英国薬理学会始末

来英したその年の末に,ロンドンで開かれる英国薬理学会で研究結果を発表することになった.外国語で学会発表というと,ひどく難しいことのように聞えるかもしれない.ぼくもそう思っていた.特に英国薬理学会というのはもったいぶった学会で、学会発表の抄録の掲載手続一つとってもうるさいことこの上ない.だから発表そのものでもかなり厳しい質問がとんでくるのではないかと緊張していた.しかし実際は大分事情が違っていた.研究所の副所長のジムはそれを正確に予見していたのだった.学会前の予演会でジムがいったことには,

”厳しい質問でも,研究内容に沿ったものなら答えやすいから大丈夫だ.問題なのは研究内容とかけ離れた,突拍子もなくくだらない質問をしてくる連中だ.こういう連中が一番始末が悪い”

ふうん,そんなもんかいなとその時は思っただけで,自分の研究と関係ない質問だったら,そんなことは知らないと言えばいいだけじゃないかと割切っていたが,さすがこの世界で大きな顔をしている彼の言葉に間違いはなかった.

その時の僕の発表内容は、たいそう名の知れた雑誌にすでに掲載された自慢の研究だったので、ジムの言葉を忘れた訳ではなかったが、初めての海外での発表ということもあり,大変張切っていた。発表の形式は口頭ではなく,発表内容を書いた壁新聞の前に立って,直に質問してくる人に説明し議論するポスター形式と呼ばれるものだった.

幸いなことに僕の研究に興味を持ってくれる人はそこそこいて,論文で名前が通っている有名な研究者にも質問されたりして,緊張しながらも初めての日本国外での学会発表の喜びを味わうことができた.一時間の討論時間も終わりに近づき,充実したいい気持ちになっていた時,隣の発表者が話しかけてきた.

このおじさんは小柄で身長は160cm位だったろうか.ありふれた運動靴(リーボックなんて気取ったブランドなどではもちろんない)を履き,小太りで髪はぼさぼさ.ふけがやけに目立ったりして全然風采の上がらない人.イングランドではこの手のおじさんはめずらしい.特に英国薬理学会の会場ともなれば,なおさら異様な存在である.話しかけられた時,いやな予感がしたのだが,こんなおじさんが結構大学者だったりして,と思い直したのが間違いだった.

”ねえ,ドクターアイキーダ(英語風に僕の名字を発音するとどうしてもこういう発音になる)”
”なんですか”
”ねえ君,何人?”

いきなりどこから来たとは何だ.ここは学会場で、ぼくは自分の研究成果を発表するためにここにいるんだぞ. それをヒースローのパスポートコントロールみたいな馬鹿げた質問しやがって.

たまに街角で,君は中国人か日本人かなんて,馬鹿な質問に出くわすことがあって,そういう時は,にっこり笑って,”オマエノシッタコトカヨ,バカタレ”と日本語で言うことに決めていたのだけれど,ここは学会場で,僕は英語で質問に答えられると想定されているので,この際は英語で答えなければならなかった.僕の答えはこうだった.

”母は香港生れのマレーシア人で,父は北京生れのコリアン.僕は日本で生れてからすぐギリシャ,ワルシャワ,リオデジャネイロに10年ずついてから今年グラスゴーに来たんだ”

そう答えてやった.どうだ頭がこんがらがっただろう.ざまーみろ.イングランド人は世界に冠たる外国語下手だから,あんまりでたらめを言っても簡単には見破れないはずだ.特に東洋人に対してどこから来たかなどと月並な質問しか出来ない奴は,英国以外の国の知識などほとんどないのだから.しかし敵はなおもひるまずこう尋ねてくるのである.

”ところで君はこの学会に演題を出すのは何回目?”
”初めてだよ.今年グラスゴーにに来たばかりだから”
”僕はもう17年間もこの学会に演題を出し続けているんだけど”
”それで?(長くやってりゃいいってもんじゃないと思うが)”
”17年間もこの学会のために働いているのに,学会の方は僕に何もやってくれないんだ.ひどいと思わないかい”

学会っていうのはどこぞのお役所とは違う.長い間波風立てず,学会に所属していればそれだけで表彰してくれるって類の代物ではない,そう言ってやりたかったけど,悲しいかな語学力のなさと,初めての外国学会という2つの理由から言いたいことを飲み込んで,

”そうですか,それは残念ですね”と言うばかり.
そして再び国籍調査
”池田と言うのは中国人の名前か”
なんだまだ入国審査官ごっこを止めないんだな.しつこいやつだ.
”違う.日本のファミリーネームだ”と答えると
”でも僕は中国人でアイキーダと言う名前の友人を知っているよ”
(でたらめもいい加減にしろよ,このばかたれ)
”へえそうかね.あんたにとっちゃコリアンもチャイニーズもジャパニーズいっしょくたなんだろう.いいことを教えてやろう,最近日本は中国から独立したんだ.知っていたかい.”
”そいつは初耳だな.日本は第二次大戦が終わってからずっとアメリカの植民地だったはずなんだが”

口の減らないやつだな.こいつ一体学会に何しにきやがったんだ.ようし,こうなったら反撃に転じてやる.

”あんたのお国,イングランドも戦争が終わってからはアメリカのお追従ばっかりじゃないか”
”その言い方は完全には正しくないな.というのは問題がかなり複雑だからさ.はじめアメリカの方がイングランドの植民地だったんだ.でも200年ちょっと前にイングランドからアメリカが独立したんだ.そして今度は第2次世界大戦が終ってからアメリカのイングランドに対する植民活動が活発化してね.この植民活動は現代風に武器なしに,メディアや食い物やひどい訛の英語を通して活発に行なわれたんだ.ある程度成功したと思うよ.それを真似して別の国が自動車やカラオケでの植民活動を今盛んにやっているようだけどね.”
”自動車で植民活動っていうけど,忍耐強さとか修理の技術を学ぶためにはイングランド製の自動車の方が断然優れていると思うけどね.”

と言い終わるやいなや,ポスター発表の演者は至急集まるようにとのアナウンス.
”ああ,もう時間だな.あんたとの議論が一番充実してたよ”との妙なエール.

やれやれゴングに救われたか.あのおっさん,僕が日本人だってわかっててあんな質問してきたんじゃないのかなあ.

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