新聞叩いて何になる

書いた記事は読んでもらわないと話にならない。読んでもらうためには、「あの人はいい加減なことは書かない」と思ってもらえる、そういう書き手個人への信頼が記事の影響力を担保する。

裏を返せば、市民から信頼を失った旧主流派マスメディアに属している記者さん達は、個人がどんなに優秀でも、「どうせあいつは○○新聞の記者だから」というstigmaから逃れられない。だからどんなにいい記事を書いても、紙面に溢れる愚劣な記事の中に埋もれてしまって、正当な評価を受けられない。そうして悪貨が良貨を駆逐する結果、良質な人材が流出し、残るのは愚劣な中高年ばかりとなり、組織がますます腐っていく負のスパイラルから抜け出せなくなる。

この負のスパイラルを抜け出すための唯一の手段が教育なのだが、もともと教育の文化がない組織が負のスパイラルに陥ってしまっているのだから、教育もへったくれもあったものではない。

自分が書いた記事にさえ責任を取らない人間が、ましてや自分が定年退職した後の会社の継続性に責任を取るわけがない。現在、旧主流派マスメディアの幹部になっている連中は、会社があと10年持ってくれればいいと思っている。旧主流派マスメディアが辿る運命は決まっている。ただエンドポイントに至るまでには10年単位の時間がかかるというだけだ。そんな組織を叩いて何になる。

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