診療所見学実習の感想(2005年8月24日午後)  
  
竹田 恵美子(山田赤十字看護専門学校第3学年)

 先日は三瀬村国民健康保険診療所で見学実習をさせていただき、ありがとうございました。遅くなりましたが、感想を添付で送付させていただきます。
24日の帰りに、通りすがりの方に三瀬車庫までの道を聞くと、とても親切に教えて下さって感動しました(そして生まれてはじめて路上でバスを止めました)。私は時々地元で、自転車に乗って山越えをしますが、三瀬村の方のように親切にしていただいたのははじめてでした。地域の人と密着して看護師として仕事ができれば幸せだろうな、と思いました。温かみがあって、本当に良い村だと思います。
半日間でしたが、本当にお世話になりました。白浜先生に教えていただいたことを今後の力とし、私自身の理想、課題としてこれからも看護師への道を一直線に歩いていきます!そして、私も白衣観音のような糸山さんのように、優しくて笑顔の素敵な看護師を目指します。ありがとうございました。



 診療所の床はピカピカで、点字パネルがあり、段差のないバリアフリー、待合には畳敷きの一角と大きなテレビがあり、“ここが村の診療所?”と驚きました。
 24日、14時からの往診を見学させていただいたのはターミナルの方で(Aさんとします)、高度な水泡を伴う浮腫があり血圧測定をすると水泡を破ってしまう恐れがあるため、頚動脈を触知して血圧を測定されていました。ちょっとしたバイタルの変化から患者さんの体の変化を読み取り、そのことを細かくアセスメントする学校の実習とは随分違うことを知り驚きました。必要な患者さんにはバイタルも測定しアセスメントをしなければなりませんが、全ての患者さんに一連のメニューを適応させることはないのだと感じました。また、訪問診療では白浜先生がAさんの入浴が終わるのを待たれていたのが印象的でした。訪問入浴の時間に合わせて往診に行けば服を着る前に全身の観察ができる、とても合理的なことですが、マンモス病院ではできないことだと思います。
私が看護学実習をしている山田日赤にも訪問看護ステーションが併設されているのですが、知り合いの訪問看護師は、明らかに風邪で医師に発熱の報告をすると「薬を処方するにも診察が必要」と言われるのだそうです。当然と言えば当然ですが、明らかにただの風邪による発熱(←何をもって、ただの風邪と言うのかは分かりませんが)なのに“わざわざ患者さんが大変な目をして病院に行く必要がどこにあるのか、私たち看護師の役目って一体?”と感じることも多いと言っていました。白浜先生もおっしゃられていたように、医学的な診断を出すことや、死亡の診断、薬の処方は医師でなければできません。現実問題として訪問看護だけでは限界があると私も感じています。折角在宅で過ごせる環境にあるのに、状態が悪くなれば車で医師の診察を受けるために頻回に通院しなければならないという現状を打破するために、往診という形で在宅が病院にもなれば、これほど患者さんのためになる医療はないと思います。また、専門職種が集まり、話し合うサービス調整会議があると伺いました。他職種の職員さんが、1人の利用者の全体を見て、いつ、どんなサービスが提供されているかを知ることができ、お互いに顔見知りという、これも限られた地域だからできることだと感じます。在宅看護の授業でもサービス担当者会議について学習しましたが(以前見学したことがあります)、ここでは各専門職が自分たちの持っている情報を出し合って、統合させるのがやっとのことで、よりよい保健・医療・福祉の提供と専門職種間の連携とまではいえないのが残念でした(←これは致命傷だと思います)
地域保健については、サービスの質の向上を目指して市町村合併をすると信じていましたが、金銭的な問題で行うことが多いという本音と建前のカラクリを知り少しガッカリしました。私は、保健業務は県から市町村に下りてきているので、住民のニーズに合わせて医療サービスが提供されているという理想の世界を思い描いていました。折角保健業務を細分化して細やかなサービスが提供できるはずだったのに、市町村合併で再統合されれば組織が大きくなりすぎて、小回りがきかず、全体を見渡すことが難しくなると感じました。組織が大きくなるほど、地域間格差を埋めるために均一化したサービスに落ち着いてしまいます(しかもサービス水準の低かった地域にレベルを合わせようとするなら、なお残念です)。そして、やはりシワ寄せは老人や母子保健、精神など、社会的に弱い立場の人々の下にくることを知りました。金銭的な現実問題が絡むと絵に描いた餅がたくさんあるなと実感しました。よく看護学校の先生から「理想ばかり追求しないで今ある現状に目を向けて改善策を考えるようにしなさい」と言われます。しかし、地域で暮らす人々のために、三瀬村のように、もっと貪欲に追求していっても良いと思います。

 私は今まで、医療者が介入した時点で「人間枯れて死ぬ」ことは不可能だと思っていました。点滴類のルートでつながれ、最期はモニター管理となり、その人が死ぬまで外されることはない、とても不自然で現実離れした死が、通常病院で人間が死ぬときに辿る道に違いないと感じていました。しかし、糸山さんから「体外からの輸液管理を行うと心不全などを合併しやすくなり、薬が切れると急激に血圧の低下を来たすが、外から手を加えない方がかえって徐々に状態の悪くなる体に適応するように循環動態も落ち着いてくる」ことを教えていただき、Aさんの体の中だけのゆっくりした変化は、代謝機能の働きで自分の体力に見合ったように適応することを知りました。栄養や水分が足りなければ体外から人工的な物質を入れて「正常」に近づけるよう人為的に調節しなくても、Aさんの体は自分のしなければならないことを全て知っているのですから不思議です。少しばかり不便な体も住めば都、状態が悪くなっても自然な自分の体が一番居心地の良い器なのではないでしょうか。

 何かできる限りの手を尽くさないと(例えば輸液という方法があるのに、輸液をしないで脱水になったら?)、みすみす死なせることになるのではないか、それとも人命や命運は尽きているのに、輸液や器械によってわずかばかりの生命を引き伸ばしてよいのか。神の領域とまで言われた遺伝子操作の研究が進みヒトゲノムは解析されて「神は死んだ」と言われます。神に代わって人間が全ての領域を支配する世界の到来、どこまでが延命で、どこまでが本来神様が人間に許された治療なのか、曖昧な線引きのまま科学だけが先走っているようにも思います。どこまで医学が手を出してよいものか、人間としての自然な死とは何なのか。決めるのは死んでいく患者さん本人であり、家族であるにもかかわらず、どの死が正しいのかを考えてしまいます。
Aさんの姿を見て、本当に静かに時を迎えるために待っている、いつでも旅立ちの準備ができているように感じました(Aさんは今は何もかも振り捨てているように見えても、実際は残していく家族を憂いているのかもしれませんが)。臨終の近い身体であるのに、体内に留置されたチューブは一つもなく、これが本来の人間の死なのかもしれないと感じました。在宅でしかできない看取りの一つに、先祖代々受け継いできたご本尊の前で死を迎えることがあると思います。在宅で過ごされていたAさんは、いつも家のご本尊が見える位置に臥して、迎えを待つという平成版の臨終行儀が行われているように思いました。たとえ臨終のときに家族が側にいなくても、御仏が進むべき道先々の足元を照らしてくださるという安心、A氏には迎え入れてくれる仏様がいらっしゃることで、白浜先生や糸山さん、訪問入浴サービスの方がAさんの側を離れた時に身罷られても、私は何だか安心だと感じました。

 外来診療の見学もさせていただきましたが、世間話的な会話もあり、和やかで、患者さんも「ちょっとそこまで」という感覚で「ちょっと調子が悪いから白浜先生の所まで」といった雰囲気で来院されている感じがしました。それだけ診療所は地域の方たちにとって身近な存在で、生活の一部に診療所があるように思います。

 実習では、外来患者さんの血圧測定をさせていただきました。私は受け持ち患者さん以外の患者さんの血圧を測らせてもらったことがありませんでしたし、受け持ち患者さんとはじめて会う時も、既往歴やバイタルの平均を知った上で患者さんの元に行くので、最高血圧は大体これくらい、という目星がつき、自分の測定値に自信を持つことができましたが、今回はその手は通用しません。しかも1・2年生の頃は水銀の血圧計で練習をしていましたが、病棟は簡単・便利な電子血圧計使用になっており、最近は水銀柱を使っていなかったので緊張しました。さらに円形の目盛りがある血圧計をはじめて見ましたので、区切りが分からず頭の中が空白の連続でした。病棟では脈拍も同時に測定できて便利だからという理由で電子血圧計にばかり頼っていましたが、在宅では電子血圧計が電池切れにでもなれば使えないので、基本を忠実に、水銀柱の血圧計で血圧測定をする練習をしなければ!と感じました。これほど電子血圧計に頼っていた私ですので、大動脈弁閉鎖不全症の患者さんの血圧が0まで聞こえたのは驚きました。緊張しすぎて自分の心臓の音が聴診器を伝わって聞こえているのだろうかと、看護学校の実技試験のとき以上に緊張していました。患者さんの病名を知った時は、夏休み前の実習で大動脈弁閉鎖不全症の患者さんの大動脈弁置換術を見学したこともあり、歩いて大丈夫なのだろうか?!と驚き、私自身の短絡直線的な思考、応用力が無さにやっぱり就職後は病棟での経験が必要だと実感しました。

 地域医療の問題に、プライバシーが守られにくい(相手の姿がよく見えるということは、自分の姿も生活も、地域の人々から見られている)ことがあると知りました。それでも、地域の人たちを家族のように一人の人間として見ることができれば私は嬉しいと思います。地域の人々の信頼を得るには長年、その土地にいることが大切と伺いました。急性期病院では入院期間が2週間程度で受け持ち看護もままならないためにベルトコンベアー式ですが、地域の患者さんとはほぼ亡くなるまでのお付き合いです。人間対人間の看護ができることが魅力的だと思います。

 今回の見学実習では、地域医療のことのみならず、病態生理的なことまで色々と学ばせていただきました。地域の人との信頼関係を築くことに必要なことを知り、糸山さんの優しい笑顔にも癒されました! 本当にありがとうございました。



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