1999年度臨床倫理討論症例7


今回の症例は広島県の田坂佳千先生が主催されているTFCというプライマリ・ケア医を
サポートする目的で作られた医師のメーリングリスト上で、沖縄の離島のA医師からの
症例提示に続いて展開された討論について、コメントされた方々の了承を得て転載した
ものです。
最後にはこのような症例検討をインターネットで行う場合に大切なの患者のプライバシ
ーの問題についても言及されています。
このようにリアルタイムである先生の倫理的な症例をサポートするという経験は初めて
で、今後このようなE-mailによる臨床倫理相談をする場合のサンプルとして掲載します。
実際にはほとんど一週間の間にこのような討論がなされたわけでインターネットの威力
を実感すると同時に、多くの医師が働き場は違っていても同じような問題に直面してい
ること、そして各々が悩みながら問題に対応していることがわかりました。
いつものように、患者さんのプライバシー保護のため症例は一部改編されています。
このようなケース討論(内容、および方法)についてご意見をいただければ感謝です。

HP管理者 三瀬村国民健康保険診療所 白浜雅司
E-mail:HQC00330@nifty.ne.jp



症例7)離島での在宅ターミナルケアの症例(A医師よりの症例提示)

突然ですが、以下は今非常に悩んでいる患者さんについて症例呈示です。

94歳女性 施設入所→自宅 
離島在住(大きな病院のある島までフェリーで1時間30分)(島には診療所のみ、医師1名)

<主訴>  嚥下困難 右上下肢麻痺

<既往歴> 高血圧 難聴 痴呆 変形性膝関節症
 10年前に夫を亡くし、以後長男夫婦と3人暮らし、介護上の問題あり
島の高齢者入所施設(看護婦2名、医師は2週間毎に診察)に入所。
 歩行、入浴、トイレは半介助、夜間は紙おむつ、摂食は自力で可能。
発語はほとんど理解できない。
 本年7月には尿路感染症、敗血症(血培陽性)、入院すすめるが島からは出
したくないとの家族の希望強く、バイタル安定していたこともあり、施設に医師が
毎日往診という形で経過観察。14日間の抗生剤投与で何とか治癒。しかし長
期臥床のため歩行はできなくなった。

 1ヶ月前より傾眠がち、また嚥下がうまくいかず、固形物が摂取不可能となり、
流動食に。とろみがあると嚥下可能。内服薬も中止。座位励行と日中は車椅子
に、結果として体交の頻度が減ったためか仙骨部に大きな褥瘡をつくった。

<現病歴---今回の問題>
 ◯月4日、昼食より摂食不能、口に含ませても嚥下しない、レベルも
落ちて来ているとの報告を受ける。
 17時、血圧160/90、脈拍78、呼吸数28、体温37.4、
左上下肢は脱力著明、腱反射は両上下肢で低下、顔つき、眼球運動からは麻痺は
はっきりしない。瞳孔左右差も無し。呼吸音、心音は変化無し。
お孫さん(看護婦)には脳血管障害の可能性大きい、精査必要と説明した。

 そのお孫さん(看護婦さん)からは
「島外での加療はやめて欲しい。入院となればまず島には帰ってこれない。
祖父(この患者さんの夫)は肺炎で人工呼吸管理となり機械につながれたまま
の死だった。今後の方針は明日帰宅する患者の長男と相談して決めたい。」
との訴えあり。

神経学的所見の回復は難しいと考えたが、バイタル安定しており、この
日は輸液のみでの入所施設での経過観察とした。

 ◯月5日、7時、往診へ、バイタル、レベルとも変わらず。
11時頃、右上下肢、顔面の約1分の痙攣、チアノーゼあり、開眼無し、バイ
タルは安定、長女、お孫さん(看護婦)で相談、この先長くないと考え自宅
(長男宅)へ連れて帰ったと15時頃電話で報告を受ける。
長男は16時頃帰宅とのこと。

17時、長男宅へ。血圧120/80、脈拍100、呼吸数30、
体温37.6、その他所見は変わらず、嚥下はできない。

 長男、お孫さん(看護婦)より
「(この患者さんの)夫は病院でなくなった。死ぬときは機械につながれ
かわいそうだった。死後、ユタ(注)に魂がさまよっている、それは自宅で
死ねなかったせいだといわれた。このあとお払いが大変だった。是非自宅
で死なせてあげたい。ご飯も食べられず、意識もはっきりしないので検査
も点滴もなにもせずに逝かせてあげたい。」
との訴えあり。

長男自身予後不良の疾患を抱えており、母をきちんと見送ってからでな
いと死ねないと以前より親戚に漏らしている。

 医師からは「ガンの末期ならともかく、ターミナルかどうかもわからない。
精査し、経過をみる必要がある。。回復する可能性もある。島から出したくな
いお気持も分かるので輸液をしながら様子を見させて欲しい。」と提案。

 結局、輸液(750ml/day)のみで経過観察となる。◯月6、7日は、
開眼は時折みられるが、その他の所見はバイタルを含め変わらず。
採血、レントゲンなどの検査は行っていない。痙攣は1分以下のものが
1日4〜5回、右上肢と下顎の痙攣著明、その他の筋の動きははっきり
しない。家族は点滴もやめて欲しいとの希望を依然としてもっている。
 
(注) ユタとは祭司、お告げ、占いなどを行う巫者での事。
つまりは恐山の「いたこ」のような一種の呪術師とも言える。
 沖縄では、病気や家庭内の不幸、旅行や受験など、
なにかにつけてユタのところに出掛け、吉凶や不幸の原因を
占ってもらう習慣がある。

ユタは神霊から授けられた霊能力を持ったものが修行を積んで、
初めてユタとして認められる。
 

(質問)
medicalには輸液のみで経過を見るのはそもそも難しく、4日の時点で入院
させるべきでしたが、家族の希望も無視できず経過観察としています。「入院
即病院での死」と家族が決めつけている面も問題ですが、施設から自宅への患
者さんの搬送の経緯をみても家族の希望は非常に強いものがあります。検査も
やりづらい状況です。
島でこのまま診てよいものでしょうか。島で診る上の医学的、倫理的問題点を
ご指摘願いたいとおもいます。



症例へのコメント


佐賀医科大学総合診療部大西弘高さんのコメント

> 10月4日以降、この患者さんになにが起こったのか?脳血管障害(局在は?)、呼吸
> 器感染を考えていますが--乏しい所見ですが、考えていただけますでしょうか。

> medicalには輸液のみで経過を見るのはそもそも難しく、4日の時点で入院
> させるべきでしたが、家族の希望も無視できず経過観察としています。「入院
> 即病院での死」と家族が決めつけている面も問題ですが、施設から自宅への患
> 者さんの搬送の経緯をみても家族の希望は非常に強いものがあります。検査も
> やりづらい状況です。
> 島でこのまま診てよいものでしょうか。島で診る上の医学的、倫理的問題点を
> ご指摘願いたいとおもいます。

これは,どちらかというとA先生への質問に近いのですが,
  ご家族は,どのようなケアを求めて先生の診療を受けさせようと
  考えられたのでしょうか? また,ご家族は患者さんの状況を
  どのように解釈しておられるでしょうか?

  既に,かなりクリティカルな状態であるのは間違いないと思うの
  ですが,家族が「入院したら帰ってこれない」と考えていると
  いうことは,「入院しても助からないだろう」と解釈していると
  予想されます.また,先生には温かく看取って欲しいと考えて
  おられるような気がするのですが,いかがでしょうか?
  家族の対応を見ていると,「先生に診ては欲しいけど,治療は
  して欲しくない」というふうに感じます.

>  わたしからは「ガンの末期ならともかく、ターミナルかどうかもわからない。
> 精査し、経過をみる必要がある。。回復する可能性もある。島から出したくな
> いお気持も分かるので輸液をしながら様子を見させて欲しい。」と提案。

  私の考えでは,「老衰」は病気ではないけど潜在的な終末期と
  考えてもよいのではないかと感じます.ベースのADLもさほど
  よい状態ではなさそうですし.

  後に白浜先生のご意見を是非いただきたいところですが,自分の
  勉強のために,倫理的症例検討を行ってみます.

  医学的適応
   97歳女性が呼吸器感染,敗血症を疑われている.
   基礎のADLは,痴呆があり身の回りのことにもかなり介助が
   必要な状態.往診によって,輸液を行われているが,状態は
   悪化しつつある.現在の問題が全て肺炎に起因するものと
   評価するならば,抗生剤投与の適応に関しては考慮が必要.

  患者の意向
   患者本人は判断能力がないものと思われる.
   長男と孫の代理決定は,おおむね問題ないところ.
   夫の死を体験したときに,病院死を避けたいという気持ちが
   家族に生じたが,恐らく本人も同様である可能性あり.
   家族は治療拒否に近い状態.

  QOL
   発熱,頻呼吸,痙攣については,苦痛を感じている可能性あり.
   繰り返す肺炎は,今までのところなさそうであり,リスクの
   高くない治療に関しては,試みてもよい.

  周囲の状況
   沖縄本島までフェリーで1.5時間の離島に家がある.
   これ以上状態が悪化すると(あるいは現在でも)患者の
   移送についてはリスクがある.

  この4つを対照しながら考えていくと,
  ・病院死を避けたいという考えを本人が持っていたかどうかに
   ついては,家族に尋ねたいところ.もし持っていたという
   ことであれば,移送のリスクもあり,病院へ移送する必要は
   ないと考えられる.持っていないときには,家族の意向,
   移送のリスクと利益をてんびんにかけるしかない.

  ・病院へ移送する必要がなければ,島でできる限りの診療を
   するということで問題はない.

  ・抗生剤投与に関しては,医学的適応もあると考え得るし,
   QOL改善につながる可能性もあるため,家族と相談の上で
   考慮してよいのではないか? ただ,点滴に関して,再度
   家族とのあいだでインフォームド・コンセントを確認する
   必要がある.

  というのが,私の出した一応の結論です.
  直接,診察もしていないので,参考程度にしていただき,さらに
  ご意見をいただければ幸いです.



TFC事務局田坂佳千さん(広島県開業医)のコメント(1)

大西先生、短時間にありがとうございます。!!!!

こういったケースの実践アプローチについては、
臨床倫理の4分割表
白浜先生HP
http://square.umin.ac.jp/masashi/discussion.html
から、臨床倫理の4分割表をクリックして、
是非ご覧下さいませ。

(1)大西先生の様なジェントルなメイル お待ちしています。!!!
  よろしく、コメント下さいませ。!!!

(2)現時点で、出来るだけ具体的な純学的予後
 予測をカルテに書いてみられてはいかかがでしょうか?。

  1つ1つの各選択肢を取った場合(「点滴のみ」をしたとか、
   「入院した」「自宅に戻って何もしなかった」「胃瘻のみつけた」
   など、全ての場合の)の、それぞれの予測される結果と
   その各確率。(所詮、山勘・直感の予後予測ですが、これは、
   色々な意味で大切と思っています。本日は、詳細省略!!)

  是非考えて欲しいな。純医学的なところでまず!。



症例提示をされたA医師の田坂さん、大西さんへお礼と感想

田坂先生、大西先生ありがとうございました。
それぞれの質問に御返事します。

>また,ご家族は患者さんの状況を
>どのように解釈しておられるでしょうか?
>
>  家族が「入院したら帰ってこれない」と考えていると
>  いうことは,「入院しても助からないだろう」と解釈していると
>  予想されます.また,先生には温かく看取って欲しいと考えて
>  おられるような気がするのですが,いかがでしょうか?
>  家族の対応を見ていると,「先生に診ては欲しいけど,治療は
>  して欲しくない」というふうに感じます.

 先生のおっしゃるとおりだと思います。
 わたしが回復の可能性もあるとお話ししたあと、お孫さんには「先生はああいって
(回復の可能性もないのに)慰めてくれている。」といっていたそうです。

>  私の考えでは,「老衰」は病気ではないけど潜在的な終末期と
>  考えてもよいのではないかと感じます.ベースのADLもさほど
>  よい状態ではなさそうですし.
 
 あくまで感覚的には終末期と思うのですが、こうやって所見を並べるとまだできるこ
ともたくさんあり、採血のための注射針や抗生剤をもっては行くのですが、本人と家族
をみるととても実行する気になれず、それでも家族にお伺いを立てるのですが、予想通
りそこまでしなくてもといわれ、すごすごと帰ってきている状態です。
 
 ガン以外で在宅死を望むケースは私にとって初めてのことであり、経験がこういう、
うじうじした判断のつかない状態をはっきりさせるとも思っています。
 
>  ・病院死を避けたいという考えを本人が持っていたかどうか
 確認できませんでした。
   
>   持っていないときには,家族の意向,
>   移送のリスクと利益をてんびんにかけるしかない.
 移送のリスクは医師が付き添えば少ないと考えます。最悪挿管も可能ですから。
 家族の意向は無視できない状況です。

>  ・抗生剤投与に関しては,医学的適応もあると考え得るし,
>   QOL改善につながる可能性もあるため,家族と相談の上で
>   考慮してよいのではないか? ただ,点滴に関して,再度
>   家族とのあいだでインフォームド・コンセントを確認する
>   必要がある.
抗生剤投与、相談したのですが同意は得られませんでした。

<現在の結論>
本日レベルはさらに低下、開眼みられず。痙攣も1時間に5〜6回、kusssmaul呼吸も
みられる。発熱も最高38.8度。明らかに肺炎は確実と思われる。抗生剤投与、酸素投
与が考えられるが家族の了解は得られず。実際に治療に反応するかどうかは症状の進んで
しまった今では難しいと考える。脱水による死は避けたいと考え、輸液のみ続ける。

>現時点で、出来るだけ具体的な純医学的予後
>予測をカルテに書いてみられてはいかかがでしょうか?。

あまり具体的ではないのですが、書いてみました。
考えられるワークアップ、予想される検査所見も書いた方がいいのでしょうか。

「自宅に戻って何もしなかった」
脱水進行し、数日で死亡。
  
「自宅で点滴のみ」
現在行っている処置。脱水のみ防いでいる。感染症は進行。予後を数日延ばすだけ。

「自宅で点滴と抗生剤」
著効みられれば、危機的な状況(敗血症)から脱することができるかもしれない。
しかし脳血管障害の評価は難しい。

「施設で観察」
上記の処置の上、マンパワーがあり医学的にはより対処はしやすい。心電図、パルスオ
キシメーターなどモニターによる管理もやりやすい。

「入院した」
感染症のコントロールの可能性は高まる。対症療法にせよ様々な処置は可能であり生命
予後はもっとも長いと思われる。しかし長期臥床、環境の変化等あり、もともと高くな
いADLはその後のリハビリを考えてももっと下がるものと予測される。

「胃瘻のみつけた」
入院加療後の検討課題、可能な状況なら予後は改善するかもしれない。嚥下障害が残っ
たとしてもその後の在宅管理が可能となる。 
  
またご意見、ご指導いただければ幸いです。



天理よろづ相談所病院循環器内科 伊賀幹二さんのコメント(1)

まず、最初に医師が判断すべきは治療目標です。よくなる可能性はあるが、意識が一
段と低下し、寝たきりのようになっても、生きることが優先されると考えるのかどう
かです。人間はいつかは限りある命です。もう、お迎えは近いのではと思います。

私個人の考え方では、十分に生きられたのだからなにもしないでみてよいのではない
かとおもいます。特に、家族もこれ以上の治療を望んでいないときはなおさらです。
わらわれは、医学的なアドバイスは送れますが、先生と患者の家族がどのような関係
か、また、いままで患者および家族がどのような死生観をもっておらっるのかによっ
て判断はかわり、絶対的な答えはないと思います。

我々の病院でこのような症例を、手紙1枚で送られ、よく治療してもらいなさいとい
われる」開業医が時々おられます。我々勤務医は、なんで送ってくるのかという議論
になりますし、。。。。勤務医と開業医の意見のことなるところでしょうか?治療の
ゴールが一致していなければなかなか難しいことと思っています。



伊豆西海岸 安良里診療所 藤原靖士さんのコメント

 非常に感覚的な返事をします。気を悪くなされたらごめんなさいです。

 この方にとって、何をエンドポイント(目標と言ってもいいでしょうか)と
すべきとA先生は考えているのでしょうか?症状の回復でしょうか?生存期
間の延長でしょうか?できるかぎりの医療の提供でしょうか?

| わたしからは「ガンの末期ならともかく、ターミナルかどうかもわからな
|い。精査し、経過をみる必要がある。。回復する可能性もある。島から出し
|たくないお気持も分かるので輸液をしながら様子を見させて欲しい。」と提
|案。
 ガンの末期でもなく、ターミナルかどうかは分かりませんが、既に今回のエ
ピソードの前でも、嚥下困難があり内服もできず、褥瘡もでき(ということは
自力での体位変換も困難)、歩行もできなくなっている94歳。島から出して
入院して回復して島へ戻ってこれるベストの状況で、どのような状況を想像さ
れているのでしょうか?「入院となれば島に帰ってこれない」か、「入院即病
院死」かどうかはともかく、以前の状態より改善する可能性は非常に低く、
帰ってこれてもレベル低下している可能性が高いのでは?自然経過と考えては
いけないでしょうか?
 胃婁の話もどなたかのコメントにありましたが、この状況、ご家族の納得の
得られない状況(ご家族が何がなんでも生きていて欲しいと思う場合以外)で
は、胃婁の適応もどうかと思います。

 私なら、沖縄の離島でなくても、自動車で10分強で入院のできる病院のあ
る今の診療所で診ていても、そのまま入院させずに在宅で付きあうと思いま
す。点滴も家族が希望するのでなければ(まして家族が止めて欲しいというな
ら)、中止します。死亡した際の死亡診断書病名は肺炎でしょうか?

 沖縄の「ユタ」の話が出ていましたが、確かにいわゆる「いたこ」や巫女の
ようなものです。それに関連してかどうかは別にして、沖縄の、特に離島で
は、自宅で死ねなかった人の魂は(日本的な表現での)成仏ができず、居所な
くさまようという信仰があると聞きます。それを成仏させるのに「ゆた」が登
場します。これは、宗教というより、地域文化です(おそらく、死に対しての
グリーフワークgrief work的な意味合いがあると私は思っています)。この文
脈から考えると、医学的に「可能性のある限り入院治療を行う」より、「地域
の文化文脈の中で人生を全うしていただく」のがよいのでは、と考えます。こ
れだけ周囲の家族の意志が強固なのも、地域の文化のなせる技ですし、施設か
ら自宅へ連れて帰って看取るというのも、強い意志を感じます(それがよいと
はいいませんが)。
 そういう沖縄の文化事情がなくても、私の方針に変りはありませんが。

 ここでの医師の立場は、疾病の治療でなく、その人の人生に寄り添うことだ
と考えます。逆に、本村先生が
|島でこのまま診てよいものでしょうか。
 と感じる理由、根拠、バックグラウンドをお聞きしたいと思います。(批判
ではなくて、それを共有することで、得るものがあると思うからです)

 医療倫理の4分割もしようと思いましたが、他の方から提示がありましたの
で、感情的なコメントを強調させていただきました。



奈良県立医科大学衛生学教室 藤崎和彦さんのコメント

沖縄での死者儀礼に「ヌジファ」といって、死者が死んだ所から「マブイ」(魂
のこと)をユタが拾い出して、ちゃんと収まるべき所に収めてくれる儀礼があり
ます。
この儀礼は非常に大事で、まさに死んだ布団の上をチリトリと箒のようなもの
で、ユタがマブイをかきあつめる作業を行います。
したがって、死んだあとすぐにかかり付けのユタが儀礼を行う必要があるのです
が、本島など遠くに運ばれてしまうと、ユタが儀礼をする前にベッドが片付けら
れてしまって、スムーズに儀礼が出来なくて困ることが出てきます。
沖縄の大きな病院では、ユタがこの儀礼を行うことを嫌って(現代医学の権威を
傷つけられるように思うのか)、ユタを病院内に入れてもらえない所もあるそう
で、そのためにしょうがなくユタは、病院の玄関などにマブイを呼び寄せてヌジ
ファを行ったりするそうですが、やはりちゃんとマブイを拾ってもらって収まる
べき所に入れてもらえたかは、不安が残るようです。
離島なら沖縄本島以上に祖霊信仰のカミゴトは重要に思われていると思います
し、医学的見地からでは無くとも、医療人類学的に言っても、もう島で看取って
頂けた方が良いように思います。
急いでいるもので舌足らずですが、とにかく気になったのでメールします。



佐賀県三瀬村国保診療所 白浜雅司さんのコメント(1)

大西先生、田坂先生コメントありがとうございます。
さて本村先生の提示されたケースですが、私もいくつか本村先生へ質問をあげて
自分の意見を述べてみます。
メールではちょっと細かいニュアンスが伝えられなくて残念ですが、一つの考え
として聞いていただければ幸いです。

>わたしからは「ガンの末期ならともかく、ターミナルかどうかもわからない。
>精査し、経過をみる必要がある。。回復する可能性もある。島から出したくな
> >いお気持も分かるので輸液をしながら様子を見させて欲しい。」と提案。

問1)この患者さんをターミナルとは考えられない根拠は何か。

原因がわからなくてもこの方の状態はターミナルと言えないでしょうか。
見てなくていうのは確かに難しいのですが、私は94才の方が敗血症をして
そのあと麻痺があって、痙攣があって自分で食べられなくなったということ
だけでもターミナル状態だと思うのですが。

なんか癌の末期だけターミナルケアを強調する風潮にもちょっと違和感が
あります。心不全でも、肝硬変でも、老衰でもすべてターミナルケアは必要だ
と思います。

問2)医学的適応の中でこの方に行う医療の目標ゴールの設定をどのように
考えて対応するか。

この方の治療目標の選択は患者の意識がないなら、家族の総意ということで決
めて問題はないのではないでしょうか。少なくとも仲の悪い家族でなく、それが
著しく患者の利益をそこなうのでなければ。

家で最期を見送りたいといういう家族の思いはできる限り大切にしてあげて下さい。
今時なかなか家族に見送られた最期はありませんから。田舎では特に家で大往生
できたかどうかが残されたものの生活に関わってきます。
病院で最高の医療をする以上に、家族に見守られて家で死ぬことの方が
大切なのです。死はその人だけでおわるのではありません。残された家族に
その人の死は引き継がれます。

先生が入院させて明らかに予後が改善するという括弧とした根拠があれば、もち
ろん家族にもう一度転院を勧められてもいいでしょうが、(自分が直接見てないの
でなんとも言えませんが、)やはり脳血管障害、急激な悪化でないので多分脳梗
塞と何らかの感染症がある状態というのが一番考えやすい病態でしょう。

この方を後方病院に送って広範な脳梗塞がCTで見つかったからといってその
後の対応が変わるでしょうか。先生の文面からもやはりこの方は寿命というような
感じがしますが。

点滴しているならその時に少し採血してCBC,CRPくらいは見てもいいのでは
ないでしょうか。敗血症の診断のための血液培養までする必要はないと思います
が。そのことが治療につながると思えばですが。

意識低下があって、経口摂取ができなくても、少し口を湿らせることはできるので
はないでしょうか。末期の患者さんは誤嚥しない程度に口に湿らせると気持ちよさ
そうにされます。
腎不全や心不全の末期を在宅で看取りましたが、意識は落ちてましたが、口を
しめらせると少し微笑んだようになって、家族が食事時にそのように湿らせるだけ
で2−3日すごされて、それぞれ消えるようになくなられました。

このような最低限の水分だけあげるというような対応の根拠となるのが以下の
論文で最近医療倫理の分野でもよく引用されます。

Comfort care for terminally ill patients. The appropriate use of nutrition
and hydration

McCann RM; Hall WJ; Groth Juncker A

JAMA, 1994 Oct, 272:16, 1263-6

Abstract

OBJECTIVE--To determine the frequency of symptoms of hunger and thirst in a
group of terminally ill patients and determine whether these symptoms could
be palliated without forced feeding, forced hydration, or parenteral
alimentation. DESIGN--Prospective evaluation of consecutively admitted
terminally ill patients treated in a comfort care unit. SETTING--Ten-bed
comfort care unit in a 471-bed long-term care facility.
PARTICIPANTS--Mentally aware, competent patients with terminal illnesses
monitored from time of admission to time of death while residing in the
comfort care unit. MAIN OUTCOME MEASURES--Symptoms of hunger, thirst, and
dry mouth were recorded, and the amounts and types of food and fluids
necessary to relieve these symptoms were documented. The subjective level
of comfort was assessed longitudinally in all patients. RESULTS--Of the 32
patients monitored during the 12 months of study, 20 patients (63%) never
experienced any hunger, while 11 patients (34%) had symptoms only
initially. Similarly, 20 patients (62%) experienced either no thirst or
thirst only initially during their terminal illness. In all patients,
symptoms of hunger, thirst, and dry mouth could be alleviated, usually with
small amounts of food, fluids, and/or by the application of ice chips and
lubrication to the lips. Comfort care included use of narcotics for relief
of pain or shortness of breath in 94% of patients. CONCLUSIONS--In this
series, patients terminally ill with cancer generally did not experience
hunger and those who did needed only small amounts of food for alleviation.
Complaints of thirst and dry mouth were relieved with mouth care and sips
of liquids far less than that needed to prevent dehydration. Food and fluid
administration beyond the specific requests of patients may play a minimal
role in providing comfort to terminally ill patients.

大西先生の4分割の分析と以下のご意見に賛成です。

> (2) これは,どちらかというと本村先生への質問に近いのですが,
>   ご家族は,どのようなケアを求めて先生の診療を受けさせようと
>   考えられたのでしょうか? また,ご家族は患者さんの状況を
>   どのように解釈しておられるでしょうか?
>
>   既に,かなりクリティカルな状態であるのは間違いないと思うの
>   ですが,家族が「入院したら帰ってこれない」と考えていると
>   いうことは,「入院しても助からないだろう」と解釈していると
>   予想されます.また,先生には温かく看取って欲しいと考えて
>   おられるような気がするのですが,いかがでしょうか?
>   家族の対応を見ていると,「先生に診ては欲しいけど,治療は
>   して欲しくない」というふうに感じます.
>
>   私の考えでは,「老衰」は病気ではないけど潜在的な終末期と
>   考えてもよいのではないかと感じます.ベースのADLもさほど
>   よい状態ではなさそうですし.
>
>   後に白浜先生のご意見を是非いただきたいところですが,自分の
>   勉強のために,倫理的症例検討を行ってみます.

>   この4つを対照しながら考えていくと,
>   ・病院死を避けたいという考えを本人が持っていたかどうかに
>    ついては,家族に尋ねたいところ.もし持っていたという
>    ことであれば,移送のリスクもあり,病院へ移送する必要は
>    ないと考えられる.持っていないときには,家族の意向,
>    移送のリスクと利益をてんびんにかけるしかない.

たしかに本人が元気なときにどのような考えを持っていたかは
家族に聞くといいですね。

>   ・病院へ移送する必要がなければ,島でできる限りの診療を
>    するということで問題はない.

まったく同感です。

>   ・抗生剤投与に関しては,医学的適応もあると考え得るし,
>    QOL改善につながる可能性もあるため,家族と相談の上で
>    考慮してよいのではないか? ただ,点滴に関して,再度
>    家族とのあいだでインフォームド・コンセントを確認する
>    必要がある.

これについては上に上げた論文のように点滴をしないという選択も決して
患者を苦しめるわけではないことを考慮して下さい。

>   というのが,私の出した一応の結論です.
>   直接,診察もしていないので,参考程度にしていただき,さらに
>   ご意見をいただければ幸いです.

これもまったく同感です。本村先生が何かこれはやった方が良いという
ことあるなら、ぜひ家族を説得してやって下さい。医師がこうしたがいい
のではないかということを患者や家族に伝えることは大事ですから。

以下の田坂先生のコメントも大切なところです。
医学的な適応の判断は医師が責任をもってしなくてはいけません。

> (2)本村先生、現時点で、出来るだけ具体的な純学的予後
>  予測をカルテに書いてみられてはいかかがでしょうか?。
>
>   1つ1つの各選択肢を取った場合(「点滴のみ」をしたとか、
>    「入院した」「自宅に戻って何もしなかった」「胃瘻のみつけた」
>    など、全ての場合の)の、それぞれの予測される結果と
>    その各確率。(所詮、山勘・直感の予後予測ですが、これは、
>    色々な意味で大切と思っています。本日は、詳細省略!!)

私はこのような患者さんに胃瘻まで考えるのにはちょっと抵抗がありますが。



佐賀県三瀬村国保診療所 白浜雅司さんのコメント(2)

A先生の症例にたいして、続続とコメントがきていることを
嬉しく思います。私のコメントもそのうち載ると思いますが。

これこそ一人で地域でがんばっている若いプライマリケア医を
サポートしたいという田坂先生のTFCをはじめられた大きな
目標で良かったなと思います。

また私が考えている臨床倫理の立場からいうと、症例を多くの
人が共有してみることによって、当事者が色々な視点から
広げて考え直す機会になります。伊賀先生のような病院の
医師の意見というのも貴重です。
さらに藤崎先生の医療人類学まででてくるところはこのネットの
すごさでしょう。

最近リアルタイムで倫理的な症例のケースを相談されること
が増えてきましたが、今回のように即座に多くの意見をいた
だくようなケースははじめてです。そしてそのことが多分
本村先生の診療をサポートしていると思います。実際に
臨床の現場での医療やケアの質の向上につながるという
臨床倫理の大きな目標を達成するケースになる可能性が
あると思います。

それでひとつお願いですが、この討論をそのまま私のホーム
ページの医療倫理の討論に残すことをお許しいただけない
でしょうか。もちろん患者さんのプライバシーの保護のために
A先生の名前や診療所、患者さんの年齢性などは変えて
掲載しますが。だれでも経験する大切な問題、特にこれから
在宅医療を推進するときに避けてとおれない普遍的なケース
です。

この方の治療というかケアが一段落した時点でいいのですが。
本村先生の感じたこと、患者家族が思われたことなども教え
ていただければ幸いです。

 A先生、この様子ではこの週末に亡くなられる可能性
が高いと思います。大変でしょうががんばって下さい。



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(2)

白浜先生!!!。
感謝感激です・・・。読んでいて、「ぞくぞく」してきました・・・。!!!!
本当にありがとうございます。!!!

A先生!!!!
この方を自宅で看取って差し上げて、非難する人は、
誰も居られないです。

最後のランディング、やすらかに、ご家族に見守られながら、
ちょっと残念な気持ちを残しながらも、送って差し上げる。

勇気を出して、患者さんやご家族と、
その方向で歩んでみては、如何でしょうか?

これも、とっても大切な、かなり真髄に近い、家庭医の機能と
思っています。



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(3)

皆様からいただいたメイルをもとに、
今回は、同感の部分は除いて、
思いつきで書かせていただきます。

まず、伊賀先生からいただきました。
>我々の病院でこのような症例を、手紙1枚で送られ、よく治療してもらいなさいとい
>われる」開業医が時々おられます。我々勤務医は、なんで送ってくるのかという議論
>になりますし、。。。。勤務医と開業医の意見のことなるところでしょうか?治療の
>ゴールが一致していなければなかなか難しいことと思っています。
まったくそうですね。!!!
そういうケース、1例1例、分析して、
「なんで送ってくるのか?」という原因の分析結果を知りたいです。!!

開業医を弁護をする訳ではありませんが、
遠方の親族が突然、プレッシャーをかけてきて、自宅でそのまま
診ようと思って対応してきたのが、急転回して、あまり意味のない
入院をお願いすることも、時にあるのです・・・。

小生は、そういう時に「言い訳を山ほど」紹介状に書きますが、・・・。
言い訳を書かれない先生の方が多いのではないでしょうか??

A先生のコメントから
> あくまで感覚的には終末期と思うのですが、こうやって所見を並べるとまだできるこ
>ともたくさんあり、採血のための注射針や抗生剤をもっては行くのですが、本人と家族
>をみるととても実行する気になれず、それでも家族にお伺いを立てるのですが、予想通
>りそこまでしなくてもといわれ、すごすごと帰ってきている状態です。
これは、「すごすごと帰ってきている状態」は、
大正解だと思います。!!!!!
先生は、家族の非言語的訴えを含めて、ヒシヒシと感じられる
良いセンスをお持ちです。!!!

おそらく問題は、

> ガン以外で在宅死を望むケースは私にとって初めてのことであり、経験がこういう、
>うじうじした判断のつかない状態をはっきりさせるとも思っています。
と、ご自身のご指摘どおりと思います。!!!

即ち、おそらく生命予後はベストが期待される
>「入院した」
>感染症のコントロールの可能性は高まる。対症療法にせよ様々な処置は可能であり生命
>予後はもっとも長いと思われる。しかし長期臥床、環境の変化等あり、もともと高くな
>いADLはその後のリハビリを考えてももっと下がるものと予測される。
でさえ、この状態であり。

おそらく経験豊富な先生方は、本村先生の文面から受け取られるよりも、
はるかに悪い具体的予測を立てられていると思います。

小生にも、やはり研修医の3年目の時に、ほぼ同様な側面を持ったケースに
遭遇し、ついついベスト結果を過剰・過大に見積もった経験があり(今でもそ
の傾向はあり)、今でも苦い思い出となっています。

この見積もりの誤差が、本村先生の、かなり大きな「良心の呵責」の1つと
なっていると思います。

続いて、千(万)が一、A先生の想定するコースに進んだとして、
御本人は、どれだけ喜ばれるのでしょうか??

内山先生の、昨年の家庭医療学研究会での基調講演で、
高齢の患者さんの求めていることは、「延命」ではなく
「やすらかに逝けること」と言うような、インパクトのあるスライド
(詳細は、忘れました・・・)を造られていることを思い出しました。

多くの高齢者は、家族に出来るだけ迷惑を掛けることなく、
やすらかな死を、家庭で家族に囲まれて、迎えたいと、
夢?見ていることも多いと思っています。(当然違う人もいるでしょうが)

死を看取ることは、敗北と思って居られるDR.も多いらしいですが・・・、
全くそんなことはなく、やり甲斐のある仕事だと小生は感じています。
(家族も我々も、御本人も、満足感のある、最後は、充実感すら
 感じます・・・・私は変なのでしようか?)

ところで、
白浜先生のご呈示の論文、以前聞いたことがありました。!!
本文献が解り、感激です。!!

点滴について言うと、
東京の方の病院の先生か看護婦さんが他が書かれた
「在宅で看取る」と言った感じの本の中で、
500ml/日を3日間して、リカバーしなかったら、それ以上は
あまり意味がない様なことを書かれていました。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが、かなり当たっていると
感じています。

即ち、生命予後は、数日〜数週程度のばすが、
ゆっくり全身状態が低下し若干の延命が得られる以外、
患者さんのQOLに良い影響を与えることはない。
(じり貧の、ペースが少し落ちるだけ。)
それだけなら良いが、700−1000ml/日程度補っていると、
尚、真綿で首締め状態で、ブヨブヨ浮腫人間(背面主体)
を造ってしまう・・・。なかなかミゼラブルです。
(もっとも激しい人とは、傷もないのに、皮膚から汗のように
 水(浸出液というより漏出液?!?!)がわいていました
 これも、小生の「苦いカルテ」です。!!)

やっぱり枯れるように逝く方が、きれいで、楽そうに見え
ますね。  水浸しよりも!!。

従って、A先生の
>脱水による死は避けたいと考え、輸液のみ続ける。
のご意見の、
脱水で亡くなるのも、決して悪いことではありません。
(他の先生方もか書かれていた事と思います)
白浜先生のご指摘のように、脱水死も、飢餓死でも
苦痛は文献的にもない様ですし、経験的にもそう感
じています。

ところで、酸素なども、小生は、一時しのぎと理解しています。
即ち、肺病変が治らないと踏んでいるならば、投与しません。
単なる、先送りに過ぎないと思っているので、このことをご
家族と話し合って決定しますが、高齢者の肺炎では、強い
呼気困難の経験はなく、看取りを決めたケースデは投与
しないことが殆どです。



三谷一裕さん(大阪府開業医)のコメント

>我々の病院でこのような症例を、手紙1枚で送られ、よく治療してもらいなさいとい
>われる」開業医が時々おられます。我々勤務医は、なんで送ってくるのかという議論
>になりますし、。。。。勤務医と開業医の意見のことなるところでしょうか?治療の
>ゴールが一致していなければなかなか難しいことと思っています。

両者の立場がよくわかるだけに興味深く一連の意見交換を聞かせていただいております。

開業するとこのようなことはよくあります。
ここで、理解していただかないといけないことは、
開業医の場合、
一人で患者さんを見ないといけないと言うことです。
診察時間中や、いろんな公務をしている間に、
患者さんが急に悪くなったりする事もあります。
(中略)
この、「開業医は1人で医療をしている」ことは
病院の先生はよく理解しておいていただきたく思います。
もちろん、在宅で死を看取ることに反対ではありませんし、
私自身も何度も経験しているわけですが、
私のように、公務がやたらと多く、
 吹田市医師会理事(健康診断、健康教育、学校保健、感染と予防が担当です
 社会保険診療報酬審査委員、吹田市の介護認定審査委員長、
 みんなの健康展実行委員会副委員長、吹田市学校保健会理事、
 吹田養護学校と江坂大池小学校校医、
 小曽根幼稚園、ラサンテ幼稚園園医、
 地元のお寺とお宮さんの総代、・・・・・)
ただでさえ、家族サービスが少ない開業医にとっては、
在宅死はかなり負担です。

天理よろず相談所病院のような
三次医療機関に近いような病院に在宅死を希望されるような患者さんを送るのは、
話になりませんが、
それなりの後送病院を日頃から確保しておき、
患者さんやその家族の人たちをその気にさせて、
適切な時期に入院していただくというテクニックは、
一生同一地域で開業する立場の医師が、
それなりに充実した人生を送るためには、
絶対に必要なものだと思います。

沖縄の離島の場合は、
地理的にも、
文化人類学的な立場からも、
私の立場とはことなるものはあると思いますが・・・・



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(4)

三谷先生のご意見、ある意味で解りやすくするため、やや極端な例が
書かれて様にも感じます。
小生なりに勝手に加えますと、
小生としては、やむにやまれず、変な日(土日、祝祭日の前)にお願い
する事もある。
これは、必ずしもスキーにいきたい(小生もスキです!!)から
ではなく、ご家族も、
平日よりも土日の方が動きやすい。不安も募りやすい。
また、開業医のこともそれとなく察してくれる。
等の要素も多いと思います。
この中で、「不安も募りやすい。」と言うのも、大きな理由と思います。

それと、違う側面では、
開業医だから、上記のことが許されるわけではありません。
やはり、1名では、肉体的にも、精神的にもしんどいと思います。
小生は、親父と2名でやっていますが、1名てやるのは、超ストレス
を予感しています。

岡山市の安田先生がされているような、グループを造っての
お互いのカバー(出張時の)などの方策をやっていかないと、
患者さんの不安はカバーできません。
もし、今のままで、それを満しようとすると、医師と医師家族の
QOLや医学の研鑽が犠牲になると感じています。!
これは、何とか解決すべき、開業医(診療所医師)の大きな
課題と感じています。!!



岡山県 日本原病院 横谷省治さんのコメント

皆様の症例検討,しかも家庭医・プライマリケア医のエキスパートの
先生方による検討で,A先生ばかりでなく私(達)若年者
(経験の浅い医師という意味です)にはとても勉強になり,また励
ましにもなります。ありがとうございます。

私は医師になって7年目で,地域に出て3年目になります。
川崎医大総合診療部で研修していた頃にも,末期と思われる
(超)高齢者の難治性の肺炎治療について議論になったことが
あります。
そのころ私は肺炎なら治療により改善する可能性があるから
抗生剤はきっちり使うべきだ,治癒に至らなくても少しでも改善す
れば呼吸困難を和らげ,緩和医療的効果もあると考えていました。

ところが,日本原病院にきて90〜100歳の方を看取ることが多くなり,
治療しない肺炎もあるのだなと言うことが実感として分かりました。
癌も含めた慢性疾患,重篤な脳血管障害の末期の方ばかりでなく,
いわゆる老衰の末期の方も最期には肺炎を併発することがよくある
ことを体験し,それらの患者さんが余り苦しそうでないことを体験
しました。
そうすると,「肺炎」という病気に目を向けるのでなく,この方は
今人生の終末にさしかかっているのだ,どう過ごすのがこの方の
最期にふさわしいのだろう?と考えるようになりました。
そうすると自宅で家族とともに過ごすのが一番よいと感じることが
ほとんどです。

それでもはじめのうちは私の中に「もしかしたら入院治療で持ち直
すかもしれない」という入院しないことへの不安や罪悪感があり,
先輩医師に「在宅で診てよいと思うよ」と言っていただくと安心
するという状態でした。

>長女、お孫さん(看護婦)で相談、この先長くないと考え自宅
>(長男宅)へ連れて帰ったと15時頃電話で報告を受ける。

このご家族はすばらしいと思います。そういう文化的背景があるのも
すばらしいと思います。

こちらでは田舎とは言っても最期は病院へ入れたいと考える家族も
少なくありません。中には,家族の負担になるからとご本人から入院を
望まれることもありますが,大抵は家族の「入院させないと何もしてやら
なかったことになる」とか「終末期の世話はとても大変だろうから,
自宅ではとてもできない」,稀?には「入院させないと近所から非難
される」という理由です。

私は「本人がどうしてほしいと思っているかを想像してみて下さい」
とか,「自宅で看取るのは何もしないのとは違います。とても立派な
ことだと思います」とか,「終末期の世話は思ったほど大変でなく,
ヘルパーさんや訪問看護婦がお手伝いします。
度々往診にも来ます」とか話しています。

それでも入院治療を希望された場合は,輸液をしたり抗生剤を投与
したりしています。一旦入院してしまうと,途中で自宅で最期を迎える
ことを提案しても「家では看護婦さんがして下さるように頻繁に
体位変換をしたり吸痰したりできないから」と最期まで病院で
過ごすことがほとんどです。「息が止まったのに気づかずにいる
かもしれない」とか,「自分だけの時に息が止まったら怖い」といった
理由のこともあります。

とりとめなくなりましたが,言いたかったのは,
・A先生も私(達)と同じようにとても迷い悩んでおられるのだなぁ
・そんなとき経験豊富な先生方のご意見はとても教えられ,励まされるな
・最期の迎えかたは,むしろ家族の思いに影響されるな
・その点でこの症例の本人も家族も幸せだな
ということです。
乱文失礼いたしました。



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(5)
横谷先生!!、感謝+感激です。!!
やっぱり、日本原、奈義での研修は、有効に作用していると思います。
(手前味噌ですいません・・・!)

>・A先生も私(達)と同じようにとても迷い悩んでおられるのだなぁ
>・そんなとき経験豊富な先生方のご意見はとても教えられ,励まされるな
>・最期の迎えかたは,むしろ家族の思いに影響されるな
>・その点でこの症例の本人も家族も幸せだな
>ということです。
全く同感です。!!!

チョットだけ出しゃばりコメント。
>最期まで病院で
>過ごすことがほとんどです。「息が止まったのに気づかずにいる
>かもしれない」とか,「自分だけの時に息が止まったら怖い」といった
>理由のこともあります。

ここの件ですが、
逆に、病院で「これはもう、あかん(ダメだ)」と医師が確信し、ご家族も
そう感じた時に、患者さんの意識のあるうちに、家に帰して差し上げる。
何もできなくても、何もしなくても、本来の御本人の希望であるならば、
そういうチョイスの地元の病院ではあっていいと思います。
その他、準ホスピス部屋?の様な、cure目的でない、ご家族と一緒に
お見送りできる、モニターなどの音のしない、特別室。病院や施設
にあっていいと思っています・・・・。
(とは言っても、その前に、スタッフの考え方が大切でしようが・・・・。)

それと、
>「息が止まったのに気づかずにいるかもしれない」とか,
>「自分だけの時に息が止まったら怖い」といった
>理由のこともあります。
この当たりを含め、ご家族と「何がどう不安か?」を
「ごり押ししない程度に」話を煮詰めていくと、
解決できる場合も多いと思います。
このあたりも、そういった経験の多い先生と相談しながら
話を進めるといいかな〜。と思っています・・・。



大西弘高さん(佐賀医科大学総合診療部)のコメント(2)

A先生の症例呈示に対し,真っ先にレスをつけましたが,
その後,さらに広い視点から様々な意見が出て,
私も改めて勉強させていただいたことが多いと感じました.
この議論に参加されている先生方に少しずつ,コメントを
加えたいと思います.

まず,A先生からのお返事に対してです.

>わたしが回復の可能性もあるとお話ししたあと、お孫さんには「先生はああいって
>(回復の可能性もないのに)慰めてくれている。」といっていたそうです。

老年期には,ADLが徐々に低下して死に至るということを,家族が
よく理解しているということですね.老年医学関係のテキストに
 

      |
      |*****  ↓病気
      |     ****
      |         *
    A |         *
    D |          *         
    L |          *          ***** ↓病気
      |           *       **     **
      |           *     **        *
      |            *  **           *     
      |            ***             *     **** ↓病気
      |                            *  **    *
      |                         ***       *
      |                                        *
      |                                         *↓死亡
      └───────────────────────────────
                     時 間

というものがあったように思います.全体的に右下がりのグラフが時々
大きな谷を作っているわけですが,全体的な右下がりは「老化」である
と説明されていました.縦軸は,QOLとも比例するものと思われます.

今回は,一番右の「病気」のエピソードですので,これを是正したと
しても,増加するQALYはわずかであることが,このグラフからも
理解しやすいかと思います.
(QALY:quality adjusted life year)
QALYがこういうところに出てくるのは,本来の意味とは異なるかも
しれませんが,「延命治療」という否定的なニュアンスの言葉を患者や
家族が用いたときに,生存時間×QOLという概念を用いると,医療の
ゴールが見えやすいのではないかと考えています.

>あくまで感覚的には終末期と思うのですが、こうやって所見を並べるとまだできるこ
>ともたくさんあり、採血のための注射針や抗生剤をもっては行くのですが、本人と家族
>をみるととても実行する気になれず、それでも家族にお伺いを立てるのですが、予想通
>りそこまでしなくてもといわれ、すごすごと帰ってきている状態です。

私も,天理よろづ病院での研修を終え,佐賀に来て老人病院や診療所の
診療に少しタッチするようになった頃は,このような不安を常に感じました.
佐賀に来てから2年半が経ちましたが,今は,自信を持って「この状況なら
家族が納得しているなら何もせずに済ませるべきだ」と言えます.
一つは,経験が増えたということがありますが,もう一つは社会医学的な
知識が増えた(特に医療倫理だと思います)ことにあると思います.

次いで,白浜先生のコメントについてです.

>なんか癌の末期だけターミナルケアを強調する風潮にもちょっと違和感が
>あります。心不全でも、肝硬変でも、老衰でもすべてターミナルケアは必要だ
>と思います。

天理よろづ病院での研修中に,伊賀先生が「循環器内科では,死の間際まで
いろんな管を入れて重点的な治療をするのをよく目にするが,DCMなどは
最後にはターミナルの状況になるのだから,患者の死生観などを考えることも
当然必要なんだ」とおっしゃっていたのを思い出しました.

また,肝硬変という病名を告知するときに,癌の告知をするときほどの
準備をしていないということに自ら気づいてハッとしたこともありました.

>このような最低限の水分だけあげるというような対応の根拠となるのが以下の
>論文で最近医療倫理の分野でもよく引用されます。

何となく,点滴をし,モニターをつけている方が医療者は安心できると
いうような風潮があるのは事実ですよね.大学の病棟では,悪性腫瘍の
ターミナルの患者さんでも,点滴,モニターの2点について,医師が
不必要という結論を出しても,看護婦が納得しないということが多いです.
でも,こういう文献を示すことができれば,我々としては心強いですね.

最後に,藤崎先生のコメントに関してです.

医療人類学という学問の深さを感じました.今まで,このような視点を
持ったことがあまりなかったので非常に参考になりました.
緩和医療の用語の中で,スピリチュアル・ケアという言葉がありますが,
このケースは家族を含めたスピリチュアル・ケアという概念として
受け止めることができるのでしょうか.



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(6)

大西先生のアカデミックなコメント!。
1回目も読めば読むほど味がありますが、今回も素晴らしい!!。
今回のコメントは、小生の言いたいことを
スマートに説明していただいた感じです。!!

まず、
>「延命治療」という否定的なニュアンスの言葉を患者や
>家族が用いたときに,生存時間×QOLという概念を用いると,医療の
>ゴールが見えやすいのではないかと考えています.
そうですね。!!!
生存時間×QOLが、一般の人(高齢者)のセンスですネ。
御本人、ご家族の気持ちが理解しやすくなりますね。!!
生存時間自体には、重み付けが少ない人々が殆どですよね。
(当然例外も有りでしょうが・・・)

>老年医学関係のテキストに・・・・
のグラフもいいですね。!!!
こんな表現方法(メイルでグラフを示す)お疲れさまでした。!!
でもとっても解りやすいですね。

ただ、
(以下、過去のTFCでも書きました事です。)
小生なら、いわゆる老衰〜全身衰弱状態時では、
最後の死亡直前のイベントは、病気のみに限らず
単なる、「何らかの原因による咳」、「食事(嚥下)」、
「胃瘻からの胃内への注入」、「座位」、といった
一般日常生活動作でも、迷走神経緊張(推定)や
低血圧がきっかけであっという間に、やすらかに
逝ってしまう事が多いと思っています。
(これは、小生の考えです・・・・・。信じないで下さい。)

(こういった時にも、肺炎などの、絶対病理学的変化があると
言われる、学者さんも多いとは思いますが・・・、病理解剖
は、ワンポイントですし、「変形性腰椎症のレントゲン所見=
腰痛症」ではない事と同じと小生は考えています。)

生理学的な(一般的な病理所見では捉えられない)反射で、
死に至る時期があると思っています。
これが生ずるときには、老衰死としていいかな?
と思っています・・・。

ところで、大西先生のコメントに戻って、
>今は,自信を持って「この状況なら家族が納得しているなら
>何もせずに済ませるべきだ」と言えます.
全く、同感です。!!そのほかの多くの先生もそう考えられていると
思います。!!!!

このケース、(怒らないで下さいね・・・)、
(診察しないで言うのもルール違反かもしれませんが、
インターネットでの了解事項としてご理解下さいませ・・・・・)
ここまで来れば、もっとも先生もご決断しやすい、
「初級の高齢者ターミナルケア」だと思います。

おそらく、
>医療人類学という学問の深さを感じました.今まで,このような視点を
>持ったことがあまりなかったので非常に参考になりました.
といった点では、
ますますもってこのケース以上に悩ましいケースが
今後ともあり得ると思います。
その節にも、出来れば、今回のように、TFCのみんなと
悩みを共有しながら、みんなで考えさせていただければ、
幸いと感じています。

それと、
>なんか癌の末期だけターミナルケアを強調する風潮にもちょっと違和感が
>あります。心不全でも、肝硬変でも、老衰でもすべてターミナルケアは必要だ
>と思います。
>看護婦が納得しないということが多いです.
>でも,こういう文献を示すことができれば,我々としては心強いですね.
の中の
>看護婦が納得しないということが多いです.
ですが、

在宅の場合も、看護婦さんやヘルパーさんなどのサポーターサイドも
色々な感情や考え、時に強い思いこみ(点滴もしないなんて、なんてひどい!!)
等を持っているのが自然の姿です。
彼らは、心では「ムカムカ」しながら(何で○○して上げないのかしら!!)、
とか、我々と家族の決断を冷ややかに(口に出さずに)観察している・・・・。
と言う、恐ろしい状況を、ついつい浮かべてしまいます・・・・・。
(田坂が「へそ曲がり」のせいでしょうね・・・)

小生としては、
ケアカンファレンスの様な、コミュニケーションの場(お互いに本音で
討論できる)が無いと、知らないスタッフとはチームを組むのが
恐い・・・・。と言う側面も感じています・・・。

最後に
>> 胃婁の話もどなたかのコメントにありましたが、この状況、ご家族の納得の
>>得られない状況(ご家族が何がなんでも生きていて欲しいと思う場合以外)で
>>は、胃婁の適応もどうかと思います。
この「胃瘻」は、小生が書いたのですが、
このケースプレゼンの時点では、適応はないと小生も思っています。

ただ、以下の2つの意味で書きました。

1.
疾患の鑑別のあげ方と同じで、
一度、ICUまで(極端な選択)含めた極論で考えていただきたかった。
究極の治療をしても、QALY(教えてもらったことをすぐ使う、
ずうずうしい田坂です〜)の増加は、極軽度で、確率も低い。
(実は、この出来るだけ正確な予後予測、医師の仕事で大切
な要素の一つと思っています。)

2.
ケースのプレゼンの中に
> 9月上旬より傾眠がち、また嚥下がうまくいかず、固形物が摂取不可能となり、
>流動食に。とろみがあると嚥下可能。内服薬も中止。座位励行と日中は車椅子
>に、結果として体交の頻度が減ったためか仙骨部に大きな褥瘡、
とあったのですが。
この時点では、まだベストを目指すことみなさんの考えが一致しているならば、
「仙骨部に大きな褥瘡」が出来る前(〜出来始めの超早期)に、何かの手を
打つべきタイミングと思いました。

高齢者の医療は、助けるつもりなら、後手に回ったら取り返すのが大変です。!!

即ち
(1)この時点が、家族会議+ケアカンファレンス時てあると思います。
また、この時点でcure方向を目指すなら、
(2)日帰りでPEGのみ入れてもらう。
  (あるいは、本島から出張してやってもらう??)
  事を選択の一つとして上げる。
   (食事と食事介助の労力!と誤嚥のリスク最小限に軽減し、
    褥創治療の基本の栄養状態の改善に力を入れ、
    もう一つの基本の、除圧(体位変換〜座位)に余った
    介護力を全力投球する。)
と言うことを提案(押しつけでなく)してもいいかな〜。
と、小生は感じました。

 (胃瘻を付けても、食べたければ、好きな物を食べて
  良いことを約束して。)

推測ですが、こういったケース
>結果として体交の頻度が減ったためか仙骨部に大きな褥瘡、
の大きな褥瘡は、
「あっという間に」かなり大きく深い物が出来たのではない
でしょうか。?!!
この時期には、かなり大きな方向転換をしないと、
マイナーな治療(薬物も小生あまり信じていません・・)や
マイナーな介護の介入では、現状維持がせいぜいと感じています。

逆に、理論的に正しい、かなり大きな方向転換をすれば、
1−2ケ月で見る見る良くなるケースも多々あります。
(これにも、見極めが大切ですが・・・。)
(大きな方向転換は、入院であることはマレと理解しています。
むしろ、入院はNGであることが多いと思っています。)

追伸:A先生は、島で唯一のDR.なのですよね。!!
   そういった意味でも、
> すごすごと帰ってきている状態です。
   って大切だと思います。!!!!



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(7)

以前ご紹介いただいた、伊賀先生のホームページ
http://www.kcn.ne.jp/~igakan/
で、小生のもっとも共感したところの一部で、今回の話題にも
関連したところと感じましたので、一部のみですが、
以下に引用させていただきました。
(全文はHPでお願いします。)

>「齢者介護・終末期医療と適切な医療費配分について」
<前半省略>
>心臓死、癌死、脳卒中死であれ、人間はいつかは死ぬものです.
>きわめて稀な人しか百才まで生きれません.死を人生の集大成であると
>考えれば、いくら若い時に幸福であっても、死の瞬間に幸福と思えなけれ
>ば、その人の人生は不幸であるように思えます.高齢者や余命幾ばくも
>なくなった人は、本当に、病院で人生の最後を送りたいのでしょうか?
>ひとはどのような最後が望ましく、国としてどのような青写真をひいて
>いるのでしょうか?
>もちろん、国が決めることではなく、本人の死生観が一番尊重される
>べきですが、実際にはあまりにも選択肢が少なすぎです.
<後半省略>



佐賀医大精神科 山田 健志さんのコメント

田坂先生の発言された
> 点滴について言うと、
> 東京の方の病院の先生か看護婦さんが他が書かれた
> 「在宅で看取る」と言った感じの本の中で、
> 500ml/日を3日間して、リカバーしなかったら、それ以上は
> あまり意味がない様なことを書かれていました。
について、

私も記憶が曖昧ですが、たしか
宮崎和加子さん(健和会訪看ステーション統括部長)の書かれた
『家で死ぬ』(頸草書房)という本のことでしょうか。
内科研修医時代に往診していた、末期前立腺癌の高齢男性を
自宅で看取った経験から、水分は経口で本人が欲しがる分だけ、
というのが一番良いような印象を持っています(という私も多
くの失敗の上ですが)。

一方で、佐久病院や亀田総合病院のような、その地域の基幹病院で亡く
ならないと家族が納得しない、というようなカルチャーもまだ根強いと
思います。癌末期の考え方がここ十年で一変したように、今後リビング
・ウィルのような考え方が浸透すれば、また状況が変わっていくのかも
しれませんが。



佐久総合病院内科 山本亮さんのコメント

私は現在内科(総合外来)と地域ケア科に属しており、その関係で高齢者の入院、在
宅をみさせてもらっています。今回の症例を読んでいて、これはまさしく「ターミナ
ル」だと思いました。私たちの病院でもターミナルというと「癌の末期」と考える人
が多いのですが、癌で死ぬのはたかだか3割(でしたよね?)で老人の多くは肺炎と
かいわゆる「老衰」で死んでいくと思います。私たちのチームでは患者さん本人(意
志決定できないことが多いですが)、患者さんを看ていく家族とよく相談して治療方
針を決めていくようにしています。点滴もせず病院で看取るひと、1日500mlの点滴
だけでみていく人、熱に対してステロイドの点滴を行うこともあります。最後まで在
宅でという人も多く、山田先生の書いているように必ずしも病院でというわけではあ
りません。胃ろうや気切などについてはある程度家族との関係ができた後に十分に説
明をしてやるかどうか決めています。そうでないと胃ろうをつくったはいいけど、家
では看ていけない、どこか施設にでも入れて下さいというふうになりかねないからで
す。ということで思いつくままに感想でした。



TFC事務局田坂佳千さんのコメント(8)

山本先生!!、ありがとうございました。!!!
>患者さんを看ていく家族とよく相談して治療方
>針を決めていくようにしています。
そうですね。!!ここが、当たり前ですが、もっとも大切ですネ。!!!
とくに、患者さんや家族から話がしやすい事、言いたいことが言える
雰囲気づくり、大切だと思っています。!!!

胃瘻については、小生ちょっと思い入れがあるので書きます。
>胃ろうや気切などについてはある程度家族との関係ができた後に十分に説
>明をしてやるかどうか決めています。
>そうでないと胃ろうをつくったはいいけど、家
>では看ていけない、どこか施設にでも入れて下さいというふうに
>なりかねないからです。
基本的には、同感なのですが、ちょっと小生の考えを言わせて下さいませ。
(「胃ろう」と「気切」ですが、今回は前者に限定して話をさせて下さいませ。
 小生20年前には、同じような侵襲度合いのイメージでしたか、今は、全く
 別格と感じていますし、患者さんになったつもりで感じても、全く違う
 ハンディーと思っています。)

1.インスリンの自己注や、胃瘻(PEG)
  は、患者さんからの同意の得にくい技術です。
  これは、患者さんが正しくその手技のメリットとデメリットをイメージ
  簡単にイメージ出来ないからであると思っています。(胃瘻(PEG)に
  付いては、しばしば医師も・・・。)
  実際に施行し始めて、最初の御本人の予測に比し、デメリットが多く
  元に戻りたいという人は、インスリンで2割?、後者は、小生は言える
  ほど多くの方を自らは、経験していませんが、今までの所御本人
  (頭のクリアな人ばかりです。)もご家族も満足(後悔なし)されて
  います。
  
  そこで、いつから話を出すかですが、小生の場合、少しでも適応の
  可能性が出来たときから、出来るだけ早期から、話すようにしてい
  ます。それは、
   「将来的には、こういう方法もあるのだけれど。利点と欠点は・・・。
    ちょっと、頭の隅に置いて置いて下さい・・。」
   「こんな方法もあるので、とりあえず1度ビデオだけ見るだけ
   見て見て下さい。」
  と言う風にして、気長にやっています。(「ごり押し」には、ならない
  ように気をつけながら・・・。)
  即ち、関係を造ってから伝えるのではなく、同時進行というのが、
  現在の小生のやり方て゛す。
  to tell the truth
  と同じかな??

2.
>そうでないと胃ろうをつくったはいいけど、家では看ていけない、
>どこか施設にでも入れて下さいというふうになりかねないからです。
この件ですが、
病院で胃瘻を造った場合は、そうなる事もあるのでしょうね。
(在宅からでは、殆どあり得ないと感じています。)

実際には、ご存じのように、介護量は、多くの場合、胃瘻の方
が少なくてすみます。=ご家族の肉体的負担は軽減と
なる場合が多いのです。

>胃瘻があるので、家では看ていけない、
>どこか施設にでも入れて下さいというふうになりかねないからです。
この表現をご家族から聞いた場合、思い浮かぶのは、
(1)「こんなの(胃瘻)を見たことないので
   どうしていいか解らない・・・。 恐そう・・・。出来ないよ〜。」
(2)本当は、胃瘻があっても無くても、
   家では見れないな〜と、感じている・・・。!!
   (この理由は、聞いてみないと解らない・・・。)
(3)その他、そのことを言われた御本人に詳しく聞いてみないと
  解らない・・・。
です。

こういったケースデは、(2)の場合が多いのではないか
と感じていますが・・・。皆様の印象は如何でしょうか??
(そのうち、(2)の対応がもっとも、難しいのですが、・・・。)

いずれの場合にも、
その患者さんに「かかりつけ医」がいたら、
病院の方から、早めにご連絡いただいたりして、
連携が取れて来ると、新たな打開策が出て来るかも
しれません。(どうみても施設の適応で、施設に
入れない人が多いのも大問題ですが・・・。)

3.
人間の健康の基本は食事です。!!
高齢者1人世帯など見ていると、食事のワンパターン化が
かなり度を過ぎている場合もあります。
「食事の宅配サービス」〜〜「適時の胃瘻増設」まで。
目指すところは、同じです。!!
栄養状態は、健康の基本と思います。

在宅での、
「中途と半端な点滴でじり貧+褥創の悪化」や
「年に3−4回静注抗菌剤投与の必要な誤嚥性肺炎を
おこす、栄養状態の悪い患者さん」
「経管栄養中の患者さん」
など、
医師も御本人も、ご家族も、「改善することを目標として
歩むならば」、選択肢の1つとして良いのではないかと
感じていますが・・・。(経口摂取は禁止せず)
(この話の対象は、意識も高次脳機能も正常な人です)



A医師の報告
 
 たくさんのレスを頂きありがとうございました。まさにリアルタイムで
ご相談に載っていただき、患者さん、家族の方にとってもっともよい選択
に近づけたのではないかと思っております。

>これこそ一人で地域でがんばっている若いプライマリケア医を
>サポートしたいという田坂先生のTFCをはじめられた大きな
>目標で良かったなと思います。
 
 私自身にとって貴重な教育を受ける機会になったことも感謝申し上げます。

 経過を申し上げます。

 9日9時には血圧70/40と低下、明日までは持たないだろうとを伝えました。
 輸液は3日間で計1300ml、輸液では症状変わらないこと、さいごの時がもう目の
前に来ていることを説明して、抜針しました。14時も朝と同じ状態でした。
 
 15時、下顎呼吸ありとの連絡を受けてご自宅へ。脈は微弱、その後呼吸が止まりゆ
くのを看取りながら15時35分死亡と診断。6畳のたたみの間に家族、知り合いに囲
まれての死でした。死亡診断書には敗血症、細菌性肺炎と記載しました。

 本当に先生方ありがとうございました。重ねて感謝申し上げます。 

続けてレスを以下に書き連ねます。

藤原先生からのご質問----ありがとうございます。
> 島でこのまま診てよいものでしょうか。
> と感じる理由、根拠、バックグラウンドをお聞きしたいと思います。

わたしの浅い経験に先生方のレスを交えて----

 診療所勤務前は県立病院で研修医として働いていました。家庭医になりたいという希
望を持っていて、そのためにも幅広く1次救急に対応できるようになりたくて研修先に
この病院を選びました。
 
 ここは救命救急センターを併設しており、1次から3次まで受診患者数は31,55
9人(1次82% 2次15% 3次2%)、病院総入院患者9595人、救命救急セ
ンター経由の入院患者はその内の約6割です(平成7年度)。平均在院日数は確か約1
3日だったと思います。どんな患者さんでも受け入れ、対処する姿勢で、病診連携を含
め、地域医療の核として機能しています。
 
 基本的には、最初は1年目が診て、そのなかで帰宅できないような患者さんを2年目
が診て(20床ほど経過観察できます)、一日3回のスタッフとの回診でどの科に入院
させるかが決まります。夜、救急当直で診た患者さんをそのまま病棟でも主治医として
診ることも普通にありました。

 救急室には特養をはじめ施設から来られる老人もたくさんいらっしゃいます。医師の
紹介状があればいいほうで、看護婦さんが、あるいは職員が病状の急変に慌ててかつぎ
込むケースも少なくありません。

 救急室ですから、まずは治療優先、医師主導でことが進みます。意識もなく、予後が
厳しい状況であればいざというとき心肺蘇生を行うかどうか急いで家族に確認すること
となります。
 
 脳血管障害+感染症はよくあるパターンの一つでした。救急室で、また病棟入院時に
心肺蘇生を行わないと決めた(それほど重症な)患者さんでも短期的予後はそれほど悪く
ない印象でした。半分ぐらいの方は何とか持ち直します(冬は厳しいですが)。何とか
2週間ぐらいで長期入院可能な病院へ転床となるケースをいくつか経験しました。

 今回の症例も、この感覚で言えば、「送れば退院は難しいが、持ちこたえることはで
きるかも」と思いました(年齢からは厳しさも感じましたが)。

 ただ急性期を何とかmanagementし、他の病院に送ることが本当に患者さんのためにな
っているのかという疑問は常にありました。急性期を乗り越えられず、なくなる方には
なおさらでした。
 
 マンパワーで老朽化した病院施設を何とか動かしていると私は感じており、アメニテ
ィーはよいとはいえません。受け持ち患者最大50人といった状況で、患者さんの話を
ゆっくり聞く時間もありません。

 死という人生においてもっとも大きな瞬間をなぜこのような環境で迎えなければなら
ないのか---仕切はカーテン、堅いベッド、病棟内での急変にベッドサイドバタバタと
走り回る医療従事者たち---と考えることしきりでした。

 私の祖父は、痴呆、食思不振からIVHにつながれ、手足は抑制、そのままのかたち
で、私が医学部3年生の時、なくなりました。尊敬する祖父であり、私にとって残念か
つ、「苦しまずに、自然な形で死ねないものか」と考えさせる死でした。
 身内の死、医師ととしての看取りを繰り返すなかで、伊賀先生のHPの文章には深い
共感を覚えました。

>今時なかなか家族に見送られた最期はありませんから。田舎では特に家で大往生
>できたかどうかが残されたものの生活に関わってきます。
>病院で最高の医療をする以上に、家族に見守られて家で死ぬことの方が
>大切なのです。死はその人だけでおわるのではありません。残された家族に
>その人の死は引き継がれます。

 白浜先生のおっしゃる通りだと思いました。
 今回、ご自宅で呼吸が止まりゆくのをみながら、死を家族の方ともに看取ることがで
きて、よかったと感じています。過呼吸の時も寝顔は安らかでした。こういう形が自然
でいちばんいいと思います。

 しかしわずか半年前の自分は、今回のようなケースであれ、ひたすら治療をし、なん
とか病状をよくすることに一生懸命であったわけです。

 島で診ていいものか---はこのギャップに苦しんでの悩みでした。大病院と診療所の
差ともいえるでしょう。伊賀先生ご指摘の点であると思います。

 山田先生ご指摘の----
>一方で、佐久病院や亀田総合病院のような、その地域の基幹病院で亡く
>ならないと家族が納得しない、というようなカルチャーもまだ根強いと
>思います。癌末期の考え方がここ十年で一変したように、今後リビング
>・ウィルのような考え方が浸透すれば、また状況が変わっていくのかも
>しれませんが。
 
 中部病院にもそういった面があるのかもしれません。
 来年はまた2〜3年間は県立中部病院で研修する予定です。沖縄では亡くなる方の
約80%が病院で亡くなります(後述)。「苦しまずに、自然な形で死ねないものか」
を今と逆の形でまた悩むこととなりそうですが、横谷先生のレスには勇気づけられまし
た。

>今人生の終末にさしかかっているのだ,どう過ごすのがこの方の
>最期にふさわしいのだろう?と考えるようになりました。

>私は「本人がどうしてほしいと思っているかを想像してみて下さい」
>とか,「自宅で看取るのは何もしないのとは違います。とても立派な
>ことだと思います」とか話しています。

重症だから即紹介入院といった考えは持たないようにしたいと思います。
中部病院で在宅支援は非常に難しい(急性期に手を取られ過ぎて)ですが、病診連携を
含め、対応を考えてみたいと思います。

 参考までに---厚生省の死因統計より
http://www.mhw.go.jp/toukei/toukeihp/9nenpo/deth1.html#hyo6
 
自宅で死亡する方の割合は全国16.1% 沖縄13.0% 長野25.1%(最大)
ちなみに与論島では70%超(近藤の調査による)。

病院で死亡する方の割合は全国76.2% 沖縄79.1% 長野65.8%(最小)
(いずれも平成9年度)

ユタについて

 藤崎先生ありがとうございます。

 「魂がさまよっている」についてご解説ありがとうございます。「マブイがあちこち
に散らばっている」とユタの方は表現されていたそうです。
 
 今回の強い在宅死に対する家族の思いは、患者さんの夫が人工呼吸器をつけたまま
のつらい闘病生活後の死を迎えていたことと、ユタに関する信仰とが重なり合った結果
ではないかと考えていました。

 病院でなくなったときベッドサイドにユタを呼ぶのは遺族側で控えているケースが多
い印象です。医師に向かってこういうことを言うと馬鹿にされるからと違うケースです
が訴える方もいました。

 伊平屋島にはユタは3人、あるユタの方は「若いときから霊感が強く、人に何か分か
らないが憑いているのは見えていた。先輩のユタに魂の見方を習いながら、なにがどう
人に憑いているのか具体的に目に見えるようになった。」と以前に話していました。
 
 これは診療所に行った方がいい、これはお払いで治るとかの判断もされています。来
院された患者さんであとでユタの方から「私が診療所に行くようにすすめた」とお聞き
したケースも実際にありました。人の生死、事故、病気など何かあればユタに診てもら
うのは本島の都市部でも珍しいことではないようです。

 島外で死亡の際は、お骨をもって島で葬式というのが一般的です。また島内に火葬場
もあります。栗国島では仙骨改葬をおこなうため、島外での死亡でもご遺体をそのまま
運ぶこともあるそうです。
 

白浜先生、大西先生のレスより----

>なんか癌の末期だけターミナルケアを強調する風潮にもちょっと違和感が
>あります。心不全でも、肝硬変でも、老衰でもすべてターミナルケアは必要だ
>と思います。

心不全の末期、肝硬変の末期とも理学所見、検査所見がそろえばターミナルケアを考え
ることもできるのですが、痴呆、動けない、たべないといった老化に伴う変化に対して
はまだ判断が全くできていません。ワークアップしてあまりなにも見つからなくて加齢
による変化それなりの処置をすれば長生きしそうで、そうでない場合もあったり---

>「延命治療」という否定的なニュアンスの言葉を患者や
>家族が用いたときに,生存時間×QOLという概念を用いると,医療の
>ゴールが見えやすいのではないかと考えています.

という大西先生のコメントをしっかり考えたみたいと思います。

三谷先生から----
>沖縄の離島の場合は、
>地理的にも、
>私の立場とはことなるものはあると思いますが・・・・

話がそれるかもしれませんが、沖縄の離島の医療を担っているのが多くは若い医師(自
治医科大卒が最多)であり、島外での研修をどうするかが問題となります。

自治医科大卒業生は少なくとも、研修は義務化されるべきではないか。計4年の離島勤
務の義務づけがあり、その間、離島以外の僻地に比べ研修を受ける時間とりにくい。年
間14日(休暇を除く)など、消化すべき研修日数を決めるべきと考える。

と県に提案したこともあります。

最後に

田坂先生へ

 長文かつ駄文の羅列をお許し下さい。
 事務局で適宜編集していただければ幸いです。

 田坂先生の迅速な症例呈示のおかげで早いレスを多数頂き、方針をほぼ家族の希望を
満たすかたちで決定することができました。
 輸液も状態をみながら絞っていき、抜針後6時間経っての死となりました。

 今回のTFCへの症例呈示はわたしにとって貴重な財産となりました。
 ありがとうございました。                   



熊本労災病院 呼吸器内科 高野義久さんのコメント

沖縄の先生からの質問に対して、いろいろな先生からコメントが
あったようですが、私も皆さんと全く同感です。
医療倫理といったむずかしいことは抜きにして、私たち医師は
永遠に人を生きさせることはできない、いつかは死を看取らねば
ならないことを忘れてはいけないように思います。元々、我々
はなるべく長く人を生きさせようとする「習性」があります。「サガ」といって
もいいものでしょう。ただ、それが行き過ぎて様々な問題を生じている
ことも忘れてはいけません。
私は自分の目でみて癌も含めたいろいろな意味でいわゆるターミナル
状態と考えた場合、研修医が一生懸命アルブミンや輸血、あるいは
挿菅などを考えているのを見るにつけ、治療の目的は何か?治療で
患者さんの予後が変わるのか?患者さんは少し長生きできて喜ぶ
だろうか?自分であればそんな風にしてほしいか?などを考えるように
言っています。若ければ若いほどその傾向は強くなるように思います。
もちろん、これ以上は難しいということを判断する力がないということも
あるでしょう。(最近はこんなに悩む人は少なくなってきましたが・・・)
どんなに頑張ってもどうしようもない状態、いわゆる終末期という
ものは来てしまうことに我々は気づかねばならないようにも思います。
昔、漢詩でしたでしょうか、読んだ一節があります。「医は死生の際に
処する者なり」 私の勝手な解釈では、医療は生を受けるときの立ち
会いと臨終の場面での立ち会いのとき処する職業とされていたと思って
います。やはり、死の看取りは我々の重要な役割なのです。
(もちろん、「ターミナル」の判断をしっかりすることも重要ですが・・・・)

さて、症例の家族は「家で死ぬ」ことを許してくれる、あるいはそう希望す
る家族であり、それだけで幸せでなことのように思います。昨今なかなか
そんな家族は少ないです。私であれば、抗生物質の点滴をしながら、あと
は本人の苦痛があればそれをなるべくとること、家族の不安があれば
それを安心させてあげることに労力を使うだろうと思いました。
A先生、安心して頑張ってください。
熊本からの勝手な独り言でした。

<TFC事務局からのお礼>
高野先生ありがとうございました。!!
>さて、症例の家族は「家で死ぬ」ことを許してくれる、あるいはそう希望す
>る家族であり、それだけで幸せでなことのように思います。昨今なかなか
>そんな家族は少ないです。
そうですね!!!。
その他も、全て同感です。!!!

家族も家で看取ってあけだい気もするのだけれどけれど、不安・・・・。
と言う場合もありますし、
>家族の不安があればそれを安心させてあげることに
>労力を使うだろうと思いました。
この点も、とても大事ですよね。!



福岡県 小石原村立診療所   宮本裕介さんのコメント

鳥肌が立つ思いで、木村先生の症例提示から始まったTFCの諸先生がたの
意見交換を拝見していました。
A先生、ご苦労様でした。

僕も山の中の診療所にあって、いちばん必要なものは、診断治療に迷うときに知恵を貸
してくれ、つらいときにつらいと相談でき、悲しいときに慰めの声をかけてくれ、苦労
した後に「ご苦労だったな」と肩をたたいてくれた、一緒に酒を飲んでくれた、病院勤
務時代での同僚や先輩ではないかと思うときがあります。苦労をともに出来る仲間が欲
しいなと思うことがあります。
このTFCの偉大な先生方が、僕にとっての仲間なんだと、本村先生の患者さ
んを通して深く感じています。
有り難いことです。田坂先生ありがとうございます。

A先生も半年の離島診療所勤務で、診療所スタッフや島の皆さんとの心のつ
ながりができ上がるにはちょっと短いこの時期に、このような患者さんに出会っ
て、自分の理想と現実の狭間でいろいろと悩まれたのではないかなと思います。
けど最後は、家族の皆さんも患者さんもきっと安らかな心持ちで天命を全うさ
せていただいた本村先生に感謝されていることでしょう。
本当にご苦労様でした。

僕も、小石原診療所に来て3人の方を自宅で静かに看取りました。
研修医1年目の頃以来、患者さんの死で涙しました。家族とともに「よか、じ
いちゃんやったね」と焼香しました。
人にはいろいろな死があるかと思いますが、この3人の患者さんは
幸せな人だと今も思います。

少し浪花節ですが、一言申し上げます。



<TFC事務局よりお礼>
宮本先生!!!!、
ありがとうございます。!!!

>A先生に感謝されていることでしょう。
>A先生、ご苦労様でした。
うーん。全く。その通りと思います。!!!

浪花節。 うーん。 なかなか、これも、良いものですね〜。!!

お合いしたこともない先生方と、こういった感じで討論でき、
共感できる事を、本当に嬉しく思います。!!!
今後とも皆様のご協力、よろしくお願い申しあげます。



武藤 惠美子さん(名古屋大学医学部老年科)のコメント

週末不在でメールを開けない間に、大変興味深い症例検討があり、
すでにお亡くなりになったとのことで、遅ればせながらですが、
私にも感想を述べさせてください。

この症例の診断ですが、私も敗血症による意識低下、せんもう状態であったと思います。
呼吸数が多かったことやチアノーゼの存在からも呼吸不全が存在したと推論されます。
脳血管障害の可能性は否定できないけれど、この場合は検査や治療で予後は変わらな
いと思います。
従って、もう少し積極的に治療をするとしたら、抗生剤、酸素投与程度であったと思
います。
それから電解質や栄養量も含めた輸液管理もあっただろうと思います。
人工呼吸器の装着は、病院の方針もあるでしょうが、このように高齢で家族や本人の
希望がない場合はしない施設も多いと思います(私ならしません)。

この症例の場合、何故抗生剤をご家族が拒否したか?が疑問です。
輸液は良くて抗生剤はいけない理由は何でしょうか?
またそれは、ご家族全体の意見でしょうか?
後で家族のひとりに「私はせめて薬の注射くらいしてほしかったのに、
先生は何もしてくれなかった」
なんて言われたりしたら、辛いですね。

私の考えるところでは、家族が抗生剤も拒む理由は、田坂先生が書かれた

>(1)「こんなの(胃瘻)を見たことないので
>   どうしていいか解らない・・・。 恐そう・・・。出来ないよ〜。」
の(胃瘻)に、抗生剤も入っているのではないかと思います。
一般の人々にとって、これまで見てきた「高齢者の自然な死」に、抗生剤も
含めたどんな医療もどのような介入があるか分からないのは不安なことで
はないでしょうか。
医療が病院を離れ、在宅医療でかなりの処置ができるようになったのは
ほんの数年のことだと思います。
病院での医療によくない印象を持つ人々が、在宅での死を選ぶのは、
自分達で看取る大変な覚悟を持っていると思います。
だから、「在宅での医療」という訳のわからないもので予測できない
事態になることを何よりも恐れたのではないかと思います。

私も似たような経験があるのですが、医師として家族を説得するべき
なのか、私ではない他の医師なら家族を説得できたのか、とても悩み
ました。
それこそ説教のしかたは大学では習わないですし。

<TFC事務局のコメント>
武藤先生ありがとうございました。!!

「説教」とか、「説得」と言う単語のイメージは、
あまり好きではないのですが、
先生の言われることには、同感です。!!!

>それこそ説教のしかたは大学では習わないですし。
に先生が含められようとした、多くのとっても大切な要素が、
医学教育の卒前〜卒後を通じて、ほとんど無視されている?!。
あるいは、たまたま上にいる上司〜先輩〜指導医の姿勢に大きく
(ギャンブル的に)依存している とも 思えますネ。

インターネットを使えば、伊賀先生や藤崎先生、その他大勢の
先生方にアドバイスを頂けて、ホントにいいですね。!!!



天理よろづ相談所病院循環器内科 伊賀幹二さんのコメント(2)

若い医師がこのような経験を経て自分なりの死生観を持ってこられているのをみて、
非常に嬉しくなりました。
医学部の学生時代に、このような経験や、そして貧弱な日本の福祉の状態も経験でき
るような卒前教育制度を作っていく必要があるように思いました。
我々の病院は高度な医療はできますが、3-4年目の医師が先生のような感性をもって
いないように思います。
今後のご活躍をお祈りいたします。



岡山県日本原病院の横谷省治さんのコメント(2)

>この症例の場合、何故抗生剤をご家族が拒否したか?が疑問です。
>輸液は良くて抗生剤はいけない理由は何でしょうか?
>          (中  略)
>一般の人々にとって、これまで見てきた「高齢者の自然な死」に、抗生剤も
>含めたどんな医療もどのような介入があるか分からないのは不安なことで
>はないでしょうか。

武藤先生のご説明に納得いたしました。私が先日書きました”自宅で看取ろうと
しない家族も多い”のは「高齢者の自然な死」がどういうものか分からない不安
があるからで,高野義久先生がおっしゃるように,この不安を取り除くのが医師
の重要な役目なのですね。

論点がずれますが,
もしかして,我々が輸液を抗生剤投与と同列の,治療の一部と考えているのと,
一般の人々が考えている「点滴」とは違うのではないでしょうか。
風邪などの日常の外来で「ちょっと点滴でもして下さい,薬はいりません」,
「元気の出る点滴をして下さい」等とても気楽に点滴をリクエストされますし,
ターミナルの場面でも「治る見込みがなければ治療は結構です。点滴だけしても
らったら」と(ちょっと矛盾するようなことを)家族の方がおっしゃることも少
なくないように感じます。
「点滴」は治療とは別次元の,とても身近な医療(?)なのではないでしょうか。
これは,地域性もあるでしょうから,私のいる地域に当てはめて考えれば,積極
的治療は望まれなかったけれども,主治医の先生の熱意に応えて「点滴」はそれ
ほど抵抗なく受け入れられた,そんな風にも受け取れました。



横井 徹(高松市開業)さんのコメント

さて、”休暇”中にA先生のメールから始まった一連の討論を
他の先生方と同じように”息をのんで”読ませていただいておりました。
家族とのんびり体を休めていたので、読みながら陰で応援するのが
精いっぱい?でした。がこのようなリアルタイムの討論、しかも対象
となる方が死に直面した状態の中での討論には本当に迫力が
ありますし大変勉強になります。

僕自身、末期癌の患者さんの死に際して心肺蘇生術を必ず”儀式の
ように”しかも家族に病室からわざわざ出ていただいて行うような
環境で内科の臨床研修がスタートし、1、2年するうちに
”これはおかしいんじゃないか?”と思いはじめた頃にだぶらせて
あたかもA先生が立っているその場に一緒にいるような感覚で
”傍観”していました。

参加する時期を逸してしまいましたので、本当にお疲れさまでした、
と言うしかありませんが、後味の良い充実した達成感のある疲れが
あるのではないでしょうか。
みなさん本当にお疲れさまでした。



<TFC事務局からのお礼>
横井先生、ありがとうございました。!!!
こういった、ポジティブ フィードバック とてもありがたいですネ。
みなさん。!

ところで、
>心肺蘇生術を必ず”儀式のように”
>しかも家族に病室からわざわざ出ていただいて行うような環境
現時点で、大学病院や基幹病院、どのような対応になっているの
でしょうかネ?
小生は、以前のことしか知りません・・・。



北海道・日鋼記念病院レジデント守屋章成さんのコメント

 家庭医を目指して現在葛西龍樹先生のもと修行中の身です.
毎日TFCの膨大なメールを読ませていただき非常に勉強になっております.

 さて,管理者である田坂先生にお尋ねしたいことがあります.
それは,電子メール(メーリングリスト)において詳細な症例呈示を行うことの
倫理性についてです.
 最近の本村先生の症例をはじめ,多くの先生方がご自身の経験なさった症例
をTFC上に提示し,ディスカッションを展開しておられます.大変勉強になる
のですが,その詳細な提示内容に少しく不安を感じます.私の知識では,電子
メールは何らセキュリティのかかっていないいわば郵便はがきのような存在で
,郵便配達人がはがきの内容を自由に読むことが可能なのと同じで,パケット
を中継している各サーバコンピュータの管理者はその内容を自由に読むことが
できるはずです.すなわち電子メールで詳細な(すなわちその症例が誰である
かを特定することのできる)症例呈示を行うことは,それを第三者の目に晒し
ていることになります.
 むろんそれらサーバコンピュータの管理者はコンピュータ倫理に精通した人
たち(のはず)でありますから,彼らが悪意を持たない限り現実的にはメールで
の症例が公に漏れることはないでしょう.またクラッカーが侵入を図ったとし
ても,不定期に大量に流れてくるメールの中から特定の“症例メール”を拾い
上げて悪用するというのも無理があるかと考えます(クラッキングの実態を知
らないので自信はないのですが).

 しかし,患者のプライバシーを特定できる内容の文書を第三者に閲覧可能
な形で流すことは,医療関係者としての倫理に抵触しないだろうか,というの
が私の不安です.
 そこで田坂先生にお尋ねしたいのは,

(1)過去にこうしたことがTFCで議論されたことがあったのか.もしあったのなら
その結論はどう出たのか(あるいはいつ頃のメールをretrieveすればその議論
・結論を読むことができるのか).

(2)TFCのメールには何らかの暗号化orセキュリティがかかっているのか.詳細
な症例を安心して提示してよいのか.

の2点であります.

 私自身も疑問に思う症例を広く先生方に提示しご教授いただきたいと
思っております.しかしその前に上記2点につき確認したく思います.
 ご多忙中大変恐縮ですが,決して急ぎませんので,お手の空いた折りに
でもお返事いただければ幸いです.

 このメールは当初TFCへの投稿にしようかと思いましたが,せっかく
本村先生の症例へのディスカッションが豊かに盛り上がっているところに水を
差すことになるかと思い,まずは田坂先生個人への質問という形にさせてい
ただきました.管理者として必要をお感じになられたのであれば,適宜編集し
て(orこのままの形で)TFCに流してくださっても構いません.

 なお私自身はOCNとメールの暗号化の契約を交わしております(実際上,
暗号メールを受け取れる相手がいないので一度も利用したことはありま
せんが).
 最後になりましたが,いつも管理ご苦労様です.他のMLと違い,すべての
投稿に目を通して編集した上でのupは大変な手間かと想像します.ありが
とうございます.



<TFC事務局よりのコメント>
守屋先生!!、ありがとうございます。

ところで、
> このメールは当初TFCへの投稿にしようかと思いましたが,せっかく
>本村先生の症例へのディスカッションが豊かに盛り上がっているところに水を
>差すことになるかと思い,まずは田坂先生個人への質問という形にさせてい
>ただきました.
細やかな、お心遣いありがとうございます。
そろそろ、症例も一段落付いたので、tfcの皆様にも一緒に考えて
いただくことにします。

事務局の考えなどを、お示しします。

>(1)過去にこうしたことがTFCで議論されたことがあったのか.もしあったのなら
>その結論はどう出たのか(あるいはいつ頃のメールをretrieveすればその議論
>・結論を読むことができるのか).
については、メイル上で議論が盛り上がった事はなかったと記憶しています。
また、残念ながら過去のメイルは、HP上では確認できなかったと思います。
ただ、個人的に色々な先生とメイルご意見をうかがったことや、メネット広島
の運営会議、医療情報の勉強会などで、情報収集しました。

>(2)TFCのメールには何らかの暗号化orセキュリティがかかっているのか.詳細
>な症例を安心して提示してよいのか.
全く暗号化は、ありません。
>詳細な症例を安心して提示してよいのか?
については、・・・・・・。うーん。参った・・・。
残念ながら、そうは、いえません・・・・。

ただ、事務局の理解は、
(1)個人を特定できないようにすること。
  (今回の場合、小さな島で、死亡日などの状況から、個人の特定は、
   可能ですよね。確かに。・・・・でも今回の場合、問題にはならないと
   判断して匿名とせず配信しました。リアリティーを優先しました。)
  これは、発信者の方で、適当に操作いただくのが良いと理解しています。
  多くの場合、年齢性、性別、職業、家族構成、程度の情報入れても、
  そう簡単に、個人を特定は出来ないでしょうし、するメリットも多くの場
  合は無いと思います。(保険証の記号番号や、クレジットカードの番号
  は、メイルに書いちゃダメですよね。)
  メリットの考えでいくと、葬儀業者や介護保険業者、生命保険の会社に、
  情報がいくと、彼らはそれを利用してしまうかもしれないですが・・・。
  離島や僻地を除けば、年齢+性別+時に職業程度なら、大丈夫
  だろうと安心しているのですが・・・。
  幸い、医療には、姓名判断は使いませんから・・・。(ふざけて、ごめん!!)
  この点については、事務局でも当然、気に掛けますが、症例呈示を
  していただく先生方に、配慮していただけると幸いです。

  また、メイルで相談するケースについては、小生は、御本人に了解を
  得ています。むしろ、これは、御本人にいやがられることは、ありません。
  おそらく、今回のケースも、ご家族にDRから、「他の友人や先輩と相談し
  たいのだけれど。」と持ちかけても、いやがられることは無いと思います。
  むしろ、地元に暮らす、看護婦さんや事務の人の前では、話してほしく
  ない事は、たくさんあっても・・・・。

  (むしろ、症例呈示の注意は、スキャナーで取り込んだCTフィルムの
   画像など、名前が入っていますから、ここはちょっと注意。)

その他
  むしろ、TFCは、小生を中心に解りやすくするためにやや過激な
  発言があります。
  部分的に捉えられると、誤解のもとになるご意見もあると思います。
  また、お互いに、医師の間だから解る会話もある
  (他業種の人が聞くと誤解されるかもしれない・・・)と思っています。
  出来るだけ、本音でお互いの立場を理解できるMLになってほしいと
  思っていますので、この傾向はなお避けれないと感じています。

  従って、無断転送や、他の業種の方がちらっと一部のみ読まれて、
  誤解されることの方が、発言いただいた方に迷惑がかかるのでは
  ないかと心配している所であります。

最後に、
  暗号化の件ですが、皆様にストレス無く導入できるようなシステムが
  開発されれば、導入したいですね。ただ、そのため、加入者にストレス
  がかかるのは、よろしくないと今のところ思っています。
  TFCの利点の1つは、「○×学会員でないとダメ」、とか、「年会費が
  必要」とか、ややこしい障壁を持たず、みんなで楽しく討論して研鑽
  する事が出来ること(老若男女を問わず)となったらいいな〜!!
  と思っています。
  また、幸い、個人を特定する情報がないと討論できないことは、
  まずないのが、PCレベルの話と思います。

以上が現時点での事務局の考えです。



A医師からのコメントへの返事

 守谷先生からのご質問、田坂先生のコメントについてですが

>>詳細な症例を安心して提示してよいのか?

>については、・・・・・・。うーん。参った・・・。

 守谷先生の危惧されるとおりであり---参った---というのが正直な感想です。

 今回倫理的な側面も意識しての症例呈示であったわけですが、
ご指摘の点での倫理的配慮は足りなかったと認めざるを得ません。

 私の症例呈示の問題としては--患者さんが同定できること。
せまい島からの症例呈示なのでどう脚色しても患者さんの同定は
近隣の方には可能でしょう。

 沖縄の離島での診療の状況を知って頂きたいとの私の意図が強く、
提示に際し、患者さんのプライバシーの保護は十分には考慮されていません
でした。。私の名前を出さず、どこかの離島からの症例呈示という形が
よかったのかもしれません。

 ただ詳細であるからこそいろいろな角度での検討が可能である側面
もあり、今回は守谷先生のご指摘の点を解決しないまま、議論が深まる
ように、私の意志決定が患者さんの不利にならないようにと症例呈示しました。

今回の症例呈示の形で患者さんは利益は現在のところ損なわれては
おらず、むしろいい結果になっていると考えますが、あくまで結果論、
今後、十分な反省のもとで症例呈示を行っていきたいと存じます。

>また、メイルで相談するケースについては、小生は、御本人に了解を得ています。

 今回、「たくさんの先生に相談している」としか家族の方には説明していません。
ここも問題であったと思います。

「MLでの詳細な症例報告が許されるか」という応用倫理学の問題であると思います。
なにが問題で、解決策は?を反省とともに、考えてみたいと思います。

 たくさんの人にプライバシーが分かってしまうケースとしては文化人類学での症例報
告も同じ問題があると思うのですが--。調べてみたいと思います。

 まだ、十分に頭が整理されたいませんが---
 貴重なご指摘ありがとうございました。      



三瀬村国民健康保険診療所 白浜雅司のコメント(3)
インターネットを使った症例検討について

守屋先生ご指摘のプライバシーの問題ですが、私も田坂先生のスタンスに
賛成で、症例の同定ができないように年齢、性などをぼかす、または変える
という方法と、本人や家族に他の先生とも相談していいかなと聞いてみるこ
とをすればいいと思います。今回のケースなどもリアルに書かないと伝わり
ませんし、実際に役に立つコメントも得られないでしょう。でも守屋先生が
指摘してくれたことで、皆さんがインターネットでの症例検討でのプライバ
シの問題について考えることができたことは貴重なことだったと思います。
私の医療倫理の討論のHPもそのようなプライバシーの配慮について指摘
して下さる方があり、対策のため、問題点をはずさない範囲で症例を変更し
て載せることにしています。
本村先生の症例の討論のまとめもそのようなスタンスで進める予定です。

プライバシーの保護だけを強調するあまり、かぎられた医療者だけが症例
の検討をしていくことが果たして患者のケアの質を高めているのかどうかは
疑問な部分があり、私はこのTFCに関わっている方のさまざまな経験や
倫理観からの意見を出し合って討議することはこれからも続けてほしいです。
介護保険が始まると患者情報が色んな方に漏れるという心配はありますが、
それぞれが知りえた情報を、医療者としての倫理観のもとに他用しないと
いうことさえまもって情報を共有できれば患者のケアの質は確実に上がって
いくのではないでしょうか。



佐々木香織さんのコメント
(社会学部在籍 博士論文執筆中 、医学部客員研究員)

大変ためになる症例ですが、一抹の不安を覚えたので、若輩の身ながら医療社会
学、近代化論・文化表象論、なるものの研究の徒が、一言だけ口を挟ませてくだ
さいませ。というのも、みなさんが、この一例を殊のほか「美化」して一つの方
向に話を進めていくことは、他を許容しないという「医療倫理学」を構築しまい
か?という老婆心を抱いたからです。論点は大きく2点です。

一つが、「ターミナルケア」という言葉の一人歩きが気になりました。医療倫理
学を厳密に考えていくとき、ターミナルのみを絶対視できるのかという「倫理問
題」にぶち当たることを、忘れて欲しくないという点です。なぜなら、「現代」
の医療は「命」の「等価性」を建前にして発展したからです。死を迎える命と、
迎えない命は等価ではないのか? 死を迎えるにあたって、治療放棄が許されるの
ならば、死を迎えなくとも、本人や家族の希望ということで治療放棄が許される
のではないか? しかも、下記にあるように、余命判断も臨床判断に由来するとな
れば、殊更この権利は保障されてしまいはないでしょうか?

余命判断というのも、臨床医学ということで、個人差も激しいので、それを絶対
視してよいのでしょうか?つまり、「臨床判断」であって「絶対的な尺度」で
「症例」を判断できません。いはば、確率論です。実際、余命判断によって親戚
一同が、彼を看取ろうとして、遠隔地に散っていたものが、北陸の実家に帰って
1年以上過ごしてしまい、「日常」(生活一般)と「非日常=異常」事態(父・
配偶者の死に逝く過程)の狭間で揺れた家族の報告も聞きます。

つまり、「短期間限定」で「非日常」の「死の看取り」は受容できても、長い
「日常」過程で「死に逝く」ひとを「看取っていく」ということは、現代社会
においては、「よし」とはされていない、もしくは/ひいては「考慮をしていな
い」のではありませんか?其の辺は、考慮に入れて判断をしていらっしゃるので
しょうか?

この第一点「ターミナルケア」の「絶対化」を踏まえて、お医者さんが将来を見
越して考慮して欲しいのが以下の社会文脈です。そもそも、「死」を「異常」事
態として発展してしまった、近代医学と、「死」を感情的な「出来事」に仕立て
ていってしまった、「近代家族」の成立の相互作用がかくまでに「ターミナルケ
ア」を賞賛する背景にあるのでしょう。
一方で、その近代医学と近代家族が、崩壊の「警鐘」を鳴らし始めています。そ
の両者の申し子たる「ターミナルケア」を「いま」になって奨励するのは、若干
今後10年をめどにしても、社会的な歪みをもたらすような気がします。
 

第二に「沖縄文化」、「自宅の看取り」の美化・絶対化も、一歩だけ引いて眺め
る余裕があるとよいと思います。医療社会学の中でも、近代家族の生成、近代医
学の誕生、を考察しますと、「死を看取る」ということの重大さはそれほど長い
「伝統」を持っていたわけでもなく、それこそロマン主義が台頭する、そして臨
床医学が誕生する「近代」の所産です。

それだからこそ、比較的「短期間」の「死の看取り」が焦点となったと考えられ
ます。(堀辰雄 「風立ちぬ」、高村光太郎 「レモン哀歌」宮沢賢治 題名は忘
れたが、死に逝く妹としこの死 など、今でも読み継がれる文学作品を参照して
ください。)もう一方で長期にわたって、枯れるように死んでいくという形は、
あまり重要視されない気がします。

ともあれ、日本においては死を「看取る」こと、「自宅」で死ぬことを重視し始
めたのは、明治終期・大正・昭和初期のことで、一般庶民においては、死を迎える
形は様々でした。地域と階級(士農工商、また、同じ農民や商人でもその差があ
る)の差は大きいので、自宅死をことさら美化するのには、少し疑問です。そし
て、この歴史的背景から、地域差というものは「本土」対「沖縄」とも言い切れ
ません。ユタに当るものは、おそらくどの地域でもいた可能性があるのです。た
だ、今に残らないだけで・・

それから、沖縄の「伝統」に関しても、沖縄を始め大日本帝国に支配された地域
では、第二次世界大戦後主に「伝統の再創造」といって、自分たちらしさを「相
手」に知らしめるかのように、「伝統」をそれらしく演出するようになって「団
結する」ようになった過程も否めません。そして、大日本帝国事体は19世紀末か
ら20世紀初頭、「日本らしさ」の伝統を、わざわざ構築して「西欧」に対峙しま
した。ですから、沖縄のいまの「伝統」は、再び変わるのも必定で、絶対視もで
きませんし、それを壊したからといって「伝統」が壊れたわけでもないのです。
「他者」と出遭ったときから既に「伝統」は「再評価」と「再構築」に晒される
わけですから、そこを殊のほか絶対視するのは、問題があると思います。

ですから、「ユタ」をはじめとした、みなさんが言うところの「伝統」を無視す
るわけでもなく、また「絶対視」するわけでもなく、状況によって「使い分け
て」欲しいと願うばかりです…

以上、つたないのですが、この症例に検討から、一つの方向に医療倫理学に携わ
るお医者さんや研究者のみなさんが、流れてしまわないために、ちょっぴり水を
社会学的な立場でささせて頂きました。

とはいえ、あのお医者さんの判断はおそらく最善だったと思います。我々に知ら
された状況のみからの判断ですが。そうはいっても、このケースはこのケースで
絶対視しない、これをもって「判例」としない覚悟がお医者様たちにあると、幸
いです。偉そうなコメントになりましたが、みなで集団で一つの方向に行く危険
性を危惧したまでということは、忘れないで下さい。


2001.9.7(金)筑波大学プライマリケ研究会で取り上げてもらってその討論内容を送っていただきました。


臨床倫理ディスカッション 結果

ディスカッションシナリオ(三瀬村国民健康保険診療所 白浜雅司先生のHPより)

離島での在宅ターミナルケアの症例(A医師よりの症例提示)

94歳女性 施設入所→自宅 
離島在住(大きな病院のある島までフェリーで1時間30分)(島には診療所のみ、医師1名)

<主訴>  嚥下困難 右上下肢麻痺

<既往歴> 高血圧 難聴 痴呆 変形性膝関節症
 10年前に夫を亡くし、以後長男夫婦と3人暮らし、介護上の問題あり島の高齢者入所施設(看護婦2名、医師は2週間毎に診察)に入所。歩行、入浴、トイレは半介助、夜間は紙おむつ、摂食は自力で可能。発語はほとんど理解できない。
 本年7月には尿路感染症、敗血症(血培陽性)、入院すすめるが島からは出したくないとの家族の希望強く、バイタル安定していたこともあり、施設に医師が毎日往診という形で経過観察14日間の抗生剤投与で何とか治癒。しかし長期臥床のため歩行はできなくなった。
 1ヶ月前より傾眠がち、また嚥下がうまくいかず、固形物が摂取不可能となり、流動食に。とろみがあると嚥下可能。内服薬も中止。座位励行と日中は車椅子に、結果として体交の頻度が減ったためか仙骨部に大きな褥瘡をつくった。

<現病歴---今回の問題>
 ◯月4日、昼食より摂食不能、口に含ませても嚥下しない、レベルも落ちて来ているとの報告を受ける。17時、血圧160/90、脈拍78、呼吸数28、体温37.4、左上下肢は脱力著明、腱反射は両上下肢で低下、顔つき、眼球運動からは麻痺ははっきりしない。瞳孔左右差も無し。呼吸音、心音は変化無し。お孫さん(看護婦)には脳血管障害の可能性大きい、精査必要と説明した。
 そのお孫さん(看護婦さん)からは「島外での加療はやめて欲しい。入院となればまず島には帰ってこれない。祖父(この患者さんの夫)は肺炎で人工呼吸管理となり機械につながれたままの死だった。今後の方針は明日帰宅する患者の長男と相談して決めたい。」との訴えあり。
 神経学的所見の回復は難しいと考えたが、バイタル安定しており、この日は輸液のみでの入所施設での経過観察とした。
 ◯月5日、7時、往診へ、バイタル、レベルとも変わらず。11時頃、右上下肢、顔面の約1分の痙攣、チアノーゼあり、開眼無し、バイタルは安定、長女、お孫さん(看護婦)で相談、この先長くないと考え自宅(長男宅)へ連れて帰ったと15時頃電話で報告を受ける。長男は16時頃帰宅とのこと。
 17時、長男宅へ。血圧120/80、脈拍100、呼吸数30、体温37.6、その他所見は変わらず、嚥下はできない。
 長男、お孫さん(看護婦)より「(この患者さんの)夫は病院でなくなった。死ぬときは機械につながれかわいそうだった。死後、ユタ(注)に魂がさまよっている、それは自宅で死ねなかったせいだといわれた。このあとお払いが大変だった。是非自宅で死なせてあげたい。ご飯も食べられず、意識もはっきりしないので検査も点滴もなにもせずに逝かせてあげたい。」との訴えあり。
 長男自身予後不良の疾患を抱えており、母をきちんと見送ってからでないと死ねないと以前より親戚に漏らしている。
 医師からは「ガンの末期ならともかく、ターミナルかどうかもわからない。精査し、経過をみる必要がある。回復する可能性もある。島から出したくないお気持も分かるので輸液をしながら様子を見させて欲しい。」と提案。

 結局、輸液(750ml/day)のみで経過観察となる。◯月6、7日は、開眼は時折みられるが、その他の所見はバイタルを含め変わらず。採血、レントゲンなどの検査は行っていない。痙攣は1分以下のものが1日4〜5回、右上肢と下顎の痙攣著明、その他の筋の動きははっきりしない。家族は点滴もやめて欲しいとの希望を依然としてもっている。
(注) ユタとは祭司、お告げ、占いなどを行う巫者での事。つまりは恐山の「いたこ」のような一種の呪術師とも言える。沖縄では、病気や家庭内の不幸、旅行や受験など、なにかにつけてユタのところに出掛け、吉凶や不幸の原因を占ってもらう習慣がある。
  ユタは神霊から授けられた霊能力を持ったものが修行を積んで、初めてユタとして認められる。

(質問)
 medicalには輸液のみで経過を見るのはそもそも難しく、4日の時点で入院させるべきでしたが、家族の希望も無視できず経過観察としています。「入院即病院での死」と家族が決めつけている面も問題ですが、施設から自宅への患者さんの搬送の経緯をみても家族の希望は非常に強いものがあります。検査もやりづらい状況です。
島でこのまま診てよいものでしょうか。島で診る上の医学的、倫理的問題点をご指摘願いたいとおもいます。 



<4分割法の応用によるディスカッション>
今回は4分割法に接するのが初めてのメンバーが多かったこと、さらに、時間が2時間と限られていた事から、4要素それぞれに班を分かれて、討論することとした。また、Q.を予め提供する事により、スムーズにディスカッションが進むよう図った。

1) 医学的適応(上野/寺澤/前野先生)
病態評価と、診断・治療について情報を整理する。
Q1:患者の病態は?
○ 月4日より、
摂食不可、レベル↓、明らかに進行する左右差のある症状(左上下肢脱力)が著明、ということより、脳血管障害が疑われている。
瞳孔左右差(-)より、脳幹部障害は(-)と考えられる。
  ↓
Q2:患者の診断は?
 脳血管障害(ただし、出血なのか梗塞なのか、詳細は明らかではない。)が疑われる。
Q3:患者に医学的に適応があると思われる治療は?→患者の予後は?
 島外の病院へ搬送し、CTを撮ることによりノ
(1) 脳出血の場合→血腫除去術
(2) 脳虚血の場合→減圧療法
(3) 血栓溶解術
が可能である。
  ↓↓
  加療した場合ノ
(1) このまま安定し、いつか肺炎などの感染症で死ぬ(命は今回は保てる可能性が高い)
(2) 麻痺を消して、実用的レベルに戻る可能性は低い
(3) 良くて、寝たきりでコミュニケーションが取れない状況。
  加療しなかった場合ノ
(1) この状態のまま経過し、再梗塞、痙攣、肺炎などでいつか死ぬ。
                   (いつかは誰にも分からない)
2) 患者の意向(木下/月居/三富)
患者自身の価値観や患者が評価する利益、負担に基づく患者の意向を倫理的に整理する。
Q1:患者の目標は何か?
 魂がさまよわない事。つまり、家で死ぬ事。(本人の意識がないので、ユタに聞いてみないと分からない部分がある)
 医療を入れたくない気持ちがあるのでは?
Q2:患者は何を欲するか?
 確認できない
Q3:患者には十分に情報が伝わっているか?
 確認できない
Q4:患者は理解しているか?
 確認できない
Q5:患者に判断能力はあるか?
 ないと考えてよい
Q6:判断能力が患者にない場合、患者の代わりに決定を行う権限があるのは誰か?
 家族。特に、長男。孫も同意見なので、家族内の意見は一致していると考えられる。
Q7:家族の希望
  点滴をやめ、自然経過をみて、死なせてやって欲しい。
  この状態で長生きして欲しくない

3) QOL(中山/吉本/今村)
Q1:患者は苦痛を感じていないか?
 レベル↓により確認できない
 呼吸困難は感じている可能性がある
Q2:患者にとっていきがいはあるだろうか?
 レベル↓により確認できない
Q3:患者のQOLは総括するとどうなのか?
 夫がなくなっている/高齢/嚥下困難/動けない/コミュニケーション取れない/家族は生きていてほしいと思っていない、などからQOLは低いのではないか、と推測されるが、実際は確認できない。
Q4:他の人は患者のQOLをどう見ているか?
 家族:御飯も食べられず、意識も低下
    機械につながれていることがQOL↓させている
      ↓
     QOLは低い
 医師:ターミナルかどうかすら分からない。

4) 周囲の状況(社会・経済・法律・行政など患者をめぐる周囲の状況)(斉藤/清水/山内)
 医学的な症例はすべて、人・制度・財政的・社会的な制約の元にある状況に置かれているので、患者のケアはこの状況のもつ可能性や制約によって、様々な影響を受ける。そして、治療方針の決定は、心理的・情緒的・金銭的・法律的・学問的・教育的・宗教的などの影響を他者に与える。ここでは、症例について、周囲の状況を整理し、その意味を見極める。
Q1:地理的状況
 診療所からの往診は可能
 フェリーで最寄りの病院までは1.5Hかかる。
Q2:家族構成の状況
 長男夫婦との三人暮らし。
 長男は病気を抱えている。
 周囲には介護人員は十分にいない。
 夫とは10年前に死別
Q3:経済的状況
 不明
 ただし、一般的に離島では経済水準が低く、共働きのことが多い。
Q4:文化・思想的状況
 古くからのユタの思想が家族に浸透している。
 島独特の死生観がある。
 10年前の患者の夫の死に方への後悔
  ↓
 治療には積極的ではない

これらを総合して、結局どうしたらいいのだろうか?この医師へのアドバイスは?

●島から出すのか?
 島から出す=診断をつける
  ↓
 Q.1:診断をつける意味はあるのか?
 診断をつけるとノ
  治療が探せる
  家族に説明ができる
  予後が予測できる→今後の見通しがつく
 診断をつけるためには、CTを撮らなくてはならない。
 しかし、
  あまり回復は見込めない
  家族の希望
 から、診断をつける意味はないと考えられる。
 ↓↓
島から連れ出す必要はない。

●点滴はどうするか?
<点滴を抜く派>
 島の考え方=自然な死(医療行為を拒む)が家族には浸透していて、針を刺している事自体が、無理矢理生かしていると家族には感じられている。
 体の欲するようにするのが良い。(水を飲めなくなったら、そのまま自然に衰弱して死ぬのが良い)
 家族はいささか介護に疲れてきているのではないか。→もう死んで欲しいという気持ちもある。
 点滴をすることの最大のメリットは、医師の満足。
<点滴は抜かない派>
 法的に問題があるのではないか?
 点滴は抜かなくてもいずれは死ぬ。敢えて急がなくてもいいのでは。
 水分欠乏により、患者には苦痛を与える。
 医療者として、患者を死なせる(死ぬと分かっていることをする)ことはできない。
 点滴を続けると魂はさまようのか?→ユタと話をし意見を聞く
 本人の意志が確認できない以上、治療を中断する根拠がない

★医者は何のためにいるのか?〜患者を長生きさせるため?良い死を迎えられるようにするため?〜
★後から来た新参ものの、「よそ者」である医師は、島の文化と医療との共存を考えなくてはならない。ユタと交流するなど。

●前野先生のコメント
〜傷害と医療〜
 医療行為と傷害行為は、紙一重である。その二つを分けているのは、患者の同意である。つまり、患者の同意なしで、医療行為を行えば、それは傷害行為になる。
 このケースのように、患者の同意が得る事が不可能な場合は、家族の同意がそれに代わる。家族の意向には、2つの要素がある。
(1) 本人だったらこうしていただろう、という代理意見
(2) 家族の価値観
 いずれにしても、今回のケースでは、家族と医者の同意があれば、点滴をしないことで、衰弱ししても、それは、本人の決定したこととなる。この場合は、自分だったら、点滴ははずすと思うということでした。

●寺澤の感想
 今回は、10名強の参加でしたが、小グループ性にしたことで、3時間にもわたる充実した議論が交わせ、嬉しく思いました。今回のケースは、敢えて、癌ターミナルの問題ではなく、地域で良く遭遇する、老人のターミナルのケースを取り上げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
 終了後のアンケートでは、全員から面白かったという意見をいただきましたので、次回もこのような形でいきたいと思います。次回は、みなさん、違うグループを選択してみてください。(4回出れば、4要素についてマスターできますね)テーマの希望としてはノ
 宗教上の理由による輸血拒否
 ターミナル患者全般
 本人の意識がなく、家族がいない場合
 告知
 今回のようなケースで、本人は治療拒否するが、家族は治療を主張する場合
 スポーツ傷害関係(選手が怪我をし、重要な大会を控えている場合など)
 患者の自己決定権の判断が微妙な問題
 患者が未成年で親の同意が必要な時
というような意見が出ました。今後の参考にしたいと思います



臨床倫理のページにもどる
白浜雅司のホームページの表紙にもどる

それぞれの症例にコメントのある方はぜひぜひ下記の私のメールアドレスにコメントのメールをください。
また関心のある方はメールアドレスを教えていただければ、次回より検討する最新の症例をこちらからお送りします。

(連絡先)
白浜雅司
E-mail:HQC00330@nifty.ne.jp
〒842-0301佐賀県神埼郡三瀬村大字三瀬2615
三瀬村国民健康保険診療所
TEL0952-56-2001、FAX0952-56-2912