2001年度臨床倫理討論



症例1)DNR(蘇生を行わないと言う指示)と人工呼吸器をつけること
 Aさんは、58歳女性。多発性の骨転移のある乳癌の患者。定期的な入院による抗癌剤の投与と、モルヒネなどによるペインコントロールで小康状態をえていた。本人には、乳癌で、根治的治療はできないことが伝えられ、本人の希望で、心肺蘇生は行わないという指示(DNR=Do Not Resucitate)が出されていた。
 ところが、抗癌剤の副作用による白血球減少によるものか、急激に進行する肺炎双球菌による肺炎が出現、血液ガスの状態も突然悪化したため、医療チームの中で、人工呼吸器を使いつつ、抗生物質の治療を行うべきではないかという意見が出た。急激に低酸素状態になり、現在は患者本人の意思の確認がきちんとできない状態。家族は夫は2年前に肺がんで亡くなっている。子供は20代の娘が2人いて、母親の希望はできるだけ尊重したいが、症状を改善させる可能性がある治療ならばぜひ受けて欲しいと思っている。さて主治医はどうするべきか?



この事例を提示するさいに考えたこと

1)DNRかどうかの判断

 DNRという言葉は臨床ではよく使われているようであるが、きちんと医療スタッフ、患者、患者の家族が同じ共通の認識で理解しているとは言えないところがある。そもそもきちんとDNRが何を意味するのかということが、きちんと医学教育や医学教育でならっていないことがあるのかもしれない。
そこで、まずJonsenらのClinical Ethics、日本語訳「臨床倫理学」よりこのDNRに関するところを以下に抜粋する。

・DNR(Do Not Resuscitate)とは、心肺蘇生術CPR(Cardio Pulmonary Resuscitatation)を行わないという指示のことである。
・CPRは、急性心停止または急性心肺停止などの緊急事態において、循環と呼吸をもとにもどすいくつかのテクニックからなる。そのテクニックには、心マッサージ、補助呼吸、電気的除細動、強心剤、血管収縮剤、補助呼吸のための挿管などが含まれる。
・ 心肺蘇生術の目的は、突然で予期しない死を防ぐことにある。心肺蘇生術は、死が不測のことではない終末期の不治の病気の場合などでは適応にならない。
(JAMA,1980,p506)
・ 蘇生を行わないという決定DNRは、
1) 蘇生術が無益である(一時的に循環や呼吸を改善しても、患者のトータルな状態を改善しないあるいは苦痛だけを加える)という臨床上の判断
2) 患者(あるいは患者の代理人)の意向
3) 蘇生が成功した時の患者のQOL
の3点を考慮してなされる。

 私のこの症例に対する考えは、この場合の人工呼吸器をつけての治療は、厳密には急性心停止、急性心肺停止ではないので、DNRの対象にはならないと考える。また肺炎球菌に対する抗生物質の治療は白血球が少ないと言うリスクはあるが、ある程度肺炎の状態を回復すると判断されるので、治療の適応もあるので、患者(この場合は本人の判断能力がないので)家族(娘2人)に積極的に治療をする方向で説明すると思われる。
 読者の中には、「根本的には治療法のない末期癌の状態で患者で、肺炎の治療も絶対効果があるとはいえないので、人工呼吸器をつけるような治療はしない方がいいのでは」という意見もあるかもしれない。本人の判断能力があれば、きちんと説明した上で、患者が人工呼吸や抗生物質の治療はもういいですと言えば、これ以上積極的な治療はしないということもあるだろう。末期癌で直接的な死因は肺炎、その原因が何らかの癌ということは少なくないのではなかろうか。
 
2)人工呼吸器をつけた後、状態が改善しない場合、一度入れた気管内挿管は外せないのかと言う問い
 
 この症例で、一度気管内挿管をして呼吸状態を改善させ、肺炎の治療も成功するといいが、効果なく、数週間人工呼吸が続き、本人が苦しいためか自己抜管しようとした場合どうするのか。
 これまで学生が提出した事例の中で、何度か一度つけた人工呼吸器ははずせないのかという問題が提出されたことがある。私は欧米の医療倫理の教科書の受け売りで人工呼吸器をつけないことと(さし控えるWithold)と治療効果があるかもしれないとつけた人工呼吸器だったが。実際それで治療してみたが症状の改善なく、これ以上続けても効果がないと取り外すこと(Withdraw)の間には倫理的に大きな差はないと考えてきた。また、ある学生が「神経難病の患者さんに人工呼吸器をつける必要があった時、先生が一度取り付けた呼吸器をはずすことはできないからよく考えて決めて下さいと話していた。しかし実際人工呼吸器につなぐ前に、そのメリットデメリットをいくら話しても、本当にはつけてみないとわからないのではないですか。やってみてこんなに快適なと思う人もいるでしょうし、こんなに苦痛なものはと思うかもしれない。不遜な言い方かも知れないが『人工呼吸お試しコース』みたいに数週間やってみてその後それを続けるかどうか決めると言うのはいけないのでしょうか」と質問してきたことがあって、若い人のフレキシブルな思考ってすごいこというなと感心し、そういう対応が一番いいのかも知れないと答えました。
 ところが、後で何人かの法律の専門家に聞いたところ、「人工呼吸器をはずすという作為(積極的な安楽死)と人工呼吸器をつけない不作為(消極的な安楽死)との間には法的に差異を認めるのが現在の通説です。裁判例がないのではっきりとは断定できませんが、消極的な安楽死に対しては刑事責任は否定されると思いますが、積極的な安楽死に関しては東海大学病院事件の裁判例等、安楽死を認めるためには厳しい要件が課されており、法律家の間では、要件を満たす事例は殆ど現実には存在しないのではないかとの意見もあります。ですから、人工呼吸器をはずすという作為に出る場合には自殺幇助等の刑事責任を追及される可能性が強いのではないかと思います。」という回答をいただきました。
 やはり、一度取り付けられた人工呼吸器は患者が亡くなるまで外せないのでしょうか。一旦呼吸器をつけたのはいいが、精神的身体的に苦痛ではずしてほしいと思う人はいないのでしょうか。自己抜管されないように、抑制してということが時々あります。(この場合治療の必要からで、患者の人権を守る意味からの抑制廃止の対象にはならないでしょう。)それでも抜かれてみんなが後味の悪い思いをすることもあります。数日やってみて効果があっての抜管できるのが一番理想ですが、治療が効果なかった場合、本人の意思の確認ができ、抜管を希望した場合、あるいは、事前に治らない病気であれば(最初は治る可能性があると判断して治療したわけですが、治療してはじめて治らないとわかるわけです)人工呼吸につながないで下さいという意思表示があれば、抜管してもそれが罪に問われるとは思えないのですが。このようなことをきちんとするためには、誰かが犠牲になって法廷で争う必要があるのでしょうか。あるいは学会や厚生労働省あたりで人工呼吸器をはずすことが許される基準(治療効果がないこと+本人(本人の意思のない場合は代理人)の強い抜管の希望があるetc)を作るといいのでしょうか。


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