(報告)
「学生が経験した症例をもとにした臨床倫理教育」
Clinical Ethics Education Using Case Studies of Dilemmas Faced by Students
 三瀬村国民健康保険診療所/佐賀医科大学総合診療部
 白浜雅司 
 Masashi shirahama
 (生命倫理8巻1号 1998.9. 81〜88頁に掲載)


(抄録)
 佐賀医科大学では4年次と6年次のの学生に、臨床倫理の教育を行っている。
 4年次では臨床入門系統講義の中に臨床倫理のコマを設け、Jonsenらの医療倫理の4分割法(医学的適応、患者の意向、QOL、周囲の状況)を教えた上で、倫理的ジレンマを含む臨床症例を提示し、倫理的問題の分析や対応を考えている。
 6年次では、さらに深く学びたいと思う学生を対象にした選択コース「臨床倫理」を設け、彼らが臨床実習などで倫理的ジレンマを感じた症例について、臨床入門で用いた臨床倫理の4分割法をもとに討議している。このコースには医師だけでなく、学内の一般教育の法学、倫理、社会学、心理学の教官も参加して学際的な討議を行い、インターネットを使って医療倫理に関心のある方々の意見も伺っている。
 学生は、このような実際の症例の臨床倫理的な検討を高く評価している。この教育を通して、彼等が将来積極的に臨床倫理を考えてくれることを願っている。

キーワード:臨床倫理、症例検討、学際的教育、インターネット


The Clinical Ethics Education using case studies of dilemmas faced by students
Masashi Shirahama, M.D.

Director, Mitsuse National Health Insurance Clinic
Lecturer, Department of General Medicine, Saga Medical School
 
  At Saga Medical School, I teach Clinical Ethics to fourth-year medical students as one component of their introduction to clinical medicine.  In this course, students are taught about the 4-Box Analysis of Clinical Ethics (Medical Indication, Patient Preference, QOL, Contextual Features) devised by AR Jonsen (Univ. of Washington).
  We also teach an elective course "Clinical Ethics" for the sixth year medical students. In this course, the students choose the case of ethical dilemmas which they have encountered during their bedside assignments. This case discussion is carried out not only with other physicians but also teachers of law, sociology, philosophy and psychology from the general education section of this medical school. The cases and their analyses are sent via Internet to bioethicist, doctors and the lawyers in Japan and in foreign countries to ask for their comments. This case study is truely an interdisciplinary and international education.
  The students have evaluated this experiences as both exciting and practical. We hope they will continue to think seriously about ethical dilemmas in the future as physicians.

Key Word: Clinical Ethics, Case Study, Interdisciplinary Education, Internet



1、はじめに
 日本の医学生に対する医療倫理の教育は、大切であるという認識はあるものの、低学年における医学概論などで、生命倫理についての概論的講義が行われているだけのことが多く、高学年の臨床実習を経験した学生が実際の症例の倫理的問題に気付き、その解決を見い出すのに役立つようなリアリティのある倫理教育がなされているとは言い難い1)。このような現状の中で、近年米国で発達し、今学会でも紹介されてきた臨床の現場の倫理的な課題の解決に有効な臨床倫理の考え方2)をもとに佐賀医大6年生で取り組んでいる臨床倫理教育について報告する。
2、臨床倫理教育を始めた経緯
 佐賀医科大学の医学生に対する医療倫理教育全体の詳細については、すでに学会誌に発表しているのでそちらをご覧いただきたいが3)、以前からあった低学年での医学概論での医療倫理の特別講義に加え、4年前より、5年の臨床入門コースの中で筆者が「臨床倫理」2コマを始めた。この2コマ180分の時間の前半でJonsenらの提唱した、臨床倫理Clinical Ethicsの4分割法の考え方4)を教え、後半で「骨転移で発見された45歳の会社社長への対応」といった症例をもとに、1)この症例における倫理的な問題を挙げ、2)その疑問点を検討し、3)自分が担当医だったらどうするかという対応について全員で討議してきた。
 このような臨床倫理の授業に対して多くの学生は、「医療倫理の問題は、特別なケースだけで考えるのではなく日常の臨床の中で常に考えていなければならないのだということを実感できた」、「脳死や臓器移植のような特別な問題を低学年で学んだ時より、ずっと実践的内容で興味深かった」などと肯定的に評価していた。しかし、一方で「100人相手の授業では、表面的な討議しかできず無理がある」、「まだ病棟実習が始まる前で患者さんと接したことがないので実感が湧かない」、「このような教育は大切なのでもっと時間をかけて学ぶべきだ」などという意見があった。
 どうしたらこのような学生の要望に答えられるだろうかと模索していたところ、一般教育(哲学)の教官より、医療倫理について一般教育と臨床の教官による共同研究ができないかという誘いがあり、大学の特別研究費の補助を受け、医療倫理の基本的な書籍などを揃え、6年次の選択コースの中に新たに4週間の「臨床倫理」コースを設けることが計画された。佐賀医科大学では開学以来6年次のカリキュラムの中に、基礎医学、臨床医学両分野の中から自分の興味のある分野や苦手な分野を選んで学ぶ18週間の選択コースが設けられており、この中に新しいコースを作ることは、比較的容易であったからである。
 この選択コースを開設するにあたり、1)臨床の症例に基づいた教育、2)教官が一方的に教えるのではなく、学生主体で、教官も一緒に学べるような教育、3)一般教育、臨床双方の教官が協力して行う教育を目指した。
 現在まで、1995年度7名、1996年度5名、1997年度10名の計22名の学生がこの臨床倫理コースを選択した。
4、コースの具体的内容
 学生には原則として週1回、午後4時から2時間ほどの討論に4回出席することを義務づけ、学生同士の意見交換ができるように2、3人が同時に履修することを勧めている。
1)症例の選択と文献紹介
 第1回目は、コースのオリエンテーションとして学生に5年生の学生実習で受け持った患者の中で、倫理的なジレンマを感じた症例、何となくあれで良かったのだろうかというような後味の悪かった症例を出してもらう。複数ある場合には、できるだけ多角的な倫理課題を含むような症例を選んでいる。さらにEncyclopedia of Bioethicsを始めとした医療倫理関係の参考図書の紹介し、JonsenらのClinical Ethicsを翻訳した「臨床倫理学」5)を貸与して医学的適応、患者の意向、QOL、周囲の状況の4分割法をもとにした臨床倫理の考え方の枠組みを深く学んでもらう。
2)症例提示と倫理的分析
 取り上げる症例が決まると、学生は約1週間をかけて自分の実習記録や実際のカルテなどをもとに症例をまとめ、Jonsenらの臨床倫理の4分割法を用いて倫理的問題点を分析し、自分がその症例で問題と思う点、考えてみたい点を列挙する。実際に検討した一つの症例を示す。(図1、2)
3)症例の検討
 第2回目以降の討論には、この教育に協力する社会学、法学、心理学など一般教育の教官も加わり、症例の発表と分析、問題点の検討を行う。
 討論では、患者自身はどう思っていたのかなど、症例提示で不足している点が指摘される。筆者は学生のインタビュー教育や患者受療行動の教育にも関わっており、患者のニードに応える診療をするため、患者の仕事や家庭背景、病気に対する解釈モデルなどを聞くことの大切さを強調しているが、このような討論を通して、学生はいかに自分たちが医学的側面についての病歴しかとっていないかということに気付くようである。
 最初は学生同士で討論させ、後に教官が問題点についてコメントしたり、討論したい事項について書いてある参考文献を紹介したりする。教官もその場では十分にコメントできないことも多く、次週までの課題となることも多い。
 このケースでは、図1に挙げたように担当した学生は、「自殺未遂を起こして受診した患者の医学的な対応が適切だったのか、また広くこのような老人の自殺患者にどう対応するのか」を問題にしていた。
 まず討論では「医学的な適応」と「患者の意向」から患者の精神医学的な背景と患者の判断能力が検討され、退院後も慎重な経過観察によって判断する必要があることが述べられた。さらに退院後の経過観察においては元MSWの社会学の教官の発言から、「周囲の状況」である患者が退院したあとの社会的支援ネットワークについての必要についての討論になった。救急医療においては、身体的治療がこの患者の主たる治療目標になるが、このケースではそれだけでは十分ではない。今後の家庭での日常的な生活をどうサポートするかが大切になる。日本でも高齢者への社会的支援システムが近年作られつつあり、ホームヘルパーや、保健婦、地域の医者、地域の精神保健センターなどと主治医が連絡をとることが、このような患者の手助けになるだろう。学生はここで医療と介護ケアシステムの具体的な連携の必要性を知ることになった。
4)インターネットを用いた議論
 学生が取り上げた症例や討議したい内容は、英訳も加えて、この教育に協力下さる国内外の方々に電子メールで転送し、それぞれの立場からのコメントをいただいている。最近は英訳の下訳も学生がやるようになった。
 現在、国内外の15名近くの方に症例を送っていて、その中から平均6、7名ほどの方がコメントを下さる。アメリカミシガン州立大学の生命倫理センター所長のHoward Brody教授は、Cross-Cultural Issues in Medical Ethics: A Japanese/American Dialogueというホームページを作って、学生の提示した症例とコメントを載せて下さっている。5)
 コメントを下さる方は、最初は生命倫理を研究している専門家が多かったが、最近では、哲学や法学の専門家や牧師、開業医、保健婦など、色々な分野の方からのコメントをいただけるようになった。参考にこの症例へのコメントの抜粋を示す(図3)。
 佐藤氏の患者と同じ世代を生きてきた一市民として、患者の人生の歴史まで考えた生きがいの分析は、われわれの討論では思いも寄らぬものであった。
 また、米国ワシントン州立大学医療倫理教室のMcCormick氏は「ペットやお孫さんや、信仰や庭いじりなどその人が関心のあるもの、人生に意味を持たせるようなものはないか」などと具体的な生きがい探しについてまで言及されていた。
5)討論のまとめとお礼
 学生は、討論や寄せられたコメントをまとめた上で、最後に自分が検討したかった点についての自分なりの回答、討論全体についての感想をまとめ、コメントして下さった方々にお礼として送っている。現在のところ、コメンテーターはまったくのボランティアで参加して下さっているが、臨床の現場が見えて興味深い、他の方々のコメントが勉強になるなどと好意的に評価していただいている。さらにこのまとめは順次、佐賀医科大学総合診療部のホームページの中の臨床倫理のページに掲載していく予定である。7)
5、これまでのコースの実績
 1997年度に開設された選択コース全91コースのうち1学年95名で10名以上の学生が選択したコースは14コースだけで、毎週討論の準備に平均5〜10時間ほどの時間かかっていて、決して楽なコースとはいえないにもかかわらず、多くの学生が選択するようになったこと、選択理由として先輩に為になるからと勧められて選択したと書いているものが多いことなどから、学生の支持を受けるコースとして認められつつあることが伺われる。
 また学生が自分たちの臨床実習の中でいかに倫理的問題に気付くかどうかが、この選択コースが成立するかどうかの鍵であるが、選択した学生22名中、21名の学生までが実際に自分が経験した症例を取り上げていた。
 具体的にあげられた症例で取り上げられた問題点(図4)は、癌告知などインフォームドコンセントに関するものが15例で最も多く、次が延命治療や、患者の望むケアなど治療法の選択についての問題が14例、患者家族への対応の問題が2例などであった。これらは私たち臨床医が日常診療で出会う倫理的問題とかなり似通った内容だと思われる。
6、コースの評価
 この選択コース「臨床倫理」の討論に参加した学生、教官の評価は、討論後のアンケートで全員がためになったと評価していた。
またそのためになった理由として、
 学生からは、1)自分が臨床実習で受け持ったケースなので、主体的に考えられる。2)4分割法を用いて色々な視点から症例を検討することで、医学的適応の情報しかとっていなかったことを実感できる。3)一般教育の教官が参加することで、医学以外の人にわかりやすく医学的問題を説明する訓練になる。また他職種の方々と討論するということ自体がチーム医療の体験につながる。4)討論は倫理的原則論で終わるのではなく、最終的に実際にこのケースで今何ができるかという具体的な対応を考えていくので、倫理的な課題を考えることは無駄なことではなく、実際医師になってからも、積極的に考えていこうと思った。などということを挙げていた。
 一方教官側の意見としては、1)医療の倫理的側面に敏感で、臨床実習中に疑問に感じながらも解決できずに悶々としているような学生の良い芽を伸ばすことができる。2)一般教育の教官にとっては、自分たちが臨床の現場の課題を知る良き機会となる。3)学際的、国際的コメントをもらうことで、参加する学生、教官ともに自分の視野を広げることができる。特にインターネットを使って多くの方の意見を聞くことは、医療倫理の知識も経験も未熟な小人数の教官と学生の間で、閉鎖的になりがちな議論に幅をもたせてくれる。4)大切なポイントは複数の方から同様のコメントをいただくことで明らかになって行く。
などということが挙げられていた。
 一方問題点としては、1)ある医療者への批判や愚痴だけで終わると、今後どうしたらいいのかという建設的な意見が出にくくなる危惧がある。2)多分野の人の討議で、論点が広がりすぎて収拾がつかなくなる。3)電子メールを使った文章だけのやり取りでは、真意が十分伝わらず誤解して伝わることがある。4)外国からのコメントは医療制度や文化の違いがあり、日本でそのまま適用するのは難しいことがある。5)できるだけ実際の症例をもとにしたリアリティのある検討を目指そうとすると、患者のプライバシーを侵すことになりかねないなどということが指摘されていた。
7、今後の課題
 (1)現在用いている4分割表を用いた臨床倫理の考え方が本当に日本の日常臨床で使えるかどうかの検討。
 これまでのところ、短時間の講義で、一応学生も使いこなせているようであるが、この方法が本当に日本の症例にすべて適用できるのか、見落としている問題点はないか、またその原則の背景にある考え方が日本でも当てはまるのか、(たとえば筆者は周囲の状況の背景となったJustice & Utility:公正と効用という原則は日本ではHarmony:和というようなものが周囲の状況を規定しているような気がしているが、この当たりは今後さらなる検討が必要であろう)。また今回の発表後、医学生が4つの枠組みを埋めることに精一杯で、真の倫理的課題が見えなくなるのではないかという指摘があったが、医学生は4分割表の医学的適応だけに目が向いていることが多く、それ以外の患者の意向、QOL、周囲の状況を考えるようになるメリットの方が大きいようである。
 (2)このような教育に関心をもつ仲間を増やすこと。
 今後一緒に働く上で一番近いパートナーとなる看護学生や看護婦、その他の医療スタッフや一般教育の教官、さらに患者や家族の立場から発言できる人の参加を願っている。現在のところこの教育は、協力していただく多くの方々の善意で成り立っているが、より多くの学生を相手にするには、倫理教育に一緒に当たってくれるより多くの教官が必要になる。誰がこのような医療者への倫理教育に当たるのが適当かという議論もあるが8)、私はやはり、現場で倫理的な問題に悩んでいる臨床医と、倫理、社会、法律などの専門家の共同で担当するのが一番良いと思う。様々な分野の教官たちが討議することを学生は興味深く感じているし、そのこと自体が学生にチーム医療の大切さや、医療以外の方の意見を聞くことの大切さを教えていると考えている。
(本紹介は1997年第9回日本生命倫理学会年次大会セッション4「生命倫理教育1」において発表したものに加筆訂正したものです)

【謝辞】
 これまでこのような教育に参加し、協力いただいた佐賀医科大学、小泉俊三(総合診療部)、齊場三十四(社会学)、針貝邦生(哲学)、増田幸弘(法学)、妙木浩之(心理学)の教官各位、コースを選択し積極的に討議に参加してくれた学生、インターネットなどを通じて医療倫理の討論にコメントを下さった国内外の方々にお礼申し上げます。
 なお本論文は上廣倫理財団平成8年度研究助成による研究成果の一部で、これまでの教育研究に対する助成に感謝致します。

(引用文献)
1)宮坂道夫「実態を持たないわが国の医学部・医科大学の倫理教育」メディカル朝日、24(12)、35-40、1995
2)赤林朗、大井玄「医療・看護実践および教育の場における“クリニカル・エシックス”の役割、5(1)、55-59、1995
3)白浜雅司「佐賀医科大学における医療倫理教育」生命倫理、6(1)、57-61、1996
4)白浜雅司「臨床倫理Clinical Ethicsの考え方」家庭医療、5(1)、12-16、1997
5)Jonsen AR et al. Clinical Ethics--A practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine (3rd ed.). McGraw-Hill, New York, 1992. (大井玄、赤林朗監訳「臨床倫理学:臨床医学における倫理的決定のための実践的なアプローチ」新興医学出版社1997
6)(Cross-Cultural Issues in Medical Ethics:A Japanese/American Dialogueのホームページ) http: //iphh.cal.msu.edu/japan/#top
7)(佐賀医科大学総合診療部のホームページ)  http://www.saga-med.ac.jp/hsp/genmed/
8)大林雅之「患者としての医学生」倫理教育への改善の視点、現代のエスプリ、313号
特集「良い医者を育てる」、152-163、1993