症例に含まれる臨床倫理の課題を認識するには

               三瀬村国民健康保険診療所 白浜雅司

(治療87巻増刊号「先生!ご存知ですか?知って得する各科の“ノウハウ”」

2005年3月738−741ページ、南山堂より)

 

はじめに

最近、卒前教育だけでなく、様々な職種の生涯教育において、臨床倫理への関心が高まっている。特に新たに始まった医師の卒後臨床研修の到達目標に医療倫理が組み込まれたことは1)、さまざまな医療問題(特に最近の患者の医療不信の増加)を解決する方法として、臨床倫理の考え方が基本的臨床技能の一つとして認知されたためであろう。しかしながら、まだ医療倫理の学びが、知識や教養に留まっていて、日常臨床の中で倫理的な問題を認識して対応するという臨床倫理の実践にまで結びついていないように思われる。ここでは、臨床事例の倫理的問題の認識を増すための工夫について提言したい。

 

T、臨床倫理とは何か2)

まず、臨床倫理とは何かについて、筆者は、「日常診療の場において、医療を受ける患者、患者の関係者、医療者間の立場や考えの違いから生じる様々な問題に気付き、分析して、それぞれの価値観を尊重しながら、関係する者が納得できる最善の解決策を模索していくこと」と定義してきた。また、Jonsenらの臨床倫理の最新版3)には「医学は、人間同士の出会いであり、互いに敬意や正直さ、信頼、思いやりを持ち、共通の目標を追求するなら、医師・患者間に深刻な摩擦はめったに生じないものである。しかし、時に医師と患者は価値について意見を異にすることがある。倫理的問題が生じるのはこのようなときである。臨床倫理学は、困惑が大きく感情が高ぶっているときでさえも、医師、看護師、患者と家族は臨床医学の倫理的問題の多くを明らかにし、分析、解決するために建設的に努力することができるという信念の元になりたっている」と書かれており、ある臨床事例に関係する者の意見の相違、(それは必ずしも理論的でなく、感情的であることが多いが)を認識し、分析して、なんとかそれを解決して、最善の対応をする試みと考えていただきたい。

 

U、事例

話を具体的にするため、ひとつの事例を考えてみることにしよう。臨床倫理は、総論も大事だが、事例の解決に寄与して初めて意味があるものだからである。

80歳女性。高血圧で近くの診療所でフォローアップされていたが、最近痴呆症状が出ていて、どのようにフォローするかケアマネージャーも含めて検討していた患者。ある夜、同居している息子のお嫁さんから、患者が息苦しそうで顔色も悪いので、みてほしいと言う電話があり、診療所に受診してもらった。受診時、患者は、自分で診察室まで10mほどを歩き、体温、血圧も、脈拍も異常なく、心音、呼吸音も特に異常なくSpO2も95%と正常であった。本人に「今どこか痛い?苦しい?」と聞いても、「どうもない」と答え、「心配だったら、病院に紹介してもいいけど」と聞いても、「いや、このまま家に帰って寝たい」と言われたので、お嫁さんに「このまま様子を見ましょう。何かあったら夜中でも連絡下さい」と話して帰した。お嫁さんは、何かあっってからでは間に合わないので、入院させたいと話されたが、医師は、患者本人が希望しなかったこと、以前、骨折で入院した時に、抑制されて痴呆が進んでしまったこともあり、できるだけ住み慣れた家でみたほうがいいと説明して納得してもらった。

翌日午前まで元気であったが、その2日後、呼吸がまた苦しくなって受診した救急病院に入院、翌日には亡くなられた。しばらくして、そのお嫁さんが受診され、「せっかく夜連れてきたのに、なぜその時入院を強く勧められなかったのですか。患者は痴呆で判断できなかったのですよ。」と非難された。担当医は、自分なりに精一杯患者の願う対応をしたという自負はあったのだが、一方でこれからは、家族がちょっと心配されているような事例は入院させるべきか、最近、病院も医療費削減のあおりで、いわゆる社会的入院は難しくなっているのにと困ってしまった。

 

V、倫理的な問題に気づけない理由と対策4)

これまでの経験から、学生は簡単に倫理的な事例を出してくれるのに対して、実際働いて倫理的な事例に接することが多いと思われる医療者から、なかなか倫理的な問題のある事例を出すことが難しいようである。それは、なぜだろうか。倫理的な事例に気付くことを妨げる要因とその対策を提示したいと思う。

 

1、倫理的な事例は、特別な事例にだけあるという考え

一般的に、医療倫理的な問題としては、遺伝子治療、出生前診断、臓器移植など最先端の医療倫理や、出生時、終末期の治療などが取り上げられることが多い。そのようなトピックの倫理的な問題点を勉強しておくことは倫理的な課題を認識するうえで、ある程度役立つこともあるだろうが、「治療に協力してくれない糖尿病患者の事例」のような日常的な事例にも倫理的な問題が含まれるという態度で望んだほうがより多くの倫理的な事例に気付くきっかけになるだろう。筆者は臨床の現場で、関係者の考えが微妙に違っていて、うまく決断できない。あるいは決断したのだけれど、何かもやもやしたものが残っている事例を、臨床倫理の問題を含む事例として考えるきっかけにすればいいのと考えている。上記の提示事例は、一般的に倫理的な事例とはいわないのかもしれないが、もやもやとしたものが関係者に残っている事例であることは確かである。

 

2、患者、家族、ほかの医療スタッフとのコミュニケーション不足

倫理的な問題を気付くための手段はコミュニケーションで、その不足が倫理的な問題の半分はコミュニケーションの問題であると言っても過言ではない。

1)患者の情報を収集するコミュニケーション能力

2)患者にわかりやすく情報を伝達するコミュニケーション能力 

3)チームとして患者の自己決定を支えるコミュニケーション能力

それぞれ、自分一人ではなかなかできないことだが、1日5分でも患者のベッドサイドに坐って聴こうとする態度が、大事であろう。

 

3、診療が忙しく、倫理的な問題の検討まで手が回らない

日本の医師や看護師は、アメリカの5分の1、イギリスなどの3分の1の人数で、同じような医療行為をおこなっていて、倫理的な問題まで考える余裕がないと言われている。ただ、倫理的な問題を考えることは、時間とお金の無駄なのだろうか。

確かに、現時点で、倫理的な問題を考えたからと言って、医療収入が増えるわけではない。一時的には仕事が増えることになるかもしれないが、患者の希望をきちんと聞いて、医療の目標を設定することができれば、患者の満足を上昇させ、そのことがひいては医療者の仕事の満足をあげると思われるので、少し遠回りでも倫理的な問題を考えてはどうだろうかと思う。

限られた時間と労力で、倫理的な問題点を分析する方法として、私はジョンセンらが提唱した臨床倫理の4分割法で検討することを勧めている。詳しいことは筆者のHP5)などをみてほしいが、事例の問題を、医学的適応、患者の選好、QOL、周囲の状況の4つの分野を考えてみようとするものである。事例の分析を図1に示す。

 

図1、事例の4分割による検討結果

<医学的適応>

診断ははっきりしない

痴呆があるので自覚症状がはっきりしない

今バイタルサインはおちついており、客観的に緊急入院の必要はないと医師は考えたが、ほかにチェックもれはなかったのか。

<患者の選好>

苦痛はなかったようだ

痴呆があって自分の状態の苦痛がないということの判断がうまくできていない

家に帰って寝たいという患者の意思表示を尊重していいのか

代理決定者のお嫁さんの意見をどこまで尊重するのか

QOL

今苦痛は感じていない

このまま自由にしていたい

前回の入院で抑制されて嫌だった

<周囲の状況>

お嫁さんは悪化が心配

介護保健でのサポートを受けている

家族(特にお嫁さん)は突然亡くなったことに何かいい対応はできなかったのかという悔いがある。

このように、分析してみると、ひとりでやっても様々な問題が見えてくる。もし多くの立場の違う人で検討できれば、もっと多くの問題点が見えてくるだろう。

 

4、誰に(どこに)相談していいのかわからない。適当な指導者がいない

確かに、日本にはまだアメリカのような臨床倫理の専門家はいない、しかし、通常のカンファレンスで、関係者の意見が違っている事例を、4分割法で事例の検討できないだろうか。少なくとももやもやしたことがはっきりすると思うのだが。

ただし、このようなカンファレンスは参加者の意見が出しやすいような雰囲気をつくることが何より大切である。ある意味で、科学的な意見とういうより、個人の価値観をもとにした意見なので、発言には勇気がいるかもしれない。カンファレンスで、指導的立場にある方が、参加者の発言を批判せずに聞き出すこと、自分達もなかなか判断が難しいということを素直に吐露されると、その後の意見交換がスムースにいくようである。

ある勉強会で、30年ほどの臨床経験のある部長クラスの先生が「今でも予後の悪い患者への病状説明は難しいです。」と漏らされた後、若い先生方がどんどん自分の思いを語られたことがある。倫理の問題を考えるというのは、しっかり悩んでいいんだということを保障することが前提になるように思う。

もし可能ならば、看護師やソーシャルワーカーなどがカンファレンスに参加できるとより広い検討ができるであろう。そのような検討の中で、一つの職種だけの討論では見えなかった新たな解決策が見えてくることがある。

終末期がん患者の事例検討で、担当した若い医師は、合併症である肺炎は回復可能であり、疑いも持たずに、一生懸命治療をしようとしていた。しかし、看護師達は、患者が「もう患者も苦痛をともなう点滴や、人工呼吸はしたくないことをもらしていた」ということを何度も伝えようとしたが、医師にはその言葉が屆かなかったというようなことは多いようである。自分以外の医療者、特に他職種の意見を聞くということは、倫理的問題に気付く上でも、また問題を解決する上でも役立つ。

 

5、倫理的な問題を考えても、ケースバイケースで正解がない。苦労して考えても無駄である

正解がないということは、対応がないと言うことではない。上記の突然死の事例を勉強会に提示した医師は、他の参加者より、医学的なミスとはいえないと思うが、患者さんのお嫁さんは突然死を受け入れられなかったではないか。「自分はやるべきことはやった」と主張するよりも、「突然お父様がなくなられてつらかったでしょうね。このような結果になるとは予測できず申しわけありませんでした。」と心情に配慮した言葉をかけることが必要だったのではないかというコメントをもらって、目が開かれたと言う。このように、ほかの人と一緒に事例を検討することを通して何らかの新たな対応方法を見出すことで、患者の満足や、自分たちの納得が得られるような経験ができれば、次からもまた、考えてみようという原動力になるし、一度取り上げたような問題は、次からの気付きや対応がやりやすくなるだろう。一人だけで続けるのは難しい。ぜひこのような臨床倫理に関心をもつ仲間を作って、継続的に臨床倫理の事例検討を続けていただきたい。

 

参考文献


1)浅井篤:医の倫理、生命倫理の理解、medicina 40, 54-56, 2003増刊号、2003

2)白浜雅司:「日本における臨床倫理の適応」インターナショナルナーシングレビュー2001年増刊号、78-852001

3)A.R. Jonsen et al. Clinical Ethics 5th edition A Practical Approach to Ethical Decisions in Clinical Medicine.  McGraw-Hill.  2002

4)白浜雅司:臨床倫理実践のためのコミュニケーション 日本保健医療行動科学会年報2004、64772004

5)臨床倫理の討論のページ http://square.umin.ac.jp/masashi/