安吾を読む

高校時代に”堕落論”を読んで,ひどくつまらなかったので,30年来,彼の作品には見向きもしなかったのだが,新潟にしばらくいて,彼の生まれた新潟市や,ゆかりの松之山町をしばしば訪れたこともあり,また,宮崎学が,”日本文化私観”を賞賛していたこともあり,安吾を改めてぼつぼつ読んでいる.中にはクスリをやりながら書いたのではないかと思われる”恋愛論”のような脈絡のない文章が繰り返される駄作もあるが,ほとんどは,この年になってはじめてその価値がわかってくる味わい深い作品である.

”日本文化私観”,”続堕落論”のような,坂口史観の代表作の素晴らしさは改めて強調するまでもない.

一方,戦国武将を描いた作品は娯楽性が高い.歴史小説というより,現代劇の台本のように,登場人物の会話が生き生きとしている.”信長”では,信長と道三,あるいは信長と濃姫の会話など,まるで吉本興業の漫才のようである.

下記は,黒田如水を描いた”二流の人”第三話 関が原 からの引用である.わずかこれだけの文章の中で,如水,直江兼続,謙信,信玄,それに真田幸村にまで言及しているが,安吾の人間観察眼の鋭さがよくわかる.他の越後人にとっては郷土の英雄であるはずの謙信のこけおどしの衣も,安吾にはいとも簡単に剥がされてしまう.信玄の心理描写などは,まるで実際に彼にインタビューしてきたように,彼の気持ちを正確に言い当てている.

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秀吉の死去と同時に戦争を待ち構えた二人の戦争狂がいた.一人が如水であることは語らずしてすでに明らかなところであるが,も一人を直江山城守といい上杉百二十万石の番頭で,番頭ながら三十万石という天下の諸侯に例の少ない大給料をもらっている.如水はねたまも天下を忘れることができず,秀吉の威風,家康の貫禄を身にしみてひしひしと味わいながら,その泥の重さをはねのけ,筍のごとき本能をもって盲目的に頭を出してくる.人一倍義理人情の皮をつけた理屈やの道学先生,その正体は天下のどさくさを狙い,どさくさ紛れの火事場稼ぎを当てにしている淪落の野心児であり,自信のない自惚児だった.

けれども直江山城守は心事はなはだ清風明快であった.彼は浮世の義理を愛し,浮世の戦争を愛している.この論理は明快であるが,奇怪でもあり,要するに,豊臣の天下に横から手を出す家康は怪しからぬという結論だが,なぜ豊臣の天下が正義なりや,天下は回り持ち,豊臣とても回り持ちの一つに過ぎず,その万代を正義化し得る何のいわれもありはせぬ.けれども,そういう考察は,この男には問題ではなかった.彼は理知的であったから,感覚で動く男であった.はきいり言うと,この男は,ただ家康が嫌いなのだ.昔から嫌いであった.それも骨の髄から嫌いという深刻な性質のものではなく,なんとなく嫌いで,時々からかってみたくなる性質のー彼は第一骨の髄まで人を憎む男ではなく,風流人で,通人で,その上に戦争狂であったわけだ.だから,家康が天下をとるなら,俺が一つ横からとびだしてビンタをくらわせてやろうと大いに張り切って内心の愉悦をおさえきれず,あれこれ用意をととのえて時のいたるのを待っている.彼の心事明快で,家康をやりこめて代わりに自分の主人を天下の覇者にしてやろうなどというケチな考えは毛頭いだいていなかった.

この男を育てて仕込んでくれた上杉謙信という半坊主の悟りすました戦争狂がそれに似た思想と性質をもっていた.謙信も大いに大義名分だとか勤王などと言いふらすが全然嘘で,実際はただ”気持ちよく”戦うことが好きなだけだ.正義めく理屈があれば気持ちがよいというだけで,つまらぬ領地問題だの子分の頼みだの引き受けて屁理屈を看板に切った張った何十年もあきもせず信玄相手の田舎戦争に憂身をやつしている.義理人情の長脇差,いわば越後高田城持ちのバクチ打ちにすぎないので,信玄を好敵手とみて,大いに見込んで,塩をくれたり,そしてただ戦争を楽しんでいる.信玄には天下という目当てがあった.彼は戦争などやりたくないが,謙信という長脇差は思いつめた戦争遊びに全身打ち込み,執念深く,おまけに無性に戦争が巧い.どうにも軽くあしらうというわけにもいかず,信玄も天下を横に睨みながら手を放すというわけにはまいらず大汗だくで弱ったものだ.勤王だの大義名分は謙信の趣味で,戦争という本膳の酒の肴のようなもの.直江山城はその一番の高弟で,先生よりも理知的な近代化された都会的感覚をもっていた.それだけに戦争を楽しむ度合いはいっそう高くなっている.真田幸村という田舎小僧があったが,彼はまた,直江山城の高弟であった.少年期から青年期へかけ上杉家へ人質にとられ,山城の思想を存分に仕込まれて育った.いずれも正義を酒の肴の骨の髄まで戦争狂,当時最も純粋な戦争デカダン派であったのである.彼らに私欲はない.強いて言えばすこしばかり家康が嫌いなだけで,その家康の横っ面をひっぱたくのを満身の快とするだけだった.
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