対床屋対策

散髪,あるいは美容院は,この国で日本人が難渋する主要なものの一つである.何故難渋するかと言うとまず第一に言葉の問題.日本でも初めての床屋(美容院)行った時に,意図する髪型を説明してやってもらうのは骨が折れる.これを英語でやると考えてみてもらいたい.あまり気の進まない話だということはすぐわかる.

この問題に対する対策の基本は、言葉による説明を写真で置き換えるということ.即ちヘアスタイルの雑誌を切抜いていったり,希望の髪型にしてもらった直後の自分の写真を持って行ったりするのである.これは極めて安全性の高い方策の様に見えるが、世の中,油断は禁物である.

グラスゴーでの僕の行きつけはスチュアートヘアサロンという,極平凡な名前の近所の床屋.この国では美容院/床屋はユニセックスと言って、男女どちらでも扱う店が非常に多いが,このスチュアートヘアサロンは,今でも頑なに男性専門を守り,看板には男による男の為の散髪,と,のたもうている.なんて書くと聞えはいいが,要するにパーマの設備がなく,かつ女性の髪を扱うだけの技術がないだけのことだった.ここは典型的な町床屋で,散髪の料金が3ポンド50と安いので愛用していた.服装もジーパンにTシャツで,たばこをぷかぷか,コーヒーをすすりながら散髪である.この国では散髪に国家資格などいらないそうで,誰でも理容師、美容師として働けるとのことだ。

僕は用意周到にも,日本で床屋に行った直後に,正面と側面の2方向のスピード写真をとっておいて,それを持って渡英した.初めてこの床屋に行った時,おごそかにその写真を見せた.まるで術前の検討会で,胸のレントゲン写真を外科医に呈示する内科医みたいに.床屋のおじさんは、”これはよくわかる.他のお客もこの位気が利くといいんだが”なんて言ってにこにこしていた.僕もしてやったりと得意満面でにこにこしていた.

しかし,15分後に出来上がった頭は,写真とは似ても似つかぬ刈り上げで呆然とした.しかし彼にはなんらの罪の意識もなく,満足そうな表情で写真と見比べて、”どうだい,いい男に仕上がっただろう”と自慢気に言うのだった.次の散髪も同じ床屋で同じ理容師をだったが,その時はたまたま写真を忘れたので口だけで説明してやってもらった.ところが出来上がったのは前回と全く同じ刈り上げ頭だった.写真は,それを真似る技術があってこそ初めて威力を発揮するものなのだと,その時初めて悟った次第.

第二の問題の”荒さ”は覚悟していた.こちらは予想通りだった.カットにかける時間は日本の半分以下だろう。客にはエプロンを一枚だけかけて、衿の周囲に髪の毛が入ろうが何しようがおかまいなし.散髪が終って店を出る時には,衿の回りが髪の毛だらけで,首がちくちくして不愉快なこときわまりない。洗髪だってさっぱりしようなんて考えたらそれこそ大間違い.ひげそりについても,血だらけになった自分の顔が脳裏をかすめたので,一切”へあかっとおんりー,ぷりーず”で押し通した.

だから僕は床屋に出かけるときは,洗濯する直前のシャツを着ていった.床屋では散髪だけで,フラットへ帰ってからシャワーを浴びて髪を洗い,毛だらけになったシャツを洗濯するようにしていた.

日本ではこの手の床屋にはお目にかかれないが,東京は,お茶の水の駿河台の通りに面したある床屋は,洗髪,ひげそりもやってくれるのに,料金は1600円と大衆的.理容師も白衣こそ着てはいるが,うすよごれていて,たばこぷかぷか,缶コーヒーをすすりながらの作業で,時間も30分程度で終わってしまう.グラスゴーの床屋を彷彿させるので,もっぱら愛用している.あれで,シャツの衿が毛だらけになればもっとなつかしくなる訳だが,それは御免こうむりたい.

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