語るための資格

あなたは、「アメリカ人」について語ったことがあるに違いない。およそ日本人である限り、「アメリカ人」について、これまで一度も語ったことがないと、天地神明に誓って言える人間はいないだろう。もし、いるとすれば、それは、単に重い記銘力障害を負っていると告白しているだけのことだ。

だから、「アメリカ人の友人がいなくても、アメリカ人について堂々と語る方法」という題名の本を売り出しても、採算が取れるとは思えない。そんな本をわざわざ読まなくても、ほとんどの日本人が、アメリカ人の友人がいなくても、ハワイに観光に行った経験しかなくても、アメリカ人について堂々と語れるからだ。

たとえ、アメリカ人と一言も話したことがなくても、アメリカに行くためにパスポートを取得したことがなくても、日本人なら、誰でも、「アメリカ人」について堂々と語る資格がある。全ての日本人はそう思っている。それを「当たり前」だと思っている。これって、凄いことなのに、誰も凄いと思わない。

では、あなたは源氏物語について、語ったことがあるだろうか?もし、ないとすれば、それはなぜなのだろうか?そもそも、源氏物語を読んだことがないからだろうか?

なぜ、源氏物語を語るためには、源氏物語を読む必要があると考えるのだろうか?何しろ、あなたは、日本人なら、誰でも、たとえ、アメリカ人と一言も話したことがなくても、アメリカに行くためにパスポートを取得したことがなくても、「アメリカ人」について堂々と語る資格がある と考えている人間なのだ。

米国の医療と日本の医療の差異について一度も語ったことが無い医者は、日本中で一体何人いるだろうか?おそらく一人もいるまい。では、そのうち、一体何パーセントが米国医療を経験しているのだろうか?

アメリカについて知っているとはどういうことなのか?
源氏物語を読んだことがあるというのはどういうことなのか?
米国医療を知っているというのはどういうことなのか?

語るための資格というのは、どのようにして規定されるのか?そもそも、語るために、資格なんて必要なのだろうか?

なぜ,そんなことを「語る」のかって?あなただって,「読んでいない本について堂々と語る方法」(筑摩書房)を読めば,そう語りたくなるに決まっている.

そして,語りたくなるだけでなく,次々と本を書きたくなるに決まってる.

会っていない人について堂々と語る方法
男が女について堂々と語る方法
女が男について堂々と語る方法
診療していない患者について堂々と症例検討会で議論する方法
専門でない診療科の診療について堂々と語る方法
精神科診療について神経内科医が堂々と語る方法・・・・

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