論文を書いてみたい

という相談を受けてとりあえず書いた返事

●「論文を書きたい」という「感情」の本体を明らかにしないと仕事に取りかかれません。特に論文執筆が目的化していると思われる人を時に見かけま すが、少なくとも私にとって、論文出版(執筆ではありません)とは、あくまで喧嘩、つまり自らのリテラシー欠如を自覚していない連中に「バー カ!」と言ってやるための手段であって、目的ではありません。

●ですから、私のように三度の飯より喧嘩が好きな人間でない限り、(honorary authorとして数百の論文に名を連ねても)自らは論文を一つも書かずに一生を終わるのは、ごくごく自然なことだと思 いますし、世の中ではそういう人の方がむしろ多数派です。私も1982年から89年までの7年間と、2005 年から2011年の6年間は全く論文を書いていません。その間は、ただただ一人前の仕事ができるようになろうと必死で、喧 嘩のネタも気持ちも全く生まれてこなかったからです。私が論文を書かなかった合計13年間は32年間の私のキャリア全体 の40%を占めます。

●独創性の担保:出版にまで漕ぎ着けるためには、見ず知らずの査読者に独創性を認めてもらわねばなりません。今まで誰も やったことがない仕事でないとアク セプトしてもらえないのです。裏を返せば、池田が書いたような論文が書いてみたいという動機で は決して論文はアクセプトされません。

●独創性は、仕事を進める上で芽生えた問題意識と「なにくそ」という気持ち、やむにやまれぬ気持ちから生まれます。私の 経験では、根拠無く「そんなもん、論文になんかならないよ」と喧嘩を売ってくれる人が多ければ多いほど、「なにくそ」と いう気持ちが強くなり、素晴らしい論文を出版できました。2002年にBMJに載った論文がその典型です。

●論文の書き方は教えられない:「一から論文の書き方を教えてもらいたい」とのことですが、私は論文の書き方を教わった ことはありませんし、教えたこともありません。なぜなら、やむにやまれぬ気持ちも独創性も教えようがないからです。

●逆にやむにやまれぬ気持ちさえあれば、当該領域論文も教科書・参考書の類も山のように出ていますから、それを真似て書 けばいいことです。

●出口戦略:原稿を書くこととその原稿を公開・出版することとは全く別の作業ですし、どういう形で公開するかも様々で す。一体自分は何がやりたいのか、よく考えてください。その出口戦略が明確でないまま仕事を始めてしまった失敗例をたくさ ん見てきています。つまり、何が何でも何年かかってでもいいからトップジャーナルに臨床研究のfull paperを載せるのか?インパクトファクターなんか要らないから3000ドル払ってオープンジャーナルに短報載せられ ればいいのか?あるいは原稿不足で苦しんでいる日本の学会誌に和文の総説を載せられればいいのか?
これも、上記の「なにくそ」という気持ちがどの程度強いかで自然に決まってくると思います。

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