昔の名前で出られません

”気違い”という言葉を見聞して,あなたはびっくりするだろうか?ではなぜびっくりするのだろうか?考えてみたことがあるだろうか?びっくりする合理的根拠は何もないということを知っているだろうか?

いつのことかは不明だが,大阪精神障害者家族連合会が毎日放送に“その言葉によって治療が停滞し, 家族は萎縮し, 回復期にある患者にショックを与え, ひいては異常な状態をおこす一因ともなりかねないとういことが医学的にも証明されている”として抗議活動をした結果, 規制されるようになった. それが在阪各局, キー局にも広がり現在に至るという.→参考ページ
私は寡聞にして大阪精神障害者家族連合会の言う“医学的にも証明”に該当する事実を知らない.

こんなところを読んでいるあなたは,上記の理由でびっくりしたくはないだろう.そう,びっくりするというのは,もっと大事な時にとっておきたいものだ.

”気違い”の代わりに”精神分裂病”にしたのだが,それでも飽き足らずに”統合失調症”になった.この病名も何年もつことやら.私の目が黒いうちに,統合失調症がシゾフレニアになって,それがシゾになり,エスになるといった変遷を目撃することができるかもしれない.病気に対する偏見がなくならないのだから,言葉をいくら変えても何の意味もない.

そんな中,わが大本営が,「痴呆」に替わる用語に関する検討会を設置し、用語変更へ向けた検討を始めた.ありがたいことだ.これだから,メディカル二条河原のネタには事欠かない.長くはなるが,どれも貴重なご意見なので,そのまま引用する.要は,医療現場で働けば,健全な意識が育つということだけなのだが.

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◆ 2004.8.5 日経MedWaveより

緊急調査:「痴呆」に替わる用語、反対理由で少なくない「言葉狩り」の指摘

 厚生労働省は6月、「痴呆」に替わる用語に関する検討会を設置し、用語変更へ向けた検討を始めた。7月中に複数案を取りまとめ、関係団体等ヒアリング、国民の意見募集、家族会、医療・福祉関係者等の意見集約などを経た上で、新たな用語を決める意向だ。これを受け、MedWaveでは、会員の医療関係者に意見をうかがい、その結果をもとに新たな用語を提案することを企画した。7月14日から30日までにweb調査を実施。280人の協力が得られた。本日は、替えることに「反対」とした人の主な理由を紹介する。

・すでに定着した言葉であるし、別の言葉へ変更してみたとしても社会的な意味も含めて内容が変わるとは思えない。それより、痴呆という言葉が持つ後ろ向きさを言葉と一緒に葬ってしまうより、前向きな意味を与える方向のアピールが大切。

・一般用語として既に定着しているため。イメージと言葉の関係が一般人にも理解されているので。

・痴呆に変わる言葉で痴呆の内容を適切に表現し広く理解されている言葉が存在しない。

・言葉狩りをしても新たな差別語を産むだけ。逆に「私も早く痴呆になりたい」「ぼけるのが待ち遠しい」といい意味で使われるよう努力すべき。

・分裂病のような、一般の人が疾患名を正しく理解せずに差別用語的に使っている言葉ならともかく、痴呆はある程度は疾患名として正しく認識されていると思う。高齢化社会で介護保険も始まっており、既に広く使われている用語を今更変える理由に乏しい。

・新語が出来てもまた同じようになると思う。

・用語を変えても大きな変わりはなさそうだから。

・言い換える必要性を感じない差別用語等の意見はおかしい。事実は事実として認めるべき。

・「痴呆」という言葉は広く一般に浸透している。

・充分定着している。統合失調症のような訳のわからない用語になると困る。

・痴呆は医学用語であり、特に差別意識は無い。ボケには多少蔑んだ意味合いを感じる。痴呆を変えたところで、しばらくすれば痴呆と同じことになるだろう。問題は、言葉を使う人の意識だと思う。

・かなり一般的になっている言葉であり、混乱を招くから。

・痴も呆も本人に対する蔑の意を含む、あるいは含むと考える者がいる。

・別に差別用語じゃないと思うし、使い慣れてるから。

・替える理由がない。痴呆の症状はまさに痴であり呆であって状態をそのまま適切な言葉で表現している。大事なのは言葉そのものには意味はあっても価値判断はないということで、もし痴呆という言葉になんらかの差別や侮蔑のニュアンスがあるとすれば、それは使う人や社会的な環境の問題であって言葉そのものの責任ではない。用語を替えることで問題が解決すると思うのは浅はかである。

・用語を変えても概念は一緒。小手先の変更など無意味。

・最も病態を的確に表している。一般用語としては,「ぼけ」があり,臨床の場で「痴呆」といっても,何ら差別的な印象を与えないと考える。むしろ、差別を助長させようとする一部の方の過剰反応ではないか。

・別に市民権を得ており特に取り立てて指摘されないかぎり差別意識も感じない。

・名を替えれば済むものではない。痴呆という言葉に付いている、悪いイメージを、改善する努力こそが必要なのではないか。

・変えないといけない理由がないと思う。

・今までにも、目の不自由な人、耳の不自由な人、足の不自由な人など言葉を言い換えることによってあたかも人権を擁護し、人に優しいイメージを植え付けようとしてきた。言葉をすり替えても意味はないと思います。

・いくら言葉を換えても、新しい言葉が浸透すれば、それを不快に感ずる人が出てくる。聖書のようにライ病を皮膚病と書き換えると、なぜ隔離されていたのか理解できない内容となる。本当の皮膚疾患の人は不快感を感ずるのではないか。英語のバイブルは今でもレプラである。筒井康隆氏の言う「言葉狩り」ではないか。

・用語を変えても同じ。

・最近では、「痴呆」は、話し言葉としても書き言葉としても定着してきている。正確な意味での老年痴呆、アルツハイマー型痴呆という意味で使用されつつあると感じられます。

・「ぼけ」が差別用語でダメだという。少し親しみを込めることができるなかなか良い言葉だったのに。「痴呆」もだめなら、次に決まる新しい用語も、しばらくするときっと差別的だ、という理由でダメになる。用語を変えればすむわけではない。問題は、その状態の人にどのようにアプローチするか、にあって言葉にあるわけではない。いい加減「言葉狩り」はやめたらどうか。

・どちらかと言えば反対という意。というのは痴呆という言葉に特に自分として偏見がない。それは痴呆という言葉の定義を知っているからだと考える。

・言葉狩りのような気がする。一部の人が差別的とかんじているからといって別の言葉に言い換えても、痴呆という状態に差別感、蔑視感を持つ人がいる限りその場限りの一時逃れ状態ににすぎない。言葉狩りは一種の言論統制である、検閲に通ずる。

・特に変更すべき理由が無いと思います。なぜ痴呆ではいけないのでしょうか。恐らくは人権問題を恐れてのことと推察しますが、行き過ぎのように思います。

・現在一般に通用している言葉を変更する必要はないと思います。

・特に差別的用語とは思わない。もし差別的用語とみなされるとして、変更しても、いずれ替えた用語がまた差別的とみなされるようになる。

・多くの人に意味がよく理解されてきている。痴呆が差別や偏見を生むとは考えられない。

・用語を替えても、その用語から人々が受ける全体イメージは時が経てばいずれ同じところに収束されていくと思うから。

・痴呆自体を理解していない非常に多い。用語を変えるような小手先の改革より、理解を広めるほうが重要と思う。

・病状をあらわす病名としてすでに定着しており、特に問題があるとは思いません。

・定着してわかりやすいから。

・広く浸透した一般用語だから

・近年言葉の言い換えでそのイメージを変えようとしていますが、言い換えたことによってそのイメージが変わっているでしょうか。それより問題なのは昔から使われていた言葉を差別用語を無くすという大義名分で言葉狩りをするような風潮が問題だと思います。

・適当な用語を思いつけないため。すでに用語として広く世間に定着している。用語を変えたとしても一定年数ごとに変える必要に迫られるのではないか。

・表現を変えるということは、変えたいと思う人の心の中に「差別」があるからである。悪戯に表現を変えたところで、「差別」という意味合いが消えるどころか、「差別」認めることに通じるから。

・替える理由がわからない。イメージの問題だとしたら意味がない。「痴呆」が指す内容そのものは変わらないのだから。

・広く浸透しているので改正する必要はないと思う。

・使い慣れた言葉であり、差別用語とも感じない。

・定着していてわかりやすい。

・取り繕う必要はない。用語を素直に受け入れれば良い。差別的に使わないように気を付ければ、判りやすい用語である。

・すでに定着しているのを、変える必要があるのか。言い方を変えてもイメージは、あまり変わらないのではないだろうか。

・既に浸透している用語を替えると余計な混乱を招く。

・「痴」「呆」共にマイナスイメージを持つ漢字だが、言葉によるイメージを変える以上に、疾患そのものに対する正しい知識の普及が先決と思われるので。

・痴呆症は最近になりやっと浸透してき用語だと思う。ボケ・痴呆は症状だということが広く認識されていると思うから。

・言葉を替えることで偏見がなくなるわけでもなく、既に「痴呆」という言葉が定着しつつある時期に変えるべきではない

・言い換えたところで「痴呆」に変わりはないと思うし、返ってわずらわしくなると思う。学術的言葉は変えるより、その使い方を考えるべきだと思う。

・現在、精神疾患において用語の差し替えが行われており、そのような流れの中で痴呆の差し替えも出ているのではと個人的に考えるが、安易に用語を差し替えるのは、差別についての議論もなく、ただ単に名前さえ変えればいいという事になり、逆に差別を生みやすくする危険性を孕んでいると考える。

・痴呆(ぼけ)という概念が報道等で一般の方にも定着しているし、患者さんも知っているので逆に医療の現場では本人の前では言いにくいから。

・「痴呆」という言葉で偏見は受けないが、哀れに思われることがある。家族親族だけで支えていける社会ではないので、身近に「痴呆」の人がいない方にも積極的に自然に関われる方向に行けたらと思います。
役所が行う「言葉いじり」は、往々にしてなんらかの意味のスリカエ、実態の隠蔽の一助となってしまうから(しかも後々強制力を伴うものとなるから。最悪)

・替える理由が無い。

・医学的にも一般にも使われている言葉なので、変えることになると混同して使われる可能性がある。変える理由がはっきりしない。

・現実は用語などでは変わりません。現実を変えないで用語云々は評論家が行動を起こさないで机上の空論をしているのに似てます。痴呆は痴呆で現状の厳しさを表していると思いますが。

・長年医学用語として違和感無く用いられてきており、違った観点から差別用語として取り上げられているだけのことである。分裂病が統合失調に変更されて返って疾患そのものが理解しにくくなっている。

・痴呆という言葉に差別的な意味を見出す(場合がある)という理由で、見直しが図られているものでしょうか。しかし、ある言葉に差別的な意味を見出すかは、その言葉を使う人の意識にかかるものです。痴呆をなにか別の言葉に置き換えても、その言葉に含まれる意味や意識は変わりません。現在、症状に対する共通認識が得られていると思われる疾患名を、安易に置き換えることには反対です。

・特別「痴呆」が差別的用語だとは思わないし、新たに定められた用語を使うことで、特別何かが変わるとも思えない。「精神病 → 統合失調症」がいい例だと思う。返って混乱するだけなのではないか。

(まとめ:三和護)
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