「インターネットと医療」(キリスト者医科連盟の機関誌「医学と福音」2000.9月号に書いたもの)
三瀬村国保診療所所長(佐賀医科大学臨床教授)白浜雅司(医師)


情報技術には色々あるだろうが、私にとって一番大きな意味を持つインターネットと医療と言うことで私見を述べたい。

インターネットとの出会い
8年前だったか、アメリカの医療倫理の集中セミナーに出席した折に、講師の先生から、メールでやりとりしませんかという提案をうけた。すでにイタリアの人とメールで倫理的な症例の討論をやっているのだという。その時は何のことかさっぱりわからなかった。日本に帰り、たまたま大学の医療倫理の特別研究費でコンピューターが与えられ、通信ソフトをつなぎ、メールで英語の文献検索や本の注文ができるようになり、便利だなとは思っていた。
しかし、本当にこのコンピューターが役立つなと思ったのは、6年前に人口1700人程の山村の診療所長として赴任した時からである。赴任と前後してはじめた大学での臨床倫理の症例検討を、国内外で関心のある方に同報メールとして送り(キ医連のメーリングリスト(以下ML)にもお世話になりました。今でも色々なコメントを頂く方々にこの場をかりて感謝します。)、それらも参考にしてできるだけ多くの視点から考えるような医療倫理教育をはじめた。さらに2年前インターネットができるパソコンが与えられ、自分のHPを作れるようになった。HPに「医療倫理の討論」(これには日本語と下手だが英語の部分を作った。これで、時間的経済的に世界との壁がなくなった。夜寝る前に打ち込んでおくと、朝起きた時にはメールが届いたりする)、「山村の診療所医師の日記」など、今までほとんど医学部での教育の中で、必要だとは言われていても取り込めなかった部分を提示することができるようになった。このページを見て、遠くから診療所実習に訪れる医学生なども出てきた。もうすぐアクセスが6000を超えるようである。情報技術の進歩は、これまで、孤独で、マンネリに陥っていたかも知れない一人医師体制の診療所の仕事を、色々考えながら楽しくやれるものにかえる大きな力になっていると感じている。



日常のインターネットの利用
現在、日常診療でちょっと疑問がわいても深く考えずに流してしまうような疑問を、気軽に相談できるプライマリ・ケア医のMLに入っていて、そこから毎日平均7ー8通のメールが送られてくる。全国規模の仮想医局の耳学問の場があると考えていただければいいだろう。現在メンバーは300人を超えているとか。このMLから、1昨年のインフルエンザの大流行、今年の手足口病など、全国的な感染症の流行時、一つの診療所ではわからないが、全国的に見ると色々な特徴があることがわかったり、実際的な対応法を学んだ。もちろん公的な国立感染症研究所や各県の感染症サーベイランスの報告のHPも充実してきて、役立っているが、現場の感覚のわかり即時性の強いMLにはかなわない。
在宅で寝たきりでなかなか専門医への受診が難しい患者の皮疹などを、自分のHPに載せて相談するようなことも可能になった。さらに、このMLの中からプライマリ・ケアの現場でしかできないリサーチをやってみようと言う話が具体化してきている。これまで3次医療機関に片寄っていた研究が、このようなMLを使うことで、一番多くの患者さんを診ているプライマリ・ケアの現場で可能になるのである。
これまでMLのやりとりで一番印象的だったのは、沖縄の離島の若い先生から、このMLに94才の老人の在宅ターミナルケアについての相談があったことである。熱と意識低下があって、何らかの感染症がありそうで大きい病院への搬送を勧めたが、家族が家で看取りたいと言われたとのこと。そのメールに対して数日のうちに全国から10通以上のメールによるサポートがされたことである。
どういうことを家族と話すのか、家で看取ることがその地域でどのような意味を持つのかなどなど、その若い先生は、見知らぬ全国の先生方のサポートを受けながら、家族に見守られながら患者の最後を看取られたと言う。
ただこのMLの討論の最後に、ある先生から、プライバシー保護の意味から、このような個人的な患者情報のやりとりがどこまで許されるのかという意見が出ていた。確かに難しい問題だと思った。


今後の課題
最後に、このような医療情報技術がどのように発展していくか、その利点と問題点を含めて述べてみたい。
利点は、医療情報の差が、働き場(大学とか大病院にいるかへき地の診療所にいるか)で変わらなくなることである。問題の認識さえできれば、少なくとも今はやりのEBMの手法を使って、必要な医療情報を手に入れることはできるようになった。少なくとも、コンピューターを使って問題を解決することは、医師の卒前教育でも必修のことになりつつある。
ただし、それは、医師として要求される能力のごく一部に過ぎない。まず、患者の問題が、何かを把握できる能力が必要である。その力がなければ、いくらコンピューターを使っても患者の問題を解決することはできない。
これからますます増えてくるストレスや不定愁訴的なもの、患者と一緒に考えられるようなコミュニケーション能力や、病気に関わる家庭や社会など広く患者の問題をとらえられる感性が要求されよう。それをどう育てていくかが、コンピューター操作の教育以上に難しい問題である。またいくら遠隔医療技術が進んで画像情報が送られても、機械はつまらせた餅を取るような緊急の対応はしてくれない。情報機械を整備=地域医療の充実では決してない。やはりどこに住んでいても緊急の場合に15分以内には、医師の往診が受けられるような体制は堅持してほしい。テレビ電話での状態のチェックと、実際手を握って診察する往診では、医師患者双方の得られるものが全く違うのではないだろうか。テクノロジーが進めば進む程、手当てと言う直接の人間的な触れ合いでしか解決できない問題が増えるような気がする。機械やコンピューターができることは、どんどんそれらに任せ、それ以外の人間にしかできない部分に、時間を使えるようになりたい。現実には、コンピューターシステムが導入されて、コンピューターの前に座って情報を見たり、オーダーをするのに時間をとられて、患者を見る時間が少なくなっている医療者が多いのではなかろうか。


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