第8会 Advance Care Planningー意識低下後も患者の意思を尊重するケア
(ギア・チェンジ緩和医療を学ぶ二十一会、医学書院、2004への分担執筆より)



最善の選択ができるように、家族と医療者が協力して、温かく患者を支えたい。
(この章の挿し絵が本全体の表紙に採用された。その原案は娘かおりが描いてくれた)


Case 肺癌末期で意識低下した患者の肺炎の治療
 50歳男性。腰椎転移のある肺癌患者。抗癌剤の効果がもなく、肺内転移と脳転移も新たに見つかり、主治医は、今後気道閉塞などの急変も考慮されるので、急変時にCPR(cardio-pulmonary  resuscitation:心肺蘇生術)をするかどうか、人工呼吸器をつけることなどについても、患者本人の意思を確認しておいた方がいいと判断し、妻(患者が代理人として指定した)と、両親の同意も得て、突然の心肺停止時には、心臓マッサージや人工呼吸はしないというDNARについての事前指定書を作成した。その後、1ヶ月もしないうちに、脳転移によるものか、本人の意識が低下し、誤嚥によると思われる肺炎がおきた。主治医は、点滴と抗生物質による治療をはじめようとした。ところが、妻と長男から「これ以上、点滴や抗生物質で無理な延命をすることがDNAR指示に同意した本人の意思にそっているのでしょうか。」という意見があり、一方見舞いに来た患者の両親からは「一日でも長く、息子の命を守って下さい」と言われた。主治医は今後どのようにこの患者に対応していけばいいのだろうか。


「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(聖書:伝道者の書3章:1、2、11節)
(いくら医療者ががんばっても、患者の寿命を変えることはできない。過剰でも過少でもない医療、そして患者さんがいい人生だったと振り返られる場を提供したい。)


1)アドバンスケアプランニングとは
 意思決定能力低下に備えての対応プロセス全体を指す。患者の価値をはっきりさせ、個々の治療の選択だけでなく、全体的な目標をはっきりさせることを目標にしたケアの取り組み全体をさす。アドバンス・ケア・プランニングは、インフォームド・コセントが同意書をとることだけでないように、単にアドバンスディレクティブ(事前指示)の文書を作成することではない。患者が、治療を受けながら、将来もし自分に意思決定能力がなくなっても、自分が語ったことや、書き残したものから自分の意思を尊重して、医療スタッフや家族が、私にとって最善の医療を選択してくれるだろうと思えるようなケアを提供すること、と表現したらわかりやすいかもしれない。


2)アドバンスディレクティブ(事前指示)とは、その具体的内容
 患者の意思決定能力がなくなった時の治療の選択を口頭か書面で示しておくものである。一般にアドバンス・ディレクティブ(事前指示)には、1)代理決定人を決定すること、2)一般的な患者の価値観を知ること3)個々の治療の選択、が含まれる。
 ただ最近「エンディングノート」(Note1の(1))という名称で一般に流行しているアドバンス・ディレクティブでは、入院中DNARや延命処置の内容に限定せず、「最後は家で家族に囲まれて色んな話をしながら死にたい」などという死に方、「献体したい」「解剖して病気の原因をつきとめてほしい」などの死後の処置、「眼球を提供したいので○○へ連絡を」などの臓器提供、さらには「密葬にしてほしい」「告別式はこのようにやってほしい」などという葬式の希望、「家族に、苦労させたこともあるが私を許してほしい」などというメッセージを残したりすることもあるという。医療者としては、確かに、患者の意思にそった治療法の選択が知りたいと思うが、患者にとって人生の最期に伝えておきたいことは、治療法の選択だけではない。



3)アドバンスディレクティブの例
 文書でアドバンス・ディレクティブ(事前指示)を残したものをリビング・ウィルと呼ぶことが多い。日本で用いられているものとしては、日本尊厳死協会の作成したもの(Note1の(2))、モロイ教授が考案され、レット・ミ−・ディサイド運動の中で用いられているもの(Note1の(3))などがある。現時点では、日本において、これらの事前指示書が法的な意味を持っているわけではなく、それに従って治療を行った時に、そのことを聞いていなかった遠い親戚などが治療をやめたことを訴えると言う可能性がないではないが、東京高裁裁が示した安楽死の4要件の「本人の明確な意思表示」(Note2)という項目はまさにこのアドバンスディレクティブのことを指すと思われる。


Note


1、アドバンス・ディレクティブの参考ホームページ
(1)エンディングノート
(自分の人生を締めくくるために必要な情報について、単なる延命治療のことだけでなく、自分の一生を振り返りながら、介護や葬儀の希望、自分の財産にどのようなものがあってそれをどうするかについてまで書き残されるよう工夫された小冊子)
NPO法人ナルクで作られたエンディングノートの概要
http://nalc.jp/Ending/Ennde1.htm
(2)日本尊厳死協会
http://www.songenshi-kyokai.com/
日本尊厳死協会の尊厳死宣言の内容
http://www.osoushiki-plaza.com/library/data/data121.html
(3)レット・ミ−・デサイド=私の選択ー治療の事前指定
(具体的な作成の注意点まで概説されている)
http://www1.doc-net.or.jp/~ninosaka/lmd.htm

2、「医師による積極的安楽死」の要件
(1995年3月28日 東海大学事件の横浜地方裁判所判決)
1、耐え難い肉体的な苦痛があること。
2、死が避けられずその死期が迫っていること。
3、肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くして他に代替手段がないこと。
4、生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。



4)アドバンスディレクティブ(事前指示)の手順と内容
1、代理人の決定。(事前指定)
 最初から、まだ予測もできない、終末期の治療の選択についてあれこれ話すよりも、最初は急変時にだれを代理人にしてほしいかを患者に聞くことの方がやりやすい。「これはすべての患者さんに確認しているのですが、入院治療中に突然あなたの意識が低下して、家族の方にあなたの代わりに意思決定をして頂く場合があります。その場合誰に代理決定してほしいですか。またその場合、代理決定をする人に考慮してほしいことが何かありますか」などと入院時に話しておくことが自然だろう。そのことが確認されていると、代理人となった人が代理決定をしやすい(第九会尾藤論文88頁参照)。もちろん、代理決定を頼める適当な人がいなくて、自分でできるかぎり意思決定をしておきたいという人には、そのことに答える必要がある。


2、いつ話すか。
 患者がいつ意思決定能力を失っても、また死後が訪れてもおかしくない状態にある時には話しておく必要がある。ただし、いわゆる「末期」患者や、状態が刻々と悪化してしまった状態では、冷静に話を聞いたり、判断したりするのが難しい。患者の方が、医師より早い段階から、終末期の様々な治療法の選択について話し合っておきたいという希望を持っていると言われている。このCaseのように、抗癌剤が効かずに、今後さらに悪化することが予測された時点で、DNARについて話し合うのは適切であっただろう。


3、誰が話すか。
 治療方針の選択については、治療の最終責任をもつ主治医が話すとことになるだろうが、時として看護師などの他のスタッフが、患者や家族へ再確認するような作業も意思の確認上重要であるし、患者・家族からの質問は医師へ直接よりも他のスタッフへの方がしやすいと思われる。


4、患者の価値観を知る。
 DNARなどの具体的な治療法の選択について、患者に説明して話し合った経験がある医師は多くいると思うが、患者の心配事や、希望を十分知らずに、具体的な治療の選択を話すのは、本末転倒転倒だろう。まず患者の治療全般に対する価値観や優先順位を話してもらってから、具体的な治療内容の話をした方がその選択をした患者の背景が理解できてよい。
 具体的には、「病状が深刻になった時に一番心配なことは何ですか」「もし厳しい状況になった時、一番大切にしたいことは何ですか」「こういう場合は延命治療をしてほしくない、というようなことを考えたことはありませんか」などという質問は、患者にとって「最善の利益」が何か、どの程度のQOLの低下だったら患者は許容できるかという患者の価値観がわかるだろう。
 さらにその価値観の背景を知る上で、入院時診療録のPatient Profileを埋める時に、患者さんがどのような人生を送り、どのような出来事にどのように対処してきたかなど、患者の人生の物語を聞こうとする態度が大事である。それを知っていることが、患者の代わりに判断を迫られた時の判断の基準として大事なように思われる。


5、何を話すか。
 現在と将来起こりうる医学的な状況と、そのことへの対応の選択を話すことになる。ただ、将来起きる可能性のあるすべての問題について話すことは不可能である。起こりやすい状況と患者が知りたいことを中心に患者に説明し、その状況ごとに本人が選ぶ治療の選択を明らかにしておくこと、患者にとっての「最善の利益」が何であるかを理解しておくことが必要になる。


6、事後のフォローアップ
 事前指示もインフォームド・コンセントのひとつであり、文書で残されたアドバンス・ディレクティブは診療録に残して、それがチーム全員で確認できるようにしておく。また一旦選択したことであっても状況に応じていつでも変更できることを話しておく。延命治療を拒否していたものの20%が、後で気が変わって延命治療を受け入れ、逆に延命治療を受け入れていたものの42%が後で、延命治療を拒否するという意思表示をしたという調査がある。


5)DNARオーダー(蘇生を試みないという指示)。
 通常、突然患者の心臓がとまったり、呼吸がとまったりした場合には、そばにいる医療スタッフはただちに心肺蘇生をするように訓練を受けている。しかし、いかなる治療にも反応しない不治の進行性病変で、死が目前に迫っている患者に対しては、患者が心停止に陥った時、心肺蘇生を行わないことを前もって指示しておくことができ、その指示をDNAR(Do Not Attempt Resuscitate)オーダーと呼んでいる。 以下のような手順で進めていくと間違いがないと思われる。
 1、患者からDNAR Orderの申し出があった場合、あるいは、患者の容態が重篤な病気で死が迫っていると主治医が判断した場合、CPRのメリットとデメリットを評価して、CPRは無益ではないかと言う判断を主治医がした場合、DNAR オーダーの必要性を医療チームで検討する。客観的性確保のため複数の医師による判断が必要。
 2、医療チームでDNARオーダーに反対がなければ、判断能力があれば患者に、なければ適切な代理者に、治療の一つの選択として突然の心肺停止時のDNARオーダーができることを話しておく。
 3、患者や家族が希望すれば、患者の診療録にDNARのオーダーと、その理由を誰でもわかるように書いておく(医療チーム間の周知徹底は必須である。当直の時間帯など主治医が不在の場合に蘇生がされてしまうことが多い)。
 4、DNARオーダーは定期的に、少なくとも7日ごとに再評価する。
 5、DNARオーダーは、病状の変化でCPRのメリットとデメリットの評価が変われば変更する。(DNARオーダーが出ていたのに退院する患者もいる)
 6、DNARオーダーは、CPRのことだけでその他のケアについてはそれまでと何ら変わらずに行うこと。


6)患者の自己決定と家族の願いが異なるとき、家族や医療スタッフ間で意見が異なるとき。
 終末期医療、延命治療については、様々な考え方があり、すぐには、関係するものの意見が一致しない場合もあるので、結論を急がないこと。何回かの話し合いで妥協点が見つかることもあるし、本人の病気の進行に合わせてかかわる人の考え方も変わるからである。また、日本人の意識の中に、結果よりもそのプロセスに関わったことに価値をおく傾向があるように思う。欧米のように患者の自己決定だけを最優先するやり方は、特に患者の死後に残された家族に心の傷を残すことがあるので注意したい。


<注意すること>

1)医師の独断で決めないこと。
 日本のいわゆる安楽死事件と呼ばれるものは、ほとんど医師が個人で、患者の意思に従って安楽死を目的に注射した、呼吸器を停止させたというような事例が多い。アドバンス・ディレクティブを出すのは、終末期のことが多く、患者も家族も非常に疲れていて、早くこの辛い状態が終わってほしいというプレッシャーが医師一人に加わってくることがある。非常に微妙な問題なので、少し時間がかかっても、患者と医師だけで密室で決めるのではなく、家族、他の医療スタッフと一緒に十分相談した上で、対応を考えていくという実施することが患者・医師双方を守ることになる。

2)患者の希望をすべてかなえることはできない。(安楽死、適応でない治療など)
 患者の自己決定を尊重することが大事だからといって、すべて患者の言いなりになる必要はない。例えば、手術適応のない癌の手術治療や、安楽死の薬を出してほしいといわれても、それは医師の良心に反するのでできないということをはっきり伝えて拒否してかまわない。ただ、なぜ安楽死の薬を欲しいと言われたのか。耐えられない痛みがあるのか、安楽死の薬以外で患者の苦痛を取る鎮静などの対応を考量する必要がある。

3)マニュアル化された事前指示文書の作成を目標にしないこと
 本稿では、あえて事前指示の文書例を示さず、Note1に、日本で使われているいくつかのアドバンス・ディレクティブのホームページを提示することにした。それは、アドバンス・ディレクティブの一番の目的が、意識のしっかりしている間に、患者が希望する治療方針を文書で残し、意識低下時にも医師が悩まずに治療できるようにすることではなく、患者がその時々に感じる不安や願いを医療者と家族が受け止めて支えていくことだと考えるからである。



☆Caseの教訓 
 Caseは、意識障害、せん妄、呼吸困難、嚥下障害、耐えられない苦痛などが予測され、CPRをするかどうか、人工呼吸をするかどうか、鎮静をするかどうか、などが検討されたが、誤嚥性の肺炎の対応や、それに伴う点滴や抗生物質の注射をするかということまでの話し合いができていなかったことが問題だった。ただすべての今後起こりうる医学的問題と治療の可能性について、すべて患者に聞いておくことは不可能である。
このケースについていえば、抗生物質や点滴については患者の明らかな治療拒否があったわけでないので、患者の意思ではない。代理決定をする妻と両親の意見の相違をどう調整するかということについて、主治医は、「本当に患者にとって最善の治療とは何か、抗生物質と点滴を3日間やってみて症状が回復方向へ向うかどうか検討したらどうでしょうか」と話し妻と両親双方の承諾を得た。

参考文献(臨床での倫理的問題全体を考える上で参考になるもの)
1) Bernard Lo: Resolving Ethical Dilemma A Guide for Clinicians.6th Edition. Lippincott , Williams&Willkins, 2000(日本語訳が北野善良、中澤英之、小宮良輔訳「医療倫理のジレンマー解決への手引きー患者の心を理解するために」という書名で西村書店、2002)様々な臨床で出会う倫理的な問題への対処法を書いた教科書で、実践的。翻訳の最後にー患者の心を理解するーという視点で貫かれた名著である。ただアメリカのものであるので、法的根拠などそのまま日本で使えない部分もある。
2) Jonsen AR, Siegler M, Winslade WJ:Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (3rd ed.). McGraw-Hill, New York, 1992.(日本語訳が赤林朗、大井玄監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版1997)
臨床倫理の4分割表の詳しい解説テキスト、日本語版は最後に日本で用いる方への解説がある。
3)Sugarman J: 20 common Problem series, Ethics in Primary Care, McGraw-Hill, New York, 1992.
プライマリ・ケア医の直面する倫理的な問題20項目を選んで論じた教科書)
4) Hebert: P G: Doing Right - A Practical Guide to Ethics for Medical Trainees and Physicians, Oxford, 1998
カナダトロント大学の医療倫理兼プライマリ・ケア教育に携わる先生が書かれた教科書で実践的
5)坂上正道、佐藤智(編)在宅ケアとリビング・ウィル、日本評論社、1996
日本で先駆的に在宅ケアを展開されているライフケアシステムが企画されたシンポジウムの記録であるが、日本でリビング・ウィルを具体的にどう使うかについて多くの示唆を与えてくれる。
6)Danis M,Garrett  J, Harris R, Patrick DL.:  Stability of choices  about life-sustaining treatments. Ann Intern Med 120 : 567-573, 1994
7)白浜雅司:DNAR オーダー、延命治療の中止。認定内科専門医会編「より良いインフォームド・コンセント(IC)のために」116-121.日本内科学会,2003



まとめ


☆緩和医療の知識
□意識が低下して患者が治療法の選択をできなくなる場合に備えて、前もって患者の治療についての希望を聞いておく方法を身に付ける。


☆ギアチェンジの実際
□アドバンス・ケア・プランニングの概念が理解できる。
□患者の選択のもとになっている患者の価値観を知ることができる。
□アドバンス・ディレクティブ(事前指示)のために必要な項目について理解し、実践できる。
□DNARオーダーについて知っていて、適切に運用できる。
□患者と家族の意見が異なるときの対応ができる。
□患者の決定をきちんと医療スタッフの共通理解として認識し、急変時にも適切な対応がとれる。


☆注意点
□医師以外の医療スタッフ、家族など患者のケアに関係する者の意見を十分に聞き出すこと。
□患者の希望を全てかなえることはできない。(安楽死、適応でない治療など)
□マニュアル化された事前指示文書の作成を目標にしないこと。


謝辞:原稿作成中にターミナルケアの大切さを身をもって教え召天した義父快英と、家族としてケアに参加し、表紙のイラストの原案を描いてくれた娘かおりに感謝する。


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