患者の自己決定を受け入れるだけでいいのか「医師の責務とは」

三瀬村国民健康保険診療所長/佐賀医科大学臨床教授 白浜雅司
キーワード:患者の自己決定、医師の責務、家族、セカンドオピニオン、患者と医療者の協同作業



1、はじめに
1960年代にアメリカではじまったBioethicsの流れの中で、自分達のことは、自分達が決めるという自己決定 (Autonomy)の考え方が、医療における倫理的なジレンマの解決で一番優先されているのは事実である。これまでの医師が仁恵(beneficence)の考えに基づいて、患者の最善になる治療方針を決めて一方的に決めていくという方法から、患者自身が自分の健康問題に責任をもって関与していくようになった。この流れは、医師が投与する抗生物質でほぼ一様に治癒できる感染症中心の医療から、患者自身の生活習慣の改善が治療の鍵となり、患者個々の生活の質(QOL)の向上を目指し、一生病気とつきあっていく生活習慣病中心の医療においてますます重要になっている。しかしながら、患者の自己決定に従って検査や治療をやるということだけで、はたして医師の責任が果たされるのかということについてこの項では考えてみたい。

2、自己決定(Autonomy)とは
BMJの医療倫理辞典1)では、「AutonomyとはSelf-rule(自律)のことで、良く考えて、論理的に自分自身にとって最善の判断ができる能力である。そして少なくとも3つの構成要素からなる。自分のために考えることができる能力、決断することができる能力、自分のために活動できる能力である。そしてAutonomyを尊重することが重要な倫理原則である。そしてそのことが、色々な医療行為を行う前にインフォームドコンセントをとること、うそをつかないこと、秘密をもらさないことの根拠になっている。」と定義されている。
自律できる患者は、情報を得て、他からの圧力を受けずに自発的に行動でき、自分で自分の生き方をきめることができ、それが家族や医療スタッフの意見と異なっても選択できるとされている。
しかし、患者の自己決定はいくつかの場合に正当化されないことがある2)。自分で情報を与えられたうえで決定する能力がない場合(高齢者や小児の場合や病気で判断能力が障害された場合:北村論文参照)や、他の人や社会の利益とぶつかる場合(保健外診療:五十嵐論文参照)などである。そのような患者の自己決定を尊重できない場合もある。もちろんそのような場合でも、患者を人として尊重し、共感的な態度で接することは医師として当然である。

3、患者の自己決定と医師の裁量(責務)との間でジレンマを感ずる事例
自分が体験した、あるいは臨床倫理セミナーで参加者から出された事例をもとによく日常臨床の現場で起こる患者の自己決定と医師の裁量(責務)の間で医療者が悩むような事例をいくつかあげて(表1)、患者が最善の自己決定をすることをサポートする対応法を提示してみたい。 



事例1)のケースをある大学の臨床倫理の講義で取り上げた時、「先生この事例は臨床倫理の討論で考えるには不適切だと思います。というのは治療より仕事を選ぶと言うのがこの患者の価値観で、それ以上医師が干渉することは倫理的でないと思います。」と非常に不満そうに質問した学生がいた。私は明らかに医学的対応として適切でないという治療選択を患者がされた時には、「本当にその選択で良いのかということを」何度か確認する必要があると思うと回答した。またあるコミュニケーショントレーニングで同じようなシナリオで、心電図で明らかなST上昇が認められる心筋梗塞疑い患者に、緊急入院してもらおうとしたが、「今日は大事な仕事があるので入院できません」と言われ、それでは家族と相談してできるだけ早く入院して下さい」とやさしく応答した学生に、私は「ちょっとそれでは責任ある医者の仕事といえないんじゃないの」と疑問をなげかけた。
私は、患者を尊重することと、患者の決定だけを尊重することは違うと考えている。医師の立場で、きちんと客観的なデータを集めた上で自分の経験にそって最善の方針だという自信があるなら、患者を粘り強く、説得していいと思う。また進展のない場合には、積極的に誰か別の医師の意見を聞く、セカンドオピニオンを勧めることも大事である。もちろんそこにはテクニックもあろう。ただ単に「こんな生活をしていたら病気が進行して命も危ないですよ」とおどしてもなかなか患者の行動はかわらない。アメリカの医療倫理の専門家H.Brody氏がこのケースにSuccessful Business Man, Unsuccessful Treatmentという題をつけてコメントをくれた。
「これだけの成功をおさめられたあなたなら、自分の健康もコントロールできるはずです。本当に良い仕事は継続が必要で、継続するにはなんと言っても健康が鍵ですよと話してみる。」というのである。患者が大切にしているものを尊重して、患者がよく考えて自分にとって最善の対応ができるように支えることが必要である。
私は、このような場合、特に日本では、家族の協力を得ることも必要だと考えている。この中年のビジネスマンにも家族はいて、家族は、昇進よりも健康を第一にすること切望していた。このような家族を用いた説得は、自己決定尊重の原則に反するという意見もあるが、日本では核家族化が進んだといいながら、病気の時の家族サポートは医療者では代わることの出来ない大きな力であり、そのようなサポーターの気持ちに配慮しない対応は結局いつか続けることができなくなる。
図1は、中島弘氏の概念図をもとに日本人とアメリカなどの西洋人の個人と家族、社会との関係を示したものである3)。個人と家族と社会が関わりながら独立していることを求められる西洋の自己決定と、社会というよりは狭い世間4)の中での家族、その中の個人と言う生き方をするように育てられる日本人の自己決定が違うことを忘れてはならない。柏木哲夫氏は日本人の死にゆく患者の心理プロセス5)で、8割の人が病気について不安や疑念を持ちながらあえて尋ねないということを書かれている。そして、尋ねない理由は、恐れ、否定、あきらめ、不信などのネガティブなものだけでなく、遠慮、いたわり、自制、受容などがあげられていた。あえて自分だけで決定せずに、まわりの人を気遣っての物事を決めていく人も多いのである。少なくとも治療方針の決定など重要な決断が必要な場合には、「大切なことをお話しします。誰か一緒に聞いてほしい方がおられたら、ぜひ一緒にお話したいのですが」というような配慮は心がけたい。
事例2)では、まず透析のメリットデメリットについて、紹介する前に、プライマリケア医が専門医に聞いて、その情報を与え、また家族の思い(できるだけ長生きしてほしいと言う息子と、まだ車で透析に連れていくくらいなら何とか手伝ってあげられるという夫の意見)も聞いて、患者は専門医で透析の可能性を検討してもらい、時間をかけて透析の準備をされた。今ではあの時先生が、透析をもう一度勧めてくれなかったら、今の落ち着いた生活はなかったでしょうと喜ばれている。
事例3)では、医療福祉関係の人間の、病気の人を放っておけないという気持ちが問題である。そのこと自体は悪くないが、自分が困っていない間は放っておいてほしいという患者の気持ちも尊重しなければならない。手を出さずに、困った時すぐ手が出せるように見守るという態勢が必要である。この方には週1回の安否確認の訪問と配食サービスが始められた。
事例4)このような病識がない患者というのも、医療者が苦手とする患者である。このような患者を少なくとも拒否しないことが大事である。うまく治療関係が作れないのが病気なのである。何できちんと治療しないのかと責めるのではなく、うまく治療ができるようになれるといいねと励ましながら、病院全体として患者を支えることをはじめて、少しずつ規則的な治療が始まったらしい。
事例5)は、自己決定できるのに、自分の意見を言わない高齢者と、その思いを十分聞くことなく、自分達の世間体と世話の大変さから入院を進めてしまう中年世代の子供達のよくあるケースである。自己主張しにくい高齢者に、本当の希望を語ってもらう工夫は担当医が必ずすべきことである。日々の会話の中から患者の意志を確認していき、「限られた時間ですから、お父さんの住み慣れた家に住みたいという願いを叶えるのも、一つの大事な治療ではないでしょうか」と地域の往診など患者のバックアップをしてくれるプライマリケア医へ紹介する形で退院となった。
事例6)は、本人の過った自己決定が、他人の身体まで危機にさらさせてしまった苦い事例である。患者の自己決定は、他の人に危害を与えない限りにおいて尊重されるべきものであり、他人や社会に危害を与えるような場合は、当然その自己決定は制限されなければならない。

4、最後に
医師と患者の治療関係は、決して敵対するものではない。患者の伴奏して走るコーチのようなスタンスで、共同して共通の敵である病気と闘いたい。そのために何よりも大切なのは、医療者からの一方的な教育ではなく、患者が抱く不安を引き出せる個々の医療者のコミュニケーション能力と、医療チームとして患者を支えていくという雰囲気づくりである。



参考文献
1)Kenneth M Boyd, Roger Higgs, Anthony J pinching: The New Dictionary of Medical Ethics. BMJ. 1997.
2)Bernard Lo: Resolving Ethical Dilemmas - A Guide for Clinicians. Second Ed. Williams & Wilkins. 2000.
3)中島弘:バイオエシックスのグローバリゼーション-21世紀の医療のために日本の現状を考える-. 日医雑誌127巻2号、233-240頁
4)阿部謹也:「世間」とは何か、講談社、1995
5)淀川キリスト教病院ホスピス編「ターミナルケアマニュアル」第3版、最新医学社、1997.


表1、患者の自己決定と医師の裁量(責務)の間のジレンマを感じる事例
事例1)もともとベースに糖尿病があり、最近不安定狭心症の発作を繰り返していて中年男性。忙しくて通院による投薬治療もおこたりがち、好きなタバコも減らせない。「このままでは突然死することだってあります。きちんと心カテによる検査を受けて、狭くなった血管を広げるような適切な治療をされた方がいいですよ。」と勧めるが、昇進がかかった大切な仕事が忙しくてそんな暇はないと拒否する場合。
事例2)慢性腎不全が進行している70台の女性。今のところ少し疲れやすいくらいの自覚症状しかない。担当医は早めに透析の準備をした方がいいだろうと説明したが、近所の透析をした人の話で、透析するのも辛いらしいし、家族に迷惑かけるし、もう十分生きたから色々しないでいいですと、専門医への紹介を拒否する場合。
事例3)痴呆が進んでいる80才の独居の高齢者。近所の世話好きの民生委員が、この高齢者が火の消しわすれがあったり、十分な食事もいってないようなので、行政の窓口を通じて医療福祉のサービスを受けられるように相談され、担当者が色々なサービスの検討を始めたが、本人はデイサービスなど集団活動は好まず、緊急通報などのサービスも拒否された。
事例4)自分は病気ではないからときちんとした定期的な受診はせずに、時々低血糖発作で救急外来に受診してくる神経性食思不振症の患者。
事例5)心筋梗塞の入院後、患者自身としては、生まれ育ち、孫と一緒に住んでいた山村の次男の家に帰りたいが、山村では再発作の時に間に合わないからという長男の発言力が大きく、都市部の病院へ不本意な入院をさせられた70代の男性。
事例6)結核の疑いがあり、医師はきちんとした診断と治療を勧めたのに、患者がその指示に従わず、後で職場内の結核流行を起こしてしまった事例。


図1)日本と欧米の自己決定の背景の違い



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