実として認められる.志田鑑定は決して特別な結果を出したわけではない.ベクロニウムからはm/z557あるいはm/z279が検出され,m/z258は出ないという,それまで世界中の質量分析学者が繰り返し証明してきた科学的事実と同様の結果を出したに過ぎない.地球大気中の酸素濃度と同様,科学的事実に必須である,普遍性・再現性という要素を兼ね備えた第一級のエビデンス(科学的根拠)が志田鑑定である.一方土橋鑑定には普遍性・再現性が皆無である.、

科学で求められるのは実証データである
 火星に表面に直線や円などの幾何学模様が観測され、とても自然に造られたようには見えないことから、火星人が存在するという説を強く支持した人々のうちの1人が、アメリカ合衆国の天文学者パーシヴァル・ローウェルである。彼は火星観測のため私財を投じて、ローウェル天文台をアリゾナに建設した。1894年のことである。実験データなんて知ったことかと公文書で堂々と宣言する検事とは違い、科学者は何よりもまずデータを重んじる。1960年代から始まった米ソの火星探査競争は、火星人が実在するのならば、その証拠集めする目的で始まった。そうしてデータを集めた結果、むしろ火星人の存在に否定的なデータばかりがどんどん積み重なっていった結果が、現在の岩崎検事の認識になっているのである。
 裏を返せば、否定的なデータではなしに、存在の可能性を示す状況証拠が重なれば重なるほど、科学者は闘志を燃やして、その存在の動かぬ証拠を掴もうとする。1930年にオーストリアの物理学者パウリによって提唱された「ニュートリノ」は、その実在の証拠を掴んだ物理学者達にノーベル賞をもたらした。その中の二人の日本人が小柴昌俊(2002年受賞)、梶田隆章(2015年受賞)である。実験ノートさえ提出できない、m/z258がベクロニウムから出ることを質量分析研究者の前で実験して見せようともしない土橋には科学者を名乗る資格はない。

研究者なら誰でも知っている科学研究指針によって、土橋鑑定はSTAP細胞同様に捏造と認定される
  STAP細胞はその再現性を実証できなかったため全面的に否定された.ハートマークが書かれていた形ばかりのものとはいえ,実験ノートが提出されたにもかかわらずである.志田鑑定はベクロニウムからm/z557あるいはm/z279が検出され,m/z258は出ないという,それまで世界中の質量分析学者が実証してきたことと同じ事を実証した.志田鑑定にはもちろん実験ノートが存在し、そこにはハートマークが描かれていることもない。
 一方,土橋はベクロニウムからm/z258が出ることを再現できなかった.それどころか,実験ノートを提出さえできなかった.それゆえ土橋の主張は科学の世界では直ちに捏造と認定される.これは科学を学ぼうとする者が最初に学ぶ基本中の基本である.この基本は公表資料である科学技術振興機構日本学術会議の指針にも明記されている.これらの指針は,研究者であろうとなかろうと,いつでも誰でも読むことができる.しかし、岩崎検事はこの基本中の基本も知らなかった。なぜなら、土橋がその存在を岩崎検事に教えなかったからである。岩崎検事は、自分の鑑定が捏造だと一発で判明する公表資料を隠した(つもりになっていた)土橋に、まんまと騙されたのである。
 科学研究者が守るべき最低限のルールさえ知らずして,そのルールに則って実験を行った志田鑑定を誤りと断定し,そのルールを踏みにじった土橋鑑定を正しいと決めつけた岩崎検事には,ひたすら土橋個人を信仰する宗教家としての資格はあっても,科学的証拠の妥当性を吟味する資格はない.

科学捜査は研究不正特区
法的リテラシー

注1:いわゆる「悪魔の証明」は学術的根拠のある言葉ではありません
注2:オーソン・ウェルズのラジオ放送による『火星人襲来事件』が起こったのは1938年のアメリカである.その翌年にはナチの機甲部隊が「電撃作戦」でポーランドに侵攻し第二次大戦が始まった。我々の親、祖父母の時代は、一般市民が火星人が存在する可能性を認めていたのである。それほど大昔のことではない。