deja vuの効用

2008年9月.埼玉から長崎へ,生涯13回目の引越し.散乱した室内でキーボードを叩いていると、13年前に、震災直後の東灘区の公民館で、ダンボールを机代わりに、東京から持ち込んだPower Book 145Bと携帯モデムに,辛うじて繋がっていた固定電話回線を繋げ(神戸のアクセスポイントは潰れていたので姫路を使ったことを今でもはっきり覚えている),当時パソコン通信(もはや死語)最大手だったニフティの掲示板に書き込んでいたことを思い出した。

築43年の長崎の官舎は,同年代の新潟の官舎を経験した身にとって,deja vuそのものだった.部屋を我が物顔で徘徊する蜘蛛、松本零士のサルマタケ(完全に死語)を髣髴とさせる畳一面の白カビ、洗面所の排水口から出てくる、パイプそのものの形をした水垢、今や博物館でしかお目にかかれないはずの箱型のポリバスと,同年代のガス釜を目の前にして,爆発、中毒しなけりゃ儲け物だと思いながら,おそるおそる沸かした朝風呂に入り,辞令交付式には五体満足で臨めた.

そんな状況下でも,鬱にならない理由が二つあった.第一は,加齢に伴う傲慢さ.人は年を取るにつれて,どんなに新しい出来事でも,自分の記憶に残っているものだけに沿って強引に分類し「豊富な経験」と称するようになる.第二は私の受けた教育.世間一般の幻想と実態の落差を感じるのが,教授稼業と心得よ.私がこれまで出会った師は,例外なく、そう私に教えてくれた.ちょうど今、こうして私が書いているように。
 

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