インターナショナルナーシングレビュー2001年増刊号78-85

「日本における臨床倫理の適応」

三瀬村国民健康保険診療所所長/佐賀医科大学臨床教授 
白浜雅司



本稿では、clinical Ethics(=臨床倫理)という、アメリカから発生した考え方の内容や定義について概説し、これを、日本の臨床現場に持ち込む際にどのような点に留意すべきかについて考察する。


はじめに
 最近、わが国でもclinical ethicsの日本語訳としての臨床倫理の考え方を用いた倫理的課題への対応が、診療や教育の場で用いられはじめている1)。その内容や定義については、まだ十分にコンセンサスが確立しておらず、文化的背景の違う米国の臨床倫理の考え方をそのままわが国の医療現場に取り入れることの難しさもある。ただ間違いなく言えることは、わが国でも、患者およびその家族と治療に関わる人々が、日常診療の場で多くの倫理的問題点を感じており、その対応に苦慮していると言うことである。これまでそのような倫理的な問題点は、医療者の倫理観で解決してきたという意見もあるだろう。しかし、約8年前に、初めて米国の臨床倫理の手法に触れ、個人の倫理観だけに頼らず、その倫理的問題を含む事例に関与する多くの関係する立場の人の討論により倫理的問題に対応していくという手法が、わが国の臨床現場でも必要なことを痛感した。それ以来、自分自身の診療、医学生や研修医、医療従事者への教育、一般の臨床現場での症例検討の相談などを通して臨床倫理の考え方の普及と実践に関わってきた。その経験をもとに、この項では臨床倫理とは何か、何を目的としたものであるのか、またこれをわが国の臨床現場に持ち込む際に留意すべきことについて述べてみたい。


1)臨床倫理とは何か
 まず、「臨床倫理」という言葉はClinical Ethicsの日本語訳である。この特集の中では「臨床倫理学」という言葉を用いられる方もおられると思うが、自分がこのような分野の教育に当たっている経験から言うと、「臨床倫理学」という訳にすると、倫理という堅苦しく敬遠されがちな言葉に、難しい学問という意味の学までついて、非常にとっつきにくい感じを受けるという意見が多いので、もっぱら「臨床倫理」という言葉を使うようにしてきたので、この論文でも「臨床倫理」という言葉を使わせていただく。本質的に意味することはかわらないと思う。
 臨床倫理をテーマにした雑誌、Journal of Clinical Ethicsの創刊号で、編集者の一人であるM.Sieglerは臨床倫理の目標を「日常診療において生じる倫理的課題を認識し、分析し、解決しようとする試みることにより、患者のケアを向上させること」2)と定義した。また、わが国では、藤沼が「臨床の現場では、医学的・科学的判断だけでなく、倫理的問題を同定し解決することを求められる。ある特定の患者の具体的な臨床場面で、より良い倫理的意思決定を模索するのが臨床倫理clinical Ethicsである。」3)という定義をしている。
 読者は臨床倫理に似たような言葉として、生命倫理Bioethics、医療倫理(医の倫理)Medical Ethics、ケアの倫理Care Ethicsというような概念と臨床倫理Clinical Ethicsの概念がどう関係するのかという意見をお持ちかも知れない。筆者は以下のような図で理解してもらうとわかりやすいのではないかと考えている。つまり一番大きな概念として、生命を取り巻く倫理としての生命倫理があり、その中で主として医療に関係する医療倫理Medical Ethicsがあり、その中に最近非常に話題になっている、遺伝子治療、脳死臓器移植、治験といったまだ実験的な先端医療の倫理がある。しかし臨床倫理は第一義的には、そのような先端医療(筆者は医療全体からいいうと、この部分は必ずしも根本部分ではなく、どちらかというと末端的な医療だと考えるが、なぜかこの部分の倫理的な問題の議論が取り上げられることが多い盛んである)を除いたもっと日常的な医療の中における倫理と、看護や介護の現場の倫理(ケア倫理)とを合わせた部分をカバーすると考えている。昨年施行された介護保険の影響もあり、ますます医療と福祉の協力が必要になっているし、特にどんどん増大する高齢者の医療は、単純にキュアだけを求めることは不可能で、福祉や介護のケアの部分と切り離して考えることはできないからである。あと生命倫理から以上のような医療倫理、臨床倫理をとった残りに自然破壊問題などの環境倫理の問題が残る。医療廃棄物の問題など、医療行為は環境とも無縁ではいられないし。遺伝子問題などは後世の人類や自然界に影響を与えないとは誰も言いきれないだろう。
 そしてこのような背景から、私は臨床倫理を「クライエントと医療関係者が、日常的な個々の診療において発生する倫理的な問題点について、お互いの価値観を尊重しながら、最善の対応を模索していくこと。」と定義した。この中で患者でなく、クライエントとしたのは、必ずしも患者だけでなく、その家族も、また健康な人も検診などで医療に関係するからである。医療関係者も、介護スタッフなど医師看護婦以外の様々な職種の人が関わってくることが多くなった。このような様々な立場の様々な価値観を持っている人全員が100%納得するような対応策が見つけられることはないだろう。また医学は不確実性の学問であり、予測できない事態が起きることもある。しかし、関係するものが自分の考えを出し合った上での対応であれば、たとえ期待と違った結果になっても、患者本人、家族、そしてそのケアに当たる医療スタッフに、不満もあるが、できるだけのことはやったねという気持ちを残すのではなかろうか。そしてそれが、患者や家族の立ち直りを支えるだろうし、医療スタッフ自身のサポートになり、次の患者へ良いケアを提供することにつながるだろう。筆者は臨床倫理が、患者のケアの向上を目指すとともに家族や医療者もケアするものであると考えている。



臨床倫理の特徴


もう少し臨床倫理の具体的に把握していただくため、臨床倫理の特徴を何人かの方々の著作等から引用する。

1)アメリカのミシガン州立大学生命倫理研究所所長兼家庭医療学科教授H.Brodyは来日時の「日常診療における臨床倫理」という講演において、
1、 良く起きる問題の種類が違う。(遺伝子治療などまだ評価の定まっていない先端医療の判断をすることはない。)
2、 患者の特徴が違う。(より軽症で自分で判断できる人が多い。)
3、 医師患者関係の違い。(医師・患者関係が継続的で「知っている者同士の間の倫理」である。)
4、 家族や、他の医療スタッフの影響を受ける。(患者に関わる多くの人の意見が聞こえてきやすい。)
5、 文化や地域の影響を受けやすい。(医療施設内だけでなく在宅など患者の生活の場での問題も大切になる)
という特徴をあげ、日常診療における臨床倫理の必要性を説いた。

2)名古屋大学総合診療部の伴は、臨床倫理を医師の総合的判断能力の重要な一つの要素とした上で、プライマリ・ケアと臨床倫理の共通点として、
1、 多くの同様な疾患を有する患者の一人としてではなく、それぞれの固有な存在として尊重し、対応を心がける。
2、 良好なコミュニケーションが必須である。
3、 医師からの一方的な“指示”ではなく、話し合いと教育を重視する。
4、 「病気を治すことが究極の目的ではなく、良い人生を送れることが大事なのである」という価値観。 ということをあげている。4)

3)さらに、京都大学大学院の赤林は、文献調査をもとに、臨床倫理の特徴として以下の6点を指摘している。5)
1、 臨床現場での実状を出発点にする極めて実学的要素と、学際性を持つ。
2、 個々の医療者・患者関係に注目、個々の患者ケアにおいて質の向上を目指す。
3、 臨床現場で個々の症例の意思決定に重きをおく。政策決定、マクロの資源配分などは射程外。
4、 医療者・患者関係や医療従事者側の心理的社会的要素、症例に付随する状況的要素にも配慮する。
5、 教育は臨床場面で症例中心に、研究は理論的、経験的なものを学際的に行う。
6、 広い意味で患者の視点を取り入れた、医療を供給する側の、現場における意思決定の際の考え方。
ただし、最後の6については、筆者は、少し違って、医療を供給する側だけでなく、受ける患者側の意思決定にも用いられうると考えている。



臨床倫理の考え方


では、日常臨床でおきる様々な倫理的な問題に具体的にどう対応したらよいのだろうか。筆者は認識、情報収集、分析、対応、評価をくり返すことを提唱しているが6)(表1)、この中の分析については、Jonsenら7)(表2)の4分割法をもとにしたチェックリストを用いている。この分析方法自体は、一つの症例を片寄りなく、おおまかに多くの視点から見るという意味において、日本でも十分使えるという感想を持っている。


日本の医療現場に持ち込む意味と問題点、留意点


しかしながら、上記のJonsenらの4分割法について、分析していると、実際に日本で検討する時に少し留意しなければならないことがあることも事実である。筆者が特に気になっている事項、あるいはセミナーなどで参加者の感想としていただく事項と、その問題点への筆者が考えている対応策について<1>医療スタッフの問題、<2>患者・家族の問題、<3>社会の問題という3つの側面から提示してみたい。


1、医療スタッフ側の問題

1) 時間がない、スタッフが不足して、目の前の処置をするので精一杯で、臨床倫理的な考察まで手が回らない
各種の外国との比較研究でも、日本の患者一人当りの医療スタッフ数は、明らかに少ない。そのため日常的に一人一人の患者に接する時間が短くて、ゆっくり説明して患者の思いを聞いている余裕がないというのも事実であろう。もっといえば、自分自身や自分の家族が病気になっても十分に休めないというのが現状であるかもしれない。そして自分のQOLが満足されていないと、他人のQOLまで余裕をもって配慮できないというのも事実であろう。ではどうするか。倫理的な問題には目をつむるのか。もちろん一度にすべての患者の倫理的な問題に対応することはできないかもしれない。でも目の前の受け持ち患者の気になる臨床倫理的な問題を考えていただけないだろうか。そして、しっくりいかないケースの問題点がどこにあるのか、上記の臨床倫理の4分割法などを使って、患者や家族と話し合いながら、またできれば医療チームの中で違う立場の意見を求めて、多角的に埋めていただきたい。そのことで、患者の問題がひとつでも軽くなれば、それは医療スタッフ自身にとっても大きなはげみになるのではないかと思う。そしてそのようなことを考える仲間を少しずつ増やしていってほしい。私は倫理的な問題に感受性の強い、臨床倫理の普及の鍵になる貴重な医療スタッフが一人でがんばり過ぎて、バーンアウトしてしまうことを一番恐れる。患者に期待させたところで辞めてしまうのは、最初からやらなかった以上に患者を傷つけることになる。また、あまり一症例の問題の完璧な解決を求めてしまうと、実は他の患者や他のスタッフとの関係に悪影響を与えてことがあることも気をつけてほしい.。あとこのような状態の改革には、自分達医療スタッフだけではなく患者・家族を巻き込んだ国民的な運動がすすまないかと願っている。アメリカの研修病院で研修医のミスによって子供を亡くした父親が、その研修医でなくその研修医に過酷な勤務をさせたシステム自体を訴え、全米の研修医の待遇が改善されたと言うのは有名な話である。

2)定期的にきちんと考える場がない
倫理カンファレンスを開くのが難しいということも時々聞く問題である。そういう場合、ぜひ日常の症例検討カンファレンスで、問題のある症例について4分割法で考えてほしい。看護のカンファレンスでは結構倫理的な問題が出されているのではなかろうか。医師の間のカンファレンスでも、医学的適応以外の患者の意向や家族の意向、QOLなどの問題などもだして、医学的な判断以外のこの患者に対する医療の目標を見い出すようなことが始められているところもあるらしい。このような日常のカンファレンスで臨床倫理的な問題が討議されることの方が、日本における臨床倫理的な問題の解決に大きな意味があると思う。

3) 難しい。よくわからない
倫理ということ言葉だけでも難しい。さらに自己決定とか患者の人権を守るなどといわれるとどこか近寄りがたいという感覚を持つ人も多いだろう。残念ながら、自分を含めこのような概念を理解して、日常的に使えるように身についている人は非情に少ないのではなかろうか。4分割のチェックリストを埋めることが難しいという意見も多い。ただ4分割はあくまで、自分の限られた視点だけでなく、広い視野から見るための道具であり、4つの視点に何かを埋めてもらえばよいし、どの枠かを迷う必要もないと思う。それよりは、何かこの患者としっくりいかないが、何が問題なのだろうと疑うことにより多くのエネルギーを使ってほしい。

4) 臨床倫理の専門家がいない。倫理委員会がない
 このことも、これからの課題であろう。臨床における倫理的な問題のコンサルタントを日常的な業務として行っている臨床倫理学者Clinical Ethicistはまだ日本にはおられないのではないか。また治験や臓器移植など特殊な治療についての施設内倫理委員会Institutional Regional Committeeは多くても、個々の延命処置などの是非などを、緊急に討議できるような倫理委員会Ethics Committeeを持っている施設は大きな病院でも少ないし、小さな病院では、もっと少ないだろう。でもそういう倫理委員会を作ることが究極の目標ではなく、実質的にすべての医療者がこのような倫理的な問題を、患者や家族と一緒になって考えることから始まっていくのではないだろうか。幸い今回の執筆に関与された赤林朗先生をはじめとする生命倫理の専門の公衆衛生大学院が日本ではじめて京都大学に設置されて、色々な職種の方が参加して学問的な研究や専門家の養成が始まったことをうかがっている。また、筆者が個人的に行っている臨床倫理の討論のHP14)などインターネットを利用した倫理的な問題の相談も増えてきた。これから臨床倫理を考える仲間は確実に増えていくだろうと期待している。

5) 日本での治療のスタンダードがない。その施設での治療データが公表されないなど医療情報公開の不十分さ
 最近、Evidenced Based Medicine(以下EBM)の概念が日本の臨床現場に急速に普及しつつあるが、まだまだ日本でのデータが十分でない。また本当に知りたい副作用情報が、現場の医療者に入りにくいことがあったが、最近は少しオーバーなくらいにちょっと疑わしければ副作用情報として流されてくる。今後は、外国のデータだけでなく、日本の個々の医療機関や学会単位でのデータを公表することが始まっていくだろう。最近胃癌学会が編集した「胃癌治療ガイドライン医師用2001年3月版」8)という本が出版された。さらにこれらの内容をわかりやすく患者に提示できるような本やパンフレット類の充実も必要であろう。また、インターネットは知りたい特殊な情報がどこからでも取り出せるという意味で、内容の正確さをどのように判断するかという受け手の認識力の問題は残るが、患者にとって有用なものになりつつある。ただし、患者が過った情報をそのまま鵜呑みにしないためにも、そういう情報をもとに再度医療スタッフと討議できることが望ましい。

6) 医療スタッフの中での力関係、医師が臨床倫理的な問題点を考慮しない
 看護婦さんの中から、自分達は意識的に臨床倫理的な問題を取り上げようとするのだが、医師や管理者が聞いてくれない限り変わらないという意見も時々耳にする問題点である。確かに最終的な治療方針を決定するのは医師である。しかし、その治療方針を決定するにあたって、重要な患者や家族の意見や背景をより知っていて、患者・家族の代弁者となってあげられるのは、看護婦である。医師と看護婦が一緒にやれるカンファレンスなどがあると理想だろうが、それができなくても口頭でまたカルテの中で医師に看護職としての意見を述べたり、患者・家族の思いを代弁してほしい。もちろん医師がもっと患者の思いを上手に聞き出す能力を身につける必要がある。詳しくは次の(7)で述べる。
残念ながら日本の医療の現状では、やはり一番弱いのが患者で、一番強いのが医師で、その中間に看護婦が位置していて、看護婦が医師の方ばかりみていては、患者は言いたいこともいえないだろう。

7)コミュニケーション能力と社会性の欠如
 最近文部科学省から、各医学部に対し、医学知識の詰め込みではなく、患者中心の医療を目的とした臨床重視の教育カリキュラムを組むような提言がなされ9)、今後医学部での卒前、卒後の教育での臨床倫理の教育や、コミュニケーションの教育が本格的にがはじまると思われる。
最近、若い医師が、患者の気持ちや状況への配慮もなく安易に癌の告知が行われていることが問題になっている。これは癌告知をしないより以上に患者を傷つけることになる。日本における臨床倫理の問題の半分はコミュニケーション不足によるといっても過言ではない。そして、どのように患者の知りたいことを聞き出し、話を引き出すかがもうひとつ本当の意味で患者の思いに共感できるか、看護職やソーシャルワーカーなど他の職種との連係も必要であろう。

8) 地域の視点、かかりつけ医の活用
 筆者は、地域の地域の診療所で働くようになって、大学病院で働いていた時に比べて、格段にインフォームドコンセントがやりやすくなったことを感じている。それはそれまでの診療や日常生活の中で、患者・家族と知り合っていて、その性格や人生観を知った上で話ができるからではないかと感じている10)。
一方、重病になってからいく大病院の中では、なかなかその人のふだんの人生観などを聞き出すことは難しい。だから、永年のかかりつけ医がある患者に対する説明などはそういうかかりつけ医(プライマリケア医)を利用することも大切になってくるのではなかろうか。



2、患者、家族側の問題

1)自己決定(自己責任)の概念は日本の生活の中でいっぱんかしているか
 アメリカ流の臨床倫理の決定の中で、いちばん基本であり尊重されているのは自己決定の考え方であるが、はたしてこの概念が日本の日常生活の中でどれくらい浸透しているのだろうか。自己決定というのは、個の確立が条件になり、自分で選び取って、その選び取った理由を説明でき、自分で選んだことについてはその結果にも責任を持つという考え方である。ただ実際には個性の尊重といいいながらどれくらい日本の教育の中で、自分の個性が出せるような場面があるだろうか。もっと前に子育ての段階で、どれくらい自分らしい生き方を選ぶ親がいるだろうか。できるだけ他人と同じように、目立たないようにというやり方を選ぶことが多いのではいないだろうか。
 ターミナルケアで有名な柏木哲夫氏は著書の中11)で、ホームパーティにおけるアメリカと日本の母親の違いを指摘していた。アメリカの親が、子どもに何を食べるのといちいち聞いて答えたものをとってやるのに対して、日本の親は適当にみつくろってあげるのである。そのような時期から自分で何をするのか決めることに慣れている文化と、なんとなく家族が進めたレールの上を歩んできた人間の違いである。
 もちろん時代の変化とともにアメリカ流の自分で決めて自分で責任を持つという生き方を望む人はそうすればいい、ただ実際は高齢者などで自分が決められない人も多いのである。それを自己決定が大事ですからと責め立てていいものだろうか。昨年4月からはじまった介護保険において、なかなか自分の望みが言い出せずに、家族の都合や、ケアマネージャーの所属する事業所の都合でケアプランが立てられるということがないと言えるだろうか。

2) 患者が強く自分の意見を主張しない
 次に、自己決定はできてもそれを強く言わない人も多い。またわからなくてもあえて質問することはされない。それは先生が忙しそうだからとか、先生の心証を害した何をされるかわからないという感じがあるたしい。医師にはものを言いにくい雰囲気があるのだろうか。私は小さな村でただ一人の医師をやっているので、私への不信を含めた意見が耳に入るのはありがたいと思っている。自分の診療の反省ができるからである。さらに進んで「先生は様子を見ていて大丈夫と言われるが、一度大学病院に紹介してほしい」というようなセカンドオピニオンの希望などをいってもらえると、ああやっと患者さんと対等な関係になれたなと嬉しくなって、これまでのデータを含めてセカンドオピニオンを求める医師に紹介状を書くようにしている。
患者さんの希望をすべてかなえることはできないかもしれないが、できるだけ何を望んでいるのかを教えてほしい。どんなに忙しくても、別の時間を取るなどして患者の不安を聞く時間を確保したい。またぜひ短時間はベッドサイドに座って話しを聞くような工夫をしたい。患者さんや家族から、ものごとが終わった後で、実はこうしてほしかったというような愚痴を聞かされると本当に悲しくなってしまう。

3)家族の問題
 家族は医療において非常な力にも障害にもなりうる。日本では家族の治療方針決定に及ぼす影響力が大きく、家族の反対でがん告知ができないというのがよく聞く倫理的な問題点であった。だが、昨今問題なのが、家族による患者の治療放棄、虐待などの問題である。日本でも近年核家族化が進み、子供達は遠くにいて、親の面倒を見られず、地域に残された老夫婦の間で老老介護の状況がかなりある。このような現状を改善するため、公的介護保険が開始されたわけであるが、介護を完全に社会化することは難しいのではないだろうか。御主人が在宅でターミナル期を過ごされた時には奥さんが中心となって子供達が交代で何とか看病できたが、それから数年後の奥さん最後の時は、もうフルで看病できる子どもはおらず、最期の日々を御主人のように自分の家で送りたいという患者の願いがかなず、入院せざるを得なかった症例を経験したことがある。



3、社会的問題

1) 世間の問題
 日本では世間の目というのも大きい。世間という概念の力を提唱している阿部謹也氏12)は、世間の目が大きいことを指摘している。例えばどうしても在宅で死を迎えたいという心不全の老人がいたとする。家族もできれば本人の意思を尊重してあげたいと思うが、回りの方が、なんで医療放棄するのというような目で見られると、なかなか自分達の意思を貫くことができないのである。星野一正氏13)は、著書「医療の倫理」の中で、日本特有の生体肝移植で、臓器提供をしない親に対して強い圧力がかかることを指摘している。患者の問題のであげた己決定を妨げているのは、必ずしも医師のパターナリズムだけではなく、家族の力、世間の目の力も大きいと思われる。

2) 和を尊ぶ文化
  1)の世間と密接に関係したことであるが、自分が属する集団の和をまず考えるのが日本の文化であり、その中で色々な問題的が、隠されてきた。何もこれは医療だけでなく、官僚。経済など多くの世間と呼ばれるものの問題が近年大きく取り上げられている。医療界で問題になっている種々の医療過誤事件においても、患者・家族に隠してしまって、本当に患者や家族の回復のために必要な正直な説明と謝罪、再発防止の取り組みが後々になっているのが現状ではなかろうか。医療過誤防止の取り組みがいたるところはじまるだろう。もちろん事故防止のマニュアル作りや、カルテ開示などを進めることは事故防止に欠かせないことであるが、それでも事故が起きた時に、本当に医療スタッフが、自分達の世間を保るためでなく、まず患者・家族のために何ができるかという心構えが重要ではないかと考えている。

3) 医療経済の問題
  21世紀の医療は、「医療倫理」と「医療経済」のせめぎ合いになるなるということが言われている。高齢者の末期医療などどこまでやるのか、本当に患者や家族が望むことをやってきたのか、医療機関が儲けるからやっているのではないという明確な説明ができるといいのだが。少なくとも今できる最高の医学レベルの治療が、必ずしも、目の前の患者に対しての最善の医療といえないことがある。何がその患者にとって最善なのか、ただ年齢が80才だからというのではなく、その患者や家族の希望を聞いて、医療者とともに最善の対応を模索することができたらと願う。

4) 医療福祉の地域格差
  公的介護保険のサービスの地域による格差が顕著な例であるが、地域によって選択できる介護サービスは違っている。サービス競争と言っても地域では選択肢が限られていて、ある一つのサービスを選ばざるを得ないという現状もある。インターネットなどがこの地域格差を埋める一つの方法にはなるだろうが、救急の対応などで治療に格差が出ることはある程度仕方がないことかもしれない。ただ逆に地域には密接な人間同士のつながりと言う介護ビジネスではカバーできない貴重な資源があり、それぞれの地域での工夫が求められる。



おわりに
 この論文は主として、筆者自身の臨床経験および臨床倫理セミナーなどの教育で関わった臨床医や看護婦の意見を元に、臨床倫理の適応の問題点を提示したもので、文献的な考察も不十分で、現在の日本の医療現場における臨床倫理の問題を普遍的に取りあげているといえないかもしれない。ぜひ参考文献の最後にあげる「臨床倫理の討論」のHP14)に提示した日本の症例での討論なども御覧いただき、多くの方々の御批判、御意見をいただければ感謝である。


1) 浅井篤、福井次矢「臨床倫理とは何か(その2)」看護学雑誌62:pp258-261、1998
2) Siegler M, Edmund D. Pellegrino, Peter A. Singer:Clinical Medical Ethics The journal of Clinical Ethics. 1:5-9、1990
3) 藤沼康樹「臨終の立ち会い方」(臨床倫理)JIM6、p617-18、1996
4) 伴信太郎:プライマリ・ケアに求められる臨床能力とはー総合的判断能力と倫理的側面への配慮、日本医事新報、No.3971、pp30-32
5) 赤林朗、大井玄:「医療・看護実践および教育の場における“クリニカル・エシックス”の役割、生命倫理5、pp55-59、1995
6) 白浜雅司:「臨床倫理とは何か」緩和医療学3、pp3-12、2001
7) Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (3rd ed.). McGraw-Hill, New York, 1992. (日本語翻訳版:赤林朗、大井玄監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社、東京1997)
8) 日本胃癌学会編:「胃癌治療ガイドライン医師用2001年3月版」、金原出版、2001
9)朝日新聞2001年3月28日朝刊記事
10)白浜雅司:「プライマリ・ケア医に必要なインフォームドコンセントの心構え」 、治療83、pp422-425、2001
11)柏木哲夫:「愛する人の死を看取るとき」PHP、1995
12)阿部謹也:「世間」とは何か、講談社現代新書、1995
13)星野一正:医療の倫理、岩波新書、1996
14) http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html
「臨床倫理の討論のページ」、これまで筆者が佐賀医大の学生との討論を中心に国内外の方と行った臨床倫理の事例検討などをホームページにまとめて掲載したもの、上記の筆者が書いた論文も読める。何か相談のある方はそのページからメールを送って下さい。


表1、倫理的問題を有する症例の考え方

1)認識←←←←
   ↓    ↑
2)分析←←←←
   ↓    ↑
3)情報収集←←
   ↓    ↑
4)対応←←←←
   ↓    ↑
5)評価と修正←
   ↓    ↑
    →→→→


表2、臨床倫理の4分割表
1)医学的適応
 Medical Indication
 “Benefit、Non-malficience”
  恩恵、無害の原則

 (チェックポイント)
  1.診断と予後
  2.治療目標の確認
  3.医学の効用とリスク
  4.無益性(Futility)

2)患者の意向
 Patient Preferences
“Autonomy”
自己決定の原則

 (チェックポイント)
 1.患者の判断能力
 2.インフォームドコンセント
(コミュニケーションと信頼関係)
 3.治療の拒否
 4.事前の意思表示(Living Will)
 5.代理決定
 (代行判断、最善利益)

3)QOL
    QOL(生きることの質)
    “Well-Being”
    幸福追求の原則

  (チェックポイント)
   1.QOLの定義と評価
  (身体、心理、社会、スピリチュアル)
   2.誰がどのように決定するのか
  ・偏見の危険
  ・何が患者にとって最善か
   3.QOLに影響を及ぼす因子

4)周囲の状況
Contextual Features
“Justice-Utility”
公正と効用の原則
(チェックポイント)
1.家族や利害関係者
2.守秘義務
3.経済的側面、公共の利益
4.施設方針、診療形態、研究教育
5.法律、慣習
6.宗教
7.その他



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