臨床倫理の検討の実際(日本内科学会雑誌96巻2号、377-380、2007)

高齢腎不全患者の透析拒否の対応

                 佐賀市立国民健康保険三瀬診療所 白浜雅司

はじめに

 筆者はこれまでいくつかの病院,大学などで臨床倫理が問題になる事例検討(病気に焦点を当てる症例検討に対して,臨床倫理では患者の背景などを重視する立場から事例検討という言葉を使います)を続けてきました.臨床倫理Clinical Ethicsの訳語で,言葉が硬くて寄り付きがたいという意見も多く,もう少しいい日本語があればと思うのですが,今のところ臨床倫理を,「日常臨床において,患者や日常診療の場において,医療を受ける患者,患者の関係者,医療者間の立場や考えの違いから生じる様々な問題に気付き,分析して,それぞれの価値観を尊重しながら,関係する者が納得できる最善の解決策を模索していくこと.」というような定義で使っています.臨床の現場でしばしば問題になる,医学的判断だけでは解決が難しい事例の対応法としての臨床倫理の検討の実際を、具体的にひとつの事例を通して紹介させていただきたいと思います事例検討の道具として用いているのがJonsenらの作った4分割法で,事例を「医学的適応患者の意向QOL周囲の状況の4つの側面から考えてみようとするものです(図1).なお4分割法の詳しい解説については,参考文献にあげた臨床倫理の討論のページをご覧ください.

図1 臨床倫理の4分割法(Jonsen1)の表をもとに白浜が改変)

医学的適応(恩恵無害)

1.診断と予後

2.治療目標の確認

3.医学の効用とリスク

4.無益性(Futility

5.医療事故

患者の選好(Autonomy

1.患者の判断能力

2.インフォームドコンセント

3.治療拒否

4.事前の意思表示

5.代理決定(代行判断,最善利益)

QOL(人生の充実度)

1.定義と評価

(心理,社会,身体,魂)

偏見の可能性

誰がどのように決定するか

2.影響を与える因子

周囲の状況(誠実と公正)

1.家族や利害関係者

2.守秘義務 3.経済

4.施設方針 5.教育

6.法律,宗教

7.その他

<事例>(ある事例をもとに患者のプライバシーに配慮して一部改変して提示します)

75歳女性.慢性腎不全,高血圧,腎性貧血にて診療所外来通院中の患者.3年前Cr 3.0mg/dlになったときに総合病院の腎臓科に紹介して腎硬化症の診断を受け,将来腎機能が低下して透析が必要になるかもしれないという説明も受けたが,その時は食事療法の指導だけで退院になった.その後も2年ほどCr 3.0mg/dl前後を推移して症状は安定していたところが今年になってCr4.0mg/dlから5.0mg/dl3間に急上昇し,BUN5080mg/dlを推移するようになった.心不全,高カリウム血症を合併することは現在のところはないが.徐々に足のむくみが増悪,全身倦怠感,食欲不振強い.それまでの10.0g/dlあったHbが3か月で7.0g/dl低下した.腎性貧血が疑われ,エリスロポエチンの注射で9.0g/dlまでは改善しているが,本人の全身倦怠は改善していない.腎不全の悪化による倦怠感であることは明らかで,同居している本人,ご主人および実家から30分ほどのところに住む娘さんに集まってもらい,早急に透析が必要であることについて説明した.しかし,本人は「そこまでして長生きしたくない,夫(慢性肝炎治療中で疲れやすい)にも迷惑かけるので,透析はやりたくない.」とのことである夫と娘さんは「本人の意見を尊重したいという理由が一番大きいが,娘さんは家で脳卒中後の義母を介護していて,週3回透析に送迎することは難しい状況である.透析をやってくれる総合病院までは片道30分かかるが,今のところ新規の維持透析も受け入れ可能ということであった

<主治医の悩み>
 全身倦怠は,透析をすればそれなりに改善できることが期待できるので,やって欲しいのだが本人の意思を無視して対応することはできないし,どうしたらいいのだろうか.

この主治医は,この事例を,病院医師,看護師やソーシャルワーカーなどが集まって一緒に事例の対応を考える臨床倫理検討会で考えてもらうことにした.

(2)この事例の問題点

事例検討の中で出された問題点や疑問点(一部主治医の回答),こうしたらいいのではという対応策4分割表にそってまとめてみると以下のようになった.(  )内は発言者の職種.

<医学的適応>
1.「厚生労働省慢性腎機能障害透析導入基準のうち,体液貯留,食欲不振,貧血の3症状30点,Cr 5.0mg/dl20点,家庭内労働の困難10点,高齢65歳以上10,以上合計で70点はあり,間違いなく透析の適応症例あり,少なくともHirshらのあげている「透析を導入しないという状況」(表1)ではないですね2).(医師)
2.最近急に悪くなったのは,何か無理をしたのではないですか.通常の日常の生活ではどんなことをされているの.(医師)→確かに稲刈りの手伝いをされていたようです.(主治医)
3.血液透析導入がいやなら,CAPDcontinuous ambulatory peritoneal dialysis,持続的携帯型腹膜透析)を勧めるのはどうだろうか.まだまだ日本では普及がいまひとつだが,PD (peritoneal dialysis) first and lastという言葉があるように,導入に負担が少ないし,まだ元気な方ならかなり最後まで在宅での対応が可能だと思う3)(医師).
4.悪くなって本人の自覚症状が強くなってからという意見もあるが,透析を導入するならあまり悪くなる前の方が導入のトラブルも少ないと思う.(医師)
5.調子が悪いのなら,一度入院してもらったらどうだろう.そこで安静食事療法をしっかりするだけでも状態が改善して,もう少し気持ちも前向きに変わるじゃないかな.(医師)
6.患者の食事療法についてはもう一度栄養士が本人の食生活を聞いて,継続できる食生活のアドバイスをしたらどうでしょう.(栄養士)

<患者の選好>
1.患者さんにはどのように病状や透析について説明したの?(医師)→「腎臓の働きが悪くなったために,血液の中にたまった毒や老廃物がうまくおしっこに出せなくなって,むくんだり,体がだるかったり,食欲がなくなったりしています.このようなことについては,やはり透析で体の外に出してやる作業が必要になります.具体的には,大体1日ごとに,週3回5時間くらい点滴するような形で血液の中の悪いものを抜いて,透析器のフィルターできれいにしてもう一度点滴で戻すというやり方をします.」というようなことを話しました.(主治医)→もう一度透析の先生にそのメリット,デメリットを話してもらって,できれば透析の実際を見てもらって,透析を受けている患者さんに話を聞いてもらったらどうだろう.(医師)
2.患者さんの「そこまでして長生きしたくない」という言葉の意味の裏にあるのはどのような思いなのでしょう.なぜ透析をしたくないのか,もう一度その理由をじっくり聞いてみたらどうでしょうか.(看護師)→この意味については,以前総合病院に入院した時,隣の糖尿病の患者さんのシャントが何度もつぶれて,また糖尿病性の壊疽によると思われる下肢切断をされるということを目の当たりにして,透析というものにかなりネガティブなイメージをもたれているように思いました.(主治医)
3.「そこまでして長生きしたくない」という言葉から,自分の人生の価値を低くみられているような感じを受ける.QOLと関係することかもしれないが,この方の楽しみ,人生の満足度みたいなものを聞いて,その楽しみのために透析するというようなアプローチができないだろうか.(医師)
4.少なくとも今はしっかり意識もあって自分で透析を拒否されているが,今後腎不全の進行で意識が低下した時に,自分が将来腎不全で透析が必要であった場合にどう対応したいか,事前指示書を作っておいてもらったらどうだろうか.(医師)

QOL>
1.患者にとって透析するというのは定期的に点滴につながれた状態を指し,そのことが患者のQOLを下げるように思われているのではないか.一方透析してだるさ,食欲不振が少し改善されるだけでも患者のQOLは改善されるのではないか4).(医師)
2.患者にとって今何が一番の楽しみなのか知りたい.そのことを実現するために透析は役立つと思うのですが.(看護師)→家で花を作るのが一番の楽しみだそうです.あと2人の高校生の孫娘が来て話をするのを楽しみにされているようです.(主治医)

<周囲の状況>
1.身近な家族はご主人と娘さんだけですか?(看護師)→遠くに息子さんがおられ,近くには本人,ご主人の兄弟の方が何人かおられるようです.(主治医)
2.透析をしたくないというのは,ひょっとしたら,医療費の自己負担を心配されているのかもしれません.だとしらたら透析患者さんは更正医療という福祉制度で,外来通院なら1月1万円〜2万円程度の自己負担だけでいいということはご存知なのでしょうか5).(ソーシャルワーカー)←私も知りませんでした.教えてください.(主治医)
3.どうしても送迎が問題なら,最近,患者団体の人がいくつかの病院と協力して透析送迎を行う有償ボランティアの活動があるようです.また民間で介護支援会社がタクシー料金よりは安く送迎サービスを提供しているところもあるようですので調べてみます.(ソーシャルワーカー)

(3)具体的な対応と経過
 上記のような多くの意見を聞いた上で,もう一度患者になぜ透析をしたくないのかを伺ったところ,自分は運転ができないので,他の人(特に肝臓が弱ってきた夫)に負担がかかるのがつらいと言われた.夫はできるだけ自分が運転して連れて行ってあげたいと言われ,娘さんも週1回なら何とか応援しますということになった.また遠くにいる息子さんからお母さんの状況についての問い合わせの電話があり,病状を説明したところ,息子さんから,一日でも長生きしてという電話が本人にあり,また送迎のタクシー代にしてという送金もあったらしい.以上のことからご本人は透析することに同意し,幸い大きなトラブルなく透析導入がなされ透析を続けられている.最愛のご主人はその後肝臓がんで亡くなられたが,その看取りも十分された.亡くなられた後の透析の送迎は近くの親戚の方が交代でされているらしい.先日お会いした時には,孫の結婚式にも出られたと嬉しそうに話された.

(4)おわりに
 この事例にあげたように,医師が治療方針を医学的な視点から一人で決めるのではなく,複数の医師,できれば医療チーム全体で治療方針を検討する.その上で,患者と家族によく病状や治療のメリット,デメリットを説明して理解してもらい,最終的には,患者さんが納得されて治療を選択(もちろん治療しないことも選択肢に含まれる)することがますます重要になってくると思います.忙しい診療の中でそこまでできるかという意見はありますが,仰々しい倫理委員会というのではなく,ちょっと身近な医療スタッフと相談することから始められたらどうでしょう.自分ひとりでは見えてこなかった事例の問題点や対応法が見えてくることがあり,また相談してみようと思われるはずです.

 今回の事例検討には、これまでやった様々な事例検討でいただいた意見が反映されています。検討に加わっていただいた多くの医療スタッフ,学生の方に感謝します.

表1「透析を導入しないという状況」                       

1) 腎不全を原因としない認知症
2)
転移性癌あるいは切除不能の固形癌が存在
3)
治療に反応しない造血器悪性腫瘍
4)
非可逆性の肝障害,心障害,呼吸障害で臥床を強いられ日常生活に介助者を必要とす
5)
非可逆性の神経障害のために身体活動ができない高度の脳卒中,無酸素性脳症
6)
生存が期待できないMOF
7)
透析操作を行うために鎮静操作または抑制操作を必要とする
注目してほしいのはこの条件に年齢は含まれていない.

(Hirsh et al: Ethical and moral issues in nephrology. Experience with not offering dialysis to patients with a poor prognosis. AmJ Kidney Dis 23:436-466, 1994より)

文献

1)Albert R. Jonsen, Mark Siegler, William J. Winslade著 赤林朗他監訳「臨床倫理学第5版 臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社,2006.
) 川口良人,久保仁,中山昌明,細谷龍男:慢性腎不全における透析導入.日本内科学雑誌69(7)55-602000
) 小山雄太,佐藤顕,今井裕一:高齢者の透析導入について.治療84(5)71-752002
) 早野恵子:透析患者のQOLと臨床倫理的なアプローチの仕方.治療84(5)45-492002
) 井上則子,坂井瑠実:透析療法における医療制度・社会保障制度への手続きの実際と活用.治療84(5)51-552002) 臨床倫理の討論のページ http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html
(4分割法のやり方だけでなく,これまで行った事例討論の内容も読める.今回の事例と検討は2001年症例2「高齢者の慢性腎不全の透析導入について」をもとにしている.)