いけだくん

ー第4回同期会に代えて:2001/8/25 銀座 高松にてー

(以下,極めて個人的なしょーもない駄文です.山根君が取ってくれたデジカメ写真を現在まとめています.少々お待ちを)

僕にとって,ブランドが二つだけある.一つは神田駿河台生まれだということ,もう一つは,向島の高校を卒業したということだ.この二つのブランドの 組み合わせは,高校卒業以来,私を支え,周囲を威嚇し続けてきた.しかし,そのブランドが全く役に立たない出来事が,27年ぶりにあった.

第3者として私のことに言及する時、池田君と呼ばれることはいくらでもあるだろう、しかし、”いけだくん”、と、面と向かって私に呼 びかけてくれるのは、世界中で、君達だけだ.普段はどうかと言えば,呼ばれるほどの馬鹿でなしとの接尾語でしか呼ばれない身にとって、君達から”くん”付 けで呼ばれるのは,理屈抜きでうれしいものである。仲間だと認められていることに他ならないからだ。

若気の至りというが、やることなすことが、正に全て若気の至りだった。人間の歴史が不正の堆積(*1)だとすれば、個々の人間の人生は恥の堆積である(*2)。高校時代とは、その堆積速度が、最大の時期である。そのような前科をはっきり握られているから,君達の前に出ると、あの向島の校舎で,君達に何か悪さをしたというわけでもないのだが,とにかく後ろめたい、恥ずかしい。

そんな後ろめたさがひどく増幅されてしまう人を,立食の宴会場のはるか向こうに見つけて,僕は17才の時と同じように唇を咬んでいた.しまったと. 何にも用意していないのだ.まさか来ているなんて.うれしいけど,でも本当に何にも用意していないんだ.用意というのは,自分の身なりでも,贈り物でもな い.頭の中身だ.そして自分の心の持ちようだ.

花を生ける時でも,茶の湯でも,何でもいい.その場面にふさわしい心構えというのがあるものだ.僕の仕事で言えば,外来で初診の患者がドアを開けて 入ってくるその瞬間から始まるあの集中力の高まり.姿勢,視線,声の調子,微笑む場面,相手に合わせて,全て頭の中で準備できている時の,あの自信.

しかしそこは僕が主(あるじ)として振る舞う外来ではなかった.僕が毎日義理堅く通っていた向島の校舎の再現だった.屈託なく笑って午後から雀荘へ 出かけてしまう連中に囲まれて,いつも自信がなく,おどおどしていた僕がそこにいた.なんと私は皆勤賞で卒業式に表彰されたことさえある.

”おめえな,授業をさぼる度胸もねえのがばれて,恥ずかしくねえのかよ”と,その時は罵った友も,今では僕を責めたりはしない.そう,若気の至りで 取ってしまった皆勤賞だ.仕方ないさ.そう思って,もう何も言わない.しかし,記憶は,僕にも彼らにも残っている.そして多分,あの人にも.

27年ぶりに会ったのだ.初恋は30年間続いています,と,そんな陳腐な台詞の一つ、何で言えなかったのかと、本会でお別れしてからそう思うのも無理ないことなのだが、何も言えなかったことのほうがもっと無理がなかった。 それを言っちゃあおしめえだよ.と,どこかで聞いた声がしたような.

何も用意していないのら,恥の上塗りをしたくないのなら、とにかく黙っているのが上策だ。お前は旭の救急外来で、患者の顔を見ただけで,粘液水腫性 昏睡の診断ができるぐらいの男なんだぞ。そのぐらいの知恵はあるだろう。そう判断して、何も言わなかったのは、年々薄くなる頭髪と引き替えに,少しは知恵 が付いたのかとも思うが,それでも迷いに迷う大脳辺縁系(もはや大脳皮質は機能麻痺に陥っていた)の構造は、やはり、30年前とまったく変わっていなかっ た。

いや,今でも初恋が続いています,と言っても,おしまいでも何でもなかったのかもしれない.どうせ結果はわかっているんだ.まあ,うれしい,といっ て,僕をその瞬間全失語に陥らせ,次の瞬間には,神田駿河台生まれに,柴又生まれの気分を味わわせてしまうような,30年前にこの気持ちが始まった時と まったく変わらない微笑を見せてくれるに決まっている.

実は,何も言わなかったとというのは正しくない.本会が終わり間際に,“いけだくん”と呼びかけてくれた声の方に向かって(声をかけてもらっただけ で,うれしくて泣きそうな顔を見られるのが恥ずかしく,顔を上げられなかった),この次の同期会もどうぞ来てください,と,遠い北の街へ帰る人に,それだ け言うのが精一杯だったというのが正しい.

*1:笹本駿二 第二次大戦下のヨーロッパ 岩波書店 P7に,ヴォルテールの言葉として引用されているが,原典が不明である.ご存じの方は是非とも御教示いただきたい.

*2:寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し(荘子) 徒然草 第七段で引用されている.(命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ)

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