症例(7) 肝細胞癌の癌告知問題、ことにそのタイミングについて

(症例については、学生のレポートを元に責任者の白浜雅司が、患者さんのプラ
イバシーを守るため内容を一部改編しています、またこの症例を特別に引用する
際は、プライバシーとコメントをいただいた方の著作権の問題が出てきますので、
臨床倫理のページの責任者である白浜雅司の許可をとってください)

<症例と分析、討論したいこと>
58歳 女性 店員

【病歴】
 6年ほど前よりB型肝炎を近医で指摘され、以降followされていた患者。最初
右肩および右季肋部痛を認めたが、多忙によるものと考え、2ヵ月ほど放置し続
けていた。その後右季肋部に激痛が走るようになり、近医にてエコーを施行した
ところ、さらなる精査を勧められ、A病院でエコーとCTを施行した。その結果、
肝細胞癌と判明したためA病院内科に治療目的で入院し、癌であるという説明は
ないまま経カテーテル的動脈塞栓術と化学療法を行われた。さらに同病院外科に
コンサルトを行い、同院で手術予定であったが、横隔膜と心膜浸潤が疑われたた
め、より規模の大きいB病院の消化器外科外来に転院となった。その転院時に初
めて、A病院の主治医より患者に対して「病気が肝臓癌であったこと、手術をす
ればとれること、ただし肝臓癌が、肝臓だけでなく、横隔膜、心膜へも広がって
いて、大きな手術になりそうなので、より設備の整ったB病院へ転院して治療を
受けてもらった方がいいという説明が行われた。なお、転院前の外泊時に一回肺
塞栓様の胸痛があったが、その発作はそれ1回だけであった。しかし時々労作時
の呼吸困難が出ていた。
 B病院転院後、再度各種の検査がなされ、肝臓癌と横隔膜、心膜への転移、さ
らに肺シンチグラムで腫瘍塞栓による欠損像が認められ、肺にも転移しているこ
とがわかり、手術不可能と判断された。本人には「血管造影や肺のシンチグラム
という検査をして、肺に腫瘍が飛んだ可能性がある。それで胸痛や運動時の呼吸
困難が起きた可能性がある。今手術をやるとさらに腫瘍が飛ぶ危険性があり、手
術ではなくまず抗癌剤で肝臓の腫瘍を固める治療をする。」と手術ができないと
いう理由の説明がなされた。その時、患者さんが突然涙を流された。全ての希望
を摘みとられ、誰も信用出来なくなった、完全に孤立化したという表情であった。
それ以後この患者さんは「前に入院していたA病院で行われた治療を行わず、近
医から直接この病院へ来ることが出来たら手術できたのに。」と、しきりに言い
続けていた。
 以後腫瘍の栄養動脈に常時抗癌剤を注入する治療が開始された。この治療法で
効果が認められたのか、腫瘍塞栓によると思われた呼吸困難は解消し、退院となっ
た。退院時本人に対しては、「化学療法により、腫瘍を固めることが出来た。肺
へは以前に比べて飛びにくくなった。胸痛、呼吸困難を生じる可能性は低く、日
常生活は可能です。」と説明された。家族に対しては、「左右の肺に多発性に癌
が転移しており、有効な治療法はなく、肺塞栓、心筋梗塞を起こしかねない状態
である。その時は、治療は不可能であろう。予後は6か月くらいでしょう。」と
説明された。
幸いこの患者は6ヵ月後の外来受診までは特別な症状の悪化もなく自宅で過ごし
ている。
【患者背景】
 夫は2年前に死去。娘が3人いるが、長女は結婚して親元を離れて生活をして
いる。近くに住んでいる次女、三女が、交代で入院中の母の元を訪れていた。
 性格は、ひと言で言うと怖がり、心配症、神経質で、採血のときでも身を固く
する程。いつも、結果を悪いほうへ考えがちな人。誰か傍にいないと不安である
傾向があった。

【4分割法による分析】

(1)medical indication医学的適応
1.診断と予後
 #1肝細胞癌、#2肺塞栓症 due to #1、#3肝細胞癌の多発性肺転移
2.治療目的の確認
a.健康を増進し、病気を予防すること
 肝細胞癌に対しては外科治療が考慮されたが、肺塞栓症の存在が確認されたた
め、見送られた。肺塞栓症の再発を避けるため、過激な運動を避けるなどの生活
指導がなされた。
b.症状・痛み・苦しみを緩和すること
 症状・痛みに対しては、「健康を増進し、病気を予防すること」と、重複する。
苦しみに対しては、医療スタッフは頻回の病室訪問を行い、受容的立場を示し、
不安を取り除くことを心がけた。
c.病気を治療すること
 心膜および下大静脈に腫瘍が浸潤しており、これのみだったら、手術を行う予
定だった。片側性の肺塞栓症ならば、人工心肺装置を使用の上、手術をしようと
まで考慮された。しかし、両側性に肺塞栓症が見られ、微小転移の存在が十分に
考えられたため、手術は見送られ、A病院で行われた治療と同様の治療(化学療
法)がなされた。
d.予期しない死亡を防ぐこと
 本症例で最も危惧されたことは、一度に大きな肺塞栓症が起こらないかどうか
であった。退院後、肺塞栓症状が出現したことがあった。再び外泊中に同様の症
状が出現した際、救命救急処置をしたとしても救命出来る可能性が少ない。
e.機能を改善する、あるいは安定している機能を保持する
 肺塞栓症に依る呼吸困難が出現しない様に、生活で改めることが出来る様に指
導した。
f.病状や予後について患者を教育し、相談に乗ること
 患者と家族に対する病状説明を参照して下さい。
g.ケアを受けている患者に害を与えないこと
 以下の医学の効用とリスクのところで述べる。

3.医学の効用とリスク
 肝細胞癌の心膜、横隔膜、下大静脈浸潤や片側性肺塞栓症のみなら手術を行う
ことが検討された。その時点では、浸襲は極めて大だが、効用はあると思われた。
 しかし、両側性の肺塞栓症が画像診断上確認され、また微小浸潤が懸念され、
一転して、リスクのみを背負うことになった。肺塞栓症による呼吸困難や疼痛の
コントロールも思う様にはいっていない感じがした。主治医としては現段階で出
来うる最善の治療、処置をされていたが、それ以上に病状が進行していたし、コ
ントロール出来なかった。どちらかというと、医学による恩恵を受けられずにい
た方が強いと思われた。

4.無益性
 肺転移までおこしていたにもかかわらず、退院後6ヵ月何とか自宅で過ごせて
いるということは、治療はそれなりの効果があり本人にとって治療が無益であっ
たとはいえない。ただし、病気がはっきりした時点で取ることの出来る手段は少
なかったと思われる。

(2)患者の意向
1.患者の判断能力と対応能力
 性格は神経質ながらも、現実に対する判断能力は、十分にあったと思われる。
2.インフォームド・コンセント
 何もかも全てを患者さんに伝えられた訳ではない。ただ、患者さん側が抱いた
不安や疑問は医療サイドにぶつけていたような気がする(病棟回診時や病状説明
時に)。
3.治療の拒否
 拒否はなかった。「私には良く分かりませんので、全て先生にお願いします。」
と言うように話していた。
4.事前の意思表示
 治療に関しては3で前述したとおり。「まだだ生きて、やらなければならない
ことがたくさんある。」と、日頃から言い続けていた。
5.代理決定
 患者さんの娘2人、患者さんの実弟らが、病状説明時に毎回来院し、その都度、
病状について有り得ること全ての説明がなされた。治療方針等は親族が承諾して
いた。

(3)QOL quality of life
1.QOLの定義と評価
 この患者さんの場合のQOLは、いかに苦痛を伴うことがなく、余命を送れるか
どうかにかかっていると思われる。ただし、いつ胸痛が生じるか誰にも予想出来
ないため、現段階では評価し難い。
2.誰がどのような基準で決めるか。
 できるだけ本人のやりたいことができることが優先されるような決定がなされ
るべきだが。
3.QOLに影響を及ぼす因子
 病気の進行程度とそれによる症状悪化。本人にとっては残された日々にどのよ
うなことができるかということ。
4.生命維持についての意思決定
 親族に対して、突然死が十分に考えられると説明した。維持の必要な際には、
親族の意思が反映されると思う。

(4)周囲の状況
1.family
 実家から離れて生活している2人の娘は、それであるにもかかわらず、献身的
な介護を行っていた。
2.confidenciality
 本人に伝えられていないが家族へ伝えられたきびしい予後についていることは
問題なのだろうか。
3.cost
 医療保険でカバーされており、特に問題はない。
4.institution
 大学病院から退院したが、その後大学から紹介された近医でフォローを受けて
いる。その近医にも突然死の可能性が伝えられ、その対策も取られているようで
ある。
5.law
 法的な問題はなかったと思われる。
6.religion
 仏教。 

【今回のケースで討論したいこと】
 急激に腫瘍が増大、転移し、予想をしえないような病気の進展が起こった症例
であったが、診断がついた時点(A病院・内科の段階)で、病気一般のこと、予
後のことを中心に、ある程度患者に伝えておいた方が良かったのではないかと思
う。そうすれば「前に入院していたA病院で行われた治療を行わず、近医から直
接このB病院へ来ることが出来たらよかったのに。」と、しきりに後悔するよう
なことはなかったのではないか。この患者さんに対して手術ができなくなったと
いう病状説明がなされた際、同席したが、患者さんが流した涙が忘れられない。
全ての希望を摘みとられ、誰も信用出来なくなった、完全に孤立化したという表
情であった。この瞬間、この患者さんは、自分自身の置かれている立場がどんな
立場か、理解できたのではないかと思う。主治医らからこの患者さんに対して、
「あなたはかなり進行した癌で、手の着けられない状態です。」とは、説明の際
伝えなかった。伝えられなかったが正しいと思う。主治医らは、今出来る最大限
の対策、治療を行った。
欧米などに比べて、病気そのものを患者サイド、医療サイドともに共有する考え
方は、日本ではまだ十分に芽生えていないし、医療界全体で統一したコンセンサ
スはまだ得られていない。これから必要になってくると思うが、日本の風習、環
境等を考えると、これから先可能になるのであろうか。医療界だけでなく、あら
ゆる方面の方々からご意見を頂きたいと思う。
 また、欧米が全てではないと思うが、比較すると、日本においては、親族の意
見が治療に反映されることが多いと思う。患者自身に十分に病状が説明されてい
ない現状がその原因の1つと思われる。日本の環境を加味する必要があると思わ
れるが、患者自らの意思を反映させるために、患者自身に十分な説明が必要になっ
てくるのではないかと思う。そのためにも、各々が自分が罹患した病気だけでな
く、常日頃から病気一般に対して興味を持ち、勉強する姿勢がいるのではないだ
ろうか。その点についても議論したい。

<討論とコメント、まとめ>

【討論とコメント】
1.癌患者への告知の仕方とそのタイミングについて
佐賀医科大学 齋場先生(社会学)
 インフォームドコンセントの普及で、患者本人や家族に安心感を与えつつある
が、患者や家族の視点で見直してみると、医師や医療側の自己満足であることが
多い。この時期におけるコンセントの良し悪しが、本人や家族の不安を大きく増
減させ、その後の診療方針への納得や意欲に影響を与え、家族については、介護
意欲や引き取り意欲に大きく影響し、在宅ケア体制づくりに影響するであろう
(以上、家族援助-ソーシャルワークサービス活動との接点-、齋場三十四著、総
合リハより引用)。
 また、インフォームドコンセントの際、患者、家族の反応として、現実積極
受け入れ(受容)型、悲嘆、意気消沈型、現実拒否型、無感動型、他力本願型、
恨み型(責任追及型)、驚愕型がある(引用は、上記文献と同じ)。
 この症例と同じように無念、悔しさなどで、涙を見せた人を多く見てきた。特
に、退院後のフォローに重点をおく必要があるケースの1つと思う。院内にケー
スワーカーがいたら、患者に対する対応が変わるのではないか。
 又、患者さんにとって、大病院へ来るということは最後の戦いの場に来るよう
なもので、一抹の望みを持ってくるところである。そこでダメといわれたら、全
ての希望を失う感じを持つのも当然ではないか。

佐賀医科大学 増田先生(法学)
 患者さんに病状を説明した際、どのような理由で自らおかれている状況を悟っ
たのだろうか。説明を境にして急に無口になったそうだが、それイコール癌と悟っ
たと短絡的につなげるのは無理がある。本当に悟った場合と、観察者が悟るもの
だというバイアスがかかっている場合がある。説明を境にして、患者さん本人の
心境の変化をもっと調べる必要がある。

長崎大学衛生学教室 伊藤恵子先生
 告知の仕方とそのタイミング.........大変大きな課題ですね。
 私は、この問題に苦しんだことがあります。「癌であることを知らせない」と
いうことで周囲の意志が固まっていたので、これに従って私は行動しましたが。
亡くなってからも、しばらく「後遺症」に悩みました。
 痛みや苦しさを自覚するのは、本人のみで、これらが何なのか知りたくなる、
疑いたくなるのは人として当り前だと思います。それに敢えて、「大丈夫よ」
「よくなったら◯◯しようね」と言い続けるのは、酷な話です。医師もなかなか
微妙な立場に置かれます。  
 日本の現場でも、病名告知はかなり一般的になりましたが、予後については、
きちんとわかりやすく話し合いが行われていないことがいまだ多く、かえって患
者や家族を二重に苦しめているようです。
 「これから自分はどうなるのか.......」このような患者さんの問いかけにど
う医師として伝えていくのか。よく話題になりますが、これは、医師自身の生き
方や死に方を問われることと同じだと、私は考えてます。ですから、日頃から、
自分はこれからどうして欲しい、どう死にたいということを自問自答していって
欲しいなと思います。そうすると「死ぬこと」がいつも身近になって、あまり構
えず、口にすることができるようになるのではないでしょうか。ここからスター
トするしかないでしょうね。
 鳥取日赤の徳永先生が「もっと医師や看護婦は病棟の中を”泳げ”」と言われ
ていました。マニュアルやらコンセンサスなどに振り回されない、その場の大事
なことをぱっと掴んで実行していく、感じていくということの大事さを言われて
いるようでした。この点については私も納得します。マニュアルと非マニュアル、
この両方のバランス感覚を大切に......。禅問答みたいですが、これは一つの構
えとして大事かと思います。 

平田和美先生(開業医)
 ”癌の告知の問題”は大変難しい!此の患者の告知の時期が適当であったか?
前の段階が良かったか?分りません!知る権利やら言って告知しなかったら,告
訴する事件やらあって居ます。
 私は友人達に「私が癌になったら癌と言わないでくれ!」と公言して居ます。
「お前は太い顔をしとるが,気の弱い奴だな!医者の端くれなら自分でも分ろう
もん!」と友人は申しますが,ひょっとしたら違うかも知れないとか考えて希望
を捨てないで居るのに,間違いのない癌だ!とは聞かない方が幸せと思うからで
す!
 「癌なら癌と言って下さい!私は仏門に帰依した身です。癌と言われても何と
もありません!」”それなら言いましょう!ほんとは癌ですよ”と言われて,そ
の日から飯を食はんようになって死んでしまった尼さんの話。牧師だから言って
もよかろうと告知したら,その日に屋上から飛び降り自殺した牧師さん。東大の
初代の内科の青山教授,癌なら癌と患者に言え!患者にはそりぞれの仕事がある!
と全部告知をして居たそうです。その青山教授が病気になって弟子達が診察をし
たら,胃癌のようです,誰か言うべきだが助教授が言うべきだ!と決まって,
「先生胃癌の様です!」と申し上げたら,さっと顔色が変わって「今まで癌は癌
と言えと言って居たのは間違いであった,今から癌と言はぬようにしなさい!」
と言われたそうです。有名な話です。
 癌を告知されて,悠然として居たお方の話もありますが,ごくごく少数です。
大半は告知しないが良い例です!私は告知違反で告訴するように見受ける患者以
外原則として告知しません!此は医師となって45年間通して来た信念です!

カナダ トロント大学 Philip Hebert先生(MD PhD)
 一般の人(きっと患者含めてであろう)が癌について知りたくなくても、他の
人に知らせて欲しいと言うだろうし、自分(Philip Hebert先生)としてはその
人(患者)に対して嘘はつかない。人に対して全ての事象を話さないのと、嘘を
つくのとは、別次元のことである。
(原文)
Your new case of truth telling is tragic & reminds me of what Bok said
(in  her book on  Lying ) about the corrosive effect of deception on the
doctor-patient relationship.

This 56 year old patient has a terrible disease -- I doubt that it would
be easy to tell her anywhere what she has...But certainly her telling as
little & as poorly as was done in this case compounds the devastation of
the news. I agree that N American society is more contract oriented. But
this isn't the whole story. Many patients here too don't want to know the
truth. But the presumption is that they ought to know it -- & not telling
requires justification.

One reason  not to tell bad news is the person tells you they don't want
to know. So, when in doubt ask!"Are you the kind of person who wishes to
be well informed about all aspects of you care...?" Asking this kind of question
 
takes some practice & skill. If the person doesn't wish to know,hopefully
they would give you permission to tell another person. If a person genuinely
doesn't wish to know, my own view is one should never lie to them -- ie.,
not telling them everything is one thing; lying to them is another. (Even
if a person doesn't want to know, you may have to tell them aspects of the
truth -- as in this case when a promised cure was not going to happen. This
gets complicated when as in this case the patient was deceived.)

People have, however,  amazing resilience when faced with bad news. The problem
is often the physician: has he/she learned how to tell bad newssensitively
& carefully? This, too, is  a learned skill that medical schools are beginning
to teach.
Dr Rob Buckman at our University has pioneered a course on this using
"standardized patients"& has written several influential books in this area.

By the way the New York Academy of Sciences has recently published a very
interesting conference proceedings,entitled "Communication with theCancer
Patient: Information & Truth (ed. A. Surbonne, M. Zwitter, 1997)which addresses
many of the complicated social aspects of truth telling.

松尾智子さん(九州大学法学部法哲学大学院、元看護婦)
 この患者さんの場合は、以前の病院で行った治療に対する不満があり、結局手
術することになったことで、早く手術してもらっていたらという思いがあったの
ではないかと感じた。
 この場合のサポートは、患者の訴え、不安、疑問を聞き、それに対して、可能
な限りで説明をするということである。期待していた手術が不可能となり、自分
が見放されたという思いから、医療者に対して、不信感を持つこともあるので、
そうではなく、我々は患者にとってできる限りのことをする姿勢なのだというこ
とを患者が理解してくれるような接し方が必要なのではないか。また、そのよう
な話のみならず、屡々患者の様子を見に行くことでも、患者自身は医療者が自分
のことを気遣ってくれていると感じることができると思う。
 家族は、患者自身の意向を知り、また、それを納得できるように話し合いを持
つことが望ましい。ただし、告知というものは、知る権利と知らされない権利と
いうこともいわれ必ずするべきかということは簡単には言えない。しかし、基本
的に、自分のことであるのだから、本人は知る方がよいと思う。しかし、そのよ
うな事実を直視できないという人にとっては、控えた方がよい。基本的には、現
代は死というものをあまりに恐れすぎるのではないか。考えてみれば、死亡原因
に占める癌の割合は高いのだから、癌に罹患したことが何か特別のことなのでは
ない。治癒すればそれこそ学会発表ものというものが多いのだから。癌にかかっ
たと知って、あたふたするより、そのような状況を受け入れて冷静に対処した方
が、不安も軽減するし、残された人生も有意義なものになるのではないか。また
そのように構えた方が、状況が改善しやすいという話もある。病院が病気をつくっ
ているということの良い例かもしれない。

浜野研三さんのコメント(哲学)
 この種のケースに関して私には強い思い入れがあります。
 私はこの患者は予後も含めて真実を語られるべきであったと思います。患者は
一縷の虚偽の希望を抱いて短い残りの生を生きるのですが、それによって患者は
その人生の終わりを真に自分のものとして生きることになるのでしょうか。真実
を語るとどんな危機が訪れるというのでしょうか、そして何よりも、そのような
予想はどのような根拠に基づいているのでしょうか。無論、様々な人が様々な態
度を示すでしょうし、自暴自棄的な態度をとる人がでる可能性は否定できません。
しかし、何といっても患者の人生のドラマの主人公はあくまで患者本人であり他
人が代役を務めることは出来ません。患者がそのような真実を知りたくないと明
確にその意思を明らかにしているときは別にして、患者は自分の病状についての
真実を知る権利があるし、そのような真実が得られるという信頼の下に、自らの
体を医師の手に委ねているのだと思います。その意味で、医師は真実を患者に語
るべきであると思います。とにかく真実を知らされることによって患者がどのよ
うに振る舞うか分かりませんが、それは患者が決めることであり、短い余生をど
う送るのかという重大な決定に患者本人の意向が現れる仕方に歪みを与えるよう
な権利は医師にはないと思います。それによって、日本人の無力感を助長し、重
要な決定を医師に任せることしかできないお任せ医療に安住する主体性のない患
者を作り続けることになるのではないでしょうか。自分の人生の最後をどのよう
に過ごすのかを決めるための重要な情報が自分の意志に関わらず与えられない、
このような状況で一個の個人としての健全な自覚と自信が生まれるでしょうか。
 人生の最後の場面での重要な決定を他人に任せざるを得ない国で主体的な個人、
自立した個人が形成されるでしょうか。このようなパタナリスティックな温情の
押しつけは個人の尊厳の感覚を奪うものではないかと思います。それはまた、情
報を独占していることから生じる一種の権力の行使であり、日本人はそのような
医師の権力の行使により、無力感を余儀なくされ、患者の権利、インフォームド・
コンセントという言葉には実体を感じることが出来ず、単なるお題目にすぎない
と感じるようになるのではないでしょうか。インフォームド・コンセントは患者
の人間としての権利であり、患者に対して人間としての尊厳を認めるならば、患
者の信頼に応えて真実を語るべきであると思います。繰り返しますが、インフォー
ムド・コンセントは何よりもまず患者の人間としての権利なのであって、治療に
役立つから行うべきものではないと思います。思いやりも大事ですが、患者の人
間としての尊厳に傷を付けるような思いやりは真の思いやりとは言えないと思い
ます。
 日本の文化云々のお話もありましたが、日本の近代医学の中で抑圧的な権力関
係の中で医療を受けざるを得なかった日本人が医療不信と共に医療を受ける際の
主体性のない振る舞いを身につけたのも不思議ではありません。その様な制度的
要因、権力構造から目をそらした形で文化や風土を語ることは、虚偽意識の醸成
に関与することになるでしょう。その上で日本人あるいは日本の患者の主体性の
なさ、死生観のなさについて批判するのはまさにマッチポンプではないでしょう
か。自分の死が近いという厳粛な事実に正面から向き合うことを妨げておいて死
生観がないというのはおかしいと言わざるを得ません。
 また、医師のこのような態度が単に思いやりだけ、パタナリスティックな温情
にだけ発しているのかどうかについては疑問があります。真実を語ったときの対
応をしたくないので、いわば逃げの姿勢で虚偽の説明がなされるのではないと言
えるのでしょうか。また、そこに患者の階層や階級や社会的地位についての偏見
などは関与していないのでしょうか。言語習得以前に聴覚を失った人々の生活や
経験を、健聴者である自分の住んでいる世界マイナス聴覚=不幸と疎外に彩られ
た世界、という形で理解することによる偏見が一つの例ですが、我々は容易に自
らの想像力を過信して偏見を形成してしまいがちです。お互いにその様な過ちを
犯さないようにするためにも真実に基づくコミュニケーションの糸を切らないよ
うにすることが大切であると思います。
 ただし、ただ真実を語ればよいと言うわけではなく、どのように伝えるかとい
う伝え方の問題で、十分な思いやり、人間についての洞察を発揮していただきた
いと思います。また、その後のケアを十分にするための体制を構築する努力も大
いに必要であると思います。 

ミシガン州立大学 Howard Brody先生

 患者や家族が告知を早く望んでいるのか遅くすることを考えているのか、患者
にのみ話したらいいか、家族だけのほうがいいか、両方ともがいいのかを、今日
の日本の医師はどのようにして推測しているのか良く分からない。

Howard Brody先生からのメールの原文
 I am in strong sympathy with the views expressed at the conclusion of the
case. In this instance it seems that earlier disclosure would have been very
helpful for the patient and the family. However, as noted, it does take special
skill to carry out this disclosure compassionately, and it might be wrong
to demand that Japanese physicians begin to disclose bad news early without
some additional training in the relevant skills of interviewing and communication.
In North America, a book by an oncologist, Robert Buckman, called How to
Break Bad News offers very practical advice, but I am not sure how well the
advice would apply to another culture such as Japan's.
 During my stay in Japan I was very impressed with research being conducted
by Dr. Chang and colleagues at the Kawasaki Medical School Dept. of Primary
Care.
His findings suggested to me a culture in some transition. There seem to
be many Japanese who follow the old ways and want their family only to be
told about a serious diagnosis, while others seem to have adopted Western
ideas and want to know the truth fully and directly. Still others appear
ambivalent and want, in effect, a partial truth to be disclosed. Without
asking the individual Japanese patient and family where they fit along this
cultural spectrum, I am not sure how today's Japanese physician can accurately
guess the wishes of patient and family regarding early vs. late disclosure
and whether to tell the patient or the family or both.

京都大学医学部附属病院総合診療部 浅井篤先生
  
「相手の立場になって考える」「自分が逆の立場だったら、どのようにして欲し
いだろう」「これが、もし、自分のことなら」というコメントが学生さんからあ
りましたが、これは重要なことだと思います。いわゆる倫理学上の普遍可能性の
概念であり、これが医療のfairnessに繋がって行くと思います。今の我々(医師
やdouble standardを持っている患者の家族)にはいちばん重要ではないでしょ
うか。できるだけ相手の気持ちを想像することは非常に大切です。一方で、どれ
だけ親しい人の気持ちでも完全にわかることはないという認識は常に持ち続け、
したがってできるだけ(本人が拒否しない限り)本人の希望を聞くという姿勢が
重要だと思います。
 癌告知についてはそれ自体の倫理的判断はできないと思います。しかし延命治
療の選択やDNRオーダーのこと、いかに患者さんの満足と納得が行く診療をする
か、患者さんにとって「無効なこと」と避けると点から考えると必須であると思っ
ています。私はその意味で基本的に真実告知を支持し、実際にそうしています。
 全く疾患や背景が同一なのに、偶然に出会った医師によってその後の診療がす
べて変わるのは、どう考えてもおかしいと思っています。

2.癌告知後のサポートについて

佐賀医科大学 齋場先生(社会学)

 私(齋場先生)自身、障害をもっている。障害をもっていることは、一般の人
からみて辛いだろうと思われるかもしれないが、社会的弱者と思わないで欲しい
し、それをバネにして生活しており、癌のことと共通することが多いと思う。

 Medical Social Worker(MSW)が病院にいないことは、患者の負担になり、退
院してもその負担を過程に持ち帰ることになる。癌や移植問題でも当てはまる。
その意味でも、相談業務に専門性を持たせて欲しいし、告知後の患者サポーター
として、MSWを利用して欲しい。患者が感ずる負担を医師だけが処理するのでは
なく、ともに分担したい。そうすれば患者は安心して治療に専念できると思う。
 

佐賀医科大学 小泉先生(総合診療部)

 今の癌告知や告知後サポートは主に医師中心で行われており、co-medicalの人
に告知後のサポートを依頼することについて、その話し自体すんなり行っていな
い。また、医師はそのことに構えてしまう傾向がある。

佐賀県三瀬村国保診療所 白浜先生

 QOLと言う観点から考えると、大きな腫瘍塞栓が、肺動脈の幹部で詰まり、急
死するのも、語弊があるかもしれないが苦しまずに済む1つのQOLでしょう。苦
しい思いするのはその一瞬だから。
 医師は、他職種の人達とネットワークを作り、協力して行かないと、患者の障
害は乗り越えられない。そのようなネットワークに関心を持ってもらいたい。医
師が一歩引いて、co-medicalの人に頼む必要がある。医師が一人でする必要もな
い。サポートシステムを知らない医師がいるし、知らないことが問題である。医
師だけで解決しない様に。
 

萩原雄介 牧師<BR>
 
 私にとっても、今後の牧会的な面での良い示唆を沢山頂いたように思います。
 一つ、私が経験したガン告知に関する恵みのみわざを紹介させていただきます。
その方は、50代の塗装業の職人さんでした。職人気質といいましょうか、その
熱意は激しさを周囲に感じさせるような一本気のあるタイプでした。ある意味で
は、周りが少々敏感にいろいろと気をつけなければならないような状況でした。

 数年前に、直腸ガンであることが分かり、しばらくは、半年ぐらいは、告知で
きずに、曖昧にされていました。手術をして人工肛門をつけているにもかかわら
ず、当初の医師からの「腫瘍ができていたので・・・」という返答に、何一つ疑
うことを知らず、いろいろな症状にもかかわらず、本人はいっこうに、癌である
ことに気づいていないのです。
 しかし、同じくクリスチャンの奥さんの要望で、本人に告知することが一番良
いと結論がでたのです。それは、黙っていることは、本人を騙すことになってし
まうという恐れからであったのです。それで、奥様から見ると信仰的にもっとしっ
かりしてもらわないと天国にいけないからということで、本人にも心備えをして
欲しかったわけです。

 奥様は、主治医に頼んで主治医から告知してもらうことにしました。しかし、
医師のストレートな告知にびっくりしてしまったわけです。その医師は、人の心
理などについて、あまり配慮なさる医師ではなかったようです。しかし、それは
それで最善だったと信じております。

 告知されてから(家族にはあと三ヶ月と告げ、本人には何も期間のことは告げ
ていませんでした。結果的には、告知から約1年後に召されたのですが)、最初
の数ヶ月は、いつも泣いていたとのことです。仕事の現場を二人の従業員に任せ
ながら、「どうして自分でなくてはいけなかったのだろうか。」と、一人で、ま
た、奥様のいるところで泣いていました。私が見舞いにいったときも、何度かは
そのような状況でした。しかし、ヨハネの福音書1章12節の「しかし、この方
を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特
権をお与えになった。」という、クリスチャンとしては入信当初に良く語られ知っ
ている聖書のみことばでしたが、もう一度開き、「天国への備えをしましょう。」
との私の勧めに心が開かれて、それから6−7ヶ月の後に地上の生涯を終えて天
の御国に凱旋するまで、この聖書のみことばを口ずさんでいました。また、本人
の愛歌である讃美歌「山路越えて」をしばしば小さな声で歌っていました。

 こうして、前夜の祈祷会を早めに終えて、深夜息を引き取るまで、私もついて
いることが許されたのですが(このようなケースは、多くはありません)、家族
に「ありがとう」を繰り返し、クリスチャンの息子さんとその奥様に「お母さん
を宜しく」と言い、最期までヨハネの福音書1章12節のみことばを繰り返して、
声が出なくなっても、唇の動きからそのみことばを繰り返していることが良く分
かりました。主治医も看護婦さんもその現場を見ておられました。

 病院は手術後は末期医療のためのケア病棟が出来たばかりの病院(ある時期、
新病棟が出来るまでの準備として、末期医療のための勉強会が、毎週一回持たれ
るようになり、医師、看護婦に加えて、ボランティア、宗教関係者にも門戸が開
かれましたので、私も参加していました。)に転院していました。当然ですが癌
のための延命処置は何もありません。痛みの程度に応じてモルヒネの量を加減す
るという基本的な緩和ケアがなされました。

 私個人としましては、告知して、最後の心の準備が出来るのが一番良いと思い
ますが、告知されますと、宗教関係者であろうとも弱い人間ですから、主の憐れ
みがなかったならば、どうなるか分からないと思います。しかし、救いの経験と
天国への希望がはっきりとしていたならば、自殺は避けられると思います。自殺
をした牧師さんは、どうしてなのか分かりません。あまり追求しすぎますと、そ
の方を裁いてしまうことになりますので、それ以上は避けたいと思います。やは
り、主の憐れみがなかったら、弱い弱い存在であることは変わりがないと思いま
す。

新潟大学医学部法医学教室 宮坂道夫 先生
 
1. 家族が判断の主体者となることは正当化される(ただし、医療者が単なる「
社会慣行」を理由にして非告知を押し通すことは正当化されない)
 問題の核は「告知すべきか否か?」であり、(1)「本人は知りたいか?」、
(2)「本人は告知に耐えうるか?」という情報を告知者である医師は得たいわ
けです。これを知る最も適切な手段として、医師は家族(あるいは近親者)を情
報提供者、人類学などでいうインフォーマントとして利用します。

 本人の自己決定権を重視する立場からは、もちろんこのやり方は本末転倒です。
肝心の患者本人の意思を、他人である家族に確認しているのですから。ここはす
でに議論されている(例えば浜野研三先生のコメント)ところであり、省略しま
す。むしろ問題は、日本で一般的なこの方法が、倫理的にどう正当化されるのか、
です。
 これは次のように二つの方法で正当化されます。
(A)事前に本人の意思(癌になったら病名、病状、予後をどの程度知りたいか、
について)を把握しておく手段がない。
(B)告知についての患者の意思や、告知による心理的打撃についての推測は、
医療者と患者の貧弱なコミュニケーションから判断するには危険である。<BR>
(A)は不十分ながらも来院時のアンケートや、欧米でアドバンス・ディレクティ
ブと呼ばれるようなもので技術的に解決できるので、大きな理由にはなりません
(といっても、この医療施設でこれらが存在していたのか否かは、念のため、知っ
ておきたいところです。それから、キーパーソンである娘さんの年齢も、大ざっ
ぱでもよいので、事例記載に載せてほしい気がします)。ただし、アンケートや
アドバンス・ディレクティブが本当に本人の意思を正しく把握できるのかという
問題のほうが最も根本的なものであり、倫理的ジレンマの核心は(B)にありま
す。これは、(1)の告知と(2)の心理的葛藤があまりにも複雑なものであるた
めに、医療者と患者の貧弱なコミュニケーションから判断するには危険だという
ことです。重大な心理的葛藤をもたらす問題についての考え方を知るためには、
「あなたが癌になったとしたら、病名を伝えてほしいですか?」---「はい」か
「 いいえ」というような、深みのない単純な問答ではなく、段階的、反復的な
対話が持続して行われなければなりません。(心理学の面接やカウンセリングを
考えてみて下さい。同じ事を角度を変え、言葉を変えて、何度も繰り返して聞く
のが当たり前です。これはアンケート調査を行う場合でも同様です。)ソーシャ
ルワーカーの不備、医学教育の不備、診察時間の制約など、構造的な不備がある
のですから、今日の状況下では、医療者は判断を放棄して、家族に委ねるべきだ
ということになります(もちろんそれでも、法的には医師が最終的な責任を負う
ことになるのですが)。この場合、本人の道徳的主体性は格下げされて、家族に
委ねられている状態です。いわば、子供扱いをします。しかし、これは死にゆく
人をケアし、見送る態度として不当なものとは必ずしも言えません。死にゆく人
を家族や共同体が子供のように保護し、みとり、祭祀を行うという行為は、本人
(の死にざま)に対して尊厳を与える行為として、日本でも、また世界のどの地
域でも伝統的に行われてきたことです。死に際して、あたかも健康な人間が行う
ような自己決定を、本人の尊厳の一要素として含めるべきだとの考え方が現れて
きたのは、ごく最近のことです。
 従って、家族に判断を委ねる、あるいは家族と相談した上で告知の方針を決め
ること自体は、本人が自己決定権を主張しているのに、それを無視する形で行う
ような場合でなければ、倫理的に正当化されると思います。
 ところが、この事例記載では、告知をする・しない(どの程度の内容をするか・
しないか)を誰がどうやって判断したのかが書かれていません。もし医療者がこ
の患者本人の意思の推定を個別的に行った上で判断したのではなく、単なる慣行
として(つまり、今まで癌患者には大体こうやって対応してきたから、という理
由で)行ったのであれば、倫理的な正当化は難しいと思います。(これは判例な
ども踏まえて議論しなければなりませんが、ここでは省略します)
 とにかく、ここが一番肝心なところなので、告知を判断した状況について、情
報の補足がほしいと思いました。

2. 告知の有無に関わらず、QOLについての情報は十分に与えられなければな
らない

 説明の間には大きなギャップがあると思います。それは、患者にとって最も重
要な情報であるはずの、QOLについての詳細な情報が不足していることです。
根治が無理としても、痛み、苦しみがどんなものになるのか、身体機能はどのく
らい不自由になるのか、「日常生活は可能」だけでは不十分な印象を受けます。
これはたとえ完全な告知をしていなくても、可能な情報提供ではないでしょうか。
また家族にとっても、どの程度ケアの負担がありそうなのかがとても大切なこと
ではないのでしょうか。
 この面での説明を充実させたいところです(あるいは、もっと詳しくここに書
いてほしい)。
 

3. 緩和ケアについては?

 「2.治療目的の確認」のところで、緩和ケアについて触れられていないのが
素人目には非常に気にかかります。医療者の関心が肺塞栓症の管理に偏っていて、
疼痛の緩和などに意識が及んでいないのでは? と心配してしまいます。もしこ
の患者さんの場合は、痛みのケアは問題にならないというのなら、はっきりとそ
う書いてほしいと思います。これは上のQOLについての詳細な情報の、最重要
なものです。

4. confidenciality はナンセンス

 本人の受容能力をはかるため、まず家族に告知して、本人に告知すべきかどう
か判断するという、日本に一般的な状況では、confidencialityはナンセンスで
す。これは本人に固有の身体や健康、疾病に関する情報を、本人の許可なしに他
者(家族、知人、保険会社、警察、政策決定者など)に伝えてはならない、とい
う原則ですよね。まず本人に告知があって、家族(やその他の人々)にどこまで
伝えるかという順序で進めている場合でのみ、意味のある議論でしょう。

【学生のまとめ】
 癌告知そのものやその時期についてでは、多くの先生方からさまざまな意見を
頂いた。予想していたとおり、大きく告知に対して賛成反対に分かれた。自分と
しては、日本人のお得意文句「ケースバイケース」でまとめたくはない。想像し
ていたよりも、患者は強く、なおかつ現実について直視できるのではないかとい
う印象を得た。告知直後何が起こるか分からないので不安だから告知を避けたい
という意見もよく分かるし、自分自身その感覚をもっていること自体否めない。
しかし、自分(医師として)ひとりで戦っているのではないし、本当に戦わなけ
ればならないのは、何よりも患者自身である。いろんな場面設定ができるが、ど
れにおいても主役は患者であって、自分ではないのである。自己満足で終わらせ
たくない、インフォームドコンセントを一つの「儀式」で終わらせたくない、医
師になってからぜひ実践したい事項である。きちんと病名告知しない事は、ある
意味、医師の自己防衛にも感じる。だから、嘘は言いたくないし、それによって、
患者や家族を余計に不安にさせたくないし、患者を避けるのはもってのほかと思
うので、大変なストレスになるが、告知後は、もっと患者サイドに行こうと思う。
常日頃から、自分が逆の立場なら、どうして欲しいだろうと自問自答していきた
い。

 告知後のケアについてだが、まだまだ充実しているとは言えない。多くのco-medical
の方々の存在を忘れたらいけないと思う。我々よりも多くの実践を重ねられ、経
験豊富な方々がおられるので、患者の存在を医師として忘れてもよいということ
ではないが、もっと、co-medicalの方々にケアを任せるべきと思う。co-medical
の守備範囲を我々は十分に理解する必要がある。医療はチームプレイと言われ続
けて来ているが、今の現状では、片手落ちの感じが否めない。まだまだ理解不足
の所がある。患者は医師に向かってなかなか言えない事項があるだろうし、それ
をco-medicalの方々には言える場合があると思う。自分としては、その意味でも
co-medicalの存在は大きいと思うし、患者を中心にした医療を実践していきたい。

 季羽倭文子著「がん告知以後」(岩波新書)の中に、アメリカの癌告知後の援
助プログラム"I can cope."について述べられている。癌とともに生きていくた
めに必要な、知識や技術を学ぶための学習会で、「癌患者に対して適切な時期に、
適切な情報を与えることで、癌とともによりよい生活を送ることが出来る。」が
援助プログラムそのものの目的である。

 各セッションの目的
【第1回】癌とともに生きること
【第2回】癌についてもっと学ぶ
【第3回】毎日の健康状態に対応する
【第4回】自分自身の感情を理解する
【第5回】自尊心および性の認識を強化する
【第6回】心身の活気を保つ
【第7回】各種の活用できる援助システムを知る
【第8回】あなたはうまく対処することが出来る-卒業と評価-
 癌告知がかりにされたところで、その後のサポートシステムが万全でないと、
告知自体が生きてこない。医療サイドと患者サイドが情報を「共有」し、告知後
訪れる身体的精神的「苦痛」をサポートシステムで援助していくことによって、
孤独に癌と戦うことは避けられると思うし、家族の負担も減るだろう。日本では、
援助プログラムは存在していないが、在宅介護支援センターのように、中学校区
単位でこのようなセンターが出来れば、理想的である。また、今回議論のテーマ
の1つにしている、「病気に対する姿勢」をここで勉強出来るのではないか。

 癌ということを患者に告知することによって、その後に想像できない結果が生
まれるのではないかと考えるため、告知する医師に不安、躊躇、ためらいが生ま
れるのではないかという意見がある。確かに現在のところ癌告知のやり方などの
教育を現在十分受けておらず、これからの医学教育においては、医学的な知識を
学ぶだけでなく、もっと癌告知の問題や倫理問題についても考える時間を割く必
要があると思う。

 最後に、この場に私情を挟んで良いものかと思うが、日頃病棟で医療活動をし
ている際に、常に心がけていることがある。その心がけとは言葉で言うことは簡
単なのだが、「相手の立場になって考える」「自分が逆の立場だったら、どのよ
うにして欲しいだろう」「これが、もし、自分のことなら」である。癌告知にお
いて全ての症例にこのことを当てはめるのは、いささか問題ではあるが、心がけ
はいつも必要であると思う。トロント大学のPhilip Hebert先生が言われていた
ように、全ての事象を話さないのと、嘘をつくのとは、別次元のことであるから、
十分に現状を見極めた上で、必要に応じた告知を相手の立場になって行うことが
出来ればと思う。また、浜野先生に指摘されたように、医師が今のような風潮を
形成した節があると思われる。これから変えなければならない点も多いだけでな
く、反省する点も山積している。