司法資源としての裁判官

日経ビジネスオンラインからのコピー&ペーストです。(無料登録で誰でも読めるんですが) 。どこでも同じような悲劇が起こっているものです。医療共有資源として医者を大切にしろって言うのなら、司法資源としての裁判官も大切にしてあげないといけません。検察の仕事の質の劣悪さも、同様の事情が原因ではないかと推測しています。司法改革も、こういう核心部分に手を付けないと、何も良くなりません。

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日本の裁判官がおかしい
時代錯誤のエリート主義が生み出すトンデモ判決
2007年12月14日 金曜日 黒木 亮  論点  司法制度  裁判 

 強姦罪で有罪判決を受け約2年間服役した富山県の男性の無実が判明したり、1966年に一家4人を殺害したとして死刑が確定し、このほど再審が決定した袴田巌死刑囚に関し、死刑判決を書いた元裁判官が無罪の心証を抱いていたことを告白するなど、裁判への信頼を揺るがすニュースが相次いでいる。痴漢冤罪事件にいたっては、枚挙にいとまがない。

 司法の制度疲労は、青天の霹靂で自分自身が巻き込まれた裁判でも痛感させられた。都市銀行の支店に勤務していた時、上司が脳梗塞患者に立ち会い人もなしで巨額融資を実行し、患者本人や家族らに訴えられた事件だった。

 銀行は裁判のことを私に一切知らせず、「やったのはすべてK(私の本名)」であると5年間にわたって主張していた。驚くと同時に怒り心頭に発しのは言うまでもない。銀行側は謝罪するどころか、「なぜKさんが怒っているのか、我々には全く理解できない。銀行の融資は不正ではないし、我々はKさんが不正をしたとも言っていない」と言うのだから、開いた口が塞がらなかった。

公判資料を読まず、証人尋問中に居眠りする裁判官

 実際に巻き込まれて初めて分かったが、日本の裁判の状況は混沌としている。まず、裁判官がろくに書類を読まずに公判に出てくる。弁護士は「裁判官っていうのは髪の毛を引っつかんで、書面に顔をこすりつけでもしない限り、書類を読みませんから」と吐き捨てるように言っていた。

 控訴審でも、裁判官が20ページほどの控訴理由書を読まずに口頭弁論に出てきて、「それは理由書のどこに書いてあるんですか?」と臆面もなく聞いたという。弁護士からは「裁判官が記録をきちんと読んでいるのかさえ疑問に思うとともに、空しさを覚えます」というメールが送られてきた。

 1審判決も、判断根拠をほとんど示さず、6年以上にもわたった裁判であるというのに、20ページほどの判決文で片づけられた。そのうち事実認定に関する部分はわずか9ページだった。

 脳梗塞患者の配偶者の連帯保証人としての署名と印鑑が偽造されたことには争いがなく、署名を偽造した本人も偽造の事実を認めたのにもかかわらず、配偶者の連帯債務を認定し「債務者本人と連帯して債務を払え」と書いてあったのには唖然とさせられた。どう見ても「ええい面倒くさい」と書いたとしか思えない判決だった。ちなみにこの裁判長は、司法試験の選考委員も務める法曹界のエリートである。

 最も驚かされたのは、証人尋問の最中に裁判長が堂々と居眠りをしていたことである。ロンドンから自費で日本にやってきて証言しているというのに、何ということだと憤慨させられた。私の時だけでなく、ほかの証人尋問でも居眠りをしていた。当時、「月刊現代」に頼まれて証人出廷記を寄稿したが、判決に影響するとまずいと思って、そうしたことは書かなかった。しかし、今般上梓した『貸し込み』(角川書店)には、居眠りのことだけでなく、日本の裁判が抱える諸問題を率直に書かせてもらった。
 

1人200?300件を担当、増える裁判官の鬱、過労死、自殺

 こうした問題の原因は、ひとえに裁判官の数が不足していることにある。2004年の最高裁の資料では、人口10万人当たりの裁判官数は、日本が1.87人であるのに対して、米国10.85人、英国7.25人、ドイツ25.33人、フランス8.78人である(出典-1)。

 そのため、日本の裁判官は、1人当たり200?300件の事件を担当させられ、慢性的な過剰労働状態にある。1人で400件以上を担当している裁判官もいる(出典-2)。こうした過酷な状況の中で、裁判官たちは処理件数を競わされ、それによって出世に影響が出るのである。

 裁判官の鬱、過労死、自殺は少なくない。報道されているだけでも、2003年3月に、大阪高裁判事(53歳)がマンション12階から飛び降り自殺、昨年12月に大阪高裁の判事(64歳)が自宅書斎で首吊り自殺、今年10月に山口地裁下関支部の判事(46歳)がマンションの22階から飛び降り自殺している。これらは氷山の一角にすぎない。

 私が関わった事件でも、訴訟書類は積み上げれば高さ1.5メートルくらいあった。様々な人物や事情、書類が複雑に錯綜し、銀行実務の細かいところまで理解しなくては真実は分からない。また、脳梗塞患者とその家族の方にも全く落ち度がなかったわけではないという微妙さもあった。このような事件を1人で200?300件も持たされたらパンクするのは当然だ。まともな判決を下すのであれば、せいぜい30件が限度だろう。
日本弁護士連合会が行った元裁判官の弁護士たちに対する聴き取り調査でも、忙しさのあまり「記録を十分に読まないで訴訟を進行する」「判決を手抜きする。判決を書きやすい争点に絞り、それで片づける」「仕事に手を抜くか、身体をつぶすかのどちらかということになりかねない」といった告白がなされている(出典-3)。
 

徹底したエリート主義、時代錯誤のガンバリズム

 裁判官が増えないのは、裁判所行政を司っている最高裁事務局が頑迷であることが原因だ。徹底したエリート主義にこだわり、裁判官の増員に消極的である。
 “ミスター司法行政”の異名をとった矢口洪一氏(1985年から90年まで最高裁長官、93年勲一等旭日桐花大綬章受賞)は「今日動かす事件は、どんなに手持ちが多かろうが少なかろうが、限定されているわけです。だから、“50件持っていたら、ちゃんとやれる。しかし、200件持っているから、やれない”というのは言い逃れです」と言ったそうである(出典-4)。時代錯誤のガンバリズムとしか思えない。

 司法試験の合格者数の増加で弁護士の就職難が指摘されているが、それならば裁判官の数を増やしてほしいものだ。裁判官不足が、訴訟の遅延、誤判、裁判官の過剰労働をもたらしていることは、関係者の間では周知の事実で、名古屋弁護士会、杉並区、大阪の民主法律協会(弁護士、学者、労働組合などが会員)など、多くの団体から裁判官の増員を求める決議や意見書が出されている。

 日本の裁判制度は数多くの問題点を抱えている。

(1)判検交流(裁判官と検察官の交流人事)などにより検察に有利な判決が出やすい(疑わしきは罰する)

(2)国会の証人喚問以外で偽証が罪に問われることがほとんどなく、裁判は嘘のつき合いになっている

(3)多くの裁判官が官舎と裁判所の往復で暮らし、一般人との交流が少ないため、世間知らずで非常識な判決が出る

(4)裁判所や判決に対するチェック機能がなく、外部からの矯正作用が働きにくい
 

ディスカバリー制度の導入が必要

 これらの中で、裁判官不足に次ぐ大きな問題点を1つ挙げるとすれば、「ディスカバリー(証拠開示)」制度がないことだろう。英米では、裁判が始まる前に、当事者間で争点に関する全情報(書類、データなど)を開示しなくてはならない。

 日本の銀行や役所相手の裁判では、銀行(役所)側はあるはずの書類を「紛失した」と言い、自分たちに都合がよいと見ると「たまたま保管してあったものが見つかった」と出してくる。しかし、「ディスカバリー」制度の下では、こうしたことは許されない。

 旧日本長期信用銀行とイ・アイ・イ・インターナショナル(社長は故・高橋治則氏)の管財人との裁判では、米国の「ディスカバリー」によって開示された段ボール箱117箱分の書類から、旧長銀側がイ社を「もぬけの殻にする」「ごみ溜め化する」「静かに葬式を出す」と書いたものが見つかり、銀行が218億円の和解金を支払うことになった。

 銀行裁判に限らず、中村修二氏が青色発光ダイオード(LED)特許を巡って日亜化学工業と争ったような個人対企業の裁判では、書類のほとんどを企業側が握っている。その不公平を解消するために、「ディスカバリー」の制度が必要なのである。

 さて、私が関わった脳梗塞患者に対する過剰融資事件は、結局どうなったかというと、第1審ではエリート裁判長によって「トンデモ判決」が出された。その後、控訴審に移って審理がされていたところ、銀行の巨大合併が起き、銀行側が和解の必要性に迫られて、患者側に経済的な損失があまりない形で決着した。司法も金融庁も銀行も実現できなかった正義を、天が実現した格好である。小説にするには理想的な結末で、オチを考える手間が省けたのは、不幸中の幸いだった。

出典:(1)『日本司法の逆説』(西川伸一著、五月書房、2005年5月)P.27、(2)同P.39、(3)同P.39、(4)同P.41
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