ケース2)肺結核症(感染症患者への対応)

症例(患者プライバシー保護のため内容を一部変えています) 
 症例は35才男性。3年前職場の検診で右上肺野に3ヶの直径1cmの腫瘤陰影を指摘さ
れて診療所受診。散布陰影のようで強く肺結核を疑い、後方支援病院で胸部CTをとり、
一部空洞化所見もあり、強く肺結核を疑い、今後排菌する可能性もあるので、できるだ
け早く結核病棟のある病院へ入院させて治療をはじめた方がよいとの専門医のコメント
を得、すぐCT写真のコピーと結核の専門病院あての紹介状を患者に渡しました。
どうもすぐに受診されなかったようで、気になったので3ヶ月後、本人にこちらから電
話し、病院に行くように勧めるも、元気で何の症状もないし、職場も忙しいので休めな
いというので、上司にも結核の疑いがあるので入院させてほしいと電話連絡を入れたの
ですが、本人が元気に働いているし、こちらから強制的に入院しなさいとは言えないと
いわれてしまい、そのままになっていました。小さい工場で中々休めない状況にあった
のかも知れません。産業医も10人以下の職場でいません。
ところが先日同じ職場の25歳の男性が、初感染結核の疑いで予防内服を保健所から勧め
られて診療所に受診されました。胸部レントゲン上は異常なかったのですが、ツベルク
リン反応が強陽性で、その紹介状で上記の患者さんが、ガフキー6号を出して入院、そ
の家族の2人も結核を発症しており、そちらの保健所から職場の管轄の保健所に連絡が
あり、職場の検診をして今回の患者の初感染が見つかったことを知りました。
主治医としては、3年前の時点で防げたのではないかと思われる悔いの残る症例でした。

  
      
3年前の胸部レントゲン写真    3年前の胸部CT写真

いくつかの疑問が残りました。
1)主治医は3年前にどのように対応すれば良かったのでしょうか?保健所の先生の話
しで、結核担当の保健婦がいて入院勧奨をするという方法があったかことを知りました
が、それでも強制力はないようです。
2)そもそも結核予防法では強制入院の措置はとれないとのことでしたが、その場合第
3者への感染防御はどのようになされるのでしょう。
3)今国会で、感染症予防・医療法というものが審議中ですが、患者の人権を守るのは
当然として、その人から感染を受ける被感染者の人権はどのように守られるのでしょう
か?たとえばエイズの人がどれくらい自分の病気をセックスパートナーに話し、性交渉
による感染を防いでくれるでしょうか?
4)職場検診で結核検診はあっていますが、要精密と書いてあっても放置して再検査に
行かなければ、感染は予防できないのではないでしょうか?

私は今夏、東京の清瀬にあるハンセン病資料館を見学し、いわれもなく収容され、社会
から隔離された患者さん方の現実を目のあたりにして言葉もありませんでした。ただ患
者の行動が感染を防ぐ方向にいってくれれば良いのですが、いつもそううまく行くので
しょうか?その人の病気のことだけなら自分の自己決定に任せて良いと思いますが、そ
れは他人に危害を与えないという範囲内でのことだと思いますが。



日本語のコメント集

藤林武史さん(精神保健センター所長、精神科医)のコメント

> 1)主治医は3年前にどのように対応すれば良かったのでしょうか?今回保健所の先生
> の話しで、結核担当の保健婦がいて入院勧奨をするという方法があったかことを知りま
> したが、それでも強制力はないようです。

 保健所としてどこまでできるのでしょうね。または、産業医としてどこまでできる
のかという問題のたて方もありそうですね。

> 2)そもそも結核予防法では強制入院の措置はとれないとのことでしたが、その場合第
> 3者への感染防御はどのようになされるのでしょう。

 精神保健福祉法ではかなり強制的な入院措置ができますが、結核予防法ではどこま
でできるのか、私も知らないのです。以前ある事例検討会でアルコール依存症で結核
を合併している患者が、精神病院を離院してしまい、その後結核治療ができずに困っ
たという話を聞いたこともあります。また、以前は結核があるにもかかわらず治療を
受けない患者はたくさんいたかと思いますが、その時代を経験してきた保健婦も少な
くなり、今の保健婦活動に受け継がれているのかどうか、これもよく知りません。

> 3)今国会で、感染症予防・医療法というものが審議中ですが、患者の人権を守るのは
> 当然として、その人から感染を受ける被感染者の人権はどのように守られるのでしょう
> か?たとえばエイズの人がどれくらい自分の病気をセックスパートナーに話し、性交渉
> による感染を防いでくれるでしょうか?

 どうなんでしょうか?今からの時代、民事訴訟の対象になったりするのでしょうか
?本人の責任が問われたり、職場や産業医の責任が問われるようなことになるのでし
ょうか?弁護士に訊いてみたいところです。

> 4)職場検診で結核検診はあっていますが、要精密と書いてあっても放置して再検査に
> 行かなければ、感染は予防できないのではないでしょうか?

 私は、県職員の健康管理にも少しは携わっているのですが、検診を受けない人も数
%あり、また要請密の判定があっても医療にかからない人もあり、その人たちへの強
制力というのはなさそうです。

 今回のテーマは、一般科医療、特に結核医療における強制的な治療行為がテーマと
思われますが、以上のコメントのように私では十分答えることができません。ここは
現役の保健所長さんに登場いただくのがよいかと思います。佐賀県の保健所長で、電
子メールをお持ちなのは、お二人ほどいらっしゃいます。もしよろしければ、私の方
からお誘いすることはできます。ひとりは佐賀医大卒の方です。先生もご存じの大分
県の藤内先生のコメントもいただけたら、おもしろい展開になりそうです。現職の結
核担当の保健婦で電子メール使える人があれば書いてもらいたいところでもあります
が。結核研究所の保健婦とはちょっと知り合いですが。

 全体として、期待に添えなくてすみません。ただ、私の立場でコメントできる部分
があるとすると、本人への最初の指示の部分で、入院ではなくとりあえず専門の病院
への受診を勧めるだけにしたらどう展開したのかという印象はあります。精神病院の
場合もそうですが、専門病院への入院というのはとっても不安なことのようです。そ
の場合とりあえず、外来診察だけでも行ってもらい、慣れてきたところで入院をすす
めたりします。

> 私は今夏、東京の清瀬にあるハンセン病資料館を見学し、いわれもなく収容され、社会
> から隔離された患者さん方の現実を目のあたりにして言葉もありませんでした。ただ患
> 者の行動が感染を防ぐ方向にいってくれれば良いのですが、いつもそううまく行くので
> しょうか?その人の病気のことだけなら自分の自己決定に任せて良いと思いますが、そ
> れは他人に危害を与えないという範囲内でのことだと思いますが。

 うーん、難しい問題です。他人に危害を与える可能性だけで、その人の行動を制限
できるのか、精神保健においても最大の難問です。可能性がどの程度高ければ、制限
することができるのでしょうか。



藤内 修二さん(保健所長、医師)のコメント  

結核を含め,感染症対策は新たな局面を迎えています。感染症としての脅威は相変わらず
なのに,大した病気ではないと軽視する風潮がある一方で,偏見が根強く残り,人権問題
もあって,従来のように強制的な治療も難しくなってきているからです。

1)主治医は3年前にどのように対応すれば良かったのでしょうか?
>病院に行くように勧めるも,元気で何の症状もないし、職場も忙しいので休めないとい
>うので、上司にも結核の疑いがあるので入院させてほしいと電話連絡を入れたのですが
>本人が元気に働いているし、こちらから強制的に入院しなさいとは言えないといわれて
>しまい、そのままになっていました。
 3年前の先生の行動は,本人の承諾を得た上で,上司に連絡を入れたのなら許される
のですが,もし,そうでないとしたら,プライバシーの侵害として問題にされても仕方
ないかもしれません。3年前の段階では排菌もまだなく,結核予防法の第28条で言う
就禁止の措置まではとれないと思います。ただ,残念なのが,当時,入院治療を勧めた
専門医の判断です。現在,ガフキーが2,3号出ていても,外来の治療で治療は可能
ですし,必ずしも35条の命令入所をかけずに治療することもあります。主治医として,
仕事をしながらでもきちんと治療できる旨を説明することが必要だったのではないで
しょうか。

2)そもそも結核予防法では強制入院の措置はとれないとのことでしたが、その場合第
3者への感染防御はどのようになされるのでしょう。
 これは,現在,うちの保健所でも抱えている大きな問題です。多剤耐性の結核患者で
ガフキーが5号以上コンスタントに出ている患者が療養所から自己退院したままになっ
ているのです。何とか,保健婦の説得で外来での服薬をしていますが,多剤耐性のため
排菌はいっこうに減らない状況です。このケースは夜は飲み屋に行きますが,その行動
を禁止する権限はないのです。周囲の人にこのケースが結核菌を排菌していることを
漏らせば(知らせれば),守秘義務を犯すことになってしまうのです。

3)今国会で、感染症予防・医療法というものが審議中ですが、患者の人権を守るのは
当然として、その人から感染を受ける被感染者の人権はどのように守られるのでしょう
か?
 この点については,小生も全く同感ですが,感染を免れるべき権利をどう守るのかは
残念ながら,検討されている様子はありません。上述のケースについて,結核研究所の
専門医にも尋ねましたが,妙案はないとの返事でした。

4)職場検診で結核検診はあっていますが、要精密と書いてあっても放置して再検査に
行かなければ、感染は予防できないのではないでしょうか?
 要精密と判定された職員が本当に受診しているかは,安全衛生管理者が管理をするこ
とになっていますが,50人以下の中小企業ではほとんどできていないのが現状です。
この件で労働基準監督署とも協議しましたが,50人以上の事業所の管理指導で手一杯で
中小企業の実態さえ把握できていないとのことで,がっかりしました。

 しかし,このケースは3年後に家族内感染,職場内感染を引き起こしており,大変悔
やまれるケースですね。患者にとって,受け入れられる治療方法を提案し,納得できる
まで説得することが肝要かと思います。何しろ,主治医が最も情報を多く持っており,
その情報を患者に許可なく他の人に伝えて,説得を促すことは困難なのですから。極端
な場合,配偶者に伝えることさえ,拒否されることがあります。もちろん,結核予防法
に定められた保健所への通報は許可なくできるわけですので,その情報を元に保健所と
一緒に粘り強く働きかけることも必要だと思います。
 3年前に先生にアドバイスした専門医がどの程度の「専門医」かどうかわかりません
が,呼吸器を専門にしている先生の中にも,結核への適切な対応が必ずしもできない現
状があります。こうしたケースを地域の医学会などで発表することで注意を喚起し,臨
床における適切な対応について議論するきっかけを作ってくれれば,幸いです。
明快な回答はできず,すみません。小生も悩んでいる状態ですので・・・



 佐々木香織さん  社会学大学院博士過程在籍 英国在住のコメント
(学士 人間科学・社会学  修士 Cultural Studies)

 質問の4つを総括して書きたいと思います。なぜなら質問4つともに「時代」を考慮
しなくてはいけないと、主に以下の個人体験から痛切に感じたからです。

個人体験といいますのは、戦前と戦後派の中間の世代にある私の父は、自分の子供た
ちが微熱があって、だるい、寝汗をかくという三点セットがそろうと結核じゃないか
?と疑うのが習わしでした。さらに母も幼少期の親戚の感染体験からその初期症状を
知っている上、80年代にも比較的身近なところで大学生が感染したので、母までも
感染を心配することもありました。ところが、先日友人たち(私と同じ世代ですが、
両親が若い)に我が家の状態を話しましたら、「時代がかっている」といわれたので
す。我が家では結核とは未だに少し恐い病気として認識されていますが、昨今の家庭
では見られないそうです。このことは実は大きいのでは?という視点と社会学徒の端
くれとしての観点から書いてみました。

この症例の感染した人本人、結核の恐ろしさの自覚があったのでしょうか?また工場
の人にもあったのでしょうか?どうも結核というと、予防接種ツベルクリンと、記憶
が正しければ戦後まなしに出た特効薬のストレプトマイシン(?)などの登場により
、50年代以降は侮る人が多いのが、今回の悲劇のような気がします。社会からほと
んど消てしまった病気だけに、それがいかに恐ろしい病気であるかわからないのでは
ないでしょうか?今の医者のほとんどは、結核の恐ろしさを原体験ではなく、書物等
で習っているでしょう。専門家の間でも「過去」の恐ろしい病気である以上、一般の
記憶は薄れ行くものではないでしょうか?
反面、過去の亡霊はまだあるもので、結核=重篤=隔離・入院=帰ってこない <死
>というぼんやりした社会イメージも残っています。初期のうちならば(感染だが発
病していないとか)確か通院でも大丈夫なはずですし、発病した場合でもそう何年も
病院に入ることもありません。しかし結核ならば重篤であるというイメージゆえ、元
気だった患者は己の感染を信じることはできず、反面「死病」だったという漠然とし
た「恐怖」もあって、結核入院の足を遠のかせたと思います。
一方で、現在アフリカなどを中心にエイズの日和見感染の一つとしての結核感染や、
日本国内でも院内感染も報告されている以上、また若干蔓延する可能性を否定しきれ
ません。

そこで簡単な結論として、結核についての病状の進展やその感染力の怖さの再認識と
、逆に今は「治る」病気であることを知らしめることが、結核が出た地域の行政、保
健所、町内会などの役割のような気がします。さもなければ、たとえ薬を処方しても
、症状が出ないと「風邪」のように「もう大丈夫」と判断し、服用を止めてしまって
(本当は服用が数ヶ月必要でありながら、)一生結核から逃れられない重篤の結核患
者に結局はなってしまうという恐れがあると思います。また、結核と診断されても発
病前や軽い症状の場合は、過去の重病=死病というイメージ(主に激しい喀血)ゆえ
に、自分の病気が結核とは信じられませんから、病態についての再認識が必要でしょ
う。

具体的に、もう少し書いてみます。

ご質問の1、2、3、にあるように今現在「隔離」というものが人権上よくないと考
えられています。結核よりも社会的に制裁され怖がられていた「らい病」に対しても
の強制隔離の法律も先日廃棄されたという旨を聞きました(未確認ですが)。結核の
入院にも強制力がないのは、その流れとして考えたほうがよいので、無理強いはでき
ません。
明治末期から大正ごろ(いわゆる19世紀末から20世紀初頭)は無頭児を生んだり
、いわゆる重病人(疱瘡・らい病・結核が主)がでると、その家系は「付き物筋」<
EG おしょぼつき、病まけ>だとかなんだとかいう噂が立ち、いろいろな意味で(特に
結婚)忌避の対象となりました。近代化に伴ったらい病の隔離政策や、コレラなどの
伝染病の死亡者の火葬義務などが、このような偏見を助長したともいわれています。
ある「病気」がゆえの隔離や差別を生んだ歴史はを鑑みても、強制入院や村八分の雰
囲気を作ることは、避けなくてはならないでしょう。

ところで、上記の病気による社会不安の状況は、昔話ともいえないと側面があります。
というのも、結核・疱瘡とエイズは混同できませんが、80年代から90年代始めに
かけて、エイズの錯綜した情報が感染と差別を冗長させたことは否めません。この事
実は質問1−4に対して示唆する点があると思います。
エイズに関して80年代いっぱいは、さまざまなデマが飛んでいて、何がなんだかわ
からない状況でした。その当時の少年少女むけの普通の漫画やアニメなどでは、ホモ
=エイズだとか、つばかけるなよ、エイズがうつる!と言ったせりふがなにげなくは
いっています。(青年や成人女性向だけでなく本当に他愛のないものにまでです!)
 この間に社会不安と感染自体が広がったと思います。しかしながら、政府系のエイズ
予防キャンペーンと薬害エイズの社会問題化が90年代半ばになると、功を奏して実
態が明らかにされるようになりました。たとえば今現在ではキスや握手で染らないと
いうことや、血液か精液・膣粘液などからしか染らないことが大学生くらいになると
知っている状況になりました。このことをもう一度念頭に入れて考えたいものです。

ご質問の1−4はどれも結局は「感染患者個人」をどう扱うか?ということにかかっ
ています。今でも上記の錯綜した状況のためエイズには差別はありますが、逆に結核
に対しては風前の灯火です。結核の人の部屋は汗臭いくて死臭じみた匂いがするとか
、逆に結核の彼女は目が潤んで美しいとかといった悲劇的恋愛の対象のイメージなど
、もはや今の人は明治大正の文学の愛好家でない限り、知る由もないはずです。

結核にまつわる病気の実態も差別も共に風化しています。だからこの症例の事態のよ
うに、放っておけば人は侮って二次、三次感染を招くのではないでしょうか?まず、
初期段階では自分が重病のイメージたる「結核」にかかっていると信じられませんか
ら。一方で、肺の中で起きる病態の怖さを知らないゆえに、まず第一に病院にかから
ない可能性があり、そのことで後々病態が悪化してから、入院という状況になること
がこの症例のように起こりうることでしょう。ます。第二に病院にかかっても、症状
が和らぐと完治前に薬を止める危険性があり、逆に薬の服用で体内の結核菌が薬への
耐性だけを強めてしまい、症状がまた出てきたときには結核は深刻化し(耐性により
薬が効きにくい・効かない)、重篤患者になることもある可能性もあると判断されま
す。

これらの点が頻繁に見受けれ始めれば、結核=一生ものの恐い病気=入院<隔離>と
して、新たな「恐怖」のイメージの病気として再浮上するかもしれません。その時は
もはや「過去」からのメッセージまで再燃し、「現代」の「差別」問題になる可能性
を秘めてます。だからといって、感染対策としてはよくとも、かつて世間の偏見と感
心の高さゆえに多くの悲劇を伴った、村八分や隔離政策もこの現代日本社会ではでき
ません。

だからこそ、先ほどの簡単な結論に戻りますが、対策としては結核が発生した地域の
医者は、地区の医師会や保健所を通じて(誰とは特定できないよう工夫をしたもので
)回覧版なり、テレビ広告なりして、怖さを訴える政策を打つしかない気がします。
エイズのような社会不安が出てしまう前に。とどのつまり、ある程度は「世間」に頼
るしかないのではないでしょうか?安易な表現を使わせていただければ、馬鹿と鋏も
使いようで「世間」も「正しい情報」によっては役立つのでは?ということです。患
者がかなりでてから、デマが流れて「偏見」で苦しむよりも、正確な情報によって「
暗黙の了解」が成立して、「通院」や「入院」へ誘<いざな>われるのではないでし
ょうか?

患者本人に対して病院や医者ができることは、症例の場合では工場には保健婦さんを
派遣するしかないでしょう。そして保健婦から、工場全体に結核についてしっかり認
識するよう努めてもらうことが肝要かとお思います。それによって、小さな「世間」
の力でこの患者は病院にかかるようになると思います。また一方で保健婦の情報で、
今の医学なら治ることもわかりますから工場の従業員集団としても、結核患者を「恐
怖」の対象として忌避する理由もなくなると思われます。
こういう小さい積み重ねが二次感染を防ぎ、また偏見を防ぎ、また感染した人間が自
分の病気が結核と認識できたり、また結核治療を侮らないのではないでしょうか?

質問3)の法案については、エイズやB・C肝炎と、結核・らい病・日本脳炎ETC、とは
感染症と言ってもちょっと差異があると思われます。。エイズやB・C肝炎は感染経路
が結核やマラリアのように不特定多数へというよりかは、どちらかといえば特定され
た関係なため(主には血液<病院か麻薬使いまわし>、性交)感染させた側の責任が
問われるといっても過言ではないでしょう。そのため患者の権利と、その患者からの
被感染者の権利について結核とエイズと同列で議論してよいものか、わかりかねてお
ります。

以上つたないですが、考えられうる範囲でかいてみました。医学的な知識は不足気味
なので、病理学的に間違いがあるかもしれません。その際は一報ください。



浜野研三さん(名古屋工業大学、哲学)のコメント
 

 もし法律に基づく形では入院や治療を強制できないとすれば、説得と社会的な圧
力によって患者の行動を変更させることしかできないと思います。保健婦の訪問指
導その他、地域の公衆衛生の担い手である保健所が活躍すべき場面ではないかと思
います。したがって、医師は保健所に連絡してその後の対策を協議すべきではなか
ったのでしょうか。そのような行動がとれなかった背景には医師の忙しさと地域の
医療機関及び医療従事者の間の緊密な連携の不在があるのではないか、と考えます
。この考えには大した根拠があるわけではないのですが。
 
説得の際には、感染は単に本人の健康や生活の問題だけではなく家族や同僚、ひい
ては地域全体の健康や生活に対して脅威を与えること、ひらたく言えば自分のこと
だけではなく他人に対して大きな迷惑をかける可能性があることを強調すべきであ
ると思います。患者の人権は、患者が他のすべての人々と共に共有している「人間
性」(これについて議論すれば本を書かねばならないと思います)と言うべきもの
に対する尊敬の念に発しているわけですから、患者が自分の人権のみを主張して他
の人々の人権をないがしろにするような態度をとれば、それは正当な人権の行使と
は言えないわけですから、患者は非難されるべきです。人権の主張が直ちに利己的
な行為を意味するかのような議論がなされていますが、それはためにする議論と言
うべきであって、確かにそのような形での誤った形での人権の行使があることは認
めざるを得ませんが、それはあくまで人権の理念のいわば堕落した形であり、まさ
に人権の理念によって批判されるべきものであると思います。それを間違った形で
の行使があるといって人権の理念そのものを貶めることは、まさに産湯と共に人権
というこれからいよいよ養い育てなければならない貴重な赤ん坊を棄ててしまうこ
とであると思います。
 私は結核の場合社会的スティグマも少なく今のところ医療によるコントロールが
可能な訳ですから、患者の人権のある程度の制限、たとえば強制的に医療を受けさ
せる・入院させる・情報を家族等直接影響を受ける人々に知らせることが許されて
もいいのではないかと思います。また、患者の行為が余りひどいものである場合に
は、名前の公開もあってしかるべきであると思います。これはその人にスティグマ
を与えることですが、それは結核患者としてのスティグマではなく、公衆衛生に脅
威を与える無責任な行為に対してです。現在のところはそのような区分が可能であ
り、その点で、エイズの場合と比べて事態はより単純ではないかと思います。エイ
ズの場合でも自分が感染していることを知りながら感染を防ぐための処置を執るこ
となしに性交渉を持った場合には刑法によって処罰されるべきであると思います。
 
とにかく、まず説得、そして社会的圧力、そして強制的措置の順で対処すべきであ
って、強制的措置が不可能な場合は、前の二つを駆使して患者の行為をお互いの人
権の尊重という理念に合致するように変更させるべきであると思います。