助けてもらった実例
ー重症筋無力症の患者さんからー

診療に関わった患者さんに助けてもらった実例はいくらでもある。しかし、会ったことのない患者さんに助けてもらえることは滅多にない。

下記の手紙を重症筋無力症の患者さん(29歳女性)からいただいて、正に患者さんに助けてもらった思いだった。この手紙が助けてくれるのは私だけではなく、同様に辛い思いをしている神経難病の患者さん達も助けてくれると思い、ホームページに転載を依頼したところ、快諾していただいた。

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私は今年の春に、重症筋無力症を発症し、自宅療養中の身です。職場復帰のめども立たず、思うように動かない体に、これからどうやって生きていけばいいのかと、不安な日々を送っておりました。

 そんな中、毎週観ている『総合診療医ドクターG』で、池田先生を知りました。
 初めの方は何気なく観ておりましたので、先生のお名前が分からず、インターネットで調べる中で、週刊医学界新聞の水道橋博士さんとの対談の記事、そして先生のホームページを見つけました。

 先生の言葉を聞き、読み、とても感動しました。同時に、気持ちがふっと軽くなりました。

 私を診る側である神経内科の医師が、患者とのやりとりや毎日の生活の中で苦しんだり、そのような感情を持つことに驚きました。
 その感情は、私のような普通の仕事をしている人間にもあるものだったからです。
 医師のような、私から見れば完璧で悩む必要のないような方でも悩み苦しむことがあるのなら、私が今こうやって悩み苦しむのは当たり前だと思いました。

 仕事はおろか日常生活もままならない自分が情けなく、抗体陰性なことで患者としての自分も中途半端に感じられて、病気のことで周りに迷惑をかけることは絶対いけない、健常者の振りをすることが周りにとってはいいことなのだ、健常者のように動けない自分は受け入れられないだろうから人前には出られない、という気持ちがありました。

 誰に言われたわけでもない言葉や考えで自分を攻撃し、追い詰め、生き難くしていたこと。
 現実から苦しめられていたのではなく、私を苦しめていたのは自分自身だったのだと気づきました。
 「こうあらなければならない」という考えにとらわれていると、それが余計に「こうあらなければならない」自分から遠ざかってしまうことにも気づきました。

 先生がご紹介されていた寺山修司さんの詩には、患者である私も救われました。
 こんな病気になってしまった自分が悪い、こんな病気になってしまった自分は周りに迷惑をかけるだけの存在でしかない、職場復帰ができない自分はもう生きている価値もない、そう思っておりました。

 先生の言葉は、患者としての自分の存在価値を教えてくださいました。
 そして、みんないずれ病を負う者、いずれ死に行く者、私は少し早く完全なる死体に近づいただけで、周りの健康な人と何ら違わないのだ、と。
 そう思うと、病気だから何もできないという自分の考えに違和感が出てきて、何ができるのかという方向に考えが向かいます。

 病院に通うのがやっとな自分も、少し歩いただけで力が抜けて道端でしゃがみ込んでしまう自分も、握力測定器を握っただけで手の震えが止まらなくなってしまう自分も、それでもいいじゃないかと思えるようになりました。
 その体の状態をふまえた上で、どうやればうまくできるか工夫しながら、どうしてもできないことは周りの人の力を借りながら生きていけばいいんだと思えるようになりました。

 若い医師へ向けた言葉でしたが、医師でない私の生活にも置き換えて考えることのできる言葉でした。
 先生の言葉を聞いて、そこからいろいろなことを考え、自分の状況を腑に落とすことができました。

 お忙しい中私のこのようなメールをお読みくださり、ありがとうございました。末尾になりますが、先生の益々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
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