(症例6)老人の自殺未遂への対応のケース

 80代男性。12月2日午前11時頃、自宅玄関前に倒れているところを集金に来た人に発見された。(揮発性の刺激臭のある吐物があった。)救急車で大学病院へ搬送され、有機リン中毒疑いにて入院となった。
 入院後、挿管下に胃洗浄、活性炭投与、腸洗浄等を施行した。翌日には、活性炭を含んだ黒色便を認め、また、ChEも改善傾向を示した。12/4には、胸部x線にて右上肺野にconsolidationを認め、誤燕性肺炎と診断して抗生剤の投与を開始した。12/5,6,13,精神科にコンサルトしたところ、服毒が欝ではなく、疎外感から発作的に行われたものである可能性が強いというコメントであった。
 12/19に長女・長男の嫁と退院後の受け入れ等について話し合い、また、肺炎等全身状態も改善したため、12/26に退院となった。本人が自殺しようとしたのは、今回が初めてである。
 本人は、気が小さく、外に出て人に会うのが嫌いな性格であり、老人会等にも行きたがらず、自宅に閉じ込もっていることが多かった。45年ほど前に婿養子として現在の妻と結婚した。子供は3人(男2、女1)いるが、実子は長女だけで、長男と次男は妻と先夫との子である。(妻は先夫と死別。)
  現在、妻と2人で生活しているが、10年ほど前から同敷地内の別宅に長男夫婦も住んでいる。妻は多趣味で、自分の部屋を持っており、外出が多くて本人と一緒にいることはほとんどない。

<この症例で討議したいポイント>
問題1.治療に問題はなかったか。
1)本人に軽度の痴呆があるが、判断能力は十分あると考えられ、自殺企図の原因を追求し、再企図予防の指針とすべきではなかったか。
2)今後のことについて話し合う際に、本人も交えた方がよかったのではないか。
3)本人に対して大きな影響を与えているのは、妻と思われるので、妻も交えて話し合った方がよかったのではないか。家族の話によれば、妻はいつも本人を怒っていて、今回のことでも、本人のことを心配することなく、自分の世間体が悪くなることを心配しているということであった。このような状況の下へ本人を戻すことは、再び自殺を起こすことにつながるのではないだろうか。
 また、私が本人に「お子さんは何人ですか。」と尋ねたところ、「娘が1人。」 という答えであった。面会に来ていたのも主に長女で、本人が頼りとしているのは長女と思われる。しかし、その長女の方も、面会時間は短く(長くて30分)、退院時に本人へ口調厳しく「入院していた方がよい。」等と言っていたそうである。本人と家族とのつながりはうすく、孤独感から発作的に再び服毒することも 考えられるので、外来で follow upしてみてもよかったのではないだろうか。
4)家族の話によれば、5月頃より、本人はテレビも新聞も見なくなり、自分の殻に閉じ込もることがひどくなったそうである。何か器質的疾患によってそのようになったことも考えられ、入院中に全身の検索(CT,MRI等)も行うべ きではなかっただろうか。私が見た範囲内でも、両眼とも白内障の疑いがあり、 眼科にコンサルトすべきではなかっただろうか。白内障ならば、治療することで、本人のQOLは少しでも向上したのではないだろうか。
問題2.自殺企図の患者さん(特に老人)に対して、医師として、どのような点に留意して対応・治療したらいいのだろうか。
問題3.老人(高齢者)に対して、我々は日頃どういう態度で接していけばいいのか。また、老人が生きがいを見い出す社会・環境とは、どのようなものであろうか、あるいは実現できるものだろうか。

<この症例の4分割表による分析>
1.医学的適応
(1)診断と予後
診断:有機リン中毒(自殺企図)
 縮瞳、頻脈、発汗過多等の有機リン症状は見当たらなかったが、ChE42と低値であり、本人も除 草剤を飲んだと話していたため、有機リン中毒と診断された。
予後:急性中毒においては、中毒後4ー6時間が最も危険な時期である。処置が施された後に症状の改善が見られ、かつ適切な治療が続けられるなら、患者さんは生き延びることができる。
(2)治療目標の確認
a.健康を増進し、病気を予防すること。
有機リン中毒に関しては、このケースでは、すでに症状(意識障害)が出ておりうまく当てはまらないように思う。自殺の防止に関しては、声をかけたり、外の世界へ目を向けるように指導したりして、疎外感を感じさせないように努めている。
b.症状、痛み、苦しみを緩和すること。
意識障害については改善している。
疎外感等の心の苦しみについては、治療に対する家族の理解が得られておらず、また切迫感も感じられず、緩和されているとは必ずしもいえないと思う。
c.病気を治療すること。
胃洗浄、活性炭投与、腸洗浄を行って薬物を体外排除し、有機リン中毒については治療されている。
d.予期しない死亡を防ぐこと。
薬物の体外排除の際、嘔吐による誤燕性肺炎に注意することは、大切である。また、今回の治療の最大の目的は、再び自殺しないようにすることであり、そのため、患者さんに声かけをし、患者さんから自殺の原因を聞き出し、再企図予防の指針とすることが必要である。生きがいと役割意識を与えるのも大切である。
e.機能を改善する、あるいは一応安定している状態を維持すること。
軽度の痴呆はみられるが、これ以上痴呆が進まないように、外の世界に目を向けさせたり、1日のリズムをつけさせたり、声をかけたりすることは、必要である。
なお、患者さんは、白内障の疑いがあり、機能改善の点からも、眼科にコンサルトすべきであったと思われる。
f.病状や予後について患者を教育し、相談にのること。
再び自殺しないよう患者さんときちんと話し合うことは必要であったが、患者さんは自分のことはあまり話したがらず、教育・相談については不十分であったと思われる。
g.ケアを受けている患者に害がおよばないようにすること。
自殺を再びしないよう患者さんに対する精神的なサポートが必要であるが、面会状況や退院時の長女の言動等から考えると、必ずしもサポートがうまくいっておらず、家族の態度や言動によって逆に精神的な害がおよんでいる可能性がある。
(3)医学の効用とリスク
有機リン中毒に関しては、胃洗浄等を行うことにより薬物を体外排除することは、症状を改善させ、生命を救う有効な方法である。ただし、嘔吐によって誤燕性肺炎をおこすことがあり、十分注意しなくてはならない。また、肺炎の治療で抗生剤を使用する際には、薬疹にも留意する必要がある。この患者さんの場合も、誤燕性肺炎をおこし、抗生剤によると思われる薬疹が生じた。
自殺の防止に関しては、声をかけたり、外の世界に目を向けさせることで疎外感を感じさせないようにすることは有効であり、生きがいや役割意識をあたえることも大切である。ただし、自殺未遂者に対しては、過度の同情や感情的反発を自覚的に避け、常に医師としての誠実さとあっさりとした態度を心掛ける必要がある。
(4)無益性
 治療については、無益性はないと思われる。

2.患者の意向
(1)患者の法的判断能力
患者に軽度の痴呆はみられるが、判断能力は十分あると思われる。
(2)インフォームド・コンセント(コミュニケーションと信頼関係)患者さんは自分のことや家族のことについてあまり話したがらず、患者さん本人には十分に伝えられていなかったように思われる。
(3)治療の拒否
入院当初は、吸引等行う際に暴れたりしていたが、それは抑制帯で身体の自由を奪われていたためで、抑制帯解除後は、医師との疎通性も良好で、拒否はなかった。
(4)事前の意志表示
日頃から家族とのつながりも薄かったようであり、事前の意志表示はなかったようである。
(5)代理決定
長男を中心とする家族が実際の治療上の決定、承諾をしていて、患者さん本人はそのことに対して反対はしなかった。(というより、家族のいうとおりにしているといった様子であった。)
3.QOL
(1)QOLの定義と評価
1日中家で寝ていて誰とも会わず、家族との会話もほとんどなく、疎外感を感じていて、生きていても全然面白くないという低いQOLであったと思われる。
(2)誰がどのような基準で決定するのか。
以前はゲートボールにも出かけていたそうなので、患者さん本人が、昔と比べて現在の状況から判断したものではないかと思われる。
(3)QOLに影響を及ぼす因子
向上させる因子:家族の声かけ、テレビ等を見て1日のリズムをつけること、外の世界へ目を向けること、目(白内障)等の治療、生きがいや役割意識を持つこと。
低下させる因子を除く:家族が無視したり、疎外したりしないこと。
4.周囲の状況
(1)家族や利害関係者
家族にとって、患者さん本人は、存在感のない゛おじいちゃん゛であったように思われる。今回の自殺未遂にしても、「世間体の悪いことをしてくれた」という思いがまずあるように思われる。特に患者さんの妻に、その思いが強いようである。面会に来るのはほとんどが長女で、面会時間も長くて30分であった。
(2)経済
患者さん本人は現在無職で、年金暮らしである。長男も大手企業の部長職で、経済的には問題はなかったと思われる。
(3)守秘義務
今回の自殺未遂が第三者に知られれば、本人や家族の被る精神的負担は多大なものがあり、情報の秘密は守られなければならない。この守秘義務は果たされていたと思われる。
(4)施設方針、診療形態
救急指定病院であり、また大学病院という施設でもあるので、医療レベルの点では申し分なかったと思われる。ただし、自殺の予防ということに重点を置きすぎて、患者さんの全身的な機能検査が十分に行われなかったように思われる。
(5)法律
特に法律上問題はないのではないかと思われる。

-------------------------------------------------------------
(症例6)老人の自殺への対応
<討議したい問題ごとのと討議内容とコメントのまとめ>

(問題1)治療に問題はなかったか。

(ポイント1) 本人に軽度の痴呆があるが、判断能力は十分あると考えられ、自殺企図の原因を追求し、再企図予防の指針とすべきではなかったか。

#松島先生のコメント(佐賀医科大学附属病院精神科)
 「当然必要です。」

#荻原牧師さんのコメント
 「自殺を志した動機と言いましょうか、そもそもの原因は、完全にではなくても、推測であったとしても、突き止めることが出来たらよいと思います。」

#藤林先生のコメント(精神保健センター)
 「多分、精神科のコンサルテーションでは、うつ状態がないと診断され、精神科的治療の必要はないと判断されたのかもしれません。疎外感から自殺を試みたという、「判断能力のある」=「自然な・正常な心の動き」は精神疾患はなく、精神科治療の対象にならない、という考え方は成り立つかもしれません。
 ここでは、精神科医の診断が正しく、何ら精神疾患がなかったと仮定します。それであっても、援助の対象にはなるでしょう。自殺を試みる中学生が、うつ病がなかったとしても、学校現場において、教師やスクールカウンセラーの援助対象になるように。そして、この方の援助の主体となるのが精神科医でないとしたら、医療機関のMSWか地域の保健婦になるでしょう。また、医療機関の臨床心理士が主体となってもいいでしょう(しかし、佐賀医大には、MSWも精神科から独立したも臨床心理士もいないですね)精神医療の対象にはなりえなくても、地域精神保健の対象にはなる人と思います。
 町や村のかかりつけ医、そこの看護婦が、そんな役割を担うこともありえるでしょうね。
 地域の保健婦が対応や援助に困ったら、いつでも精神保健福祉センターが、保健婦を援助します。精神保健福祉センターは、地域のコンサルテーションリエゾンサービスを担うことを考えています。」

#松尾智子さんのコメント(九州大学法学部法哲学大学院、元看護婦)
 「全身状態改善後に、次は精神状態についてのフォローアップが必要だと思われる。自殺企図の原因の究明を解明することをしないことで、言われるとおり、何も問題解決はされておらず、自殺行為を繰り返す可能性があるからである。必要ならば、精神科との併診
というかたちをとり、あるいは転科して、本人及び家族を含めたカウンセリング等を行う必要もあったのではないか。相手方がいることで言いにくいという場合があるので、それは両者の意向を聞きながら進めていく方がよい。」

#浜野研三さんのコメント(哲学)
 「なぜ自殺しようとしたかについての詳しい分析、それに基づく退院後の対応策の構築が必要ではなかったかと思います。ただし、それは内科医だけに任される仕事ではなく、精神科医が主体的積極的に関与する仕方でチーム医療の形で対応すべきではと思います。
  自殺権があるかどうかという問題ですが、私は道徳的には例外的な場合を除いて自殺の権利はないと考えています。その理由は、人間の道徳は、生命の様々な潜在的な可能性を実現することによって出来る限り豊かな充実した生を送ることを目指す、という基本的
な態度をその根本に含んでいる、と考えているからです。この態度はある意味で道徳という言語ゲームの基盤をなしているものであり、それを持たないものは道徳とは言えないのではないでしょうか。それ故、反道徳的な態度や考えは、道徳的な問題についてのある種の態度という意味では道徳に似た装いを持っていますが、本来の意味での道徳とは言えないものであると思います。
  生命の豊かな可能性にコミットすることが道徳の根幹をなしているのではないでしょうか。ただし、その豊かな可能性は多様性を含んだものであり、老人や障害者の持つ豊かな可能性という表現が語義矛盾を含むものとして退けられることのないような、深さと幅
を持ったものとして捉えられるべきであると思います。当然のことですが、通常の意味で元気で活力にあふれた人だけ生命の充実を実現できるけではありません。がまた、この考えはただただ生存することを至上の価値とはしません。充実した生を送る過程で、場合に
よっては自分の生を危険にさらしたり、また、犠牲にしたりすることも認めるような意味で生の豊かさにコミットしているのです。
 まさに、生命はある意味で自分の存在を超えるような要素をも含んでいるのであり、そのことによってその豊かさを増しているのであると思います。パスカルは理性は理性を超えると言いましたが、生命は生命を超える契機を含むことによって、より豊かなもの、逆
説的ですが、より尊重すべきもの、出来うる限り守るきものとなるのではないでしょうか。そして、そのような豊かな潜在的可能性を持つ生を自ら抹殺する自殺は社会の道徳的コミットメントの不十分さを示すと共に、本人の意図とは別に、社会の道徳的基盤を崩す可
能性がある挑戦であると思います。
 したがって、自殺は後で述べる例外を除いて多くの場合、他の人々、そして社会に対する危害になるのではないでしょうか。また、人間は本質的に社会的動物であり他者との協同なしには生きてゆけないし、自らの生の相対独立性を保ちつつ他者との関係の質を豊かなものとすることによって自らの人生を充実させるような存在であると思います。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の題名の元であるJohn Donneの'No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main ; if a clod be washed away by the sea,
Europe is the less, as well as if a promontory were, as well as if a manor of
thy friend's or of thine own were.  Any man's death diminishes me, because I am involved in mankind; and therefore never send to know for whom the bell tolls; it tolls for thee'という一節は人間の相互の連帯を謳ったものとして解釈することが出来ると思います。この一節はスペイン市民戦争の際の国際旅(International Brigade)の精神を要約するものとしてヘミングウェイによって使われたと思いますが、自殺の問題も含めて生死の問題を考えるときには、このような態度を基盤にして考えるべきではないかと思います。
 私が自殺権を基本的に認めないのは、以上のような充実した生命の潜在的な可能性へのコミットメントによります。ただし、人間の有限性のゆえに、そのような可能性が奪われてしまうことが起こりうることは否定できないので、まさに例外的な事例として、そのよ
うな場合には自らの手による消極的安楽死としての自殺は許されるのではないかと思います。もちろんすべての人々がそれぞれの内に持っている潜在的な可能性を実現して生きることが可能な社会体制を作る努力が何よりも優先されるべきである、ことは言うまでもあ
りません。その点で、医療においても、予防医療の充実、医療に関する知識の普及等々、なされるべきことは数多くあると思います。
 この症例の患者についても、疎外状況に陥るまでの過程には20世紀の日本社会の抱えている問題が影を落としているのではないでしょうか。この例に当てはまるかどうかは分かりませんが。仕事人間の夫が定年後生き甲斐を見つけることが出来ないで妻に見放され
る、という形での離婚や家庭不和を扱うことが増えたと知り合いの弁護士さんがおっしゃっていましたが、社会医学的な観点がもともっと強調されるべきであると思います。その意味でも、ソシアル・ワーカーも含んだチーム医療がいよいよ必要ではないのでしょうか
。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「治療に特別問題は見当たらないようです,有機リン剤のクランケ!良く助かりましたですね!
 自殺原因の追求はなかなか大変です,開業40年で家庭の構成,経済状態,家族との関係,等色々分っている家の自殺でも原因がつかめない事があります,家族が愛をもって接して行けば良いと言っても理想通りに現実は行きまっせん。」
 

(ポイント2)今後のことについて話し合う際に、本人も交えた方がよかったのではないか。

#松島先生のコメント
 「当たり前です。」

#荻原牧師さんのコメント
 「勿論、そうだと思います。」

#藤林先生のコメント
 「えぇっ、何故本人が入っていないのですか!!!。「判断能力のある」人であるなら、当然、今後のことを話し合うはずです。他の人と同席か別席かは配慮する必要があるかもしれませんが。本人なしで、本人の将来を他人が決めてしまうなんて。精神障害者のケ
アマネージメントが、近年話題になっています。判断能力の不十分かもしれない精神障害者の場合でさえ、自分のケアマネージメントを決める際に、参加してもらうような指針になりつつあります。本人が参加しないなんて、ここでも、本人は疎外されているのではあ
りませんか。
 本人と今後のことを話し合い、そして、本人に家族や地域からの援助を受ける意志があるかどうか、を確認したいところです。「誰からも援助など受けなくてよい」という頑なな言葉が返ってきたら、それはそれで何とかしましょう。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「本人を交えた方が良い場合も,交えない方が良い場合もあります,此の例は交えて話し合ったが良かったかも知れませんですが、分りません。」
 

(ポイント3)本人に対して大きな影響を与えているのは、妻と思われるので、妻も交えて話し合った方がよかったのではないか。家族の話によれば、妻はいつも本人を怒っていて、今回のことでも、本人のことを心配することなく、自分の世間体が悪くなることを心配していると
いうことであった。このような状況 を繰り返すことは、再び自殺を起こすことにつながるのではないだろうか。

#松島先生のコメント
 「妻を交えて話すのも当然です。自殺企図をくり返す恐れは十分あると思います。」

#荻原牧師さんのコメント
 「まず、最初に、本人だけを交えて、担当医なり、担当のスタッフが、じっくり聴いてあげることが良いと思います。家族とのコミュニケーションがとれていないならば、余計に、本人だけを交えて、本人の気持ち(本音)を、聴いてあげることは、大切なことだと思います。
 次に、妻だけを交えて、妻の本音を聞き出すことが必要に思われます。必要ならば、長男と次男、また、長女からも、それぞれの気持ちや考えを聞いておくことも大切かもしれません。それほど多くの回数を、面接する時間的なゆとりはないと思いますが。
 さらに、本人と妻とを交えて本人の立場を考慮しながら、話を聞くことが必要かと思います。」

#松尾さんのコメント(九州大学法学部法哲学大学院、元看護婦)
 「妻の面会がほとんどないというように受け取ったが、病気について患者を取り巻く家族関係に問題がある場合に、そこで関わる人間に患者の状況に関心を持ってもらうことは必要なのではないか。精神的な問題を抱える人は、その原因が多かれ少なかれ家族関係に
問題がある場合もある。そこで、精神科関係では本人も含めて家族全体のケアをすることが必要なのかもしれない。屡々、日本の家族は絆が強いというポジティヴなイメージで語られるが、かえって個人のうちに占める家族の比重の大きさが、別の面で悪影響を及ぼし
ていることも少なくない。日本の家族は、世間体をまず考えるために、他人から見て好ましくないことは、家族内のなかで「内々に」解決しようとしたり、問題が外に露呈しないように気を使う。これが、かえって、家族の人間関係に軋轢を産むこともある。
 しかし、家族内の問題に、医療者がどこまで関わりうるかは難しい問題である。少なくとも、ある病気の原因が家族関係にある場合には、その病気が医学的に期待できる段階にまで改善するところまで関わることができればよいが。さらに、家族内の問題には、人間
関係のみならず、経済的関係を抱えていることもあるので、必要な社会福祉制度がどの程度利用可能か、ソーシャルワーカー的役割も必要なのではないか。さらに、保健医療などの地域医療との連携も必要なのではないか。」
 

#坂井猛二先生のコメント
 「今後のことについて話し合う場合、本人と家族と一緒は、このケースでは適当ではないと思います。理由として1)本人の性格(消極的、受動的)、2)家庭環境(完全に孤立、特に奥さんからの軽視)、3)彼の子供の頃から今に至るまでのヒストリー(養子、そして軽視され続けた歴史)4)etc.
 彼に対する影響力の強い彼の妻との話し合いは必要とは思いますが、果たして彼女が真剣に彼のことを考え、受けとめてくれるかは大変疑問です。あまり期待は出来ないと思われます。
 実子の長女の場合ですが、彼女は腹違いの2人の兄及び母親に気兼ねして彼らの動きに同調するだけではないでしょうか。(彼女にも彼女の家庭もあるでしょうし)やはりあまり期待は出来ないと思います。
 軽い痴呆とのことですが、彼の性格もあるでしょうが、無症候性多発性脳梗塞も考えられるように思いますが如何でしょうか。」

 #伊藤恵子さんのコメント(長崎大学衛生学教室) 
 「家族(妻、長女、長男夫婦)とじっくり話し合う機会は、ぜひ欲しいですね。このケースは家庭の中に、”心がやすらぐような”居場所がない状況のようですから、医師らがケースの代弁者として関わっていってほしいと思います。
 正義感のあまり、家族に批判がましく接すると逆効果ですので、細心の注意を払いながら、『試行錯誤』してみてください(細かいところはマニュアル化できません)。家族の愚痴を聞きながらというのが割合多いパターンです。うまく行けば、これで再度の自殺企
図リスクは下がる可能性があります。」

#平田和美先生のコメント(開業医) 
 「このような奥さんの場合,難しいでしょうが,話し合いには入れた方が良かったかも知れませんが,結果は分りません!」
 

*また、私が本人に「お子さんは何人ですか。」と尋ねたところ、「娘が1人。」という答えであった。面会に来ていたのも主に長女で、本人が頼りとしているのは長女と思われる。しかし、その長女の方も、面会時間は短く(長くて30分)、退院時に本人へ口調厳し
く「入院していた方がよい。」等と言っていたそうである。本人と家族とのつながりはうすく、孤独感から発作的に再び服毒することも考えられるので、外来で follow upしてみてもよかったのではないだろうか。

#松島先生のコメント
 「当然です。」

#斉場先生のコメント(9月30日分)
 「退院後は、地域のネット・ワークにのせていくのがよかったのではないかと思われる。保健所や在宅介護支援センターへ連絡して、follow upしてみる必要があったと思われる。医師側は、外来でfolllow upということしか考えないことが多いが、外来でのfollow upが全てというわけではない。医師は、外来だけで済ましてしまうことも多い。
 家族の問題だけに尚更、退院後もきちんとfollowしていく必要がある。このままでは、本人の有機リン中毒症状を改善しただけで、家族との問題を何ら解決していないことになる。本人と家族との力関係を変えてやることが必要であり、ヘルパーを入れてやるのも1つの手である。本人の世話をすることで家族が疲れていることもあり、ヘルパーの導入により介護負担の軽減になることもある。また、本人と家族との軋轢は何か、どういう人間関係なのか、保健婦さんが間に入って聞き出し、解決することも可能である。本人が外へ目を向けたり、生きがいを見つけたりすることも必要で、デイ・サービスの利用も1つの手ではないかと思われる。
 ただし、在宅介護支援センターや訪問看護ステーション、保健所などの支援スタッフが突然訪問しても関係がつき難く、拒否されることが多いので、まず医師から言い出してもらうとよい。医師側から、退院後も地域支援システムの方からご家庭に行っていただくよ
うに連絡しますのでよろしいでしょうか、と言ってもらえれば、スムーズに行くことが多いので、この場合もそのようにしてもらえればよかったと思う。佐賀県の場合、在宅介護支援センターの密度が高いので、まず大丈夫だったと思われる。医療側はやるべきことを
やったと言える状況では決してないと思われる。
 医師で地域支援システムを知らない人がいること、また、大学病院にソーシャル・ワーカーがいない場合が多いことは、大変残念なことであるが、現実そうである。この場合もソーシャル・ワーカーがいれば、家族関係がもっと詳しくわかり、退院後についても適切
な処置がとられたのではないかと思われる。」

#斉場先生のコメント(10月14日分)
 「日本の医療体制は基本のところが狂っているとしか言い様がない。病院にソーシャルワーカーがいないことが多く、ケースワーカーが専任でないことも多い。日本の場合、退院させる時、今後のことを患者さんの自己負担として持ち帰ってもらっている。Follow u
pできるシステムをつくりたいと思っている。患者さん100人に対して1人でもいいからワーカーを入れてほしい。カナダでは80床に対し23人のケースワーカーがいるところもある。日本でワーカーが多いところは、神奈川の総合リハビリセンターであるが、それでも患
者さん1000人に対し15人である。北里病院でも各病棟に4、5人である。まず、大学病院にワーカーを入れてほしい。
 医者とワーカーでは目の位置が違う。その違いを利用して患者さんに接することができる。ワーカーは患者さんと医師との信頼関係が増すように仕事をしていく。また、医師が足りない分をワーカーがカバーできることもある。家族に対し、家族も一緒になって患者さんを治療していきましょうという助言をすることもできる。医師とその周りの人々がサポートし合い、お互いに勉強していくことが必要である。日本の医療ではチームで行うという感覚が少ない。医師が声かけの場を作っていかないとチーム医療はできない。ところが、ワーカーの仕事は医療点数とならないので、病院側の負担となってしまい、そのため置かないことになってしまっている。また、日本では、相談業務は誰でもできると多くの場合思われており、そのことがワーカーがいないことの要因の一つである。
 日本では、登録しているソーシャルワーカーが4000人程度、登録していない人も入れると1万人程度になるが、まだワーカー自身の意識が低いと思う。今回、難病の治療費が自己負担となり、患者さんの家族は困っているが、ソーシャルワーカーの方からは何も言わずに黙っている。情けない話であるが、このような実態であり、これから変えていかなくてはならないと思う。
 ガン告知については、医師が告知した後のfollowをきちんとやっていくことが大切である。患者さんに対し「安心して治療を受けていこうよ。」という姿勢を見せることが必要である。高齢者の問題(自殺など)についても、同様である。高齢者の場合、ゆっくり話してその人のニーズを聞いていかなくてはならない。日本の場合、そのことが無視されている。医学教育でワーカー等チーム医療のことについて講義を受けていないから、何もわかっていない。また、ワーカーがいないことを理解できない。私としては、手術場にまで入ることができるようなワーカーをつくっていきたい。
 これからの医療は、地域ネットワークを利用する等、いわゆる分業が重要な役割を果たすと思う。分業をきちんと行うためには、日頃のコミュニケーションが大切で、自分の周りにいる人がどこまでできるのかということをわかっていてほしい。分業をしてくれる人
がいないのなら、これからつくってほしい。あるいは、近くにいる人を探してほしい。
 日本の場合、ミーティングをすることが少なく、看護婦側に、医師の言われた通りに働けばいいという思いが強いように思われる。看護婦は責任を問われないようにしており、医師に対して文句を言ってはいけないという教育を受けているように思われ、そのため、
民主的な討論ができていないではないだろうか。その結果、患者さんの立場を考えることなく、医師・看護婦側の一方通行になってしまっているようである。医師と看護婦が面と向かってミーティングをしておらず、患者さんに対してどうすべきか突っ込んで話してい
ないと思われる。患者さんを支えていくという考えがないと言わざるを得ない。今は、医師も看護婦も同じ土俵の上に乗れるはずである。民主的な討論を行って、きちんとしたチーム医療をすべきである。
 ネットワークについては、残念なことにカリキュラムの中になく、学生に教える機会は現在のところ全くない。そのため、在宅介護支援センターや訪問看護支援センターを全く知らない医師もいる。これではお互いに困るので、大学側に、ワーカーのいる病院での実習を選択できるように、実際のワーカーの仕事を体験できるようにしてほしいと思っている。自分のチュートリアルの学生については、施設を見に連れて行っている。ネットワークの一連の仕事を学生のうちに見ておいてほしいと思う。何をしているのか見ているだけでも、これから先、仕事をしていく上で違うと思う。」

#増田先生のコメント
 「退院時に地域支援システムのことを話さなかったとしても、何ら法律上の問題はない。道義的にも問題はないと思われる。しかし、このシステムを使って、退院後のことも考えるべきであり、医師の勉強不足ではないかと思われる。」

#白浜先生のコメント(9月30日分)
 「世間体を気にする家庭であったならば、尚更、在宅介護支援センターから人を派遣してもらい、本人をきちんと診てもらうよう指導すべきであったと思われる。82歳という高齢であり、センターから人を派遣することは別に不思議なことではなく、人に隠すような
ことでもない。」

#白浜先生のコメント(10月14日分)
   「地域ネットワークについては、現在の4、5年生のカリキュラムの中に入れて教えることは難しく、選択コースの中に入れるしか方法はないと思う。医療倫理については、医学科の4年生の講義の中で教えているが、あれで全員がわかってくれているとは、もちろん思っていない。5年生の病棟実習で医療現場を回って、何か問題があると気づいた人は半分くらいではないかと思う。あの講義は種まきをしているのだと考えている。種まきをすれば、そのことで次の人がまた伝えてくれると思う。こうして、この選択コースを毎年取ってくれる人がいることで、あの講義の意味もあると思う。
 この選択コースについても、医療倫理ではなく、ケース・マネジメントであるかもしれないと思っている。何かおかしいと感じた問題に何らかの解決方法を見つけてもらい、少しでもその問題に触れてもらうのが目的である。考える基礎はできるかもしれないと思っ
ている。少し視野を広げてみれば解決できることがあること、そしていろいろな人から意見を聞くことはとても大きな意味合いを持つと思う。医師の何かで解決する問題ではなく、総合的に解決しなくてはならない問題が提起されており、このコースを開設した意味は
十分あると思う。このコースはもちろん医療側の不十分さを糾弾するのが目的ではなく、少なくとも何が大事なことなのか気づくことをまず第一に考えている。
 また、ミーティングのことについてであるが、確かに日本の場合、看護婦側が一歩引いているところがあり、医師に看護婦が何か言ってはいけない雰囲気がある。看護大学ができてその感じがより強くなったように思う。しかし、看護婦が医師に対してものを言える
ところでは、患者さんも医師に何か言えるわけであり、看護婦から患者さんに言ってもらうとうまくいくこともある。患者さんも医師・看護婦と同じ枠組みの中で生きていくことは当然なことだと思うし、よりよい医療を行っていくためには民主的な討論を行って患者さんをきちんとサポートしていく必要があると思う。」

#Washington州立大学医療倫理 McCormick先生のコメント
  social: In part, his loss of meaning in life seems to stem from his isolated
social situation.  Perhaps there is conflict with his wife, or a feeling of "aba
ndonment". Social workers should address this situation, and might provide weekly home visits to address his lonliness.  In this country, sometimes social workers visit weekly, and bring a dog or cat, so the patient can also pet the animal while talking with the social worker. This has been found to be very beneficial.
  If it works, sometimes asimilar pet is provided for an older person to bond with, and new meaning is found in caring for the small animal.

#藤林先生のコメント
 「このケースの医療チームに、MSWか精神科から独立した臨床心理士が、入っていたら、多分家族に対して、再企図の危険性の高さを伝え、それを防ぐためには、本人だけではなく、家族の協力も必要と伝えるでしょう。そして、家族も援助の対象者として、援助
を続けていくことが妥当と思います。ただし、家族が援助を望めばの話です。「誰からも援助など受けなくてよい」という頑なな言葉が家族から返ってきたら、それはそれで何とかしましょう。」

#坂井猛二先生のコメント
 「このケースの場合非常に難しいように思いますね。ソシャルワーカーとかペットによるpcychothrapyとかワシントン州立大学の先生は言ってあるようですが、まず第一に彼の生活環境を換えることが何をさておき必要ではないでしょうか。たとえば特別養護老人ホ
ームとか。その後で生活の楽しみとか目的とかを持てるような、回りからの対応があると思います。
 結局、この老人の場合は医学的対応でなく社会的対応ができなければ自殺行動の再発も防ぐことは出来ないものと思われます。今の日本の福祉環境ではなかなか難しい問題ですね。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「外来でFollow upしても,うまく行くかどうかは疑問もあります,要は家族との絆の問題が重要な力と思はれます。」4)家族の話によれば、5月頃より、本人はテレビも新聞も見なくなり、自分の殻に閉じ込もることがひどくなったそうである。何か器質的疾患によってそのようになったことも考えられ、入院中に全身の検索(CT,MRI等)も行うべきではなかっただろうか。私が見た範囲内でも、両眼とも白内障の疑いがあり、眼科にコンサルトすべきではなかっただろうか。白内障ならば、治療することで、本人のQOLは少しでも向上したのではないだろうか。

#松島先生のコメント
 「これも当然です。入院中にできなければ外来ですることです。」

#斉場先生のコメント(9月30日分)
 「本人の全身的な検索を行うことはもちろん必要であったと思われる。それで、どこか悪いところがあれば、そのことを家族に入院中に伝えることで、家族関係の改善に役立てることもできたであろうし、本人のQOL向上にもつなげることができたのではないだろ
うかと考える。」

#平田道彦先生のコメント(唐津日赤病院痲酔科)
 「このケースの場合、視力がアップして、ものが見えるような状況が生まれると、「なんであのとき、死のうなんて考えたんだろう。」と、刷新するかもしれません。歌いながら帰っていくかもしれない。
 お金がないことが原因なら、当座のお金が都合つけば、歩き始める人もたくさんいます。
 あるいは、毎日、粗大ごみのように自分を扱っていた配偶者が、毎朝、「おはよう。」と声をかけることと、毎晩、肩を揉んであげることを励行すれば、再び世界は天然色になるかもしれない。それが、希望とは何かを知らない私達によって為されるものであっても
です。」

#Washington州立大学医療倫理 McCormick先生のコメント
 1) Bio: He certainly needed immediate emergency treatment to save his life from the chemical poisoning.  Since it is discovered that he has some dementia, the biological model would also require that we find out more about this condition, does he have Alzheimers disease, organic dementia, or depression? This would help us discover "medical indications for intervention."
   2) psycho: His biological threat (poisoning) seemed to arise from his underlying psychological condition. From all descriptions, he sounded clinically depressed to me. Unless this condition is treated, he is likely to repeat his attempt at suicide. Thus, "medical indications" seem to indicate treatment for depression.

#荻原牧師さんのコメント
 「QOLを高めるための医学的な処置は、大切だと思います。末期ガンの患者さんに対して痛み止めとしてのモルヒネを使うように。本人の心の問題に触れるときに、随分と役に立つように思います。」

#Dr. Cheongのコメント
(韓国の家庭医療の先生で医療倫理の教育も担当している)
  First of all, I think that case needs to be ruled out organic brain damage or
major depression from personal value or familiar prblem.  If his problem is those kinds of diseases, thoes could be manageble by specific medication (antidepressants..).
  After that procedure, we have to know his familier relationship, especially
his wife. Sometimes bad family member may be the most serious enemy...
 This patient shall need to be hopitalized for sometime, because suicidal
idea is a very  high risk psychiatric emergency.  And psychiatric supportive
therapy have to be given to him.  Maybe peer group(ex; nursing home..) is helpful to him after dicharge.   Personally, I think religion is a very good energy on this enervated elderly person. so, Physician may introduce to
well-trained pastor of nun.

#藤林先生のコメント
 「精神科医は、うつ状態になかったと言いますが、この経過からは、内因性のうつ状態、あるいは、器質性のうつ状態が疑われます。視力の障害は、老人の孤独を増させ、精神機能にも影響を与えます(老人性痴呆と孤独をテーマにした、スウェーデンの研究があり
ます)
 また、老年期のうつ状態や痴呆初期のうつ状態は、家族には病気とうつらないため、誤解を生じます。「せっかくおじいちゃんのことを思って、外出を誘ったのにすべて断ってしまって、もう勝手にして」と長女も妻も思っているかもしれません。
 正確な医学的評価を行い、本人にも家族にもわかりやすく説明することが必要です。痴呆やうつ病への誤解が元で叱られ続けている、あるいは、かまわれることのない、虐待が続いている、そのような高齢者や痴呆性老人は潜在的に多いと思われます。ひょっとすると、この方も…」

#松尾さんのコメント(九州大学法学部法哲学大学院、元看護婦)
 「5月頃より引きこもりがちになったとのことだが、可能性としては、器質的疾患の他に、本人に何か不安を感じることが起こったのではないかとも考えられる。見たところ、家族からの情報が多く、本人からいかなる訴えがあったのかがよくわからない。患者本人が何か問題を抱えて起こした行動であるにも関わらず。何が問題なのか、本人から聞くことはできなかったのか。確かに、触れられたくないことかもしれないが。それには、医療者との信頼関係が必要である。本人の様子から察すると、家族の誰からも、自分の存在を気にかけてもらえずに生き甲斐を失ってしまったのかもしれない。」

#佐藤瑞枝さんのコメント
 「もしかして「白内障」があるようでしたら、それは絶対に「要治療」だと思います。
 と、私が力んでも仕方ありませんが。私自身、白内障が進んだときは「医者としての人生、終わり」だと考えましたから。」

#坂井猛二先生のコメント
 「治療に問題はなかったと考えます。ただ痴呆および視力のことを考えると頭のCTとMRI、眼科へのコンサルトは彼のその後のQOLを考えるのには必要だったかも知れません。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「やはり鬱があると思はれます!CT.MRI.等も検査したに越した事はないでしょうが,70才代は50%以上無症候性脳梗塞があるそうですから調べたら何かあるでしょう!
 白内障は手術した方が良いと思います!気分転換にも大変な力にもなると思はれます!」

#Philip Hebert, MD PhDのコメント
(カナダトロント大学家庭医療学兼医療倫理のコメント)
    Indeed this elderly male is at high risk of further suicidal  attempts. It w
ould be irresponsible to send him home without finding out more about him: eg, what was the cause of the suicide attempt? Does he have dementia or delerium?  Is he just lonely & depressed or  is he impaired cognitively? What is the actual nature of his family relationships? Are they willing to help him?
  If not, what other kind of living arrangements might be available & acceptable to him?
 The bottom line is: don't send him home until you've done a thorough (physical, psychiatric, social) assessment of him & provided as much supports as possible for him & his family.
 

(問題2)自殺企図の患者さん(特に老人)に対して、医師として、どのような点に留意して対応・治療したらいいのだろうか。

#松島先生のコメント
 「特に老人だからといって、特にどうにかするというわけではないと思います。その老人の状態(身体状態、精神状態、性格)と、その人が置かれている環境(対人関係、経済・社会状態)によると思います。老人であれば老人なりに個別的な問題はあろうかと思い
ます。」

#平田道彦先生のコメント
 「人間を人としてではなく、もののように大事にしてあげること、その冷たくもある行為が、「死」に打ちまけている寒さの中に不思議な炎を見つけることにつながるのではないか。」

#Washington州立大学医療倫理 McCormick先生のコメント
  spiritual (some add to bio-psycho-social-spiritual): Where does this patient
find "meaning" in life. Is there any religious background? Are there grandchildren? Is there a small garden to care for? A key issue for human individuals is the question: "what gives meaning and purpose to my life."  Each of us must answer this in some way---the social worker, or chaplain should feel comfortable talking with the patient about these questions.
Unless these broader issues are addressed, the patient remains at risk for
suicide, and it appears, medicine has not fulfilled its mission in caring for the "whole patient."

#白浜先生のコメント(10月7日分)
 「本人について、「趣味は特になし」と看護記録の方に書いてあったそうだが、本当になかったのかどうかはわからない。家族(多分、長女)から聞いた話であろうし、一方的な見方である可能性が高い。このようなことからも、見方を変えていく必要がある。本人
といろいろ話してみることが大切である。」

#白浜先生のコメント(10月14日分)
 「Medical Indicationだけでは、いい医療にならないと思っているし、現実的にもそうである。告知にしても、何を患者さんに教えるかはわかっているが、どう教えるかがわかっていないのが実状である。患者さんのneedを掘り起こせるか、社会的に病んでいる部分はないか見つけることも重要になってくると思う。それにはまず患者さんとこまめに触れ合い、話をきちんと聞いてあげることだと思う。荻原牧師も、コメントの中で同じようなことを述べられている。」

#荻原牧師さんのコメント
 「生きる意味を本人に認めてもらえるような、霊的な指導がなされると良いと思います。
 自分の存在感といいましょうか、自分の尊さを本人にわかってもらうことだと思います。自分でも、誰かの役に立つことが出来るのだという思いにまで、本人の心の状態を高めていただけるような、牧師なりの指導が得られると良いと思います。たとい、何かが出来
て誰かの役に立つなどということすら出来ずに、寝たきりであったとしても、「その人となり」の尊さに、「存在そのものの」尊さに、目が開かれるような指導がなされると良いのではないかと思います。
 このためには、医療行為の合間を縫って、可能な限り、こまめに患者さん(本人)に触れ、数分という、ほんの短い時間の片言の会話を通してでも、こまめに触れ合う機会があれば、医師・看護婦とクライアント本人との信頼関係が速くできるのではないでしょうか
。医師や看護婦の肉の目線も当然ですが、心の目線を低くして、愛をもって、労(いたわ)りの心をもって、この本人に対してならば、年齢的な関係から、自分の父親に対して接するかのように接してあげることは大切なことだと思います。単なる「人情的な思い」ということではなく、主イエスさまの心で接することができたならば、最高ではないでしょうか。」

#藤林先生のコメント
 「繰り返しになりますが、正確な医学的診断、心理学的な判断が必要でしょう。一般医や地域の保健婦であってもSDSなどのスケールで、大体のところ判断がつきます。新潟県の豪雪地帯は、全国でも有数の高齢者の自殺の多い地域です。ここで、高齢者のうつ状態
の集団的スクリーニングが行われ自殺率が減少したという、有名な研究があります。評価スケールを使用しなくても、ゆっくりとお話を聞いていただくだけで充分です。そのような医療者の態度が、疎外感をやわらげ、話を聴くだけでも少しは予防になります。
 たとえ、医学的な診断が正常でも、心理学的に困っている人であれば、当然援助の対象と考えていいでしょう。そのための、高齢者福祉サービスです。医療の対象でないとしても、他領域にリンクさせる役割は残るのではないでしょうか。」
 
#小泉宏子さん(老人ホーム勤務、元保健婦 )
 「此処でしみじみ思わせられたことは,人間の尊厳という事でした。そして存在感という事、此の基本の上に立つ時此の老人の60歳から80歳までの過ごし方,同敷地内に住む長男夫婦との人間関係、自分の部屋を持ち,外出の多い妻との夫婦関係、本人の性格な
ど精神科のコメントと同じ思いです。
 12/19に受け入れについて話された内容,家族の気持ち等が解らないです,そして,この場合誰が面接したのでしょうか。
 たとえ此の老人が目が良く見えるようになり、お金が沢山あっても,体が丈夫になっても,医学だけでは,本当には立ち上がれないと思います。本当に心から話しを聞き,あらゆる角度から親身になって相談「時に社会資源を活用し」してくれるスタッフが必要です
、それは役職がするのではなく,それに携わる人間が「人間を本当に愛する」その人により生きるかすかでも良い希望に灯火がともされれば,,、、その事無しには生き還った事は本人にとって苦痛でしょう。  
 自分が心から愛されていると,知った時から人は生きる力が湧いてきます。私はイエスに出会って生きかえりました。
 環境の中に人間の心の在り様,を問う事無しには何処までいっても行き着く事はないでしょう。」

#佐藤瑞枝さんのコメント
 「治療は、「その人の話をよくよく聞いて上げることではないか」と思うのです。
 「貴方の生涯に関心があります」といってくれる人があれば、またふっと、こちらを向くのではないかと思いました。「孤独」は辛いですが、「孤独感」を身に沁みることはもっと辛いと思います。その役目を引き受ける人は、カウンセラー、精神科医の中の優しい
人(^^;)、同年令の仲間、などなどかも知れません。
 今回、英国のホスピスを幾つか訪問して教えられたことは(別に目新しい事ではありませんが)、「人の痛み(肉体的にも、精神的にも)を取り除く手助けをして家庭に帰す」という積極的な方針でした。
  「貴方が私にいま、一番して欲しいことは何ですか?」という問いかけをしろ、というのです。 それぞれの病気の内容によって異なりはするのでしょうが、いまの日本では、お互いに時間の流れが速すぎるように思います。」

#伊藤恵子さんのコメント(長崎大学衛生学教室)
 「80代の高齢者ですから、ある程度の痴呆症状と抑うつ状態が混在していたとしても不思議ありません。このケースでは、精神科医が3度も診察して、「うつではない」と判断されたので、よほどはっきりした根拠があったのでしょうが(レポートではわかりませんが)、普通は、この例のように自殺企図を起こすような状態があれば、うつも疑いながら治療やケアを進めると思います。(先行する症状もあるようですし)
 本では老年期のうつ病はかなり見落とされ易い、との記載がありました。私も、似たような経験があります。痴呆によるものなのか、うつなのか判然としないことが多いみたいですが、精神科では、とりあえず抗うつ剤など投与してみて、反応をみたりすこともあります。結構、うまくいく印象があるのですが.......。問題は精神科で治療する、ということに本人や家族がかなり(心理的に)抵抗されることが多く、むしろその説明の方にエネルギーを注ぐことが多いということです。
 強いて医師の留意点とするなら、「薬物の効果を見ながら、家族間の不満や希望を調整していく」という二頭立て戦略でしょうか。勿論、身体的治療は言うまでもないでしょね。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「患者と心のふれあいを大切に接し,鬱に負けないように力ずけて,あとは十分注意するように家族ともども気をつけるようにして居ますが,入院させて居たのですが,耳鼻科に受診してきますと外出して家に帰って首をつった老婆の苦い経験もあります!」

#Philip Hebert, MD PhDのコメント
(カナダトロント大学家庭医療学兼医療倫理のコメント)
    It is certainly not unusual for the elderly to attempt suicide when they fee
l they have "outlived" their usefulness. This empty feeling medicine cannot replace & in part comes from the increasingly fragmented nature of modern society. I do think there was much value in the "extended" families of past years wherein all members had a role & could be supported.
   Today's society can be a cruel & heartless one to the elderly who, as they become infirm physically & mentally, are abandoned by their families. In many places in N America we have laws to protect the vulnerable elderly from abuse & neglect, but the social programs to support such laws (geriatric day programs, community outreach teams) are usually qoefully underfunded.
 

(問題3)老人(高齢者)に対して、我々は日頃どういう態度で接していけばいいのか。また、老人が生きがいを見い出す社会・環境とは、どのようなものであろうか、あるいは実現できるものだろうか。

#白浜先生のコメント
 「高齢者に対して、話していくことに限界があるのは、確かである。お子さん役あるいはお孫さん役として聞いていくしかない。「昔はどうでしたか。」、「どういう仕事をしていたのですか。」等、その人が輝いていたときのことを聞くのが大切である。」

#藤林先生のコメント
 「どんなに高齢であっても、痴呆があっても、ひとりの人間として尊厳を持って接することと思います。そして、高齢者や痴呆性老人も「寝たきり」老人も、ひとりの人間として尊厳を持って多くの人が接する社会であって欲しいと思います。老人に生きがいを与え
るのではなく、老人が生きがいを主体的に見いだす選べる社会でありたいと思います。」

#松尾さんのコメント(九州大学法学部法哲学大学院、元看護婦)
 「高齢者に対してどのような接するべきかと言うように、考える状況自体がかえっておかしいのかもしれない。高齢者だからといって、特別視する必要はないのではないかとも考える。特別に考えなければならない社会というものの方を考え直すべきかもしれない。
 生き甲斐をみつけることは、きわめて個人的なことで簡単には解決不可能だが、孤独感を感じたくないということは、多くの人に共通しているのではないか。自分が、何か人の役に立っている、誰かが自分を頼りにしてくれている、自分のことを気遣ってくれる、自
分の意見を聞いてくれると言うこと、このようなことは高齢者に限らず、誰にとっても大切なことではないか。これは、ただ我侭を聞くというようなことではなく、信頼感を基盤として、時々は我侭も聞いてやり、しかし、無理なことははっきりその旨を伝えることで
ある。」

#伊藤恵子さんのコメント(長崎大学衛生学教室)
 「老人のいきがい、について私は云々する資格はありません。身近ないろんな人の意見を、日頃から聞いておくこと、かな。」

#平田和美先生のコメント(開業医)
 「何でも好きな事をする!家でも爺ちゃんの仕事はこれとこれと何かさせる!何もしないのが一番いけない!
 老人は本音は寂しい!のです,良く話しを聞いてあげる,話相手になって上げる!此は大変よい方法ですが,時間が掛かるし,忙しいとなかなか出来ないで居る訳です,今寝たきり老人訪問往診と言う点数が出来て,私も行って居ますが「先生もう帰りますか?もう
一寸話しして下さい!」と大変喜ばれて居ます!行き甲斐のある往診です!
 老人が出来る範囲で出来る仕事をする,ボランチアで結構!老人にも仕事は出来るぞ!と生き甲斐を見出すようにする!
 趣味でも道楽でも好きな事に熱中する,私の近くに定年後絵を描きはじめて楽しんで居る老人が3人,ダンスに熱中している老人もいます。まだ何か出来る老人を姥捨て山のように老人ホームに収容するのはどうか?と思います!みんなが真剣に取り組めば老人の良
い環境は実現出来ると思います。」
 
 

<討議を終えた学生のまとめ>

1.治療に問題はなかったか。

 この患者さんに対する治療が「何かおかしい」と、5年生の実習中に感じていましたので、症例としてこの選択コースで発表しようと考えていました。ただ、どこの、どういう点がおかしいのか、については、よくわかりませんでした。
 各先生方のコメントをお聞きすることで、どんな点が「おかしかった」のか分かることが出来たと思います。特に地域ネットワークのことについては、非常に勉強になりました。医師がこの存在を知らないことがないようにしなくてはならないと強く感じました。こ
の「ネットワーク」のことをきちんと教えていない、日本の医学教育の不十分さを痛感しました。
 4分割表につきましては、講義の時には何かわけのわからない面倒臭いだけの表じゃないかなどと考えていましたが、改めて今回自分なりに作成してみてこの表の持つ意味合いが少しはわかったように思います。日本の医療においても十分使えるものだと思います。
ただし、自分が実際に作成してみて感じたのは、今の日本の医療では「医学的適応」が余りにも重視されているのではないかということです。1人でも多くの医師がこのような表を作成することで、よりよい医療を目指してほしいと思います。
 また、医療倫理の講義がいろいろなところで行われるようになればいいなと思います。

2.自殺企図の患者さん(特に老人)に対して、医師として、どのような点に留意して対応・治療したらいいのだろうか。

 患者さんとこまめに触れ合い、話をきちんと聞いてあげることが大切なことはよくわかりましたが、実際に行おうとするとかなり難しいことだと思います。一朝一夕にできることではないので、まずこの気持ちを忘れずに行動していきたいと思います。忙しくなると
ついつい、話をきちんと聞いてあげてないことが多くなるのでしょうが、なるべくそうならないように心掛けたいと思います。

3.老人(高齢者)に対して、我々は日頃どういう態度で接していけばいいのか。また、老人が生きがいを見い出す社会・環境とは、どのようなものであろうか、あるいは実現できるものだろうか。

 ひとりの人間として尊厳を持って接するということを決して忘れてはならないと思います。現実の社会では、必ずしも「尊厳」を持って接していないように思います。
 また、老人の生きがいにつきましては、「出来る範囲で仕事をする」ということがとても大切だと、三瀬村診療所実習で現役で働いているお年寄りの元気な様子を見てよくわかりました。