在宅医療の倫理問題(「必携在宅医療・介護基本手技マニュアル」pp586-605、永井書店、2000)

田坂佳千  田坂内科医院
白浜雅司  佐賀県・三瀬村国民健康保険診療所長/佐賀医科大学臨床教授



【はじめに】
医療は、従来より倫理問題を考えずして行うことは難しかったはずでありますが、必ずしも1分1秒の延命が唯一最終の目標ではない高齢者医療・在宅医療においては、特にその視点が医療者ならびにそれを取り巻く人々の行動決定に重要な意味を持つことはご了解いただけると思う。また実際の在宅現場では、「絶対入院はしたくない、死ぬのなら家の畳の上で死にたい。」「家族に何年もの間、介護のストレスを掛けたくない。」「ぽっくり逝きたい。」などの希望を持ったお年寄りも多く、そういった方が、「突然肺炎になったら?」、「餅をのどに詰まらせたら?」、「進行癌が見つかったら?」、「癌を疑う自覚症状が出現したら?」、「医師が入院を勧めたら?」、どうすればよいのだろうか?。この倫理的側面が在宅医療で最も難しく、患者の満足度とも直結する最も重要な要素であると日々感じていた。本稿で推奨している4分表の原著である『臨床倫理学』の序文にも、「全ての臨床医は倫理学とは優れた臨床医学の本質的な一面と認め、理想的には全ての臨床医が臨床倫理学者になることを強く希望している」と書かれている。本章が在宅医療現場で倫理的な問題で悩んでいる人々に、臨床倫理のひとつの考え方を紹介できれば幸いである。


1【倫理とは】


 最近では、最先端の医療に伴う倫理は(脳死判定や遺伝子操作などに伴う)はかなり討論され、文献も散見されますが、日常臨床(プライマリ・ケア;PC、や在宅医療)の決断に役立つ日本の教科書は残念ながら見あたらない。そのため、以下に日常臨床(PC)を念頭に置いた倫理=「臨床倫理学」についての我々の考えを示す。
 国語辞典によると「倫理」は、「人として踏み行うべき道」「人の内面にある、道徳意識に基づいて人間を秩序づける決まり」と書かれている。道徳観であるので、
1.時代や文化的背景が変われば、結論もおのずと変わってくる。
2.本人の希望や意志がとても大切である。
3.日本では、本人や社会・文化に加え、家族の倫理観〜価値観の影響力が大きい(海外に比べて)。
4.また、ターミナルの場合は、残される家族の心情と今後もその家族と継続的に接し続ける地域医療の継続性・緊密性による相互作用も考慮の対象となる。
5.倫理的に正しいと思われることが、必ずしも法的に認められているとは限らない。
6.倫理的疑問は、ケースに関係した全ての人が持ち得るし、この感情を否定することは出来ない。この疑問は、チーム医療推進の原動力となりうるが、逆に破壊力となることもある。
7.主観的要素を比較的多く含む倫理問題を、出来るだけ客観的に評価ような工夫が必要(第三者からの評価に耐えうる分析)である。
8.臨床では、時々刻々倫理的要素を持った決断に迫られており、我々はそれらから逃れることはできない。
「日常診療(在宅診療)での倫理的課題」
 臨床倫理学のリーダーの1人、米国ミシガン州立大学の生命倫理センター所長のH.brody氏は、「日常診療での倫理的課題」と言う講演で、プライマリケアの場の倫理と病院の倫理との違いを以下のようにまとめられた。これは、米国のものではありますが、そのまま、日本の在宅倫理の特徴としても置き換えられると感じている。
1、脳死判定にまつわる話題などは在宅では縁がなく、問題自体かなり異なっている。即ち、日常的に起こる問題が、そのまま倫理問題になることが多い。
2、PCでは、急を要する問題や希な疾患は比較的少ない。
3、PC現場では、患者は自立し、話し合いや自己決定が可能な場合が多く、既によく知り合った人間関係の上に生ずる。
4、家族・医療スタッフ・文化・地域の影響が大きい。の4点を指摘され、「従って、この分野の独自の研究が必要である」ことを強調された。
 まさに、この講演の4、から見ても、これまでつちかわれた外国の倫理学の直輸入のみでは、決して日本の倫理学成立しないことがうかがわれる。日本の風土・文化に根ざした研究やアプローチが必要と実感されるところである。


2【介護保険下の在宅医療における倫理問題】


 臨床倫理と言っても多岐にわたるが、ここでは、日本の在宅医療、特に介護保険が導入後の在宅医療の倫理について問題を考えたい。比較的多い倫理悩みは、以下の6つと思われる。
1. 主治医のアドバイスと本人・家族の意志が違っている場合。
2. 本人の意思と、ご家族の意志のずれが生じている場合。
3. 御本人に、意志決定能力に疑問のあるケースへの対応(痴呆などで)。
4. 介護放棄や虐待を疑った場合。
5. チームの中で意見がずれている/ずれに気づかない場合。
6. 関与している人々の間での意見の一致を見るが、社会的な非難をおそれる場合。

1. 主治医のアドバイスと本人・家族の意志が違っている場合
・医師が積極的な医療を勧めるも、御本人・ご家族から受け入れられない場合。
・医師は、絶食でIVH管理をしながら経静脈的に抗生剤の投与をしたら良くなる可能性があると考えているが、ご本人・ご家族が「そんなことまでしなくても良いから。」と言うケース。

2. 本人の意思と、ご家族の意志のずれが生じている場合
・本人は、「出来るだけ家にいたい」と思っているが、ご家族は、出来れば、「入院あるいは施設に入って欲しい」と思っている場合。
・本人は、積極的延命を希望していないが、ご家族がそれを強く望まれている場合。

3.御本人に、意志決定能力(権力)のない場合の対応
・本人の病前の意志が明らかでなく痴呆状態になられ、色々な重要な医療的決断に迫られた場合。
・本人の病前の意志に反して意志決断がなされそうな場合。(本人の意志決定能力の欠如の場合ばかりでなく、意志決定能力は維持されていても、実質的な決定権が本人から剥奪されている場合もある)。

4.介護放棄や虐待を疑った場合
・介護者は、自分で介護できると主張しているが、状況からして明らかに介護量が不足していると思われる場合。

5.チームの中で意見がズレている/ズレに気づかない場合(チームでも考える倫理)
 倫理とは、場の要素も大きく、在宅の介護支援に動く全ての社会資源(人)もその要素である。すなわち、ある人の在宅ケアにかかわる全ての人の気持ちそのものが倫理的要素となるので、これを無視することは出来ないし、そうした時にトラブルが起こる可能性を秘める。
 特に、都会では、介護保険のもと異なった施設の人々か交錯してサービスを提供し合い、それぞれに違った価値観・物の見方をする事が起こりうる。(意見や価値観のすりあわせの機会が少ない)。例えば、在宅で酸素を投与せず患者さんが亡くなった場合、「酸素も吸入させず、かわいそうだ。」とか思う人も居られるかもしれないし、胃瘻を造りれば、「ああまでして、長生きさせてどうするのかしら?」と心の中で思う人もいるかもしれない。
 病院の一つの病棟(いつも協力し合っているスタッフの間)でも、議論になるこういった側面を無視して在宅での医療を勧めるわけはいかない。これは最悪の場合、訴訟のきっかけになったり、介護の質の低下になってしまう危険をはらむと感じている。走り始めたばかりの介護保険関連のスタッフが、いずれもプロ意識を当初から持っているとは考えることは残念ながら難しい。

6. 関与している人々の間での意見の一致を見るが、社会的な非難をおそれる場合
 本人・家族・関係のスタッフのすべてが、「これが一番いい方法だな」と意見の一致をみることでも、社会的な非難をおそれ、躊躇する場合がある。たとえば、ひとり暮らし老人をそのままひとり暮らしさせるのか? 安全を見込んで施設に収容するのか? といった問題などである。ひとり暮らしを認めることは、「ある時、ひっそりと亡くなっているのを発見する。」ということを容認する度量とある程度確立したシステムがないと出来ない選択である。この場合地域における住民の意識も重要となろう。

 以上の様な問題を考える場合に、できるだけ問題を客観化し、検討〜討論しやすくする方法が必要となるが、その一つとして、Jonsenらの考案した臨床倫理の4分割表の活用が挙げられる。これを紹介する事が、本稿の主な目的であるが、その解説の前に倫理学用語を簡単に説明する。



3【臨床倫理学の基本用語(原則)の簡単な説明】


 簡単に、臨床倫理学でよく用いられる「原則」や「用語」を紹介する。ここでは必ずしも倫理学の分野で正確な定義と言うよりも臨床の現場で使いやすいという視点で解説を加えることにする。

恩恵の原則(beneficience):困っている人を助ける義務=他者の正当な利益追求を助ける義務。
無害性の原則(non-malficience):害をなさない義務。
恩恵と無害性の原則:上記2つを組み合わせたもので、「医療的な介入の利益をそのリスクに照らして患者への益が最大になるような方法を選ぶことを医師の義務とする」旨を示唆している。ほとんどの医療決断はこの考え方の上に成立している。
無益性の原則(futility):「脳死判定後は、いかなる治療も無益」という、かなり限定的な狭い意味での原則。やや意味を拡大したとしても、客観的医学的に瀕死の状態で、いかなる治療をしても数時間後に死が避けられない状態の場合に用いる。日本の在宅現場で、安易に頻用されるべき単語ではない。なぜなら、「無益性の原則」=介入の終結という結論に直結する原則であり、最終的選択として捉える方が適当であろう。

 多くの臨床問題は、恩恵と無害性の原則に立脚し両者のバランス(均衡の原則)として、まずは医学的な側面から純粋に評価されるべきである。また、以下の自律性尊重を加味すれば、1つの最終的結論のみを提案するのではなく、その介入により、どのようなメリット・デメリットが生ずるか?、出来るだけ正しく予測し評価し、これを患者や家族に解りやすく説明しアドバイスが出来ることが大切で、これは医師(他の職種でなく)が責任を持って遂行すべき重大な任務である。

自律性尊重(autonomy):「患者の意志を尊重すべき」と言う原則。
代理の原則(proxy consent):本人の意識が低下したりして本人の意思を確認できない場合、本人以外の者が、患者のために物事を決めることになるが、その決定は、患者の幸福を促進する者でなくてはならない。これには以下の二つの方法ある。
1)代行判断(substituted judgement):患者をよく知る人が、患者が過去の述べた事柄や、本来の患者の価値観に立脚して、「患者ならこう決定するだろう」とおもんばかって、代行決定する。
2)最善の利益(best interest):患者の意向が解らない〜明らかでない場合、代理人の決定は、本人の幸福を促進するものでなければならない。幸福とは、苦痛の緩和、機能の保持や回復、「理性的な人間なら誰もが同じ様な状況に置かれた場合に選ぶと思われる生活の質と範囲」についての選択と定義されている。

公正:ある患者には、豊富な医療・福祉資源が供給されるが、そのためにその地域資源が不足し、その他の必要とする人々に欠乏を来しているような場合は、公正の原則に反している。即ち、社会や地域を含めた倫理観である。
正義:正義感に立脚すること。ただしこの正義感は医療職としての専門的知識技能と、豊かな人間愛に根ざしたものでなくてはならない。
誠実:医師は、患者のニーズにまず答えることされており、医師は患者に対して忠実であらねばならない。



4、【その他の了解していただきたいこと】


・臨床医学は、一般の人々から見るとかなり完成された学問のように写っているかもしれませんが、実際は約100年前にWilliam Oslerが言ったように「医学は不確実性の科学で、確率のアート」である事を強く認識する必要があります。この不明瞭さがあるからこそ、倫理的問題が派生するとも言われている。
・その延長上として、「極く低い確率(不確実な)の最良の結果を求めて、どこまで戦うのか?」、言い換えれば「ここで、我々は何を成し遂げようとしているのか?」と言う非常に素朴な疑問が、倫理的議論の発端になることも多い。
・また、結果予測の不確実性のゆえに、倫理的検討の結論も、「結論に疑いの余地が無く、揺るぎ無いもの」であることはまれで、せいぜい「全てを考えると、どちらかと言えば妥当だ」と言う程度の結論に至ることが多い。


5、【臨床倫理の4分割表による考え方】


倫理的課題を検討するための4分割表(図1、2)を紹介します。

図1、4分割法の基本構造(症例検討シート)
ある症例に関するすべての問題点を以下の4つの枠のどれかにわりふってみる。全体がみえたところで何を優先させるかを考える。
1)医学的適応

 

2)患者の意向

 

3)QOL

 

4)周囲の状況

 



図2、4分割法の項目
1)医学的適応  Medical Indication
 “Benefit、Non-malficience”   恩恵、無害の原則
   (チェックポイント)
   1.診断と予後 
   2.治療目標の確認
   3.医学の効用とリスク 
   4.無益性(Futility)
2)患者の意向  Patient Preferences
“Autonomy”自己決定の原則
 (チェックポイント)
   1.患者の判断能力 
   2.インフォームドコンセント
 (コミュニケーションと信頼関係)
   3.治療の拒否 
   4.事前の意思表示(Living Will)
   5.代理決定(代行判断と最善利益)
3)QOL   QOL(生きることの質)
   “Well-Being”    幸福追求の原則 
   (チェックポイント)
  1.QOLの定義と評価
 (身体、心理、社会的側面から)
  2.誰がどのように決定するのか
 ・偏見の危険 ・何が患者にとって最善か
  3.QOLに影響を及ぼす因子
4)周囲の状況  Contextual Features
  “Justice-Utility”   公正と効用の原則
   (チェックポイント)
 1.家族や利害関係者
 2.守秘義務
 3.施設方針と連携
    4.経済
 5.公共利益
    6.法律、
 7.慣習
    8.宗教
    9.その他

これらは、『臨床倫理学』(参考文献1)に詳しく紹介されており、興味を持たれた方々には、是非読んでいただきたい。

 4分割表は、その名の通り、四つのパートから構成されています。すなわち1)医学的適応(medical indication)、2)患者の意向(patient preference)、3) QOL(生きることの質)、4)周りの状況(contextual features)の4つです。
 一つのケースのある問題について、1)〜4)の四つの側面から検討を加えますが、この時二つの枠に入るような問題があれば、両方に入れ、四つのどれにも入らないような問題は4)の「周囲の状況」のその他中に入れておく。そして「どの枠にも何らかの問題点やコメントを入れる」ようにする。4分割表にに記入しながら、検討を進める事がポイントである。
 倫理的な問題はある一つの面だけが強調される事がありますが、実際の症例では多くの課題が入り組みこの四つがお互い関連し合っている。関連し合っているから一つにまとめて良いかというと、それでは不適切で、あえて四つに分けて考える事で色々なことが見えてきます。(からんだ糸のもつれを解くには、少しゆるくして広げて観察するように)。
 たとえば、意見の食い違いがあった時など、その食い違いがこの4分割表のどこにウエイトを置くかで各人の主張のずれが生じていることがわかったり、誰かの誤った思い込みが判明することもしばしばである。すなわち、意見の食い違の多くが、ある人は、2)「本人の意向」を特に重視した意見を述べ、別の人はその選択肢を取ったときの3)「QOL」の変化に注目し、別の人は、介護者の負担と家族の意見=4)「周囲の状況に」に着目し、別の人は、1)「生命予後」を重視して議論をしていたら、当然意見はすれ違う。全員が、1)〜4)について、お互いの意見(各自の知識と経験、ならびに対象者の価値観に各自の価値観を含め)を交換することでかなり話がかみ合い始めると思う。
 それぞれのBoxの内容を説明する。



1)医学的適応(medical indication)
恩恵・無害性の原則“beneficience, non-malficience”が背景である。
   (チェックポイント)
a. 診断と予後
 臨床倫理と言うと、この面は軽視されているように思うかもしれないが、この「診断とQOLの変化を含めた予後の予測(判断)」は、倫理的決断の根幹となる最も重要な要素である。最終的にご本人が決断するにしても、それぞれの選択肢を取った場合の出来るだけ正しいQOLの変化を含めた予後予測がないと何も選択できない。また、たとえ生命延長の望みが途絶えたときでも、最後までこの任は医師についてまわり、出来るだけ正確な予測が求められます(必ずしも生命予後という意味ではありません、むしろ、機能予後や予測される苦痛への対処法の保証が主体)。とはいえ、実際の臨床では個々の症例の診断や予後判定をすることは難しいこともあり、最新文献や各種のガイドライン、インターネットなどからの最新情報、さらにはその道の専門家の意見を聞くなどの努力も必要であろう。すなわち、しっかりした臨床医学の知識と技術が根本なのである。

b.治療目標の確認
 どのようなことを治療の目標するかを確認しておくことも当然大切である。これが一致していないと討論にならない。また、病気の経過に合わせ治療目標の再検討も必要である。一般的な目標は、以下の様に分類される。
1.健康を増進し、病気を予防すること
2.症状、痛み、苦しみを緩和すること
3.病気を治療すること
4.予期しない死亡を防ぐこと
5.機能を改善する、あるいは安定している状態を維持すること
6.病状や予後について患者を教育し、相談にのること
7.ケアを受けている患者に害を与えないこと

c.医学の効用とリスク(medical efficacy and risks)
 検査や治療の効果と患者の苦痛、副作用などの兼ね合いを考える。当然、1)医学的適応(medical indication)に属したすべての項目は、関連し合っている。また、ここでもできる限り臨床疫学的な客観的データがほしいところである。「入院すると、生命予後は2ヶ月伸びる。しかし在宅で生活出来る期間は1ヶ月減る。」といった生活に直結するデータが医学的予後のデータ以上に患者さんにとっては必要となるのだが、そのような文献はまだまだ少ない。

 d.無益性(futility)
 前述(臨床倫理学の基本的用語の説明)



2)患者の意向( patient preferences )
 自律性尊重“autonomy”の原則を背景にしている。日本人の“autonomy”に対する姿勢は、少し前までは患者は自分の意見をはっきり言わず「おまかせ」の医療を望んでいる向きもありましたが、ここ10年間で特に急速に変貌してきたように感じている。都会と田舎などの地域差もあろうが、特に悪性腫瘍の治療面や、内視鏡的治療の進歩など治療の選択肢の幅の拡がりにより、比較的急速に日本も“autonomy”が実践されてきている。
 また、高齢者の抱えた問題は、最新医学でも決定的に治しうる状況でないのも事実で、本人たちもそれを悟り、自分の死を日々に見つめ考えている明治・大正生まれの方も多い。こういった方々は、ハッキリとした残りの人生(生き方〜死に方)について自分としての理想を持っている人も少なくない。医療者は、今後は患者の気持ちを汲み取りコミニュケートしながら協力して、本人の意志を尊重した医療を進めるように配慮しなければならないところです。また、いくら御本人が言葉として発言されなくても、「御本人の意向がない」と言うことは、あり得ないと理解すべきであろう。日本的で奥ゆかしい患者さんからも、希望を聞き出せる技術を身につけることも必要と思われる。

  (チェックポイント)
a. 患者の判断能力があるか
 これは、大変重要なことである。神経科・精神科の専門医による判定が必要な場合もある。即ち、意識障害や痴呆の場合には、本人自身では適切な判断ができないケースがありうる。その場合には、本人の発言をそのまま本人の意見として採択することは、正義に反する。また、うつ病・うつ状態の場合も判断が適正に出来ないことが十分予見できるので、(悲観的な判断をしやすいなど)判断の保留などの対応が必要である。判断能力が欠如していると判定された患者に臨床的決断(判断)が必要になった場合には、事前の意思表示(リビングウィル:後述)や、代理決定(代理の原則を参照)を尊重することになります。

b. インフォームドコンセント(IC)
 4分割法の主に、1)医学的適応+3)QOLと、2)患者の意向を情報交換を通し融合させるものである(当然、厳密には4)周囲の状況もかかわる)。1)3)だけでも22)だけでも倫理の視点からすれば不十分である。日本の倫理問題のケース検討では、ここのICに問題点が見いだされる事が多い。簡単に言えば、ICとは、1)3)の情報と2)の希望を解りやすくお互いに話し合い、1つの方向性のある結論を構築するという共同作業です。言い換えると、ICは、倫理問題が具体的にアクションとして現れるフェイズである。その際の我々に取るべき姿勢を示唆する表現として、柏木哲夫氏が提唱してるICC(Informed communication consent),ISC(Informed sharing consent)とがある。ICCは、患者の理解力に応じたコミュニケーションをとり、十分患者がわかるように説明して、患者がわからない部分を解消した上で納得すること、ISCは、情報を一方的に伝えるのではなく感情を含めて共有することを、強調した単語である。
 また現在、法律で正式には認められていない在宅でのある種の医療行為(点滴など)も、このICの手順を正しくとることで、現実的には対応せざるをえないことも事実である。
c. 事前の意思表示(living will)
 簡単には、「自分が不治の病に陥った時には、これこれの延命的治療はしないでください」等という文書を残しておく事で(実際はかなり複雑になる)、近年そのまま、「リビングウィル」として知られている。文書には残さないまでも、患者が常々、家族・周りの人・主治医に「どのような最期を望む」と話していたか、などを聞くこともPC現場ででは大切です。また長期にフォローアップしている患者には、自分の最後はどのような治療を受けたいかを日常の診療の中で聞いておくことも有用で、在宅医療への導入時などは、確認する絶好のタイミングである。

d.代理決定(substituted judgement)
 誰が患者に代って患者の希望を代弁するかは、日本では難しい事もある。これも書式で残されていることは少なく、たまたま遠くに住んでいる長男(実際の最近の事情には疎い)が決定権を持つことも比較的多い。日頃から、この長男(などのキーになる人)とコンタクトを取る努力が必要である(最近では、海外出張などで、容易に連絡が取れないことも多いが)。それができず、在宅で頑張っていた方が急変などした場合、この遠方のキーパーソンは(おそらく良心の呵責から)「最善を尽くして延命して欲しい」と述べられることもしばしばである。これは、本人の意向に添わない決断となるばかりか、在宅で頑張ってきた主介護者や医療スタッフやコメデイカルにとって、ショックな一言となる事もある。その場合、本来は前述した代理人の原則の代行判断(患者をよく知る人が、患者が過去の述べた事柄や、本来の患者の価値観に立脚して、「患者ならこう決定するだろう」とおもんばかって、代行決定する)に基づくべきであるが、一人の代理人では背負いきれないことも多い。こういった時には、主治医をリーダーに、それまでの主介護者を交えた家族会議を持つことが有効である。すなわち、主治医から、病気の経過とその決断の経過(患者と主治医と介護者間での話し合いの内容。この中には、患者の価値観が必ず入ってくる)を説明し、その患者さんにかかわった人々の意見を出来るだけ集める。主治医から、元気な時や急変前に述べられていた本人の死生観等を話しながら、特に主介護者の労をねぎらいつつ、「どうしてあげるのを、御本人は望まれていると思いますか?」と水を向けたりします。こういった話し合いがもてれば、その過程で自然に最も適切と思われる結論に導かれることが多いと実感している(キーパーソンの罪悪感を軽減する機能も持たせる配慮も必要)。
 また適切な代理決定人がいない老人などのために「成年後見人制度」が2000年4月から開始された。

e.治療拒否(treatment refusal)
 インフォームドコンセントの延長上にある1つの極論的な選択肢であるので、特別扱いは必要ないのかもしれない。当然、前提として前述の「患者に判断能力のある事」の確認が必要である。また、「本人が正しく情報を理解している」「拒否した場合の結末も正しく理解できている」(ICに含まれること)も必須である。
 それらがクリアできれば、本人の意思を尊重して、治療をしない選択も容認される。また、医師自身が、治療しない患者の管理をその後も継続診療する事に非常に強いストレスを感ずるならば、御本人の了解を得て、他の医療機関に紹介し継続した診療が受けられるように取り計らうなどの対応を講ずれば、的フォローをしてもらう様取りはからう態度が必要てす。



3)QOL
(日本語では生きることの質、生命の質、人生の質など色々な意味を含んでおり、そのままQOLという言葉を使うことが多い) “Well-Being” 幸福追求の原則による。

(チェックポイント)
a.QOLの定義と評価
 色々な評価法が提唱されているが、その評価には幸福感: Happiness、 満足感:Satisfaction、調和:Harmonyなどの3つの要素や、身体、精神、社会、スピリチュアル など様々な観点からの検討が必要になる。しかし何よりも本人の価値観により決めるのが基本である。

b. 誰がどのように決定するのか
 患者自身が患者自身の価値観に基づいて評価するのが原則である。判断力がない人では代理決定(前述)が必要となるが、この際、代理の原則を守ることが大切です。よくある誤解は、「私ならこうして欲しい。」という考えである。代理人が発言すべき意見は、「私なら---」ではなくて、「あの人だったら、こういう時には、○○○と決断するだろう。理由は、いつも、△△△と言っていた」という考え方(代行判断)なのである。決して、自分の価値観を押しつけてはならない。代理人のもう一つの原則は、「理性的な人間なら誰もが同じ様な状況に置かれた場合に選ぶと思われる生活の質と範囲」(最善の利益)についての選択である。この方法を選ぶのであれば、出来るだけ多くの人の意見を聞く方が意見の偏りを防げる。プライバシーを伏せた形でのインターネット上での各種の専門家を交えた討論なども、今後は1つの選択肢となるかもしれない。

c. QOLに影響を及ぼす因子
 当然であるが、QOL向上させる因子を取り入れ、低下させる因子を除く方向に思考を広げていく。



4)周囲の状況( contextual features)
公正と効用“justice-utility”の原則による。

  (チェックポイント)
a. 家族や利害関係者(family)
 日本では米国などに比べ医療に家族の意向が強く反映される(本人の意向より、家族の意向がより重視される傾向の強い日本の家族制度)。これが、ときとして、現在の日本の在宅の倫理問題で最も難しい側面を見せる。“autonomy”と「資産管理」、「扶養義務」のあたりを不明確にしたままの日本の家族制度と関連しているようにも思える。一方、従来の社会では、「世間の目」や「強い家族制度」がある程度コントロール機能を発揮して来たが、現在は両者が崩れていることに加え「介護の長期化」「老老介護」が加わり、悲惨な状況に成りつつある。ここで、介護保険の登場となるのですが、民間の自由競争とはいえ、対人サービスが家庭内生活に密着して入り込み、利用者と介護者や家族と各種のサービス提供者の間で、ある一定の連帯感や感情が生ずると思われる(対人サービスは機械には成り得ない)。すなわち、ここでは、ある一定の「世間の目」=「小倫理委員会的機能」が自然発生する予感をもっている。その中で、倫理問題がうまく見いだされ、評価され、解消されていくことを期待したい。

b.  守秘義務(Confidenciality)
 患者の状態についてどこまで、誰に伝えて良いのか?非常に微妙な問題である。田舎などで、狭い閉鎖した地域では、ヘルパーが近所の人という場合もあり、精神疾患や感染症についの偏見などの問題もあり、常にプライバシー保護については慎重な配慮が必要である。

c. 各関連施設の方針、研究教育など(institution)
 在宅医療〜ケアには、各種の施設サービス機関や居宅サービスの機関(業者)が協力して、いろいろなサービスを展開し、ネットワークを組む。それ以外にも、民生委員や各種ボランティア活動も関与してくる。それらの資源は、患者にとってサポーターの役割を担うのですが、各々のポリシーや利点・欠点を十分把握しておく必要がある。医学的資源のみならずも福祉資源も、QOLの改善に寄与する大きな可能性を秘めている。知らなければ、損をするのが、残念ながら現状である。またサービスの縦割りによる弊害、サービスの柔軟性や継続性の問題などもこれからますます考えなければならないところであろう。

d. 経済(costs)
 個人的な経済状況、即ち、衣・食・住が必要十分なだけ確保されているか?。経済的に困窮していないか?。自分の意志で自分の財産を管理できているか?。年金など、コンスタントな収入があるか?、月々使用出来る金額の限度は?。実子など扶養してくれる人材がいるか?。など、まさにプライバシーに関する内容である(守秘義務にも関連する情報)。また、身体障害の認定の有無や、実際に介護保険で要介護度がどの程度と判定されたか?など多岐にわたる。他方、医療保険財政や介護保険財政、地方ならびに国の財政赤字などのマクロの経済問題も総論的には避けて通れない問題である。

e. 公共利益(public interest)
 稀少資源の有効活用などの問題。例えば特別養護老人ホームの長期入所が一杯で、入所適当と判定された人が待っている間に亡くなってしまうなど。また結核や疥癬等の患者に対し、一次隔離などの処置を講ずるのは、公共利益を考えての行動です。

f. 法律(law )
 結核予防法などによる感染症の報告や、精神保健法による精神病患者の入院など、PCで知っておかねばならない法律も多くある。介護保険は、在宅医療の推進と実質的にはペアであるはずだが、在宅医療に必要な法整備が充分になされているとは言い難いのが現状である。むしろ厳密に解釈すると、在宅は医療の現場として法的に確立された場所とはまだ考えにくい。確かに、安楽死に関する判例など、押さえるべきポイントはあるが、過去の判例への過度なとらわれは、在宅医療への意気込みをつみ取る方向に作用する場合が多い。これを乗り越えても在宅医療を推進しようとする原動力となりうるのは、患者や家族の希望とその他の4分割表の各種要素を元に考えて得られた倫理的結論に他ならないと考えている。

g. しきたり(convention)
 地域の「風習」や「儀式」、「言い伝え」、「願掛け」なども、無視することが出来ないローカルな倫理環境を形づくることがある。これらが、あまりに現代の医学常識や世間の一般的考え方からかけ離れていはしないか(少なくとも患者に害を与えないか)をチェックする姿勢は必要である。

h. 宗教(religion )
 いわゆる宗教のみならず、占や民間信仰による治療を受けている人は意外に多く、それらと一般の医師が行う医療との兼ね合いと言う側面や、末期の患者の生きがいや希望としての役割の側面など、多面的な検討が必要である。

i. その他
 これまでの分類には入らないが検討すべき倫理的問題。

以上が4分割表の簡単な解説です。
表1は、原稿とは少し異なったマトメ方ですか、流して読んでいただくとイメージが沸きやすいと思います。



表1、4分割法の具体的質問事項(例)
<医学的適応>
1. 患者の医学的問題点、病歴、診断、予後はどうか?
2. 急性の問題か、慢性の問題か?重篤か?救急か?回復可能か?
3. 治療の目標は?
4. 成功の可能性は?
5. 治療に失敗したときの対応は?
6. 総じて、医学治療と看護ケアでこの患者は恩恵を受け、害を避けられるか?
<患者の意向>
1. 患者がどのような治療をしたいと述べたか?
2. 患者は利益とリスクについて情報を与えられ、理解し、同意したか?
3. 患者の精神的対応能力、法的判断能力は?判断能力が無いという根拠は?
4. 事前の意志表示があったか?
5. 判断能力がないとしたら、代理決定は誰か?適切な基準を用いているか?
6. 患者は治療に協力しようとしないのか、出来ないのか?もしそうなら、なぜか?
7. 総じて、倫理的・法的に許される限りり患者の選ぶ権利が尊重されているか?
<QOL>
1. 治療した場合と、しなかった場合の患者が元の生活に戻る可能性は?
2. 偏見を持った評価者が、患者のQOLにバイアスをかけて見ていないか?
3. 治療が続けば、患者はどのような身体的、精神的、社会的不利益を被るか?
4. 患者の現在や将来の状態は、患者が耐え難いと判断するようなものか?
5. 治療を中止する意志やその理由付けはあるか?
6. 患者を楽にする緩和的ケアの予定は?
<周囲の状況>
1. 治療の決定に影響を与える家族の問題があるか?
2. 治療の決定に影響を与える医療提供者の問題があるか?
3. 財政的、経済的な問題があるか?
4. 宗教的、文化的な問題があるか?
5. 守秘義務を破る正当性があるか?
6. 資源の不足の問題があるか?
7. 治療決定の法的な意味合いは?
8. 臨床研究や教育の問題があるか?
9. 医療提供者や施設間の利益上の葛藤があるのか?
(Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (4th ed.). McGraw-Hill, New York, 1998.p12の表の翻訳)


6、【4分割表の使用例】


 前述したいろいろな状況で、倫理問題が我々の心を悩ますことになるが、例えば、「チーム内での意見のずれ」の事例をあげて考えてみよう。


【事例】86才女性、軽い誤燕性肺炎を起こし自宅で抗生剤の点滴、補液、絶食で加療中。これで、今年3回目の肺炎。前回は、一時酸素吸入が必要で入院加療したが、生命もかなり危なかったという。

医師:誤燕を繰り返す在宅患者さんに、内視鏡的に胃瘻の増設が患者にもっとも有益であるのではないかと考えている。
訪問看護婦:IVHを皮下のポートにしてもらうと一番良いと、時にポロット言っている。
ヘルパーA:どうせ後何年も元気で居られるわけでもないし、かわいそうだから、食べられるだけ好きなものを口から食べさせてあければよいのに。と心では、思っている。でも、発言はほとんどしない・・。
家族B:このまま普通の点滴を毎日してもらう良いと感じている。
親戚C:病院に入院させて挙げればいいのにと思っている。
本人:「つらくなければ良い・・、みんなの良いようにして・・」「鼻から管を入れるのだけはごめんだけれど・・」「入院もしたくはないが、みんから行けと言われると・・。」と言っている。



以上のケースの問題点は、何だろうか?。色々な切り口があると思うが、著者達は以下のようにまとめてみた。
1)多様な意見があり、主に、それは各自の知識や体験に基づいている。
2)多くの選択肢のうち、実行できるのは1つの行動でのみである。
3)自分のイメージするモノとかけ離れたチョイスがされたときは、各自の心の中で葛藤が生ずる。
4)それは、チームの機能不全のきっかけとなったり、最悪の場合、訴訟のきっかけになるリスクを潜在性にはらむ。
5)チームの中で、コミュニケーションが成立していない。
6)このままではケアに影響し、患者さんもカンファタブルではなくなる可能性をひめている。

 したがって、こういった場合、チームで意見交換をして欲しいのだが、カンファレンス時にデーターシートに用いるのに、簡単でわかり易いのが、この4分割表である。たとえば、「胃瘻なんか造るのは、かわいそうでしょう」と言う漠然とした意見が出た時に、「では、胃瘻を造った時の問題点を4分割法を使ってみんなで少し詳しく考えてみましょう。」といって、この表に書き込みながら検討して見てほしい。(以下の情報は簡素化してある)
1)純医学的な、利点と欠点は?、その場合の予後の差は?
2)患者さんの意向は?・・正しく胃瘻のことを理解(イメージ)出来ていてのご意見ですか? 説明の仕方は十分適切でしたか? 
3)QOLは?・・胃瘻があっても食べれますか?、胃瘻があっても風呂に入れますか?、胃瘻によって何か身体的制限や精神的苦痛が加わりますか?
4)周囲の状況:胃瘻のために、ご家族や介護者の負担が増えますか?その他の負荷される不都合はあるか?
などと、みんなで考えてみてはどうだろうか?当然そのほかの、IVHの場合、末梢点滴のみの場合と、それぞれの評価をグループで(あるいは個人で)考えてみるのである。

 漠然とした「かわいそうでしょう」という個人的な倫理的コメントが、やや客観的具体的になり、他のスタッフと討論がかみ合いやすくなり、お互いどこの要素で最終的意見のずれが生じているかも明らかになる。また、どこの要素をどう変えれば、よりよい結果になるのかも浮かび上がる可能性も持っています。たとえば、1)本人が正しく医療者の説明を理解できていないために、御本人の意思決定が誤った方向に成っている可能性が検討により浮かび上がり、再度解りやすい説明をされて、本人の意向が自然に変わっていくこともあるだろう。2)胃瘻をつくっても必ずしも絶食でなくてよい(食べることができる)。お風呂にも入れる。必要がなくなったら、簡単に在宅で抜去できる。入院しなくても胃瘻をつくってくれる施設があるなどの情報が入ったら、各人のQOLの評価はどう変わるだろうか?
少し話の方向を変えます。
 少し話の方向を変える。倫理の考え方の基本は、当然、本人の意見を尊重することである。すなわち、かかわったスタッフが自分の意見を無理矢理に押しつけることは問題がある。しかし、討論の中で自分の気持ちや意見を述べることは、適切であり、むしろ促進されるべきことと理解している。これは、小倫理委員会的な一般住民の意見の一つ(場合により専門家の一人)として述べていることとも理解できるし、偏った自分の意見を他の人との間で調整し、時には自分の心の中にある良心の呵責を軽減させる作用も持つものとなる。言い換えれば、今回呈示のケースで、実際に実行できることは、誰かの意見の一つのみであるが、十分話し合った後であれば、その他の意見を思い浮かべた人も、「なるほど本人にとっては、確かにみんなで考え本人が選んだ○○と言う結論が良いのだろうな。」と比較的容易に思えると考える。
 最後に、このケースの倫理的解答は、以上の呈示データーからだけでは導かれない。さらなる情報報酬集と本人とのコミュニケーションと、それに基づいたICが必要となる。
 そのほか、介護放棄や虐待の疑われるケースに遭遇した場合も、この4分割表での評価が役立つ場合もある。評価表を介護者を攻めるために使うのではなく、その家族の状況として欠乏している要素をみつけ、補うようにすれば、解決の道が開けるかもしれない。その場合には、本人や介護者の精神的状態についての評価も、この表に書き入れる必要があるだろう。4分割表に対し「簡単に倫理問題の結果の出るシステム」といった過度の期待は避けねばならないが、ある程度倫理問題の論点を明確化させてくれるツールとしては、有効であると感じている。

図3、記入事例(提示症例の経過中の1コマ)
1、医学的適応
・誤嚥性肺炎の原因は?脳梗塞か何か基礎疾患としてあるのか?
・胃瘻造設によて、肺炎再発の危険性はかなり減少し、生命予後、栄養状態は、経管接取に比べて改善。
・しかし、その他の疾患で死亡されるリスクも年齢相当。
・胃瘻造設を病院で内視鏡下におこない、48時間観察できれば、出血や感染症などの合併症のおきるリスクは3%くらい。ただしゼロではない。(→より具体的な情報収集を試みる)
2、患者の意向
・患者の意思決定能力、判断能力は十分保たれていると、主治医、家族、スタッフとも考えている。
・患者は胃瘻造設について、その効果とリスクを十分に理解しイメージできているか?
(→最確認。必要なら患者説明用のビデオなどを用いて説明するのも効果的か)
・楽しみはテレビと食事、何も食べられなくなるのはつらい。
・家族が勧めるなら処置を受けてもいいと思う。
・長い入院はしたくない。
3、QOL
・患者の現在の楽しみは、テレビと食事と入浴らしい。
・食事をとらないことが、誤嚥性肺炎の予防には最も安全であるが、ヨーグルトやプリンなどは、現時点でもむせずに食べており、本人の嗜好にもあっている。
・少々のリスクはあるが、栄養の主体は胃瘻から注入し、嗜好に合わせて、少量の経口接種を継続することは可能。
・胃瘻を入れても入浴は差しつかえなくできる。
・デイケアの時に、胃瘻から栄養を注入している姿を他の利用者に見られることを本人はどう思うだろうか?(→要確認)
4、周囲の状況
・介護は主に同居している長男の嫁がやっている。ただこの方も62才で高血圧と糖尿病で定期的に受診していて、手間と時間のかかる食事介助に、やや疲れと不安(自分の介助中に誤嚥をさせたらという心配)を表している。
・胃瘻の造設により、食事介護にかかわる家族の負担や不安は軽減される。
・家族掃胃瘻の長所欠点を十分把握しているのか?(→要確認)
・本人希望の短期の入院で胃瘻を作ってくれる病院は近くにあるのか?(→要確認)
・入院費などの患者負担はどれくらいになるか?それを患者家族は払えるか?
・在宅支援のスタッフの中での理解とコンセンサスは得られているのか?
・現在受けている介護サービスは胃瘻を増設しても恵続けることは可能か?(デイサービスに要確認)



7、【臨床倫理を行う前提として必要な姿勢と技術】


臨床倫理の4分割表は、確かに便利で有用ですが、その前に医療者として必要な項目が以下のような3点が挙げられると感じています。

1) 正義の姿勢、忠誠の姿勢(正しい情報と知識追求の姿勢、人間愛、患者中心の姿勢)
2) 共感的インタビュー技術
3)精神・心理学的知識

1),2)はご理解いただけると思うが、患者さんの心理の理解に、3)(高度なものでなくとも)もある程度は備えておく必要があると感じている。



8、【ケアカンファレンスと臨床倫理】


 4分割表をいつ誰が使うか?と言う問題は、当然いつでも、誰でも使うことができるのであるが、介護保険で構築されたシステムの中では、ケアカンファレンスが最も最適と思われる。ケアカンファレンスで扱われる問題は、単に各サービスの時間的調整にとどまらず、ケアカンファレンスが、利用者本意に正しく機能しようとすればするほど、倫理的問題に直面すると確信している。むしろ、「包括的な倫理スケール」の上に立って全てのケアカンフアレンス(ケアプランなど)は進行すべきといった方が適当かもしれない。そう考えると、われわれは意識の有無にかかわらず、すでに、倫理的決断に日夜迫られ、これに対応しているともいえる。しかし、漠然と考えていると、在宅における各種医療的要素を含めた決断を、「余命」「QOL」「コスト」「本人の満足感」「家族の希望」等々の尺度のどれか一つを主なパラメーターにして評価し結論する傾向がどうしても出てくる。特にこれは、一人〜少人数で閉鎖的、盲目的に判断している時に陥り易い誤りである。この傾向を排除して全てを包括的に正義と忠義にて照らしてとらえる概念を臨床倫理とよぶことができ、それを実現するツールが4分割表と考えてもいいのかもしれない。


【おわりに】
 臨床倫理の問題は、まず問題を自覚することが第一歩である。スタッフが、「仕事をしていて、なんとなく心の中がモヤモヤしてきた」、「ホントにこれが患者さんにとって一番良い事なのかしら?」と思ったときは、倫理問題感知のアラームである。こんな時には「どうせ考えても簡単な解決法はない」とか、「第一そんな時間はない」と目を背ける前に、患者・家族、他の医療介護スタッフと一緒に4分割法を使ってその問題を考えてみてもらいたい。完全な正解は見つけられなくても、何か一つでも臨床倫理的に考えることで、患者さんのケアの向上に貢献できたと言う喜びは、次からもまた考えてみようと言うモチベーションになるであろう。また、何よりもそのように患者と一緒に考え悩んでくれる医療者やコメディカルを、本当は患者も望んでいるのではないだろうか。


参考文献
1)Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (4th ed.). McGraw-Hill, New York, 1998.
(日本語翻訳版が赤林朗、大井玄監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社、1997。この拙論でも採用した臨床倫理の4分割表の詳しい解説テキストである)
2)加藤尚武、加茂直樹編「生命倫理学を学ぶ人のために」世界思想社、1998
(日本の生命倫理関係の方がまとめられたもので、生命倫理全体の主要なテーマとその論点を知るのに便利である)
3)Journal of clinical ethics:University Publishing Group
(臨床倫理を取り扱った年4回発行の雑誌、毎回特集テーマが組まれている)
4)、http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html「臨床倫理の討論のページ」、これまで白浜が佐賀医大の学生との討論を中心に国内外の方と行った臨床倫理の事例検討などをホームページにまとめて掲載したもの、関係する論文も読める。何か相談のある方はそのページからメールを送って下さい。


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