症例1)肥大型心筋症(医師と患者が意見を異にした時の対応) 
 症例は狭心症と意識消失発作を起こして精査したところ肥大型心筋症が見つ
かった40代男性で心カテ検査をしたところ、冠動脈狭窄があり、狭窄部にス
テントを入れる手術をして、内服治療で何の発作も起こさずに外来でフォロー
していました。1年後の心電図でどうも狭窄が進んでいることがわかり、精査
のため入院したのですが、会社の昇進試験に合格した連絡を受け、東京本社に
1年間単身赴任して管理職になるための研修をうけることが決まり、これ以上
の検査や治療はしないで上京したいといわれて主治医が困っているというケー
スです。
本人にとってはこれまでがんばってきた自分の仕事が認められて上京するので
すから期待に胸を膨らませていて、家族の反対(またこの前のような意識消失
発作が一人でいるときに起こったらと心配、子供が高校生で来年大学受験を控
え一緒に上京できない)を押し切っても上京したいとのことでした。
統計的には肥大型心筋症の年間の突然死の可能性が4%(メルクマニュアルに
よる)とかいわれるのですが、たぶん単身赴任すれば生活は不規則になるで
しょうし、これまで以上にストレスもかかり突然死の危険も増すと思われます。
患者さんは実際この1年間は投薬治療で自覚症状もなく、自分の体のことは自
分が一番良くわかる。なぜ元気なのにいろいろ検査や治療をするんだと言われ
るとのことでした。
主治医は現在の病状と今後おきる発作の危険性ともう少し入院精査して必要な
治療を行う必要があることを話し、もしこのまますぐ東京へ行くことになれば、
さらに危険が増すことを話しました。
患者さん自身の一生ですから、最終的にどのように治療するか決めるのは患者
さん自身だとは思うのですが、突然死を起こして家族に不幸を招く、また本人
にとっても研修さえ終えられるかどうかわからない状態で精査治療を中止する
のを医師としてはなかなか認めにくいと思うのですが。

(問い)患者の自己決定は常に最優先されるのか。その例外はないのか。
皆さんのご意見や参考文献などを教えていただければ幸いです。
 



症例1)への和文コメント集
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佐々木香織(社会学、英国Lancaster大学博士過程)

患者の自己決定権と医者の人道立場場ぶつかるのは、よくあるエホバの証人の輸血拒
否問題です。判例も何件かありますので、インターネットや何かでこのことを検索す
ればそのことの「法律的見解」が得られるでしょう。これは一番典型で、わかりやすい
医者と患者の衝突です。因みに自己決定権そのものが、自由という名の下の(長いも
のに巻かれろ的な)権力的選択だという考えもあります。(小松美彦)

因みにたばこの害などで、たばこ業者が害がある事をはっきり明示しなかったから、
吸い続けて癌になったと最近日本で訴えられてます。これはアメリカのたばこ産業が
訴えられたのを、受けてですけれど・・・このことを鑑み、いくら自己決定とは言え
、今度は心臓疾患による突然死の危険性を告知しなかったと家族に訴えられるケース
も考えられるので其処をよくお医者さんとしては押さえるべきでしょう。
アメリカ式の医療というものが、ある意味自己主張と責任転嫁のぶつかり合い事を
、日本のお医者さんも学者さんも認識した方がいいでしょうね。(私は日常生活で、
決して謝らないイギリス人とアメリカ人が多いのに、へきへきした経験があるので。
ある人は自分が遅刻したら、其の人を起こさなかった私が悪いというくらいです)。
そして自己決定やインフォームドコンセントだのというのはこういう法廷闘争を少し
でも避ける為にあるのだとつくづく感じます。道で転べばその道を管理している地方
公共団体が、道の整備不良として訴えられるのがアメリカです。日本のお医者さんは
日本の風土に合った道を模索して下さる事を切に祈ってます。

それでは又。エホバの証人輸血拒否関係が一番よい例という情報提供まで。
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藤林武史(精神保健センター所長 精神科医師)

> (問い)患者の自己決定は常に再優先されるのか。その例外はないのか。
> 皆さんのご意見や参考文献などを教えていただければ幸いです。

 精神医学的には、この患者さんは読んだ限りにおいては、健康
そうですし、判断能力のある方のようなので、この方の自己決定
が優先されていいのではないでしょうか。もしも、うつ病か躁病
があって、判断能力が低下している上での自己決定であれば
、その自己決定には疑問をはさまなければなりませんが。

 狭義の精神医学では、上記の答でおしまいになります。しかし
精神保健の立場から広くこの人の状態を把握すると、いくつか問
題点が感じられます。

1)
> 患者さんは実際この1年間は投薬治療で自覚症状もなく患者と
>しては、自分の体のことは自分が一番良くわかる。なぜ元気な
>のにいろいろ検査や治療をするんだと言われるとのことでした。

 と言われるということは、元気であるという自覚と、肥大型
心筋症という客観的な診断の理解との間に乖離があるのでしょう。
この患者さんは十分には疾患の理解が行われていないように思え
ます。この方が十分理解できるように説明を再度詳しくした上で
の、自己決定である方がいいでしょう。昇進試験に合格して単身
赴任するぐらいですから、理解力や能力はあると思うのですが。

2)
 もう一つ心配なのは、この方の自己決定のプロセスの中に、否
認のメカニズムがはたらいていないだろうかということです。
> 年間の突然死の可能性が4%
 という事実に、十分に直面できないでいるかもしれません。
「この事実を認めたくないというお気持ちもどこかにあるのでは
ないでしょうか」という質問がいいでしょう。
 
 十分な情報を与え、リスクも含めて本人が十分に理解し、家族
とも話し合った上で、それでもなおかつ単身赴任を希望するので
あれば、その次の段階は
> たぶん単身赴任すれば生活は不規則になるでしょうし、これま
> で以上にストレスもかかり突 然死の危険も増すと思われます。
 
単身赴任しても、ストレスが増えない方法を一緒に考えていく
作業でしょう。

 このように、問題を投げかけ、本人が悩んだり考えたりするプ
ロセスを、じっくりと、医師あるいはMSWが援助すること、共
有することが、何よりも大事な気がします。人の一生がかかって
いることなんですから、短時間で決めてしまわないことが大切で
す。ただし、医療者側に、十分な時間があればの話ですが。

 でも、このようなケースは、精神科医のところには来ないので
本当のところはよくわかりません。皆様のご意見をぜひうかがい
たいところです。
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齊場三十四(佐賀医大社会学、元MSW)

先般送って頂いた症例は、医療の問題と社会職業家族問題との
大きくわけて2つの問題の解決が求められているといえます。
家族の状況把握、単身なのか家族ともども転居する可能性、
会社側の当疾患に対する配慮など、調整すべき課題がある
にも関わらず、全く調整されないまま、本人と医師の考え方
の違い点について、なぜ病気の重要性を理解できないのか?
といった感じがします。医師側の気持ちが表出?している。
単身赴任をgoingするならするでの体制づくりについて
Social Workすることが必要であり、本人の支援
が必要でしょう。更に、家族もこの現実をどう受けるかを指導
すべきであろう。
わが国の医療は、この辺のことが、無視されたままではないで
しょうか?無医村に単身赴任ということではないと思うのですが
・・。又、事業所側の単身赴任させるかさせないかは別として、
傷病の把握、情報交換なども大切であり、私たちMSWは、この
辺も積極的に取り組んだことがあります。
特に労災病院のワーカーとしては・・。以上参考になりましすか
どうか・・。

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萩原雄介(インマヌエル金沢教会牧師)

 結論から、申し上げますならば、法律的なことは分かりませんが、患者さん本
人の意志(自己決定)を尊ぶという人権尊重の立場からしますならば、最終的に
は、本人の承諾がない限り、病院に入院させ拘束することも、治療を継続するこ
とも出来ないのではないでしょうか。人命尊重という立場からは、当然治療する
ことが望ましいことは、言うまでもありません。もし、本人と医師との考えが、
平行線のままならば、本人が倒れて意識不明の状態になったときに初めて、医師
は、その人を生かすための最善を尽くすチャンスが、やって来るのではないかと
思います。医師の立場からは、不本意ではあってもです。これは、医学的な限界
ではなく、患者さんを説得し承諾を得ることの限界、また難しさではないでしょ
うか。

 一方、患者さん本人の自己決定は、本人の人生観、価値観に基づくものだと思
います。その人生観や価値観が健全なものであるかどうかにかかわらず、本人の
最終的な自己決定は、それらに基づくものではないでしょうか。

 具体的には、この患者さんの場合、管理職になるかもしれないチャンスを放棄
してでも、自分の命と家族、家庭を最優先できるかどうかという一点にかかって
いると思います。つまり、同じ時期に入社した人や後輩が、自分の上司になった
としても、自分は平社員で一生を過ごす覚悟が出来ているかどうか、そのような
状況に十分に耐えられるだけの精神力を持っているかどうか、という問題ではな
いでしょうか。結局、すべては、その人の人生観や価値観の問題ではないかと思
います。

 この点にまでさかのぼって、患者さん本人が、ソーシャルワーカーや牧師の話
に耳を傾けてくれるかどうか、そして、最終的な勇気ある決断が本人に出来るか
どうかによって、治療を継続できるかどうかは、決まると思います。本人が、医
師の勧めに謙虚に耳を傾けられるかどうかということでもあるのではないでしょ
うか。

 また、当然のことながら、そのようなことを患者さん本人に話すことが出来る
ソーシャルワーカーや牧師が、その病院や患者さんの生活環境の中にいるだろう
かという課題があるのではないかと思います。
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 中尾 久子(山口県立大学、看護婦)

 読んでみて、まだ十分に考えられてないのですが、とても判断に悩む
事例だと思 います。  
 起こりうる可能性を本人・ご家族に十分に説明(例えば具体的な死亡
例を含めての悲惨な状況が起こりうる話とか)しても、意志が変わらな
ければ、基本的には人生は本人の選択した行動に任せるしか仕方がない
のではないかと思います。
 以前、アルコール依存症のことを少し勉強していたことがあるのです
が、国立久里浜病院(WHOの研究指定機関になっていると思います)で
は、患者が離院しても追わない・主体性にと任せると言っておられたと
思います。
 この症例は自覚症がないけど、突然死が来る可能性の高い方でもちろ
んアルコール依存症とは全く違うのですが、客観的に悪い結果が発生す
ることが予測されても、治療契約をしていても最終的には患者の自己管
理になって来るように思います。的外れの意見かもしれませんが、説明
内容を患者さん自身の手で再度書いてきてもらう(ご無礼かもしれませ
んが・・・返事をしていても自分で文章を書くとなると分かってないな
いことが何なのか分かるように思います)。そして、そのことに追加説
明・修正を加えて、医師としての立場からの意見を十分に説明した後、
本人と家族にサインをしていただいたらどうかと思います。
 身体的なことを第一優先に考えるのは私たち医療従事者の責務だと思
いますが、そのことを患者さんが受け入れなくてはならないんじゃない
かと思うのは、考えようによっては、医療従事者の思い上がりかもしれ
ないと思ったりもします。ある高齢女性は夫の死後一人で苦労して育て
ていた息子が昇進したときに「もう死んでも良い」といいました。「昇
進」の価値は人によっても違います。この人はそのことに対して恐らく
とても努力をし、その結果を享受するときになっているのだと思います。
冷静に判断できる時間と情報を提供した上で本人とご家族が決められた
ら、医師がもう手を出せない(治療を継続しないとか、転居してストレ
スをかけ続けてしまうことでことが起これば主治医は救うことはできな
いけれども、それはあなた(患者)自身に還ることです)−で判断して
もらっても良いんじゃないかと思います。主治医は患者が転勤すれば思
いは残ると思うのですが、手続きをきちんとすることで患者の判断(自
律性)を尊重するという対応で良いのではないかと思います。
  以上、不十分ながら、お返事です。また考えてみます。       
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仁平雅子(神戸市看護大学基礎看護学講座、看護婦)

遅くなりましたがせっかくお声をかけていただいたので、
「医療者と患者の考えが違ったときの対応」の症例につい
て考えたことを書いてみたいと思います。

チャンスと病気の悪化が一緒に来たことは誰よりもご本人
にとって大変間の悪い話で、この上「東京に行くかそれと
も死か」なんていう選択を迫らないように医療者は気をつ
けなくてはならないと思います。
むしろ、ご本人自身が目的と方法がひっくり返ってしまわ
ないように正しい選択ができるように、医療者はできるこ
とをしなくてはならないでしょう。
病気のために身体に余力がなく、チャンスを前にして精神
的にも余裕のないとき、落ち着いて正しい選択をするのは
意外に難しいことのように思います。そんな時こそ、継続
して診察を続けてきた医師やこの人のこの人らしさもよく
知っている看護婦のサポートが生きてくるでしょう。

具体的には、東京への赴任が治療の中断につながらないよ
うに適当な医師につなぐことや、保険診療外になるかもし
れませんが赴任後の健康状態を郵便等でフォローしていく
ことなどが考えられると思います。

ただ気になるのは、『自覚症状もなく、…自分の身体は自
分が一番よくわかる。なぜ元気なのに…』というくだりで
す。ご本人が本当にこのように感じているとすれば、病状
の認知に医療者とギャップがあると思われ、この場合判断
のくい違いはむしろ自然に思われます。
東京に行くことを本人が選ぶかどうかは、ここをきちんと
した先の話だと思います。が、ここが難しいのも事実です。
それは、医学的知識は統計上のもので自分がそれに当ては
まるかどうかは本来的にはわからない、ということを誰で
も感覚的にわかっているからだと思います。この理解その
ものは間違っているとはいえません。
だからこそ、冷静に全体を見まわして考えられるうちの一
番いい選択をすることになるのですが、それに役立つのが
専門家の意見のはずです。

誰の意見であっても本人が採用してくれない限り相手の生
活や人生に影響を及ぼすことはできないことを考えると、
この症例において医療者の悩みは少し違ってくるのかも知
れないと思います。

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平田和美(開業医)

  返事が遅くなって済みません!
この例では,結論を申しますと,
よくよく病状を説明し,しかるべき病院を紹介し,治療を続けながら,東京
研修に行ったが良いと思います!
研修を止めれば,止めたストレスが病気に悪影響を与えると思はれるし,東
京での生活が不規則で悪影響がありはせぬか?は努力によって解決出来る,
問題と思います。
私がこのクランケの立場だったら,行きます。

-------------------------------------------------------------          
坂井猛二(開業医)

肥大型心筋症と冠動脈狭窄とのことですが、治療継続は当然のことと思います。
主治医の説明不足を推測されますが、入院治療の打ち切りと治療の打ち切りとは
別ではないでしょうか。勿論今の侭の入院治療が最善だとは思いますが、患者の
事情があれば、ある程度はそれに会わせることも必要かと考えられます。
東京に医療施設がないわけでもないでしょうし、病名に対応出来ない程の低レ
ベルの病院しか無いとも思われません。継続治療とアクシデントに直ぐ対応して
貰えるような紹介の仕方も考えるべきではないでしょうか。
患者がどうしても上京すると言うことであれば、なぜそれに合わせた親切さが出
てこないのか理解に苦しみます。自分しか治療できないと思うのはおかしいと思
いますがね。
しかしだからといって上京しても良いという事じゃないですが、患者の事情に合
わせた適切な対応を考えると言うことは大切なことだと思います。結果はあくま
で患者本人の責任で判断して貰うほかにないと思いますし、そこらあたりの説明
が足りないように推測されます。
医師の意見で患者の生活或いは行動を拘束できることはあり得ないと思います。
如何に病状を理解して貰える説明が出来るかにかかっていると思います。その上
で患者本人の意思で決定され、それに対する最善の対応をして行くほか無いもの
と思います。
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今村 昌幹(病院医師)

>(問い)患者の自己決定は常に再優先されるのか。その例外はないのか。
>皆さんのご意見や参考文献などを教えていただければ幸いです。

大事なのは、十分に患者さん(鍵になる家族を含めて)にインフォームされているか
だと思います。「このままでは死んでしまいますよ」と説明されてそのまま死んで
しまう人に出会ったことがありません。今はやりのEvidence Based Medicineの観点か
ら確率的(例えば自動車事故にあう確率との比較などを含めて)な事をちゃんと説明
すべきだと思います。そのうえで、患者・家族(少なくとも配偶者)が決断したこと
には(心神喪失などのない限り)医師は自分の価値観(治療観)を押し付けるべきで
無いと思います。
その上で転勤を決行するならば、転勤先の信頼できる病院に紹介して受診を続ける
ようにリスクマネージメントの申し送り(看護ではよく言われますが医者にとっても
大事で、普通は「申し送り」と言わずにも実際上なされていることだと思います。)
することで、その転勤期間については今の医師自身が背負込むリスクでは無い
だろうと思います。
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(佐賀医大 精神科 松島道人)

遅れてしまいましが、コメントを書きます。

  心筋症の症例ですが、「患者の自己決定は常に最優先される」「その例外はな
い」と断定はできないと思います。重症度と緊急度によって、患者の自己決定に及
ぼす医師の介入の程度がかなり変わってくると思います。呈示された症例の場合だ
ったら、疾患の性質や予後予測についての説明は当然として、患者や家族とともに
上京してどのような研修生活を送るのか、住まいは、食事は、帰省は、など身体状
況に影響を及ぼす要因について話し合うでしょう。本人が会社に検査結果を知らせ
るか、病気であることを会社に知られては困るか、職場の近くで治療や検査を続け
られるかなど、話し合って、疾患に対して今後どのようにつきあうか、本人家族と
話し合うでしょう。また、職場の状況、仕事に対する思い入れ、対人関係、どのよ
うな人生を送りたいか、など聞いて、本人の行動特徴やパーソナリティーを知り本
人の話すことがどこまで実行できるのか予測することになります。
  そうしたことをふまえて、医師は本人の転帰予測を述べ、本人と家族に考えて
もらうことになるでしょう。そのときの医師の述べ方に、重症度と緊急度によって
かなりの差があるでしょう。一般的には、医師の危惧や楽観は患者の判断にかなり
よく反映されると思います。医師の深刻な危惧が患者の判断に反映されない場合は
その要因を検討し、それが介入の対象となるでしょう。どうしようもない場合もあ
るでしょうし、スムースに好転する場合もあるでしょう。そこら当たりに、臨床実
践の技術というか、その場の状況に応じた工夫というか、学生に「こうですよ」と
口で教えにくい醍醐味があると思います。
  医師の性格など、医師側の特徴による対応の個人差もあるでしょう。

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(ハーバード大学内分泌科 李啓充)
この症例に関する私の結論は、「患者の自己決定権はあくまでも尊重されなければな
らない」ということに尽きます。
患者が「誤った」判断をしたとしても、医師はそれをoverrule することは出来ない
からです。
私が書いた「スター選手の死」でも、患者は病院側の警告を無視して、心電図モニター
を自分ではずした上で自己転院します。医師が「患者の不利益になる」と思っても、
法的判断能力のある個人が下した決断について「縄で縛ってでも止める」ということ
は許されないのです。医師に出来ることは、患者に納得してもらえるだけの根拠を示
し、患者が決断を変えるよう努めることに尽きます。セカンドオピニオンを得ること
も勧めたらよいでしょう。患者の説得に失敗した場合も、転地後のケアについての手
配に勤めるのが筋と思います。
MGHの内科で二ヶ月間のクラークシップを済ませたばかりの妻から聞いた話ですが、
こちらの患者の自己決定権は強く、「侵襲的検査は一切してはならない」とか、(不
明熱の患者が)「HIV関連の検査をしてはならない」というなど、入院患者が医師
に手枷足枷をはめるとのことです。医師達は患者が許す検査・治療しか出来ないわけ
ですが、私は非常に健全なことと思いました。
--------------------------------------------------------
白浜雅司(三瀬村国保診療所、医師)

多くの方のコメントは患者の自己決定を尊重すると言う方向
で一致していますし、それを尊重しなければならないことは
しごく当然のことだと思います。
ただ私はだからといって簡単に患者の自己決定尊重だといっ
て医学的な対応の必要な患者の治療をはいじゃお好きにして
くださいと打ち切る医師ではいけないのではないかと思って
います。その意味で学生の出した疑問は嬉しくもあり、ぜひ
医師になるものとして持ち続けてほしいと願ってとりあげ皆
さんにコメントをいただいたり学生と話し合ってみました。
一見矛盾するようですが患者との意見の違いを認識した上で
患者と協力して今後の最善の対応をしていくかという過程が
非常に大切なことだと思います。

先日自己決定と言えばすぐ例に出されるエホバの証人の医療
機関連絡協議会の方が、「絶対に輸血しないでほしい」とい
う患者の意思表示にかかわらず、医師がきちんとした説明も
なく輸血をしてしまって、訴えられた裁判の平成10年2月
9日の東京高裁の判決についての「判例タイムズ」のコピー
をもって診療所に来られました。
たまたま私の診療所で実習していた学生も一緒に話を聞いた
のですが、私自身はこのケースの一番の問題点は事前の話し
合いで「輸血はしないで手術するといっておきながら、手術
途中で勝手に輸血してしまった契約違反」にあってはじめか
ら「万が一出血多量の場合には輸血する可能性があるという
こともあります。もしそれが了承できないのであれば私は手
術できません」ということを確認して手術しておけば、何の
問題も起こらなかったと理解しています。
だからこの症例が患者の自己決定が医者の判断に優先すると
いうことを日本の裁判所が初めて認めた画期的な裁判だとい
うのはちょっと問題があると思います。

医師の判断はこれまで考えられていたような医学的なことだ
けでなく当然患者の心理社会的背景を考えながらなされなく
ては意味がありません。そういう意味でかかりつけ医の重要
性やMSW、看護婦、精神科医、場合によっては牧師などの宗
教家の役割も大切になるのではないでしょうか。今回そのよ
うな現場の方からのコメントがいただけて幸いでした。

そして最終的な治療が患者とそのような医療スタッフとの共
同作業で決まって行くのだと考えています。もちろん最終的
に患者と医師の意見が違うこともありえるでしょうが、その
ときは今村先生が述べられているように、きちんと患者に不
利益にならないようにふさわしいところへ紹介することまで
が責任ある医師のとるべき態度だと思います。
それはパターナリズムといわれている医師が「私の意見に従
えないのならあとは知らない」というような一方的なもので
はありません。

なおこの症例のモデルとなった方は結局、家族と主治医の度
重なる説得と、入院中に胸痛発作が起こったことから、東京
行きをあきらめ、再度バイパス手術を受けられて退院され外
来に通院しながらこちらで仕事を続けられているようです。
昇進は少し遅くなるかもしれませんがこの人として新たな目
標をたてて生活してあるのではないでしょうか。

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(早稲田大学大学院法学研究科在籍 城内 明)

 コメント集をお送りいただきまして、ありがとうございました。他の
諸先生方のコメントの検討は、今後の課題として、とりあえず、白浜先
生からいただいたコメントについて考えてみました。

>ただ私はだからといって簡単に患者の決定だといって医学的
>な対応の必要な患者の治療をはいじゃお好きにしてください
>と打ち切る医師になってほしくはありません。
>一見矛盾するようですがそこからどのように患者と話し合っ
>て今後の最善の対応をしていくかという過程を大事にしてい
>ってほしいと思っています。

 全く同感です。患者の自己決定を尊重した上で、では、その決定の趣
旨を出来るだけ尊重しながら、必要な治療も継続できるそんな方法を患
者と一緒に考えるというのが、望ましい医師の姿だと思います。(医
学生へのコメント参照)

>もしそれが了承できないのであれば私は手
>術できません」ということを確認して手術しておけば、何の
>問題も起こらなかったことです。
>だからこの症例が患者の自己決定が医者の判断がに優先する
>こということを初めて裁判所が認めた画期的な裁判だという
>のはちょっと問題があると思います。

 この判例の評価については若干疑問が残ります。確かに、エホバの証
人輸血拒否事例において、病院は、白浜先生のおっしゃるように、相対
的無輸血特約のもとでしか手術できない趣旨を確認することも出来まし
た。そうすれば、絶対的無輸血の特約のもとに手術をすることを拒絶す
る病院が「トラブルに巻き込まれる」ことは避けられるでしょう。病院
経営という発想からはそれで足りるのかもしれません。

 しかし、ここで問題となるのは、絶対的無輸血特約のもとに手術を受
けたいと考える患者がいるということです。こうした患者の願いが契約
として国家に保護されるのか、という点が重要なのです。この点につい
て、本判決は、(論理的には傍論に属するとはいえ)絶対的無輸
血特約がもし締結されていたとすれば、有効である(=公序良俗に反
するとは言えない)ことを明言しました。すなわち、特約が締結さ
れたとすれば、これを医師が一方的に破棄することは、通常の契約破棄
と同じく、損害賠償の対象となること、そして、こうした特約のもとに
無輸血手術を行い、結果として出血を原因として患者が死亡してしまっ
たとしても、医師・病院には責任がないということを明らかにしたので
す。(信者でない患者の両親等から訴訟が起こされることも考えら
れるのです。)

 さて、この意味において初めて、白浜先生の「この症例が患者の自己
決定が医者の判断に優先するこということを初めて裁判所が認めた画
期的な裁判だというのはちょっと問題がある」という評価は、正しいと
言えます。正確に言うならば、生命に関わる問題についても、患者の自
己決定は原則として尊重されるべきであり、この患者の意思を尊重した
結果について医師・病院の責任が問われることはない、ということが明
らかにされたのです。

>医師の判断は医学的なことだけでなく当然患者の心理社会的背景を考
えながらなさ>れなくては意味がありません。だから治療は契約で
患者と医師の共同作業だと考え>るのです。それはパターナリズム
といわれる医師の意見に従えないのか
>という一方的なものではありません。

 全く同感です。ただし、医師は、従来(そして現在も)、患者
に対して圧倒的な権力を有しているということを忘れてはならないと思
います。患者の心理的社会的背景を考えることが、患者に医師の価値観
を押し付けることになってしまっては元も子もないでしょう。(こ
れは、カウンセリング等の専門技術の重要性につながってくる議論であ
ると思われます。)

 ところで、先生は、以下の論文をご存知でしょうか?

*「アメリカ医事法における患者の自己決定権―その勝利と危機」カー
ル・シュナイダー/樋口範雄訳 ジュリスト 
No.1064(1995.4.1)p.86以下
*「現代法におけるパターナリズムの概念―その現代的変遷と法理論的
含意」瀬戸山晃一 阪大法学47巻2号p.233以下

 前者は、アメリカにおける、いわば、パターナリズムとしての自己決
定権の押し付け(義務論的自己決定権論)とでも言うべき現象が
起こっているということを報告しています。私は、現在用いられている
自己決定権概念を、そもそも「抵抗のイディオム」として生まれ出たも
のであるにもかかわらず、いわば、ゲリラ兵が正規軍化するようなかた
ちでリベラリズムのメインストリームに飲みこまれていったものと理解
していますが、前者に報告されているような現象は、この過程で(結
果として)生じた「密猟」の帰結と考えるべきなのではないかと考
えています。問題は、こうした「自己決定権概念の変質」に対してどの
ように対応するかですが、(「現代思想」7月号においては、多
くの論者がこの問題について論じています。)これを反対側のパタ
ーナリズムの側から論じようとしているものとして、後者の論文は理解
できると思われます。



 

この症例の英文コメント

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