第 三回岡山道場を終えて

やっぱりオシアの味は格別です.学生のひたむきさが前面に押し出されているのがオシアの一番の特徴です.オシアに来ていつも思うのですが,二日間、集中力 が途切れることがないのです.これは学生さんのひたむきさに引っ張られるからなのだと思います.ご覧の通り,余裕は全くありません.本当に必死でやってい ます.では,なぜ,そんなに集中できるのかというと,たくさん失敗してきて,かつそれを覚えているからだと思います.あの時はあそこで見逃した,訊き忘れ た,患者さんは訴えたけれども,大したものではないと所見を取り損なった,その繰り返しの毎日です.それを覚えていて,今度は必ず取り返す.失敗の堆積が 多いので、執念の堆積も膨大になります.臨床の力を付けるために、経験を積むことに意味があるとしたら,失敗の数と,その失敗を取り返す執念の掛け算で しょう.ただ経験を積んで、たくさん失敗しても、それを取り返そうとする執念がゼロだったら意味がない。

実演場面では、もう少し肩の力が抜けた診療スタイルを示してもよかったんじゃないかと,いつも帰りの新幹線の中で思うのですが,模擬患者さんとのセッショ ンでも,本物の患者さんとのセッションでも,いつも私は追い詰められた気持ちになってしまいます,だから,なかなか,”余裕ある”診療が見せられない.ま あ,余裕ある診療=集中力が欠けた診療、と自分に言い聞かせているってことです.

OSCIAのみなさんが注目している前での、ぶっつけ本番の面接・診察は、私にとって、ウィンブルドンのセンターコートでの試合と同じ意味を持っています が、ウィンブルドンでは、どんな一流選手でも,決して余裕のある試合はできません.たとえロジャー・フェデラーだろうとラファエル・ナダルだろうと,トー ナメントで,一回負けたら,それでおしまいですから,決して力は抜けないわけです.

なぜ,面接でその質問をしたのか,なぜ,その診察をしたのか,あるいはしなかったのか.それは一つ一つ,誰にもわかるようにしたい.説明できるようにした い.それはいつも心掛けています.なぜやったのか,なぜやらなかったのか,どういう結果を予想して診察したのか,そう訊かれて,答えられないような診察は しない.そう心に決めて診察に望みます.

私が地方巡業をはじめてここ3年の間,なぜ伸びたかは,そこに秘密があると思います.伸びたのは面接,診察技術ばかりではありません.神経学の臨床能力そ のものが,飛躍的に伸びたのです.なぜだか,わかりますか?それは外来での,その場で判断し,結論を出さないといけないからです.病棟でより,はるかに厳 しい状況での判断を強いられるからです.そして,なぜ,そうなるのか,皆さんに納得してもらわなくてはならない.岡山道場は、外科医が自分の手術をライブ 中継するのと全く同じ設定です.みなさんが見ている目の前で、おまけに、面接の後に遠慮ない質疑応答の時間が控えているとなれば、絶対ごまかしが利きませ ん。これで力がつかないわけがない.

下肢の腱反射一つとる場合でも,所見をとる前に,亢進,減弱,消失,それぞれ,どのくらいの事前確率か,まともな神経内科医はある程度予想して,所見をと ります.たとえば,2年近くの経過で車椅子生活になって,足の筋萎縮が明らかにあり,ALSが診断が強く疑われる患者さんの場合だったら,下肢腱反射の事 前確率は、亢進8割,減弱2割,消失ゼロと考えるわけです.そして,もし,下肢腱反射が全然出なかったら,ALSの診断を再考しなくてはならない.そこま で考えて下肢の腱反射に臨むわけです.逆に,亢進8割,減弱2割,消失ゼロという事前確率が設定されていなければ,腱反射は単なる儀式に過ぎない.儀式で やってはいかんのです.自分が何も考えていないということを曝露するだけなのです.だから,いくら腱反射の手技がうまくても,事前確率をはっきり説明でき ないのなら,無意味です.

腱反射がどんな結果だったら、どう考えるか、他の診察項目を加えなくてはならないのか、あるいは省けるのか、診断が変わるのか、変わらないのか、次の検査 は何が必要なのか、昏睡の患者さんと、ALSを疑う患者さんでは、こういった疑問に対する答えがあらゆる点で違ってきます。その違いを弁えずに、ただうま くハンマーを振るうことだけなら、小学生でもできるわけです。

みなさんは、検査項目を選定する前に、検査前確率、検査後確率、検査の結果が、その後の診断、治療のプロセスがどう影響するかを吟味しますよね。では、診 察も同じように考えなくていいのでしょうか?診察は、患者さんの体にも懐にも影響を与えないので、時間がありさえすれば、何も考えずに、やたらと所見をと りまくればいいのでしょうか?そうではありませんよね。神経内科医だけでなく、全ての医師が、診察項目を選定する前に、診察前確率、診察後確率、診察の結 果が、その後の診断、治療のプロセスがどう影響するかを吟味しているのです。ただ、検査の場合に比べて、診察項目選定の場合には、自分に対して、そして患 者さんに対して、一つ一つ説明責任を果たしながらやっていないだけです。

各個人の日常診療ではそれでもいいかもしれませんが、若い人に対して説明責任を果たす仕事、つまり教育ではそうはいきません。これからは、ブラックボック スとか、artとか言ってごまかして教育を怠ることなく、問診のアルゴリズム、診察のアルゴリズムを教育に是非とも盛り込んでいく必要があります。なぜな ら、問診、診察は、臨床のあらゆる場面で、患者さんと医師を守る最も重要かつ基本的な道具だからです。オシアはその最も重要かつ基本的な道具を学ぶための 集まりなのです。

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