東京に火葬場を

東京でゴミ処分場が足りなくなることは誰でも知っている.しかし火葬場が不足していることを知る人は少ない.大田,品川,目黒,世田谷,港の5区は,将来の火葬場不足を見越して,大田区の臨海地区に共同の火葬場を設置しようと計画している.

都内23区には公営の火葬場は江戸川区に瑞江葬儀所があるだけで,その他7カ所は民間の火葬場だ.しかし都は94年10月に民間火葬場の新規設置を原則として禁じてしまった(しかし,これは誤解であることが後日判明した.*下記注参照).なぜなのだろうか?

スコットランド随一の芸術学校Glasgow Art School(日本で言うと東京芸術大学にあたるぐらいの名門校)の学生であるスチュアート君と,あるパーティで話をしたことがある.彼は交換留学生で東京に1年ほど住んだことがあったそうな.卒業制作は,東京に建物を作るとしたらどんなものをという課題だったそうな.彼は,葬儀場/火葬場の機能を持った集いの場,お祭りの場を作るというアイディアを出したのだという.その理由はこうだ.

お盆に見られるように,日本では昔から亡くなった先祖の霊を迎えて祭礼を行う伝統がある.また葬儀は地域社会の結びつきを深める良い機会となっている.しかし東京のような大都会では葬儀やお盆の祭礼を行う場所が決定的に不足している.だから葬儀場/火葬場を作り,それを単なる葬式会場としてではなく,地域社会の人々が集えるような祭礼の場にしたいというのである.

無論今の東京はスチュアート君の発想がそのまま使えるような状況ではない.しかし死や葬儀を地域社会の結びつきの機会としてとらえる考え方に学ぶべきことは多い.

火葬場の需要ばかりは増えることはあっても決して減ることはない.一方新規の出店はしにくくなるばかりだ.人間は誰しも死ぬのに,火葬場はなぜ忌み嫌われるのだろうか.死体というのはそんなに気味悪いものなのか.死というのはそんなに穢らわしいものなのか.ビンや紙さえ再生して使おうという時代である.伍丈原の孔明とはいかないまでも,人間の死も,もっと活用したいものだ.

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*この記述は当時,1997年8月19日の日本経済新聞朝刊の記事をもとにして書いたのだが,東京都が火葬場建設の許認可を握っており,94年から許認可の方針を変えた,という表現は正確でないとのご指摘を,98年12月にある専門職の方からいただいた.(新聞記事の出典もこの方に教えていただいた)

”実際の許認可は同法第10条(墓地、納骨堂又は火葬場を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない)により都道府県の事務とされ、都では衛生局の所管ですが,墓地及び火葬場は公営もしくは公益法人に限る、というのは厚生省の戦後一貫した方針であり、東京都が独自にそのような措置をとっているものではないはずです。最初の通達は昭和21年9月3日付け発警第85号内務省警保局長、厚生省衛生局長連名通知です。内容は「墓地、納骨堂又は火葬場の経営主体は原則として市町村等の地方公共団体でなければならず、これにより難い場合であっても宗教法人、公益法人等に限る」というものです。その後、厚生省は同様の内容の通達を何回か出しており、現在では都内を除くと全国に民営の火葬場はほとんどない、と聞いています。”

というわけで,許認可の窓口は都だが,実際の権限は厚生労働省が持っているというのが正しいようだ.

後日談:この専門職の方から、現場を見て勉強するようにと,後日ご招待いただいた。友引の日で開店休業であり,メインテナンスや掃除の合間に,現場のスタッフの方々の苦労話もゆっくり伺うことができた。その時、生まれて間もなく亡くなった,小さな赤ちゃんをどうやったらうまく火葬にできるか.大きさはもちろん,骨の状態も,成人とは全く違うので、成人と同じ火葬の温度設定,火力にしたら,骨を含めて全て吹き飛んでしまって,何も残らなくなってしまう.釜の中の火力の加減や、亡くなった児を乗せるトレーの形状など、散々苦労なさったこと、トレーの形状をうまく工夫して、綺麗に骨が残った時の充実感、そのトレーの発明で、表彰状が出たことなどを伺った。自分の子供に、火葬場で働いているといると、自分の子供になかなか話せないと言う一方で、産科のお医者さんが、この世への入り口の案内人ならば、我々は出口への案内人ですと、淡々と語るのを聞いて、涙が出ました。冷たい雨のそぼ降る日でしたが,そんな天気が決して嫌とは感じられない日になった。やはり現場はいいものだ。
 

ルビコン川の向こうへ