診断学の基本を教える

それも一般市民に、そして講義ではなく文章だけで

脈の取り方一つ知らない人に対して、(講義ではなく)その人自身が読んで、診断学の基本が理解できるような文章を書かねばならない。そんな経験がある医師は決して数多くはないだろう。でも私はその必要に迫られた。ここに示すのは、北陵クリニック事件再審抗告審に提出した意見書からの抜粋である。

(引用開始)

内科の病気の診断には、内科診断学が必須です。内科診断学では、取得した知識をどのように組み合わせて診断論理を構築するかを学びます。医学部は5年生で実際に病棟に出て患者さんに接する前、3年生から4年生にかけて内科診断学を習得します。警察鑑定をベクロニウム中毒の唯一の診断根拠とする仙台地裁の裁判官らの主張は、彼らが内科診断学という言葉さえも知らないことを示しています。ここでも裁判官の診断力は医学部4年生以下ということになります。以下は、長崎大学医学部3年生に対する内科診断学の私の講義ノートからの抜粋です。
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診断の基本は患者を第一に考えることです。言い換えれば、機械が出した臨床検査結果に飛びつく前に、患者の症状経過を最も合理的に説明できる疾患を慎重に判断することにあります。有能な医師ほど、機械信仰に陥らずに、人を診るという原点を常に大切にするのです。患者の話をじっくり聴き(問診)、丁寧に診察した後、初めて、複数の観点から臨床検査を行い、最終的に診断を確認するのです。

慎重な問診・診察を行った上で、複数の観点から臨床検査を行うのは、単一の臨床検査だけでは、判断を誤るためです。そこで、全ての臨床検査結果が患者の症状経過と矛盾がなければ診断が確定しますが、もし、複数の臨床検査のうち、一部の臨床検査だけが症状経過を説明できず、他の多くの臨床検査が症状経過を説明できれば、症状経過を説明できない臨床検査を棄却します。ここでも患者の症状経過を第一に考える。これが正しい診断プロセスです。

自分が患者になって、絶対に誤診されたくない立場になってみると、このことがよくわかります。あなたが、急な腹痛・嘔吐で救急外来を受診したとしましょう。医師が適切な問診と診察を行った後、超音波検査を行って、肝臓に癌と思われる腫瘍が見つかったとします。しかし、超音波検査の結果だけで、いきなり救急外来であなたに抗がん剤を投与したり肝癌の手術を行なったりするような医師はいません。

急な腹痛・嘔吐の患者を診たとき、十二指腸潰瘍の穿孔、急性膵炎、急性胆嚢炎、腸閉塞など、決して見逃してはならない緊急性の高い疾患が数多くあることを知っている医師は、そこで一旦、超音波検査の結果とは全く独立別個に、血液、尿、X線写真撮影等を行い、問診で得られた症状経過、診察所見、臨床検査結果を全て含めて総合的に考えます。それでもやはり肝癌が一番疑わしいとなれば、そこで初めて、抗がん剤や手術治療をじっくり相談できるような再来日を設定して、その日は一旦帰ってもらいます。

しかし、症状経過、診察所見、そして超音波以外の臨床検査結果全てが十二指腸潰瘍の穿孔(穴が開くこと)に見合った所見であれば、全く話は違ってきます。超音波検査の結果は棄却し、十二指腸潰瘍穿孔に対して緊急手術をします。そこでもし超音波検査の結果だけを優先し、本当は十二指腸潰瘍穿孔なのに肝癌と誤診して鎮痛剤だけを処方して帰宅させれば、十二指腸の穴から漏れ出た腸液や細菌が、あっという間に本来無菌状態の腹腔内(内臓が納まっているお腹の空間)の中に広がり、腹膜炎を合併してあなたは急死します。

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仙台地裁の裁判官らの誤診は、まさにこの内科診断学の基本を弁えなかったことにありました。超音波検査という高度医療機器による検査結果だけを信用し、十二指腸潰瘍穿孔を見逃して患者を死亡させた医師(実際にはこのような不届きな医師はいませんが)と全く同様に、鑑定のみにこだわり、腹痛、嘔吐、軟便といったA子さんの大切な主訴を無視したために、ミトコンドリア病を見逃したのです。

それに対して、私がベクロニウム中毒を除外し、ミトコンドリア病であると診断できたのも、内科診断学の基本を知っているからです。鑑定とは全く独立別個に、A子さんの症状経過とベクロニウム検出以外の検査結果が、ベクロニウム中毒で整合性を持って説明できるかを検証するのが、基本的な内科診断学を習得した医師たる者の務めです。
(引用ここまで)

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