かかりつけ医のための家庭医療学
「臨床倫理」

三瀬村国民健康保険診療所所長/佐賀医科大学臨床教授
白浜雅司



<ポイント>
1、 家庭医療学と臨床倫理には共通性がある
2、 臨床倫理とは「クライエントと医療者が、日常的な個々の診療において、それぞれの価値観に配慮しながら最善の対応を模索していくこと」である
3、 臨床倫理のひとつの考え方としてJonsenらの4分割法を紹介する
4、 実際に困っている症例を臨床倫理の手法で考えてみる


【家庭医療学と臨床倫理】
今回取り上げる臨床倫理は、決して家庭医療学特有のものではないが、共通点は多い。伴2)はプライマリケアと臨床倫理の目標の共通性として以下の4点を指摘している。1、多くの同様な疾患を有する患者の一人としてではなく、それぞれの固有な存在として尊重し、対応を心がける。2、良好なコミュニケーションが必須である。3、医師からの一方的な“指示”ではなく、話し合いと教育を重視する。4、「病気を治すことが究極の目的ではなく、良い人生を送れることが大事なのである」という価値観。
 さらに筆者は、患者の身近にあって、継続的に、家族や地域のことも視野にいれて対応する家庭医療(プライマリ・ケア)が本当に機能してこそ、臨床倫理で大切にしている「患者がより良い自己決定を行う」ことが支援できるし、家庭医(かかりつけ医)が臨床倫理の考え方を身につけ実践していくことが、日本における臨床倫理を推進する鍵になると考えている。


【臨床倫理とは何か】3)
筆者は、臨床倫理Clinical Ethicsを「クライエント(患者だけではなく患者家族や患者に関係する人)と医療者が、日常的な個々の診療において、それぞれの価値観に配慮しながら最善の対応を模索していくこと」と定義している。「倫理」という言葉を聞くと、気高い道徳感を押し付けられるようで、できれば敬遠したいと思われる方も多いと思うが、もともとは「人と人とがかかわり合う場でのふさわしい振る舞い方」という程度の意味である。臨床の現場に関わる患者・家族・医療者が、それぞれの思いを出し合った上で最善の対応をしていくのである。これは単に患者のケアの向上だけでなく、患者を支える家族、さらに患者中心の医療を目指す医療者のサポートにもつながるだろう。患者とともに医療者自身が癒されるような倫理観を育てなけれは、熱心な医療者がバーンアウトするだけで、結果的に患者に継続的した良いケアの提供はできない。


【臨床倫理の4分割表による考え方】4)
ここでは、できるだけ簡単に臨床倫理の問題を考える方法として、Jonsenら1)の臨床倫理の4分割法の考え方を示す。この方法は、自分の思い込みに片寄らずに事例の倫理的な問題を、医学的適応、患者の意向、QOL、周囲の状況の4つの枠を使って多角的に分析検討することができるという利点がある。また医療チームで検討する場合の叩き台としても有用である。


ここでは以下のような在宅の高齢者の事例を考えてみよう。


86才女性。4年前御主人を肺癌で亡くした後、A村で一人暮らし。
 村の医療福祉関係者が集まる高齢者サービス調整会議で、ヘルパーと保健婦から、「最近日によってこの方のいうことが違っていておかしい老人性の痴呆ではないか、 このままほおっておいて大丈夫だろうか」という意見が出た。
 念のため村の公立診療所へ受診してもらったが、言葉もしっかりしていて、特に話しのつじつまがあわないことはなかった。ヘルパーの話しでは、一日何も食べないでぼうっとしていたり、火の消し忘れで鍋を焦がしたりしたことがあるらしい。
 家族は息子が二人いるが、それぞれ遠く離れたの都市にすんでいて、今後の対応を相談しようとするが、なかなか村に帰省することもない。本人は住み慣れた家や友だちから離れるのが嫌で、息子のところにはいきたくないという。
(問)あなたはA村の公立診療所の医師である。この事例に対してどのように対応しますか。


1、倫理的な問題点の認識
 何が倫理的な問題を含む症例かをすぐ判断するのは難しいが、患者、家族、医療スタッフなど事例に関係する人の間で、何か意見の違いやもやもやすっきりしない心にかかる問題があることに気付くことが、臨床倫理を考える出発点になると思う。どのような症例においても必ず何らかの倫理的な問題点は存在する。ただその問題を医療スタッフ、特に担当医が認識しないと、なかなか患者のケアの中で生かされない。自分で臨床倫理の問題を勉強しておくことと、日頃から患者やその家族、他の医療スタッフから倫理的な問題点を指摘してもらえるような人間関係を作っておくことが大切である。


2、倫理的な問題の分析と不足した情報の収集(4分割法を使って)
 1、で何かしっくりしない倫理的な問題を含む症例ではないかということは認識できても、具体的に何が倫理的な問題かということは混沌としていることが多い。そういう問題点をはっきりさせる方法の一つとして私はJonsenらの臨床倫理の4分割法を用いている。この方法は、症例の一つの倫理的な問題点だけに目がいってしまいがちな私たちに、もっと広い視点から検討することを教えててくれる。症例の倫理的な問題点は必ずしも一つではないことが多い。
 症例の問題点を少しでも広い視野から考えるため、とにかく4つの枠をうめるように努力してほしい。同じ問題が2つの枠に入っても構わない。表1に4分割表の概略、表2にはこの症例の4分割法による分析を提示し、4分割表のそれぞれのポイントについて簡単に解説する。さらに詳しく学びたい方は参考文献1)3)4)を御覧下さい。


1)医学的適応(Medical Indication)
これまでも医師が考えてきて、一般の症例カンファレンスでも討議されてきたことだが、医師の仕事としてこの部分をおろそかにすることは許されない。
(1)診断と予後
診断と治療による予後の予測は臨床倫理でも基本になる事項である。ただし、実際の臨床では正確な診断や予後の予測ができないままに治療を進めなければならないことも多い。最近盛んに用いられるようになったEBMの考え方を用いて信頼性の高い情報を集め、それを個々の患者にどう適応するかが重要になる。
(2)治療目標
治療目標として以下のような項目があげられている。
 a.健康を増進し、病気を予防すること
 b.症状、痛み、苦しみを緩和すること
 c.病気を治療すること
 d.予期しない死亡を防ぐこと
 e.機能を改善する、あるいは安定している状態を維持すること
 f.病状や予後について患者を教育し、相談にのること
g.ケアを受けている患者に害を与えないこと
(3)医学の効用とリスク(Medical Efficacy and Risks
治療には常に主作用と副作用がある。双方の可能性についての情報は以後の治療法の決定などの判断材料になる。
(4)無益性(Futility)
瀕死の患者、終末期、回復の見込みのない患者においては、治療を行うことがの上記Aの治療目標のどれも達成はしないので、医学的介入が適応でないという医学的判断がなされる場合がある。ただどこから瀕死、終末期、回復の見込みがないと判断するのか、実際の判断は難しいことも多い。


2)患者の意向(選好)(Patient Preferences)
 “Autonomy”自律性尊重の原則を背景にしているが、日本ではまだ患者の意見が全面に出てくることは少ない。これは、医師側に今だに「知しむべからず、依らしむべし」という感覚が残っていること、患者が自分の意見をはっきり表明せず、どこかでまだ「おまかせ」医療を望んでいるという双方の問題があるだろうが、少なくとも患者と医師が協力してお互いが納得できる医療を目ざしていく必要がある。
(1)患者の判断能力があるか
重度の痴呆老人や意識低下している患者では判断ができないし、うつ状態の場合は悲観的な判断をしやすいなどを考慮する。患者の判断力に問題がある場合は、事前の意思表示や、代理決定を尊重することになる。
(2)インフォームドコンセント
日本の臨床症例では癌の告知などこの問題が一番大きいように思われる。インフォームドコンセントの根本は医療者とのコミュニケーションと信頼関係の問題で、柏木哲夫氏が提唱されているICC(Informed communication consent:患者の理解力に応じたコミュニケーションをとり、十分患者がわかるように説明して、患者がわからない部分を聞いた上で納得する)、あるいはISC (Informed sharing consent:情報を一方的に伝えるのではなく感情を含めて共有する)などが大切である。
(3)治療拒否(Treatment Refusal)
当然患者は医師から伝えられた治療方針に対して、拒否することもある。その患者に判断能力のあると思われる場合には、その意思を尊重して、別の方法や治療しなかった場合の対応について伝える必要がある。
(4)事前の意思表示(Advance Directive)
まだ日本では延命治療はしないでください等という文書(Living Will)を残しておく人は少ないが、患者が元気で判断能力がしっかりしている時期から、常々家族や周りの人、家庭医などのかかりつけ医が、患者がどのような最期を望むと話していたかなどを聞くようにしておくことは大切である。
(5)代理決定
 患者の判断力が低下した場合、誰かが患者に代って患者の希望を代弁あいなければならないが、その場合、患者をよく知る人が、患者の言動から、「患者に判断能力があったらこうするだろう」とおもんぱかって判断する「代行判断」(substituted judgement)と、理性的な人間なら誰もが同じような状況に置かれた場合に選ぶと思われる最善の方法を選択する「最善利益」(best interests)の2つの考え方が大切になる。日本では自分が判断できなくなった時、誰に判断してもらうかなどを、きちんと書式で残すことは少ない。介護保険を機に整備されようとしている成年後見人制度などの確立に期待したい。


3) QOL (日本語では生きることの質、生命の質、人生の質など色々な意味を含んでおり、そのままQOLという言葉を使うことが多い)
(1)QOLの定義と評価:色々な評価法が提唱されているが、身体、心理、社会的、スピリチュアル(生きる意味)などの側面からの評価が必要になる。
(2)誰がどのように決定するのか:患者が評価するのが前提であるが、判断力がない人では代理決定が必要となる。
(3)QOLに影響を及ぼす因子:向上させる因子を取り入れ、低下させる因子を除くこと。


4)周囲の状況(Contextual Features)
医療は医療者と患者だけで行われるものではない。その周りの家族、社会の仕組みが複雑にからみ合っている。それぞれが大事にしているものをうまく調整していく必要がある。
(1)家族や利害関係者
 日本では家族の意向が強いが、患者本人の意思と家族の意見の双方を尊重して調節することが日本の医師には求められであろう。
(2)守秘義務 (Confidentiality)
 患者の病状について話してよいのは原則的には、患者と患者が望む人である。精神疾患や感染症については社会の偏見が強いので、慎重な配慮が必要となる。
(3)経済(Costs)、公共利益(Public Interest)
 日本の医療経済もすでに難しい局面を迎えている。コストだけでなく稀少資源の活用の問題もある。例えばICUベッドが一杯のとき誰が一般病棟に移るのかなど。感染症の隔離の問題など公共の利益を前提とした対応も問題になる。
(4)施設の方針、診療形態、研究教育
施設やスタッフの数、研究や教育機関など診療の内容によってできる診療の内容は違ってくる。また治療スタッフ間の意見の対立なども問題になる。
(5)法律、しきたり
 日本ではまだ脳死が法的には認められていない。また慣習としてされていた患者からのお礼などの問題の対処など。
(6)宗教
エホバの証人の輸血拒否、公的なホスピスへの宗教団体のサポートの是非など。日本では目立たないが重要な問題である。
(7)その他
これまで4分割の枠組みに入りきれなかった問題があれば、どの枠に入れるかを悩まず、まずこのその他に入れて検討を続けて下さい。


3、臨床倫理的な検討をした後の事例への対応
 A診療所の医師は検討の後、以下のような対応をした。
1)痴呆の程度と原因の診断(他の医療福祉スタッフの意見も参考に)
2)保健医療福祉のスタッフとこの方の安全を定期的に見守る体制を作る
3)本人の困っていること希望の確認。とにかく本人と接する機会を増やし、まず信頼関係を作って何をしてほしいのか(してほしくないのか)を聞き出す


4、対応後の経過
 この女性はしばらく、関係するスタッフの見守りの中で、一人暮らしを続けたが、ある日の早朝、家の前に倒れているところを発見されすぐ診療所へ連れてこられ、緊急ショートステイを利用することを承諾した。そして最終的には息子さんの住まれている地域の特別養護老人ホームに入所され、半年後に亡くなられた。最期は住み慣れた村で亡くなることはできなかったが、「息子のところに行きます」と挨拶に来られた時の笑顔は、十分自分のやりたいことをやらせてもらったという満足に満ちたものだった。


【おわりに】
まだ日本での臨床倫理の検討、特に日本独自の地域の医療文化に根ざした臨床倫理の検討は始まったばかりで、欧米の考え方を基礎に検討しているといった状態である。日本では使いにくい部分もあると思うが、今回の症例検討を参考に、自分自身で気になる症例について検討していただきたい。そのような検討を通して日本で役立つ臨床倫理の枠組みが見えてくることを期待している。


【参考文献】
1)Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (3rd ed.). McGraw-Hill, New York, 1992.
(赤林朗、大井玄監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社、1997。この拙論でも採用した臨床倫理の4分割表による考え方の詳しい解説テキスト)
2)伴信太郎「総合的判断力ム倫理的側面への配慮」「21世紀プライマリ・ケア序説」プリメド社、2001
3)白浜雅司「臨床倫理とは何か」緩和医療学3、pp3-12、2001
4)白浜雅司「臨床倫理の基本」JIM10、pp229-233、2000
5) 「臨床倫理の討論のページ」http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html
これまで筆者が佐賀医大の学生との討論を中心に国内外の方と行った臨床倫理の事例検討などをホームページにまとめて掲載したもの。上記3)4)の論文も読める。何か相談のある方はそのページからメールを送って下さい。


表1、臨床倫理の4分割表
1)医学的適応
  Medical Indication
 “Benefit、Non-malficience”
    恩恵、無害の原則

   (チェックポイント)
   1.診断と予後
   2.治療目標の確認
   3.医学の効用とリスク
   4.無益性(Futility) 

2)患者の意向
  Patient Preferences
“Autonomy”
自己決定の原則

 (チェックポイント)
   1.患者の判断能力
   2.インフォームドコンセント
 (コミュニケーションと信頼関係)
   3.治療の拒否
   4.事前の意思表示(Living Will)
   5.代理決定
 (代行判断、最善利益)

3)QOL
   QOL(生きることの質)
   “Well-Being” 
   幸福追求の原則 

 (チェックポイント)
  1.QOLの定義と評価
 (身体、心理、社会的側面から)
  2.誰がどのように決定するのか
 ・偏見の危険
 ・何が患者にとって最善か
  3.QOLに影響を及ぼす因子

4)周囲の状況
  Contextual Features
  “Justice-Utility”
   公正と効用の原則

 (チェックポイント)
   1.家族や利害関係者
   2.守秘義務
   3.経済的側面、公共の利益
   4.施設方針、診療形態、研究教育
   5.法律、慣習
   6.宗教
   7.その他



表2、事例の4分割法による分析
1)医学的適応
(診断と予後)この症例では、本当に痴呆があるのか、あるとしたらその原因の診断が必要である。一回の診察だけで判断するのは難しい。ただ本人が特に困っていない状態でどこまで検査ができるか。やはりヘルパーなどの定期的な観察が重要になる。
(治療目標)緊急な身体的な問題はないが、痴呆による予期せぬ事故などを予防することが重要になるだろう。
(医学の効用とリスク)治癒可能な痴呆性疾患の発見は今後の患者のQOLをあげるだろうが、入院させて検査るようなことは、環境の変化で症状を悪化させるリスクもある。
(無益性)痴呆の診断・治療は、無益とは言えない。 
2)患者の選好
(患者の判断能力)このケースでも判断応力がいつもきちんとしているとは言い難い。経時的な評価が重要。
(インフォームドコンセント)このケースではどのように自分の病状を理解してもらうかが鍵になる。
(治療拒否)本人は現在病識がなく、検査や治療の必要を感じていない。痛みや苦痛を伴うような診断治療は拒否するかも知れない。
(事前の意思表示)本人が今後色々な問題がおきた時にどのように対応して欲しいかを聞いておくことは重要。
(代理決定)このケースでは、痴呆が進んで判断が難しくなった場合、本人のかわりに離れている息子が判断するのか、緊急の場合の判断は誰がするのかなども確認しておく必要がある。
3)QOL
(精神身体的QOL)患者はかなり食事に偏りはあるが、自分では好きなものを食べられれば満足。
(社会的霊的QOL)このケースでは住み慣れたこの村で天寿を全うできることが本人のQOLを高めることにつながっているようである。
(誰がQOLを評価するか)まずは、本人がどのような生活をしたいかをじっくり聞き出すことから始る。
(QOLに影響する因子)施設に入所すれば安全は守られるかも知れないが、本人の自由気ままな生活は制限される。 
4)周囲の状況
(家族)家族が離ればなれになっていると、なかなか急に同居すると言うことは難しい。特に高齢者は新しい環境に慣れるのが難しい。
(経済)一応年金生活者で、また介護保険で要介護2の判定を受けているので、それ相応の対応はできるが、特別養護老人ホームの長期入所ができないと、ショートステイは難しい。
(施設方針)村には特別養護老人ホームがあるが長期入所希望者が多く予約待ち。短期のショートステイは利用可能。
 村の保健医療福祉スタッフは、火事や事故など不慮の事故が起きることが心配。
(法律)成年後見人法などの利用も今後必要になる。


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