「プライマリケア医のための臨床倫理−4分割法の考え方−」
三瀬村国民健康保険診療所 白浜雅司


(事例)「82歳一人暮らしの男性患者Aさんの体のかゆみを訴えて受診、黄疸によるかゆみと判断し、県立病院に紹介入院、胆嚢癌の診断と治療がなされていた。ある日、担当の外科医から電話があった。本人がどうしても家に帰りたがっているので、ステントで一時減黄したのだが、また黄疸が再上昇してきている。どうしたものだろうかという相談である。少し痴呆があり、最近は『死んだ家内が迎えに来た』などわけのわからないことを言っているので、このまま一人暮らしの家に返していいものか迷っているとのことだった。」


 プライマリケアの現場においては、このような医学的判断だけでは対応が難しい事例に出会うことがある。そのような時、何か倫理的な問題があるのではないかと考えてみてほしい。そしてそのような倫理的問題を見い出すために初心者でも使いやすい臨床倫理の4分割法の考え方を提示する。
 まず、「臨床倫理」というのは臓器移植やクローン等といった先端医療の倫理とちがい日常的な臨床の場における倫理的な問題を考えようとするもので、「患者と、そのケアや診療にあたる医療者、患者家族などが、それぞれの価値観に配慮しながら、最善の対応を模索していくこと」くらいに考えるといいと思う。臨床において100%正しいといえるような対応があるわけではない。あいまいさを残しながら、その場で、患者に対しての最善であると同時に、医療者もサポートするような倫理を模索したい。


 実際に臨床倫理の対応では以下のようなステップで考えるとわかりやすい
1)認識:倫理的な問題点がありそうな症例に気付くこと。
何が倫理的な問題を含む症例かをすぐ判断するのは難しいが、患者、家族、医療スタッフなど事例に関係する人の間で、何か意見の違いやもやもやすっきりしない心にかかる問題があることに気付くことが、臨床倫理を考える出発点になる。
2)分析:症例の具体的な問題点を分析する。
何かしっくりしない倫理的な問題を含む症例ではないかということは認識できても、何が倫理的な問題かということは混沌としていることが多い。そういう問題点をはっきりさせる方法の一つとしてJonsenらの臨床倫理の4分割法(表1)を用いて4つの枠それぞれについて問題点をあげてみる。この方法は症例の一つの倫理的な問題点だけに目がいってしまいがちな私たちに、もっと広い視点から検討することを教えててくれる。症例の倫理的な問題点は必ずしも一つではないことが多い。どの枠に入れるのかわからない時は、取りあえず周囲の状況のその他に入れておく。
3)情報収集:問題点を分析していく中で、倫理的判断のために必要な、まだ不足している情報を集める。その情報を得るだけで、解決する問題もある。
4)対応:分析した問題点への対応を、関係する人と相談しながら実行する。その場合、重要かつ簡単に実行できそうな対応から優先的に実行していく。全部の問題を解決することは難しいかもしれない。でも一つの問題が解決することで、関係する者同士の信頼関係は増し、次の問題が解決しやすい環境ができてくる。
5)評価と修正:対応の成果を評価して、その対応を続けた方が良いかを検討し、必要であれば修正を加える。当然時間の経過とともに病状も関係する者の考えも変化するからである。


(事例の倫理4分割法を用いた検討)
 電話を受けた段階では、本人の希望が強いのだから退院して家でしばらく過ごすことについて異論はなかったが、さて今後どのような問題がおき、それにどう対応するかをまず自分なりに4分割で考え、関係者にも一緒に考えてもらうことにした。
まず、「医学的適応」を考えると、一時効果のあったステントの効果が無くなるくらい進行の早い末期の胆嚢癌である。胆嚢外瘻を入れることも外科医は考えたようだが、そうすると一人家に帰ることは難しくなる。
「患者の選好」としては家に帰りたい思いが強い。その理由は後でヘルパーの報告でわかったが、家を作った後、すぐ妻を今自分が入院している病院で亡くし、その後3年間、毎朝仏壇に線香をあげながら妻に語りかけながら暮らしていたらしい。患者に対する情報提供は「肝臓の近くに悪性のできものがあるが、手術でとることができず、できものはすこしずつ大きくなっているので、今後体がだるくなっていくかもしれない。痛みの治療等、できる治療は続けていくからと話されていて、癌という言葉は伝えられていないが、患者は自分の病気が治らないことは理解されていて、患者に癌なのかと聞かれたらきちんとこたえようと考えた。
「QOL」は、黄疸はあるが、それなりに食事もできるし、かゆみも意識低下があるためか今はそれなりに保たれている。住み慣れたうちで、妻の冥福を祈りながら生活するのが一番の本人の生きがい(生きる意味)になっているのだろうか。
「周囲の状況」は、子どもはいないので、近くにすむ親戚の方が、気にかけて下さるが、稲刈り時期でなかなか時間が取れない。緊急に介護保健の認定をして、1日2回訪問介護、あと2回ホームヘルプサービスが利用でき、それぞれ食事の前後関わることで、食事摂取など体調の観察もできるようになった。
だんだん食欲、血圧が落ち、いつ突然の死がきてもおかしくない状況ではあり、「つらかったらいつでもまた入院していいんだよ」と伝えたが、本人はやはり家で過ごすことを望まれた。ヘルパーさんから、「こんなに痩せ細っていく人を入院させなくていいんでしょうか、また自分達がいった時に亡くなっていたらこわい」という意見もあったが、家族も含めたケアカンファランスで、この方が近い将来亡くなられることは避けられない。残された時間を本人の望むようにすることが私達医療介護スタッフの一番大事な仕事ではないでしょうかという結論になり、本人の希望にそった在宅ケアを続けた。最後疼痛が出て、入院を希望され、数日で亡くなられたが、家族を含め関係者には、本人の意思を尊重してケアできて良かったという思いが残った。

(表1)
1)医学的適応
  Medical Indication
 “Benefit、Non-malficience”
    恩恵、無害の原則
 
   (チェックポイント)
   1.診断と予後
   2.治療目標の確認
   3.医学の効用とリスク
   4.無益性(Futility)
2)患者の選好
  Patient Preferences
“Autonomy”
自己決定の原則
 
 (チェックポイント)
   1.患者の判断能力
   2.インフォームドコンセント
 (コミュニケーションと信頼関係)
   3.治療の拒否
   4.事前の意思表示(Living Will)
   5.代理決定
3)QOL
   QOL(生きることの質)
   “Well-Being” 
   幸福追求の原則 
 
 (チェックポイント)
  1.QOLの定義と評価
(身体、心理、社会、スピリチュアル)
  2.誰がどのように決定するのか
 ・偏見の危険
 ・何が患者にとって最善か
  3.QOLに影響を及ぼす因子
4)周囲の状況
  Contextual Features
  “Justice-Utility”
   公正と効用の原則
 
 (チェックポイント)
   1.家族や利害関係者
   2.守秘義務
   3.経済的側面、公共の利益
   4.施設方針、診療形態、研究教育
   5.法律、慣習
   6.宗教
   7.医療情報開示
   8.医療訴訟
   9.その他



参考文献
1)参考HP「臨床倫理の討論」のHP:http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html(筆者のHPで4分割表の詳しい説明や、具体的な倫理事例検討が読める)
2)大井玄、赤林朗監訳「臨床倫理学」新興医学出版社、1997
(4分割法の元となったJonsenらのClinical Ethicsの翻訳、日本の事例検討も付録として載せた)
3)赤林朗、大林雅之編「ケースブック医療倫理」医学書院、2002
(日本の医療倫理のケースを多分野の著者が検討しあって作った事例集)