大海原どころかゴミの山

拝金主義者が跳梁跋扈
金儲けのことしか頭にない連中がインターネットを占拠している限りは,いつまでたってもインターネットはごみの山だ.他人にものを売りつけて,金をふんだくることしか考えていない人の提供する情報なんて,誰にとってもごみだからだ.インターネットが大海原なんてとんでもない.ログインする度に我々はいつも巨大なごみ処分場に放り出されるわけだ.

インターネットは,それを利用する人の大部分が,善意で社会に貢献しようと思わないと意味がない.そういう人たちが少しずつ自分の持っているものを出し合って資源を蓄積していってこそ,多くの人に役立つネットワークになる.しかしそれには長い時間がかかる.なぜなら,人々の意識改革が必要だから.

機械の進歩がどんなに速くても,人間の頭の中身を変えるには時間がかかる.現在は,みんな機械の進歩(といっても,実は大した進歩じゃないんだけれど)に目を奪われるあまり,人間の頭の中身もそれに並行して変わっていくと思っている人が多いけど,それは大きな間違い.

金儲けをしたいとか,抜け駆けをして,人よりも少しでも先に出て得をしたいとかいう人間の欲望の強さは簡単には変わらないから,インターネットを使う人間の性格も簡単には変わらない.インターネットといっても,所詮は人と人とのつながりなのだから,人々の意識の変化と同じ速度でしかインターネットも変わらない.

情報提供者の問題意識のなさ
ゴミの山を築くのに貢献しているのは拝金主義者ばかりではない.インターネットで情報を提供しようとする側にはっきりした目的や問題意識がないと,これもまたゴミになってしまう.その典型例が多くの官庁や自治体のサイトである.

地方自治体の提供する情報のなんと味気ないことか.他がやるからうちもやる方式だから,メニューは金太郎飴で,その内容は自治体の広報誌にしかなっていない.こんなものならない方がましだ.アクセスする方は地域の基本的な情報が欲しいのに,つまらない観光案内だけで.役に立つ地図一つのっていない.風光明媚だとか,どの食べ物がおいしいとかいう情報だったら,何もインターネットでなくても,いくらでも手に入る.

インターネットで自治体のサイトにわざわざアクセスする人間が欲しいのは,通常の手段では得られない,その土地を訪れなければわからないような,生活に密着した情報だ.具体例を上げると,詳細な地図,駅の発着時刻表,病院の場所や規模や受付時間,大きなスーパーの場所や開店時間,賃貸し物件を含めた不動産の値段などだ.

中央官庁のサイトの貧しさも負けてはいない.なんと,通信の御本家,郵政省のサイトには郵便料金表がないのだ.これはもう,問題意識以前の問題で,実際に生活している人間がアクセスすることなど,全く考えていないのだろう.郵便なんか利用者が減ってもかまわない,郵政事業民営化なんてできっこないとたかをくくらないと,こういう冒険的サイトは立ち上げられない.

何もしてない学者,学会
企業家やお役所ばかり責めてはいけない.いまや学会活動でネット上で出来ないことを探す方が難しいくらいなのに,各種の学術機関や,世間にあまたある学会のインターネット上の活動は非常に低調だ.公開されているサイトでも,ほとんどは広報誌の域にとどまっている.学術組織は,人材,専門の学術知識,通信のインフラといった資源に恵まれているのだから,その資源をもっと会員や社会に還元しなくてはならない.いますぐにでもできることが沢山ある.

私が所属している日本内科学会の活動を例にとって考えてみよう.内科学会は学会の認定医のレベルを保つためと称して,定期的に各地で教育講演会を行っている.しかし,東京,大阪といった大都市でしか行われないので,多くの会員が時間と金を費やさなくてはならない.この講演会をインターネットで開けばよろしい.今や大学の単位もネット上で取得しようという時代である.ハンコをもらうまで講演会場で昼寝しているより,ずっと身に付くだろう.もっとも参加費を集められないので,学会の収入は減るだろうが.

ネット上の講演会がインターネットを利用できない人に不利になるなんてことはない.いまどきお金と時間をかけて講演会場まで出かけて昼寝をしていられるような人こそ特権階級と言うべきだろう.インターネットを使わざるを得ない人こそ救済されるべきである.

学会の外側に向かって双方向性を活かした活動も魅力的だが,そんな動きは全くない.例えば僕の所属している神経学会が,ネット上で症例のコンサルテーションを受けるようになったら,学会や神経内科専門医の評価は確実に高まるだろうが,現実にはサーバー一つ立ち上がっていない.

専門家でございますとふんぞり返るからには,それだけ社会的責任があるはずだ.なのに,先の狂牛病騒ぎでも,神経学会として何のコメントも出なかった.外へ向かって扉を閉ざしていては,他科の医者からも,世間一般からも全く評価されずに,”神経内科”は,永遠に不定愁訴の専門外来として扱われるだろう.まあ,それもひとつのりっぱな診療ですが.

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