女神達との邂逅

97/7/20.海の日にふさわしく,日差しの強い日だった.22年前に,同じ向島の高校を卒業したという理由で90人ほどの人間が湯島のホテルの一室に集まっていた.この手の集まりはあんまり得意な方じゃないんだが,研究室の目と鼻の先だから,逃げられないと思って観念して出席した.

男どもたちのことは言うまい.わかってるんだ.あいつらの頭の中ときたら,カラオケで唄う曲目と,5次会のあとの麻雀の面子,そんなことでもう,いっぱいなんだ.

かといって,女神達とのことをどう言ったらいいのだろうか.僕がどんなに頭を働かせたからって,女神達が何を考えているか,女神達とどうやってお話ししたらいいかなんて,金輪際わかりっこなかった.こればっかりは,20年たとうと,50年たとうと,永遠にわからないんだ.ただ,人を見つめながら溜め息をつく喜びを味わえるのは,女神達と邂逅した時だけだってことはよくわかっていた.

あの雨漏りのする体育館でいったん君たちにさよならを言った後,僕は昼寝ばっかりしていたわけじゃない.大学で難しい学問もしたし,本もちょっとは読んだし,色恋沙汰らしきものもあった.お医者さんとしても,人並み以上に働いて,お縄になるようなヤバイことはしていないつもりさ.

でも,そんなことは,女神達とお話しするには何の役にも立ちゃしないんだ.ちょうど,親にとって,いくつになっても子供は子供なのと同じように,女神達にとっては,僕がいくつになろうと,何にも自信がなくて,何をする勇気もないので,偏屈な秀才を装うという一番安易な方法を取っている気弱な男の子,それでしかないんだ.

なんじゅうばいものばいりつをとっぱして,こくりつだいがくのいがくぶにはいってばつぐんのせいせきでそつぎょうしたおいしゃさんなんだぞ,いがくはかせだし,ないかせんもんいだし,しんけいないかにんていいだし,いぎりすにりゅうがくもしたし,えいごのろんぶんもたくさんかいてる.

だからどうしたって言うんだい?そんなこと,みんな知ってるんだよ.知ってて言わないのは女神達のご配慮だってことぐらい,いくら僕でもわかってるさ.

”三島は天才ね”って聞いたから,僕は三島をかたっぱしから読んだんだよ.彼がどうして天才なのかはついにわからずじまいだったけど.伊東屋のソフトクリームの評論家を志したのも,レッド・ツェッペリンに傾倒したのも,ナチがなぜ台頭したのかを研究しようとしたのも,それから,それから,最後の体育の時間に,90年のワールドカップの時のアイルランドのパトリック・ボナーみたいな素晴らしいセービングができたのも(そのあと,こぼれ球を蹴り込まれて結局負けちゃったけどね.サルバトーレ・スキラッチみたいな悪役はどこにでもいるもんさ),みんな,みんな君たちにこっちを向いてもらいたかったからさ.

柴又生まれのテキ屋さんみたいにかっこよくなりたい.そう思ってあがきながらも果たせなかった詰め襟服姿の駿河台生まれ.女神達はそんな恥ずかしい裸体の僕を克明に記憶しているのだった.その裸体の上に何を羽織ろうと,女神達の前では無駄なことだった.

”いけだくん,皆勤賞だったのよね”
”いけだくん,交換学生が来た時,英語を上手にしゃべってたでしょ”

ああ,お願いだから,おむつを取り替えている写真を持ち出してきて,かわいいとけたけた笑うような真似はしないで,と言いたかったけど,力関係は22年前そのものだったから,その時と全く同じように,泣きそうな照れ笑いをして黙って下を向いているしかなかった.

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