臨床研究の原点

> そして、これまでの医師人生の全てにおいても、「症例報告というのは、有名な大病院や大学病院にいる先生が、珍しい症例や勉強になるような典型例に遭遇した時に書くものだ」と思い込んでいて、それが自分にも可能である、という視点では全く見ていませんでした。

やはり、この種のメンタルブロックが、臨床研究の最大の障害でしょう。私が度々強調するように、どんな大規模試験も一つ一つの症例の積み重ねに過ぎません。症例報告は臨床研究の原点です。症例報告が書けなければ臨床研究なんかできっこないんです。

Primary care settingと大学病院を比べて、どちらが論文に値する症例に出会いやすいか?→誰にもわかりませんが、実はそんなことはどうでもいいことです。要は、自分自身に、書く気があるかどうかです。筋弛緩剤中毒と誤診されたミトコンドリア病のケースは、私が単名で症例報告にしました。齢五十五のおっさんが、単名で英文の症例報告を書いているんですから、若い人はもっとどんどん書かなくては!

以下は厳しい言い方に聞こえるでしょうが、○○先生個人に向けたコメントではありません。○○先生よりずっと年が上のオヤジ・ジジイども、医学教育に関わる人全てに向けてです。

症例報告を書く気が起きなかった臨床って、一体何なのかと私は思います。自分がこれだけ苦労した、患者さんも辛い目に遭った。亡くなった人もいる。自分のためにも、患者さんのためにも、この経験を世界中の仲間と共有したい。そういう気持ちで初めて論文が書けます。そういう気持ちが湧いてこない教育・診療って、一体何なの?その程度の覚悟でやる臨床研究って、一体何なの?

「あんた、学会発表なんて、いくらやってもだめだ!学会発表なんてあんなもん、ごまかしなんだからな!論文は文字で残るからごまかしが利かない。学会発表やってる暇があったら、論文を書け!論文書いて、それを学会で発表して、発表の場で論文の別刷を配れ!」(塚越 廣)

論文を書かないってことは、自分が批判されないで済むってことだからね」(西川 徹)

私が今日あるのは、師と仰ぐ人達のこのような言葉のおかげです。

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