JIM2000年3月号特集「卒後臨床研修医必携」vol 10.no3.pp229-233

臨床倫理の基本

白浜雅司
佐賀県三瀬村国民健康保険診療所
〒842-0301佐賀県神埼郡三瀬村大字三瀬2615
TEL0952-56-2001、FAX0952-56-2912
E-mail:HQC00330@nifty.ne.jp
HP:http://square.umin.ac.jp/masashi



Question & Answer
Q:臨床倫理で考えるべき項目を見落とさないためには?
A:医学的適応、患者の意向、QOL、周囲の状況の4分割表を作るようにすると見落としなく考えられます。
Keyword:臨床倫理、医学的適応、患者の意向、QOL、周囲の状況


<Case>
 50才男性。鉄工所経営。咳、嗄声を主訴に近位を受診し、胸写で左肺門部腫瘍を疑われて紹介入院となった。入院後のCT検査にて、肺癌を疑われ、TBLBでsmall cell carcinomaの診断を得た。入院時、患者の奥さんから、患者は心配症だからもし癌であっても本人には話さないでほしいと言われた。本人は大したことはないから、一日も早く退院して仕事に復帰したいと言っている。
 問1)この症例で検討すべき臨床倫理的な問題点はどのようなことか。
 問2)倫理的な判断をするためにさらにどのような情報を知りたいか。
 問3)この患者に主治医として今後どのように対応すればよいか。


■はじめに
 今回、研修医を対象とした基本的臨床能力の特集の項目の一つとして、臨床倫理が取り上げられたことを、この分野の教育を試みている者のひとりとして大変嬉しく思う。「臨床倫理は医療の本質的な一側面であり、患者の臨床的ケアを考える場合、診断、予後、治療と同じように、倫理的に考慮することは常に欠かすことのできない側面である」1)からである。また研修医のストレスの1つは、十分な教育もないままに、臨床倫理的な決断を迫られることだと言われている。この小論が研修医の何らかの手助けになれば嬉しい。

■臨床倫理とは
 では、臨床倫理(Clinical Ethics)とは具体的にはどのようなことであろうか。この分野のパイオニアであるSieglerら3)は「日常臨床において生じる倫理的課題を認識し、分析し、解決しようと試みることによって患者のケアの質を向上させること」と述べている。
 米国で1960年代のに起きた生命倫理bioethicsという学問が、特に脳死、臓器移植、遺伝子治療などといった先端医療の倫理的議論が中心となって発展してきた。それに対して、もう少し日常臨床の中で起きる倫理的な問題を考えることで、より質の高いケアを提供できないかと考えた現場の医療関係者と、それに呼応した倫理研究者などとの共同作業から臨床倫理という学問分野が生れたと考えていただければよいと思う。

■臨床倫理の考え方
 臨床倫理を考える絶対的な手法があるわけでないが、筆者がこれまで学生教育など使用し、初心者でも臨床倫理の枠組み全体が捉えやすいと思われるJonsenら1)の「臨床倫理の4分割表」を用いた方法で考えてみたいと思う。自分の中で、また患者、患者家族を加えた医療チームの中でジレンマを感じたり、どうもしっくりいかないと「自覚」した症例を、4分割表を作りながら「分析」し、「解決」していこうとするものである。

■倫理的な問題点の認識
 どのような症例においても必ず倫理的な問題点は存在する。ただその問題を担当医が認識できるかどうかで、その問題が検討されたり放置されたりすることになる。
 とくに日本の医療現場では、他の医療スタッフが倫理的な問題点を感じていても、医師がそうした問題点を認識しない限り患者のケアの中で取り上げられないことが多い。臨床倫理で考えておくべき問題点を自ら学んで身につけると同時に、日常から患者やその家族、他の医療スタッフから倫理的な問題点を話してもらえるような人間関係を作っておくことも大切である。

■臨床倫理の4分割法による分析検討のポイント(表1)
表1、臨床倫理の4分割表
1)医学的適応
  Medical Indication
 “Benefit、Non-malficience”
    恩恵、無害の原則

   (チェックポイント)
   1.診断と予後
   2.治療目標の確認
   3.医学の効用とリスク
   4.無益性(Futility) 
 

 

2)患者の意向
  Patient Preferences
“Autonomy”
自己決定の原則

 (チェックポイント)
   1.患者の判断能力
   2.インフォームドコンセント
 (コミュニケーションと信頼関係)
   3.治療の拒否
   4.事前の意思表示(Living Will)
   5.代理決定
 (代行決定と最善利益)

3)QOL
   QOL(生きることの質)
   “Well-Being” 
   幸福追求の原則 

 (チェックポイント)
  1.QOLの定義と評価
 (身体、心理、社会的側面から)
  2.誰がどのように決定するのか
 ・偏見の危険
 ・何が患者にとって最善か
  3.QOLに影響を及ぼす因子

4)周囲の状況
  Contextual Features
  “Justice-Utility”
   公正と効用の原則

 (チェックポイント)
   1.家族や利害関係者
   2.守秘義務
   3.経済的側面、公共の利益
   4.施設方針、診療形態、研究教育
   5.法律、慣習
   6.宗教
   7.その他



 倫理的な問題のある症例を広い視野から考えるため、とにかくその症例について4分割表すべての枠をうめる努力をしてほしい。もちろん各枠のチェック項目すべてが問題になるわけではない。場合によっては、同じ問題がいくつもの枠に関係して、どの枠に入れていいかわからないこともあるだろう。そのような時には、関係するすべての枠に入れて、多様な側面から考えてもらいたい。一方どこにもあてはまらにような問題は、とりあえず周囲の状況の「その他」の項目に入れて検討する。また検討の途中で、最初の情報だけでは不十分なことに気付くこともあるだろう。その場合、再度情報収集をして検討し直すことも必要になる。
 以下に、4分割法のそれぞれの枠のチェック項目について簡単に解説する。

1)医学的適応(Medical Indication)
 これまでも医師が考えてきて、一般の症例カンファレンスでも討議されてきたことだが、医師の仕事としてこの部分をおろそかにすることは許されない。
1.診断と予後
 診断と治療した場合のQOLも考慮した予後の予測は、倫理的判断の重要な根拠となる事項である。正確な診断技術と最新の医療情報をもとに、最善の治療法を検討する。この中で最近盛んに用いられるようになったEBMの考え方は重要になる。ただし、実際の臨床では患者の特殊性や正確な診断ができないままに治療を進めなければならないなど、不確定な要素も多いのが現実である。
2.治療目標
 治療目標として以下のような項目があげられている。その症例でどの目標が優先されるのかを考える。
 a.健康を増進し、病気を予防すること
 b.症状、痛み、苦しみを緩和すること
 c.病気を治療すること
 d.予期しない死亡を防ぐこと
 e.機能を改善する、あるいは安定している状態を維持すること
 f.病状や予後について患者を教育し、相談にのること
 g.ケアを受けている患者に害を与えないこと
3.医学の効用とリスク(Medical Efficacy and Risks)
 検査や治療の効果と、患者の苦痛、副作用との兼ね合いを考えて、患者にとって最高の益になるような方法を検討する。
4.無益性(Futility)
 どのような状態の場合の治療を、治療の意味がない無益な治療と呼ぶのかについて、日本ではきちんとした取り決めがなく、今後の検討課題である。

2)患者の意向 (Patient Preferences)<倫理学では選好という言葉が使われる>
 “Autonomy”自律性尊重の原則を背景にしているが、日本ではまだ患者の意見が全面に出てくることは少ない。これは、医師側に今だに「知しむべからず、依らしむべし」という感覚が残っていること、患者が自分の意見をはっきり表明せず、どこかでまだ「おまかせ」医療を望んでいるという双方の問題があるだろうが、少なくとも患者と医師が協力してお互いが納得できる医療を目ざしていく必要がある。
1.患者の判断能力があるか
 重度の痴呆老人や意識低下している患者では判断ができないし、うつ状態の場合は悲観的な判断をしやすいなどを考慮する。患者の判断力に問題がある場合は、事前の意思表示や、代理決定を尊重することになる。
2.インフォームドコンセント
 日本の臨床症例では癌の説明などでこれが一番大きい問題となるように思われる。インフォームドコンセントの根本は医療者とのコミュニケーションと信頼関係の問題であり、柏木哲夫氏が提唱されているICC(Informed communication consent:患者の理解力に応じたコミュニケーションをとり、十分患者がわかるように説明して、患者がわからない部分を聞いた上で納得してもらう)、あるいはISC (Informed sharing consent:情報を一方的に伝えるのではなく感情を含めて共有する)が大切である。インフォームドコンセントで話すべき内容などについての詳しいことについては、筆者の別の論文4)を参考にしていただきたい。
3.治療拒否(Treatment Refusal)
 当然、患者は医師から伝えられた治療方針に対して、拒否することもある。その患者に判断能力のあると思われる場合には、その意思を尊重して、別の方法や治療しなかった場合の対応について伝える必要がある。
4.事前の意思表示(Advanced Directives, Living Will)
 日本では延命治療はしないでくださいなどという文書(Living Will)を残しておく人は少ないが、患者が家族や周りの人に。常々どのような最期を望むと話していたかなどを聞くことは大切である。
5.代理決定(Surrogate Decision Making)
 患者の判断力が低下した場合、誰かが患者に代って患者の希望を代弁あいなければならないが、その場合、患者をよく知る人が、患者の言動から、「患者に判断能力があったらこうするだろう」とおもんぱかって判断する「代行判断」(substituted jidgement)と、理性的な人間なら誰もが同じような状況に置かれた場合に選ぶと思われる最善の方法を選択する「最善利益」(best interests)の2つの考え方が大切になる。日本では自分が判断できなくなった時、誰に判断してもらうかなどを、きちんと書式で残すことは少ない。介護保険を機に整備されようとしている成年後見人制度などの確立に期待したい。

3) QOL (Quality of Life:日本語では生きることの質、生命の質、人生の質など色々な意味を含んでおり、そのままQOLという言葉を使うことが多い)
1.QOLの定義と評価
いろいろな評価法が提唱されているが、身体、心理、社会的、霊的などできるだけ広い側面からの評価が必要になる。
2.誰がどのように決定するのか
患者が評価するのが前提だが、判断力がない人では代理決定が必要となる。
3.QOLに影響を及ぼす因子
向上させる因子を取り入れ、低下させる因子を除くこと。

4)周囲の状況 (Contextual Features)
 医療は、医療者と患者だけで行われるものではない。その周りの家族、社会の仕組みが複雑にからみ合っている。それぞれが大事にしているものをうまく調整していく必要がある。
1.家族や利害関係者(Family)
 日本では特にこの家族の意向が強いが、患者本人の意思と家族の意見の双方を尊重して調節することが日本の医師には求められる。
2.守秘義務 (Confidenciality)
 患者の病状について話してよいのは、原則的には、患者と患者が望む人である。精神疾患や感染症については社会の偏見が強いので、特に慎重な配慮が必要である。
3.経済(Costs)、公共利益(Public Interest)
 日本の医療経済もすでに難しい局面を迎えている。コストだけでなく稀少資源の活用の問題もある。例えばICUベッドが一杯のとき誰が一般病棟に移るのかなど。また感染症の隔離の問題など公共の利益を前提とした対応も必要になる。
4.施設の方針、診療形態、研究教育(Institution)
 施設やスタッフの数、研究や教育機関など診療の内容などその機関の使命に応じて診療の内容は違ってくる。治療スタッフ間の意見の相違なども問題になる。
5.法律(Law)、しきたり(Convention)
 日本では、臓器移植をする場合を除いて脳死は人の死として認められていないこと、「感染症新法」による届け出義務、成年後見人制度などの法的問題。また慣習としてされていた患者からのお礼への対処など。
6.宗教 (Religion)
 エホバの証人の輸血拒否が有名だが、それ以外にも宗教団体による特殊な治療、ターミナル期の宗教的サポートなど、目立たないが重要な問題である。
7.その他
 これまで挙げた項目に入らない問題があれば、とりあえずこの「周囲の状況」の枠の中に入れておく。



Caseの問題点の問題点の分析と対応(表2)
 Caseについて、臨床倫理の4分割法で分析した問題点と対応を示す。これはあくまで筆者の1つの見解で、もちろん多くの異論があると思う。また、症例提示だけでは妻以外の家族の状況、患者の人生で大切にしている価値など、倫理的な判断に必要な情報が不足している。不足した情報を集めたうえで、再検討してみる。1つの症例の中に多くの検討課題、不足している情報があり、それらの中から全部ではなくても何らかの対応は必ずできることを知っていただきたい。

表2
1)医学的適応
【診断と予後】肺小細胞癌の診断がつくと、次にStagingが問題となる。この症例ではCTとGaシンチから対側縦隔リンパ節の腫脹もあり、Stage3bで手術適応はなく、化学療法のと放射線療の適応と考えられた。臨床経験やEBMの検討から、小細胞癌に対する化学療法は効果があり、少なくとも無益な治療ではない。しかし、この患者の予後がどうかと言うことは、実際に治療を始めて経過をみなければわからない点も多い。
【治療目標】治療の目標は最初は病気の治療ということになろう。治療効果がなければ、患者の意向を聞いて別の目標設定も考えねばならない。
【医学の効用とリスク】吐き気や脱毛などの可逆性の副作用から、不可逆性の致死的な副作用まで起きる可能性はある。副作用を最小限に抑える方策をとることは当然として、このことをどのように伝えるかインフォームドコンセントが重要になってくる。もちろん患者の意向で治療方針が変わる可能性はある。
 2)患者の意向
【患者の判断能力】患者の判断能力は正常であると思われる。
【インフォームドコンセント】【治療拒否】患者の早く帰りたいと言う希望はあるが、今ここで治療することの必要性のメリットとデメリットをできるだけわかりやすく説明する。それでも治療拒否をされるようなら、代わりの方法を検討することになる。妻の意見は病名を告げないでくれということであるが、本人が自分の病状を知りたいのかどうかは、必ず聞くべきであるし、今後の治療で起きる可能性のある副作用の話しは、治療上避けて通れない。しかしながら肺癌と言う言葉が患者に与える心理的なショックも考えなくてはならない。事実は冷酷かも知れないが、事実の伝え方が冷酷であってはならない。肺の中にできものができて、それが神経を圧迫して声が出なくなっているので治療する必要があるというような、小出しの説明からはじめて、患者の反応を見ながら次の説明をするような配慮が必要であろう。
【代理決定】将来病気が進行して意識も落ちるような状態になる前に、自分が悪くなった時は誰に相談してほしいのか等も聞いておく必要があるだろう。
3)QOL
【精神身体的QOL】治療が効いて、胸痛、咳、嗄声などの症状を改善できれば、患者の身体的なQOLを向上させるであろう。
【社会的霊的QOL】患者が人生で大切にしていることを聞いて、会社の仕事と20才の娘の将来というような回答があった場合、その人のQOL向上のためには治療の合間に、きちんとした仕事の引き継ぎや家族との交わりの時間を持てるような配慮も必要となる。
4)周囲の状況
【家族】癌告知に反対の妻と、今後の患者の将来についてどう対応するかを相談することは大切であろう。ただ患者本人がどうして欲しいかを聞いた上でのことになる。また患者が気にしている仕事の問題を誰に頼むか、娘へ患者の病状をどのように伝えるかということも大切になる。
【経済】治療費などの経済的な問題。
【宗教】患者の宗教背景なども特にターミナルでは大きな意味を持つであろう。
太字の文字は検討の途中で不足した情報を追加したもの



■おわりに
 まだ日本での臨床倫理は始まったばかりであり、欧米の考え方をそのまま用いている部分が多く、日本の医療の現場に馴染まない側面もあると思う。しかしながら、今回用いたような臨床倫理の4分割法の考え方は、なんとなく難しい倫理的な問題点をときほぐして、その解決策を見い出す上で役立つ方法である。この小論を通して、臨床倫理の考え方に触れていただき、できれば、最後にあげるの参考書やホームページを参考に、自分自身で気になる症例について検討をしていただきたい。そのような検討を通して、真に日本の医療現場で使える新たな臨床倫理の枠組みが見えてくることを期待している。
 筆者は個人的に日常の診療の中で悩んでおられる倫理的な事例の相談を受けたり、ホームページ5)で医師以外の多くの方々の協力を受けた臨床倫理の事例検討も行っている。関心のある方はメールでご連絡下さい。

参考文献
1)Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (3rd ed.). McGraw-Hill, New York, 1992.
(日本語翻訳版が赤林朗、大井玄監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社、1997。この拙論でも採用した臨床倫理の4分割表の詳しい解説テキストである)
2)加藤尚武、加茂直樹編「生命倫理学を学ぶ人のために」世界思想社、1998
(日本の生命倫理関係の方がまとめられたもので、生命倫理全体の主要なテーマとその論点を知るのに便利である)
3)Journal of clinical ethics:University Publishing Group
(臨床倫理を取り扱った年4回発行の雑誌、毎回特集テーマが組まれている)
4)白浜雅司 インフォームドコンセント、内科専門医会(編)、医療ビッグバンの基礎知識、pp52-57、日本内科学会、1999(以下の私のHPから読める)
5)http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html「臨床倫理の討論のページ」、これまで白浜が佐賀医大の学生との討論を中心に国内外の方と行った臨床倫理の事例検討などをホームページにまとめて掲載したもの、関係する論文も読める。何か相談のある方はそのページからメールを送って下さい。



One More JIM
Q1、日本の医療現場で欧米で作られた臨床倫理の考え方がそのまま使えるか?
A  倫理は社会と文化に根ざしており、チェックリストとして4分割法を使うことに問題は少ないが、倫理的決定で重視するものの違いはある。特に筆者が感じるのは患者の意向の倫理的背景になっているAutonomy自己決定の原則のとらえ方である。自己決定という権利には、かなり強い自己責任が伴うということを理解できている日本人は少ない。弱い立場の、病気で動転している患者に、日常やったことのない自己決定を無理強いするのが危険なこともある。もちろん自分でそれを望む人の権利を尊重するのは当然として、自分では決められず、家族や信頼する主治医に任せるというおまかせ医療的な決定を望む人の存在も認めていく必要があろう。このような観点から医学のことと患者の人生観の両方を知っていて、相談にのってくれるようなかかりつけ医の果たす役割は大きいと考える。(白浜論文)


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